源究231t231
| NO | テーマ | 月日 | NO | テーマ | 月日 | NO | テーマ | 月日 | NO | テーマ | 月日 |
| 4131 | 光明 | 9/19 | 4136 | 予測と不測 | 10/10 | 4141 | 大同小異 | 10/23 | 4146 | うたかた | 11/7 |
| 4132 | 底力 | 9/23 | 4137 | 愚策の誇り | 10/12 | 4142 | イタチごっこ | 10/26 | 4147 | 名人(F) | 11/10 |
| 4133 | 花ことば | 9/27 | 4138 | 間(あいだ) | 10/15 | 4143 | 再生力 | 10/27 | 4148 | 偶然&必然 | 11/13 |
| 4134 | 冷静沈着 | 10/2 | 4139 | 一条の光と陰 | 10/19 | 4144 | ミイちゃん | 10/31 | 4149 | 中和抗体 | 11/16 |
| 4135 | 当り外れ | 10/7 | 4140 | すべからく | 10/21 | 4145 | はっとスル | 11/4 | 4150 | 表と裏 | 11/18 |
4131:光明
| 光明とは、暗闇を照らし出す明るい光。仏教では仏・菩薩の心身から発する光で智慧や慈悲を象徴する。 周りを見回しても、”光”を見つけるのが難しいと思っている人が増えているような。どうしてでしょうね。智慧の意味は、【仏】空など仏教の真理に即して、正しく物事を認識して判断する能力。【哲】単なる学問的知識や頭の良さではなくて、人生経験や人格の完成をまって初めて得られる、人生の目的・物事の根本の相にかかわる深い知識。慈悲の意は、いつくしみ、あわれむ心。 お楽しみ外出での話。GHのメンバー2名とスタッフ2名の計4人でドーム球場の巨人戦、生憎の大雨で長靴はいて観戦し、巨人は負けた。夜は後楽園ドームホテルの20階の部屋にお泊り。翌日、快晴!東京タワーに登ったとか、写真と土産を事務所に持ってきてくれました。東京タワーで長靴履いて写真を撮ったものだった。笑顔がとても良かった。(雨のち晴れ) |
| 光明は純真無垢な人にとってはどうなんででしょう?密教の観法(瞑想)で入我我入(にゅうががにゅう)が説かれます。 人間の5感以外にあるという本質を直感的に感じるという第六感、言葉による理解は難しいと謂われる心の働きです、唯識思想の八識の第8の阿頼耶識(あらやしき)・・・・。≪この子らを 世の光に≫(糸賀)の”光”の真意? 理屈でなく、身口意の業として私達はどう向き合うかということになるのではないでしょうか! 栗拾いの話。Nさんは毎朝早く栗畑、栗を拾って、事務所に届ける。タイムレコーダーの前に置かれた籠には”お好きな方は どうぞ” ”という貼り紙とビニール袋がある。(日々是好日) |
4132:底力
| ≪人間は努力するかぎり 迷うものだ!≫ だいぶ字が見ずらくなった貼り紙は、ゲーテの言葉。新たに書き換える気持ちにはなれない。 普段は目立たないが、いざという時に出る強い力・・・・底力(そこぢから)・・・・。有ると思うかどうかは知らねども ・・春の花は暴風に散り 秋の月は西山に陰(かく)る、生者必滅 会者定離は是れ常の規矩(きく)なり。・・・・・(諷誦文)、此れは逝く人を送るコトバ。受け止め方は人によって異なりますね。 ミョウガの話。 Nさんの再登場。道端の草むら(?)で何やら探しもの?家の方に≪何かさがしているの?≫と聞かれ<ミョウガ>と謂ったそうだ。<5本もらいたいです・・> 『どうぞ どうぞ』と謂われ<あとでまた貰いにくるかもしれないです> 。 ☆相手に対し我が身の構えは【上段の構え】か【無手勝流】か・・・・さてと地域連携推進会議は如何に??? 連携か断絶か 。小欲知足。 |
