源究232t232

  

NO テーマ 月日 NO  テーマ  月日 
 4151  同級生  11/19   4156  情報一考  12
 4152  かまえなし  11/21      
 4153  制約と不自由  11/24       
 4154  遺影の存在  11/28       
 4155  阿吽  11/30       

4151:同級生

 ♪ 方をならべて 帰る道 秋の落葉が 降っていた・・・・明日もまたと云いました ♪ (同級生:作詞 阿久 悠)
 昭和54年(1979)に学校教育法の改正で養護学校の設置義務が制度化され、県立土浦養護学校が開校、そこに学齢の子供たちがバスで通学するようになりました。今では遠い昔の話です。そのFさんとMさんとKさんは今年還暦です。一緒に通学した仲間が段々少なくなりました。 ≪マー坊と同じ・・・≫といったFさんの呟きには 車椅子の生活になったMさんへの思いが込められています。 
 
 世の中は随分変わりました。その変化に私達はどう向き合っていけば良いのでしょう。尚恵学園の歩みはゆっくりしています。昭和31年(1956)の開設当時の姿を知っている人はもう殆どいなくなりました。
 先のことを考えてもどうにかなるものでもなく、私達が今できることは、こうあって欲しいと望むこと位しかないのかもしれません。 その中で優先的に何をするかを共有し取り組んでいくことでしょうね。久しぶりに実家の墓参りに行って来たNさんが≪姉さんが 3年前に亡くなったんだって。もう誰もいなくなっちゃた・・・≫ と話してくれた。
 現在、言葉で自分の気持ちを伝えられる方は、利用者全体の1割ほどで大多数の方はそれができません。 じゃ~どうすれば良いの・・・・・。(円相)

4152:かまえなし

 『円相』かまええなし・・・という書を師から頂いた。その意味を尋ねたら≪ 自分で体験することだよ ≫とだけだった、その時の師の歳に自分がなりました。
 様々な刺激に対し、どのように反応するか・・・『円窓』 まるまどを通して外をみる? いや 「己の心をうつす窓」の意? そもさん 説破(せっぱ)! さあ~答えてみよ!と謂われたように思った。
 かまえなし⇒始まりも終わりもなし 角にひっかかることもない。 道に迷った時、どうしただろう? そもさん せっぱ!何を標に そこから抜け出そうとしただろう。大分昔のこと、どうしたかは忘れてしまった。多分、自分に都合よく考え、うまく抜け出せたと・・・。 それだけのことだ。 ・・・・万事が万事。
 
 ”環境”と”開発”。この最大の課題をどうすれば良いか そもさん せっぱ! 様々な国際会議が開かれていますが、どれも一枚岩の団結とは程遠い。 気になるフレーズ・・・「民主主義の本質は,制約や不自由さと共に在る。」 「私は、私と私の環境である。」(オルテガ) ・・・「無我の我」(仏教)・・・。
 いや~まったく 気になると居ても立ってもいられない。ナマグサの性分悪しからず。・・・過去を無視して、いま生きている人間だけで正しさを決定できるという思いあがった態度のもとで、政治的な秩序は多数派の欲望に振り回される。この「行き過ぎた民主主義」こそが現代社会の特質になっている・・・とオルテガは指摘した(『大衆の反逆』)今の日本は? 変化が早すぎて時流を掴みとれず、見切り発車 後に混乱だけが残される。

4153:制約と不自由

 何かを成立させる為には、必要な条件や規定があるという。そうでなければ”なんでもあり”。民主主義の本質は、制約と不自由さと共にあるという。共に在るということが肝心、それが知らないうちに不平等ってことになり易い。それに人の評価ほど気紛れなものはない。何かの切っ掛けで敵にも味方にもなりかねない。禍は自分に降りかかって初めて判るという。仏教の教えに”五蘊盛苦”あり、色、受、想、行、識(五蘊)への執着により苦しみとなる。(八苦の一)
 東京の高層マンションが1億5千万円以上で売買、方や増え続ける空き家の数、 これで規定があると思うかどうか、堂々めぐり、・・・・私は、私と私の環境である・・・。
 
 オルテガの云う「大衆」とは、「根無し草」になってしまった人たちのこと。・・自分が意味ある存在として位置づけられる拠り所のような場所、つまり「トボス」(場所)なき人間のことです。自分が依って立つ場所がなく、誰が誰なのか区別もつかないような、個性を失って群衆化した人たち・・(中島岳志)。 ”タワーマンションと放置された儘の空き家” 大都会の表と裏の顔、地下は縦横に張り巡らされたパイプ、これが、いつ破裂するか判らない。
 私が知っている人たち、彼らには表と裏が無く、一人ひとりが見事に個性たっぷりなんです。自らを飾ったり、驕ったりすることは苦手です。でも、それが今の時代に”純真無垢”の心を保てる力だと観じます。・・・無我の我・・・