| 暑さ寒さも彼岸まで・・・・春夏秋冬、日本人だから詠める風物詩。それが今どうでしょう? 時と場所にお構いなく容赦ない暴風雨が襲う。 そんな中でも植物は渇水、猛暑、大雨にじっと耐えています、道端に自生する”ミョウガ”をよく観察すると落葉に身を陰しながら花を咲かせていました。 人間はどうだろう?一言では言えませんが、どうも人災を減らすどころか逆に増やしているとしか思えない。もしゲーテ(1749~1832)だったら 今の状況をどう観ただろう!努力⇔底力。智慧⇔知識、独善⇔共生 Nさんの話。彼は自分がというよりミョウガをお裾分け。栗もカブトムシもNさんには同じこと。相手がもらって喜ぶことが嬉しいんだと思います。(秋分の日) |
4133:花ことば
| ”彼岸花”を別名で曼珠沙華とも言いますね。いくつかある花ことばの中で<再会>というものがあります。他の花でバラは愛、オリーブは平和、それぞれの花のもつ特質に基づき象徴する意味をもたせた。 これは他の生き物と人間の違いですね。そして、国によって花ことばが異なることもありますから調べてみると面白い。先人の言葉もそうです。生きた時代によっても趣(おもむき)が変わります。バルザックの『人間喜劇』、チェスタトンの『正統?』、オルテガの『寛容=リベラル』・・・・・維摩経の『不二』・・・・ かなわぬことと知りながら なぜか老いて興味が広がるんですよ。 秋景色の話。。 手こぎ井戸 陰で咲く彼岸花 なんとなく 遠慮ぎみ 逝き人と 再会願い 手を合わす |
| 言って良いこと不味いこと、その境界が難しい。”花ことば”は謂った言わないケンカの種とは無縁、それよりも、愛おしさ、優しさが浮かんできて 思いがけない発見になることもあります。なにせ度を越えた我欲を満たそうとすればする程、自分のことはさて置いて相手のことを論(あげつら)うようになりやすい。そうならぬよう自分を取り戻すには・・・・と。 彼岸花のことを”葉見ず 花見ず” とも謂います。確かに 彼岸花は花が咲いた時には葉が無く 花が散った後に葉があらわれます。だから花と葉を同時にみることはない。此れって我先にから”お先にどうぞ!”・・のヒントになりませんか?(彼岸明け) |
4134:冷静沈着
| 世の中が荒廃すれば人の気持ちも荒んできます。三毒(貪瞋痴)は人の心を害する三つの煩悩、貪欲(どんよく)、瞋恚(しんい)、愚痴(ぐち)。我が身を省みて,いくら冷静沈着を装ってみても顔が引きつっているから直ぐバレる。 坊さん業もお盆~彼岸で疲れてしまい、経を読む声 ハリが無し。働き方改革???? 恩恵を浴せるのは平等でしょうか?どうなんですかね~エ。 これも因果の法、悪因悪果、善因善果。理想と現実、いつの世も齟齬があり、願わくば 皆共に 平和な暮らしを・・・・。せめて 人と人が互いにいがみ合うことを止め 静かで穏やかな世になって欲しい。地球上の全ての生き物が地球の恩恵を受けていることに感謝すればこそです。 出逢い いつどこでだれとだれが どんな出逢いをするか それが大事なんだな (みつを) |
| いい加減にしないとならぬのは生き物の中で人間だけでしょうよ。他への迷惑を考えず自分達の都合だけで行動ししたり考える身勝手は許されまい。作ったり壊したり。。。。まったく!しょうがね~エよ。 私は大阪に行ったことがない。京都までは何度も行ったがそれは本山(長谷寺)に登るため、ちょっと足を伸ばせば大阪なのにいつも京都経由だから、そうなっちゃう。万博が開催中、行ってみたいと思っていたら、実現できた。閉会まで残り少なくなり人出が増えるだろうと覚悟して出かけてみたが、案の定、凄い入場者(20万人?)、150の国が参加するんだから凄い。結局パビリオンに入れたのがブルネイ国の展示場だけだった。シンボルの『大屋根リング』には、どうにか上ったけれど自分が高所恐怖症?だったことを思い出す、・・・・そしたら歩く処の話では無くなって 急いで降りた。 一泊二日の予定、二日目は大阪の思い出にと通天閣に行った。「展望台」 聴くと見るとは大違い! 函館の五稜郭タワーを思い出し、結局、私だけ上には昇らず、下で待つ。ああああ!・・・まったく しょうがねぇなぁ! |