4154:遺影の存在

 観音寺の本堂に尚恵学園で過ごした仲間たちの遺影写真が飾ってあります。いつの間にか数が増え、飾る棚が手狭になってしまった。それだけ時間が経ったと思う。朝、遺影の前で手を合わせてから学園に出かける。今まで彼らのまなざしによって気持ちが萎えようとすると幾度となく救われた。。
 ・・・宿命は、我々に一つの軌跡を強いる代わりに、種々の軌跡を与える、そこで、われわれは選択を強いられるのである。・・・(オルテガ)  私は彼らの生きた軌跡を見てきた、否、”垣間見てきた”というべきなんだネ。
いつだってそうなんです。彼らのまなざしは単刀直入、容赦ない。だから 良いんだよ 違うかい? ハイ!   これからも宜しく頼みます。 
 
 遺影はその人の生きた証(軌跡)を思い起こさせる。それぞれの表情にその人らしさが浮かび自分と交差する無言の遺言だと思います。 
 どんなに小さなことであっても私たちには”望み”がある。その大小は問題じゃ~ない。人体には自律神経というものがあり自分の意志とは無関係に働いてくれる。普段は感じないが何らかの原因によって体に障りを来し、 あたり前にできた事が出来なくなって初めて判ることかもしれません。人生は順風に帆を揚げてばかりでないことを彼らの遺影は教えてくれた。
 遺影棚に新たに加わったMさん、大好きだったクマのぬいぐるみと一緒に穏やかな顔で棺に入った。今は、両親と一緒に眠っているに違いない。

4155:阿吽(アウン)

 できれば・・・と 黙許し 場を去る 御方便! 帰れと謂われておいそれと帰るわけにはいかないお家の事情。
・・・日本語の副詞には、ゆっくり・ひらひら等の状態副詞、もっと・非常に等の程度副詞、まるで・とうてい等の陳述副詞あり。この微妙さを相手に伝えることの難しさ。
 遅々たる春の日も 所作足らねば時を失ひ・・『謡曲 善知鳥(うとう)』  此処での所作の意、(仏)身口意の三つのはたらき。この三つの調和が大事でそれが無いとどのような所作も相手には上手く伝わらないという。判り易く云えば。。。。言っている事やっている事思っている事がバラバラだったらどうなるかということ。
 Kさんが仕事(パンづくり)を終えて寮に戻る時・・・・丁度雨が降り出した。そこに私が車でもどった、その時です。自分がさしていた笠を私にさしかけたのです。・・・「大丈夫だよ。ありがとうね」と云うと Kさんは”ウン”といって寮にもどっていきました。・・・ 
 
 ≪八徳淡淡として自ら貯えたり≫(*性霊集) *仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌(八徳) 空海作真済(しんぜい)編、平安初期の漢詩文集。 真言宗の僧侶にとって大切な「遍照発揮性霊集」の一節。・・・できれば・・・とうてい・・・ゆっくり・・・阿吽の呼吸。
上掲のKさんのことを少し紹介したい。まだ、彼は利用し始めてまだ一年経っていない。体験入所を何度か行い、その後、自分の意志で入所を決めたと聞いた。
 今はパン工房に歩いて通う。車が来ると道路の端にちゃんと止まって車が通り過ぎるのを待つ。いつ頃からだろうか逢えば必ず片手をあげ挨拶してくれる・・・・・。そのゆっくり、慎重な所作はまるで八徳淡淡として自ら貯えたり 。

4156:情報一考

 物質、エネルギーとともに現代社会を構成する要素に”情報”があります。私たちはコンピューターネットワークの拡大に伴う新たな問題と向き合わざる得なくなった。サイバー攻撃、偽情報・・・等への対策!利便と不便は表裏一体、現法で防げるとは思えない。見えない相手をどうやって見つけるか? 今更、かわら版、飛脚の時代と比べたって相手にされないでしょうが、何か大切なことを忘れていないでしょうか? ネット上でランキング付けしたものがやたら増えたと感じる。無視すれば良いんだよ!という忠告が逆作用、例えば各県魅力度、幸福度ランキング、45位~47位辺りを占めている魅力度、それが幸福度では12位と???。どっちにしても人騒がせ、その意図が判らない。
 アクセス回数がものをいう・・・これも因果とあきらめよ。(老いの木登り) はははは~ハ。