| 焦点をどこに合わせるかで物事は違って見える。関心が無いと言えばウソになる。次の総理(?)が決まった。与党もそうだが野党も同じ、確たる基軸無く一体どこを向いているのか。野党はこのチャンスに纏まる気配無くお手並み拝見か!ハッキリ言ってやる気無し。こういった有り様で政治への期待はどうなるか! くじ引きならば当りは有っても外れは無い方が良いが、時と場合によっては違う。何せ今は”一髪千鈞を引く”状況、一歩間違えば国の存続に関わります。 沈思黙考の反意語は軽率浅謀(けいそつせんぼう)。・・・・神無月 曇天に 秋風未だ吹かず・・・ |
| 社会全体が何となくザワザワしていて落ち着かない。予断を許さない情勢は雑木林が風でザワザワするのとはえらい違い。 源信の母が我が子に箴言、その一節を紹介します。・・・後の世を渡す橋とぞ思ひしに、 世渡る僧となるぞ悲しき、まことの求道者となり給へ!・・・*源信(942~1017)は平安中期の天台宗の僧。『往生要集』を著す。 国民の為といいながら我先に? そうならぬよう戒める者がいるかいないか? 真の求道者とは何か?心静かに良く考えた上での決断・実行を。 痛みの伴う改革を・・・と言うなれば 言葉尻を捕らえて言いがかりをつけるようなことはせぬ様に。 いま 老齢のご夫婦が本堂の前で手を合わせ 帰っていきました(am6:07)。 |
4136:予測と不測
| これからどうなるのだろう?釈尊は”因果”によって説いた。今ある事物が以前の何らかの事物の結果であり、また将来の何らかの事物の原因であると。科学を自然科学、社会科学、人文科学などに類別し、それぞれの専門的分野での探究を万人の願いを叶える為の手段と考えた?そこに、AI(人工知能)という以前には無かったコンピューター・システムが加わった(因)?それに対し、未だ(果)は明らかになってはいません。願わくば 今まで以上に不測の事態とならぬよう・・・・・”お百度まいり”(ナマグサ:知足) |
| 聖地巡礼、仏教、キリスト教、イスラム教・・・それぞれの宗教を信仰する人が一度は参拝したいと思う聖地。これも 将来どうなるか? 75歳の年齢になって思うこと、一言で云うとすれば人間の本性は変わらないということかもしれません。長生きしたいと思っても それが叶わない人あり、平和を望んでも、戦争なくならず・・・・。仮想と現実、宗教と科学、戦争と平和・・・についてもその正解はありますか?先人が様々な方法によりその命題を解き明かそうとしました。”人間は 努力する限り 迷うものだ”(『ファウスト』) ”いたづらに西天に迷路するなり”(正法眼蔵:第16 行事) *今までに誰も経験しない暴風台風22号 一度開けた雨戸を また閉めました* |
4137:愚策の誇り
| 取るに足らぬと謂われても只管に励む姿に私は心動かされる。逆に自らを誇り、満足している人には馴染めない。唯識思想の八識、阿頼耶識(あらやしき)は人間のすべての心の働きの源となるもの。法相宗の根本教義。日本に伝わったのは、奈良時代の653年。 1400年のタイムスリップ、その間に人々のこころはどう変わったでしょうか?コンピューター技術によってつくられる仮想現実(VR)、それとどのように向き合っていけばよいのでしょうか?見えない相手、区別をつけにくいほどよく似ているもの・・・・・そのコピーが容易にできる時代。 その中で共生するとなればどうでしょう。果たして人類共通の”ルール”ができるのだろうか?。。。一見、何の役に立たないようにみえるものが、かえって大切な役割を果たしている「無用の用」「不用の用」に気付くチャンスかもしれないですよ |
| 一方に偏り過ぎれば自然・社会・文化に何らかの作用を及ぼす。環境と開発は一国だけでどうこう出来ることじゃないことを知りながら中々良策が生れない。無用⇔有用、不用⇔用、順調⇔不調か イギリスで18cに起こった産業革命、日本では19c、100年以上の遅れがありました。追い付け追い越せの目標掲げ遮二無二頑張った結果、先進国(?)に仲間入り。いま、それがどうなっているでしょうか?現実は 世界戦争が再び起こるかもしれないリスクが高まっている。戦後80年が経過し、その間に避けてきた問題を今後も先送りしていくつもりなのでしょうか!ハッキリ言ってこれは我々大人たちの責任です。今の国会議員はホンネとタテマエを上手く使い分けしているようにしか思えない。じゃ~言っていること・やっていること・思っていること。どうなんですか? 日本の為、国民の為・・・・・と無理に言う必要はない。あたり前の話でしょうよ。これっていつの頃から?GNP世界第2位になった頃,有頂天後の下り坂、先人たちが遺してくれた財を食いつぶし、時間だけが過ぎていく。貴方たちは国の財政規律をどう守るつもり?衣食足りて礼節知らず。 |
4138:間
| 急いては事を仕損じる。偏った未来志向が強すぎると道を誤る。それを防ぐ為には間(ま)が大事、程よい加減、事と事とのあいだの時間と空間。こころの余裕は自ら保つ、仏教では”平常心”。論語「為政」には”温故知新”、昔の事を調べ、そこから新しい知識や見解を知ると・・・・・。上に立つものに大切なのは七慢を知ること。我慢はその一つ。”驕り高ぶる”ことを戒める。 航海に羅針盤は不可欠、今 自分がどこにいるかを掴むため、羅針盤を持っていても使い方を知らない。此れ往々にしてあることで 間抜け という。 ・・・思い出はGPSに勝るとも劣らない“羅針盤”・・・・ |
| 私にとって人生の羅針盤と言えるのは、一緒に過ごした仲間たちの存在。一つ年上のMさんの葬儀がありました。棺の上に置かれていた感謝状2枚、それは平成5年、Mさんが初代理事長からもらったものだった。額にいれて飾ってあったと妹さんが教えてくれた。それとご家族からの返信ハガキの束、100枚ほどあった。枕元には大好きだったぬいぐるみ。 葬儀の最後に感謝状の一枚を読んだ。元気だった頃のMさんの姿が浮かんできて声が出なかった。 一枚のハガキ家族との間をつなぐ”絆(きずな)”。 |
4139:一条の光と陰
| 闇を照らす光は今 何処に・・・・・。ここぞとばかりに陰にまわって暗中飛躍。やればやるほど民意は離れ、何のため誰の為かがボヤケてる。この忌々しき事態を一掃する風は吹かず、暗雲が光を遮る。一層の事、二大政党にしたら!言い訳と責任取らずの政治体質はトップを替えれば変わるものなのでしょうか?戦後80年の先送りされてきた重要案件をどうするか!・・・・大義を忘れ小威儀に滞る・・・。(『十善法語』:慈雲)) 期待しては裏切られ、この繰り返し。今 国会の解散選挙をすればどうなるか!悔しいが80%を超える投票数には届くまい。是れも有権者の責任と謂うお心算か?(陰) |
| 2冊の本・・『ポピュリズム政治にどう向き合うか』(新聞通信調査会:2018)『記者失格』柳沢秀夫:2020)を併読。 久しぶりに図書館に行った。お目当ての本は直ぐに見つかり、借りてきました。気温が下がり、読書する気になった。愚痴の闇深うして、憍慢の旗高く、悶々・・・・ 時がすぎる。溜息。 時間が線でなく点になる。一刻を争って何かをしようとすれば、「中抜き」するようになるのは自然でしょう。新幹線のこだま、ひかり、のぞみ、それぞれ時間短縮のため停車駅の数が違うのと同じ。新幹線久しぶりに利用したら速さに目が眩んだ。車窓から景色をみるには遠くをみること。そうでないと偉いことになってしまう。21世紀型社会はなにもかもが「中抜き」になっていくと・・・・人間関係も組織も・・・それと私達はどう向き合っていけば良いのでしょう?流れに身を任すか、それとも、時には途中下車しブラブラしてはどうですか!。自然を肌で感じる原点回帰。 焦って 驕って 諦める ⇔ 焦らず 驕らず あきらめず Where are you belong ? |
| 祭り上げられ、我が世の春を謳歌と思った瞬間から現実を知る・・・・その因は全て貴方自身の胸中に・・・。果は幻影か実体か?これら先哲の教えから学ぶこと多し。師と仰いだ人がどうのこうのと云ってもそれを選んだのは貴方自身。上に立つ人の評価は責任の取り方。・・・・あまり長すぎるのも困るが短すぎるのも困る。三業が繋がらないのは猶困る。 いつまでも在ると思うな〇と×。自らを 時に慰め、時に叱咤し、毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする世に生きる!(ナマグサひとり言) |
| 自然に摂理があるように人間には? もはや人智の及ばぬ処までいってしまったのだろうか!鳥の宿り木ウグイスの梅、ホトトギスの橘、卯の花・・・に詠まれた。木と鳥の間には、何らかの約束ごとかそれとも他に? 約束は破られるためにあるのだろうか!それを仏教では因縁・縁起で説く。その解釈も様々、悪因悪果 善因善果 仕様がないと思うか、それとも他に。≪永遠なるものを求めて永遠に努力する人≫を菩薩と称した。 ”欲”と”欲”が競争したらどうでしょう。無常が勝か無法が勝か・・・その正解は如何に?迷ったなら すべからく 原点に回帰すべし。(ex) 原点回帰・・・return to the starting point。 回帰・・・一周して元に戻ること。(一円相)(遍路) |
4141:大同小異
| ≪三界広しといへども 五尺の身置き所なし≫(平家物語 巻第三) 仏の教えを解したと思うことは勝手でしょうが、信心はどうか、行いはどうか、己の胸に手をあて説いて御覧なさい・・・! 仏門に入る”得度式”、その時の誓い、三界(無色界・色界・欲界)は三千大千世界の略、六欲天、人間界、八大地獄の全てを含む。そこに五尺の自分を置く場所が・・・ありますか!自問は歳共に深まる。 経典は如是我聞から始まる、そこには学ぶ側の驕り高ぶった気持ちの余地はない。 不安を希望に・・・・言うは易しということか。 |
| ≪日照りのときは涙を流し 寒さの夏はオロオロ歩き 皆にデクノボーと呼ばれ 誉められもせず苦にもされず そういう者に 私はなりたい。≫宮沢賢治「雨にも負けず」第4節。 南米ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏の笑顔を思い出す。つくり笑いじゃなく、身構えたり、先入観がない自然体、だから癒し親しみを感じます・・・・・・・。この30年の間に日本の首相が 一体何人変わったかを正しく謂える方はどれ位いるでしょうか。この差は何なのか? ウルグアイにあって日本に無いものは?ウルグアイに無く日本に有るものは? 例えば”希望”という言葉です、なぜか上滑り、慣用語となって聴く側のこころ動かない 先ずは・・・尽力あらんことを希望する。結果は自ら評価することじゃなく、相手が為すことだ。因みに大同小異の反意語を辞書で引くと『大異小同』とある。その意味は”小さな事は同じだが大きな事が違っている”と。 |
4142:イタチごっこ
| 知っているからこそ腹も立つが、知らなければ仏様のようにすました顔でいられる・・・知らぬが仏。現実はそうも言っておれない、規制緩和や自己責任、何がどうなっているのかサッパリ判らない。特にIT絡みのトラブルは増加の一途、利便性を獲た代償ははかり知れない。アップデートを薦める知らせが日替わりで表示され、中には自動的に行われるものもあって、知らぬ間に容量不足、問い合わせしたら新機種への買い替えを薦められた。購入時、約款はあってもその内容を承知している人はいるでしょうか? それが嫌ならばサービスを使わないことしかない・・素っ気なさ。素朴な疑問、何の為?皆が使っているから。大衆迎合 紙一重の危機!(某新聞) 所詮 この世は儘ならず。 ならば最後は非常手段だ!イタチの最後っ屁(ぺ)。 |
| ドアが壊れた。昭和52年(1977)建築で一番古い建物、修理しながら今も大切に使っている. 二階を法人事務所として利用し一階が生活寮。建て替えたいが難しい。幸い頼めばどうにかしてくれるプロと出逢い、いつも助けられている。物を大切に使うことを忘れてしまったものの末路を考えたらどうでしょうね。巷には物が溢れ、まだ使えるものまでが廃棄されることに何の疑問をもたなくなった。習慣病は時間をかけ知らぬ間に感染し慢性化。その症状は日当り過ぎて草花がしおれる態、心の張を失って水を吸う力も萎える・・・・バランス崩壊の因果と思う。今の超高齢化・少子化を想定外だと考える人はいまい。AI時代にそぐわないと一蹴されるか否かも判らない。見えないもの、聴こえないもの、匂わないもの、・・・・それとどう向き合うか! 「へのへのもへじ」と『へへののもへじ』は同じ。 |
4143:再生力
| 下等動物ほど再生能力が強いという。人間は上等動物なのでしょうか?甚だ疑わしい、財や地位を驕り、他人の声を全く聞こうとしない。勿論、全てではありませんよ、・・・・・。 知らぬ間に自分が”愚痴の闇”に馴染んでいる、此処から抜け出すのも再生力の一つだとすれば、反意語は「感謝」・「称賛」、になるのかも。だが相手がいることだし、そう簡単にはいかんでしょう、人は生れて直ぐには自分で立ち上がれない。幼児が大人になるまで相当の時間がかかる、その間にいろいろな支えがあって為し得ること!。 善悪因果の分岐点・・・もちつもたれつ 譲り合い⇔独立独行 |
| ”思考の幅”を広げるか狭めるか・・・迷いながら塩梅加減・・・・。看板と実態・・・ 色即是空 空即是色。仏教が説く、煩悩を離れ。苦しみを滅して真理に達する。・・・涅槃の境地・・・。用意された登山口は違っていても目指す頂きは同じ。 判り易い例をあげれば富士登山。今は五合目まで車で登り、そこから歩き始める。高度に体が慣れていないから高山病に罹り易い。その経験が有れば判るはず。その苦しみは大変なものです。登頂をあきらめ下山する。これが口で言うほど簡単じゃない。 何せ体が自由に動かず体が冷え、思考力が益々落ちて・・・・・。(六根清浄) 自分は大丈夫と思うは勝手、ならば 他人も勝手・・・と そういかない世の常。 煩悩の犬は追えども去らず。(ワンちゃん!ゴメン)、 |
4144:ミイちゃん
| 我が家のミイ(オスねこ)、夏は葦簀(ヨシズ)の陰で仰向けで昼寝が日課、10月の末、最低気温が10℃以下となり、もっぱら家の中で体を丸めて日向ぼっこ。多分、人間の年齢にすれば私と同年代。そう思うと余計愛おしい。旧友が来られて3日ほど泊まっていきました。50年以上前の話が懐かしく、久しぶりに楽しいゆっくりとした時間が持てた。その間、ずっとミイちゃんも側にいて愛想をふりまき接待(?)してくれました。(ミイちゃん!ありがとね) 昔とった杵塚(きねづか)は しまい込んでばかりで たまには日にあてないと・・・・。 |
| 歳相応と言っても個人差はあります。ネコ年齢を人間の歳にする計算式があり、15歳のネコは、24+(15-2)×4=76で人間ならば76歳、人生100年を猫年では21年ですね。 鳥の言葉を研究している先生が京大にいるという。 果たして動物はホンネとタテマエを使い分けするのでしょうか?・・・・。動物は我々人間をどう思っているでしょうか?策を弄し、策に溺れ、策に苦しむ。昔からそうでしたか? ”人間は努力する限り、迷うものだ”(ゲーテ)図星! 宗教、哲学、倫理、道徳・・は時代と共に変遷してきたのでしょうか? ”『Orthodoxy』正統とは何か:G.Kチェスタトン”を近代思想の価値の転倒を試みた古典的名著と西部邁は評した。 昨日、Yさんの3回忌を行ないました。仲良しだった仲間達が参加してくれました。焼香する一人ひとりの表情にハッとしました。 |
| (続)・・・・。墓に刻まれたYさんが3年前、その前がお父さん、一番最初はお母さんで享年39才だった。( 参列してくれた仲間7名、スタッフが2名。<お母さんは39歳だったんだね・・(弟さんが生れた時)>と車椅子で参列したAさん(お姉さん)に声かけたらウンと頷いた。その時、仲間達の表情を見てハッとしました。一人ひとりの歩んできた人生、彼等はそれをどう思っているのだろうか・・・・? 思ってもいなかった出来事と向き合ってきた。愚痴も謂わず、支え合って生きてきた。『源究』は変わっても良いことと変わって欲しくないことを見究める意。それは願いと謂えるのかもしれません。彼等の願いには、汚れた”こころ”を洗ってくれる力を秘めている。 |
| 何故そういえるのでしょうか!そこには”下心”(したごころ)を感じないからだと思います。内と外の違いなく、隠さずありのまま。これって凄いことです。お前は出来るかと謂えばどうでしょう! 真の平和を求めるならば、相手を信じられるか、、その判断を何によってしますか。損得? 世界の流れは どうもこの方向で進んでいると思いませんか!一辺倒=一方に偏り過ぎ。AIに対しての危うさがそうです。AIを機械とみるかそれとも 人間を超えるものと、その境界がハッキリしないまま、開発に凌ぎ合う。最早、この流れは止められないかもしれません。 生成AIが何を食べて大きくなったか? 偏食を防げますか? |
4146:うたかた
| 方丈記(1212年)の冒頭文、≪ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。・・・≫。心地よい和漢混交で書かれた文は読む人の心にしみとおる。人の一生も同じではないか! その問いが 老いて、より強く、深く、感じ入る。昔を振り返り、今を大切に、先の事は判らないから望みに託す。今更・・・もう遅いよと考えるか否かは アンタ次第。 二日間、好天に恵まれ、Fさんと一緒に草取りを行ないました。彼は”還暦”を迎えた。幾つになったの? と尋ねたら”知らない”と。そのあと沈黙があった。気のせいか長く感じた。 彼の仕事ぶりは年季がはいっていて誰もが感心する。 |
| そのFさん、バスで土浦駅まで行き、そこから歩いて勤め先の石屋さんに通った。路線バスが無くなってからも彼が長く勤められたのは社長さん家族の理解があったからですね。彼を知る人からは、彼の丁寧な仕事ぶりや元気いっぱいの挨拶の評判を良く耳にした。 次から次に出される施策も末端まで周知される前に変わってしまう。この常況は今も改善されず、上塗りされるだけ。チェックが不十分で倉庫に詰め込んだモノを、いざ使う段になって、どこにあるか探すのに四苦八苦・・・・・、知らぬ間に積もり積もった負の遺産・・・ さて、これをどうするか! グットタイミングで 草を抜けば 跡が綺麗だよ。Fさんのひとり言。。 |
4147:名人(F)
| 草の根まで取らず見える処だけ取っても直ぐに草ボウボウ・・・・。Fさんは それを知っている・・・・。 彼の使う道具は、小さなカマと竹帚1本、それも最後まで使い切る。地に這いつくばって隅から始める。こうなると周りの雑音は入らない。 永田町という畑は誰が草取りするんだろうね。(ナマグサ) 知らんぷり(F)。 自分たちで草取りすれば良いんだよな!・・・無視。 畑に入る礼儀知らず・・なんだな! 背をむけた。・・・・・何をブツブツ言ってるんだか!いい加減に早く草取りやれよ・・・と目が合った。 |
| 図星だ。名人には敵いません。おのれらは俗塵に埋もれて世渡る境界・・・(おらが春:小林一茶) ”俗塵”? 日常のわずらしくつまらないこと。 冬が過ぎ春が来る。四季があるのが当然と我が世の春を謳歌する。だが日本の秋や春はどうですか? 理想を語るも善し悪しで、倫理と政治の交差点、公私混同ままならぬ。 更に、憂き世と浮き世の境なくメガネを変えれば万華鏡。昆虫は偏光を識別できるそうだが 人間は? コラ~!また始まった!。。。どうぞお構いなく!俗塵と嘲笑なされればよいだろう。 一時(いっとき)待てば いずれ 変わる回転偏光。 |
4148:偶然&必然
| 心身一如・・・心と体は一体で互いに影響し、心がおかしく成れば体も、体がおかしく成れば心も・・・、心が順調なれば体も・・・。”考える”と”感じる”の違いは?西洋と東洋の違い? 医学、宗教、哲学にあらわれる。 偶然&必然と更に”蓋然(がいぜん)”というものもある。 現代社会では、そこにAI(人工知能)が介在する。是は難問か愚問か?。仏教の因果、不二の考えからすれば、人工知能とどう向きあっていくべきなのでしょう・・。迷いか新たな挑戦か、時代とともに変わるものが 人智の及ばぬ境となれば”適応障害”となってしまうかもしれません。・・・・≪若し達観する時は世界は罪をもちながらに美である≫『善の研究(西田幾太郎)』。 焦らず 驕らず あきらめず 真如の月は 六境を よく見てござる。 |
| 六根清浄⇔六根罪障 往生の助けとなるか妨げとなるか、なぜ人は汗水流し頂をめざすのでしょうね。 なぜ そんなに急ぐのでしょうか!妄執や煩悩を洗い清めることが頂ではなく、その先に何を求めるか、仏教では”涅槃”。インドの正統バラモン教では”梵我一如”、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と個人の本体であるアートマン(我)が同一不二であるという、それが現在のヒンズー教となった。キリスト教はイエスキリストの愛と罪の赦しを説き、個人と社会の再生を願う。イスラム教は唯一神アッラーのみを信仰し、偶像崇拝を禁じ、経典コーランを大事にする。 いつの時代もどこかで繰り返される災禍との因果は?偶然か必然か! |
4149:中和抗体
| 抗原が生体に対して毒性や感染力の活性をもつとき、その抗原に結合して活性を減退または消失させるものを中和抗体という。人体は未だ謎ばかり。宇宙と類比し小宇宙。喜怒哀楽は心の動き、一時的なものを情動、持続的なものを気分と云ったりする。それが調和が取れていれば問題ないが一方に偏すると厄介もの。これは生物だけじゃなく、社会にも通底する。進歩と退歩は表裏の関係。寄生虫も寄生植物もそうである。俺のものはオレのもの、お前のものもオレのもの、この類は人間の専売特許。見なさいよ、規制もできず、スパムメールに全戦全敗。その対策を尋ねれば”無視しなさい”。是レハ・・・良きにはからえ・・と同義ナリ。 |
| 合法か違法、持戒か破戒・・・・その境界が曖昧となっていませんか? 仏法の真意を解せず云うだけ言って,道念なければ、むなしさだけ、ダルマ大師が東漸し中国にきた理由を知らずに迷っている姿を道元は『いたづらに西天に迷路するなり。』(正法眼蔵:行持下)』・・・と 信義も道理もなく、見た目をつくろう行持を戒めた。さ~て 先ずは何から始めるか!・・・・老いて 一念発起 菩提心。金剛の信心を賜りたまへ。・・・ |
| 何かの拍子に、“素”の自分に気付くことって有りませんか。染色していない、白地の儘の自分。私達は気付かないうちに 自分をいろんな色に塗ったくり、元の色が自分でも判らない。表だと思っていたけど実は裏だった、・・・なんてことも良くある。逆にそれだから良かったかも。もし、まったく自分と同じ人間がいたらどうなるか??? それも簡単に複製、量産されるとなれば、・・・・ひゃ~! これを止めることはできますかって云うの。 表は閉めたが 裏口は どう? 表と裏 言行不一致を指摘され ”良きにはからえ”。 |
| ”判った わかった 後でね!” 実は判っていない、逃げ口上。胸に手をあて反省する。中和抗体は人為、作為とは無縁、その人自身に元々備わっている。なぜなのかは謎、仏教の唯識思想の第八”阿頼耶識”、人間の知覚や意識の根底にあって心の働きの源となるものと説く。 私が今大切にしていることがある。言葉では上手く言えないので具体例をあげます。月~金、彼は一人で一輪車と帚と鎌をもって園内の掃除をしてくれる。それは誰も真似できない徹底さで見事。≪いつ 成人寮に掃除にいくんだよ?≫と顔を合わせると聞いてきます。・・・その時”判ったわかった 後で”と答えることが多かった。それに対し一度も不満を言ったことがない。それどころか≪おなか大丈夫?≫と気遣ってくれる。最近、 一緒に軽トラに乗って成人寮に草取りにいった、 車の中で≪おれ、マー坊と同じなんだ・・・≫とひとり言。車椅子の生活になったマーちゃんが成人寮に移って?年が過ぎた。 |