源究46

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
510 緊急会長会議 2/2 515 サポート協会 2/9
511 あじさいセミナー 2/3 516 バッテリー充電 2/11
512 職場事情 2/5 517 バッテリー交換 2/18
513 経営能力&?? 2/7 518 何を大切にする? 2/19
514 休息 2/8 519 飲んじゃった 2/20

510:緊急会長会議

1週間前に招集が掛かった今年度3回目の緊急全国会長会議が浜松町のホテルで開催された。この1年間は今までに無いほど緊急に会議招集がかかる。茨城などは東京まで電車で1時間だから問題ないが、全国から集まるのは大変だ。会議は執行部の経過説明に時間が殆ど取られた、内容は非常に細かいので聞いているだけでも疲れる。さすがに居眠りする人は全くいない。約3時間の会議は様々な質問が出た。以前と違うのは執行部の方達に感謝の気持ちを表す意見が多くなったことだ。執行部は確かに何度も集まって意見調整を行い、全国会長会議を開くのだ。たいへんなことだということを誰もが分かっている。今日の会議で一際目立つ九州の某会長が何度も質問した。その県では協会を脱会する施設が毎年でているというから穏やかでない。今22施設しかないと言う。茨城の心身協は140施設にならんとするから大所帯。確かに福祉協会は機関誌「サポート」の購読料が主な財源、近年の特徴として購読者が減っている。大きな問題になっているし、全国では脱会施設も増加しているという。地方会と全国会費は結構な額になるから頷けるところもあるし今はインターネットでいくらでも情報は得ることができる。ホテルから浜松町に帰る間、その九州の会長と話しながら帰った。「俺は県に行って何でも言うんだ。お前ら金はださんでもええ、認可しろ!この前、知事に直接話したら2日で許可が下りた。利用者は問題ばかり起こすし、収入は減るし全く国の役人は何を考えている!!!!」と周りなど全く気にかける様子もなく九州弁で大声で話す。私は言っていることは同感だから頷くだけであっという間に駅に着いた。「ほなーさいなら」と一方的にしゃべりまくってモノレール乗り場の方に行ってしまった。上野までの山手線の中で考えた。「県によってまったく違うな。茨城はまだまだ恵まれているのかなー?否、違うな」またまた難問が出てきた。インフルエンザの流行の兆し、全く次から次へよくあるわ。そうそう会議で隣に座った施設長は荷物を纏めて途中退席した。今、電話があって利用者が怪我をしたから直ぐに帰って来て欲しいという園からの連絡だった、どこの施設も同じだわ。それがヨー、帰宅してテレビをかけたら・・・・女性は産む機械発言の厚生労働大臣の話・・・・・疲れがどっと出てしまった。厚生労働省しっかりせい!喝だ。まったく。(全国会長会議の内容は協会HP)

511:あじさいセミナー

今日、古河のあじさいセミナーに参加した。葬儀が終わってから急いで駆けつけたものだから僧服のままでちょっと変だったかな。21回目の今回は元環境省事務次官の炭谷さんの講演だった。元厚生労働省の社会援護局長だったこともあり、私は彼の話に興味があった。退官後の炭谷さんの活動は凄い、彼の生き様というか官僚時代より多方面に活躍されている。彼が局長だったころに社会福祉基礎構造改革を先頭にたって行った。切れ者だという評判と何か心を感じるお役人だというもっぱらの噂だった。今回の講演で、それが実感出来たのは良かったし、空海に大変興味を持っていることも知った。富山県の高岡出身だという。丁度1ヶ月前に梵鐘の火入れ式で行ったものだから話が通じた。多くの参加者が会場に詰めかけた。秋山理事長の思いの一端が通じたと思う。
 さて、私も今までに様々なイベントをやってきた。1人でも多く何かを感じてもらえればというあまり大きな期待は持たずに、今振り返るとその一つ一つが肉となって今の自分が有るように思う。様々な人達との出会いも活動することから得られる。時には反発して険悪な関係になっても向いている方向が同じであれば必ずやまた許し合える。波風が怖くて何もしないほうが余程まずい。私の今までの人生は当にその生き方を通してきたのだ。これからどれだけやれるか分からない。年と共に確実に体力の衰えは感じている。今日もまた、中学2年生の自殺の報道があった。集団でいじめをした側の少年が「ごめんね」というノートへの走り書きを残しマンションから飛び降りた。どうしてこのような方法しか取れなかったのだろう。何か生命を本当に軽くみてしまう風潮が目立つ。短絡的に死を選んで実行してしまう。私には、どうしても理解できない。自殺していく子供達に言いたい。「生きて欲しい。そして自分が生きて良かったと少しでも良いから感じて欲しい」

512:職場事情

役所の人事課長が言っていた。「3月に54名退職するんです。皆さん団塊世代なんですが、市長は3年間で120名職員を減らすと言っている。昔みたいにはいかないです。」某幼稚園の園長の話。「幼稚園教師、保育士、栄養士、全て見つけにくい。直ぐ辞めるし」更に私の友人の弁。「今年になって新聞に7回求人広告出したよ。1回15万だからたいへん。まだ2名見つからない。ドタキャンも多いし。福祉の業界はしっぺ返しを受けているんだよ。処遇がひどかったろー。」事業を継続するにはスタッフを揃えなければできない。それが今、上記のような状況。これは全国的な傾向だという。先日静岡の施設長も同じことを言っていた。「処遇が良くできないでしょう。福祉の収入はどんどん削られていますからね」私がこの世界に入った当時、その静岡の施設はユニットケアーを実施して全国的に有名であった。見学者も多く、当時10人部屋などがあった時代にどうしてそんな風にできるのかと思っていた。それが今、同じ悩みを持っている。確かに売り手市場ということが言われて数年経つが、今年は特にそれが目立つ。働き手の意識に違いがでているのか?それとも景気が良くなり、福祉や医療現場への就職を敬遠しているのか。日本のGDPを見れば確かに右肩上がりが長いこと続いている。一方、中国ではもっと問題が顕著になっているようだ。つまり、農村部と都市部の格差拡大、出稼ぎ者に賃金不払いなど問題が多様化し、拡大しているという。バブル以上の高度成長を続けるお隣の国も様々な事情を持っている。今、一つの職場だけの問題として考えられない時代。社会の仕組み全体が連鎖関係にある。自由競争に福祉が馴染むか!起業家という発想は従来の福祉の世界には薄かった。制度に準じ、法に守られてきた時代が長かった。否、その前には先輩達は国へ現状を訴え、何も無いところから制度を作ってきた。その恩恵を受けていることを今福祉事業に携わる殆どの人が忘れている。スタートが全く違うのだ。事業の認可を受け、補助金を頂いて建物整備をする。これに対して、そもそも誰も自ら手を出してやろうなどと考えない時代、何ら助成金など貰わずに事業をしていた。このギャップは大変なもの。今世間で大騒ぎしている地域格差などと比較にならない。その当時は自らの事などさておき無我夢中で毎日を送っていた施設職員。豊かさの中で失ったものの一つに実は日本の福祉を支えてきた「自ら先に得る前に相手を渡す」(自未得度先渡他)こころが実践現場にはあったと思う。

513:経営能力&??

社会福祉事業経営者協議会というものがあります。全国に支部があり中央には全社協の加入団体としての上部組織があります。その実態は様々で、実を言うと活発な活動をされている支部は少ないかもしれない。正直良く理解していません。旧態依然とした考えを持っている支部もあるようで、福祉業界の変化の早さに付いていけないところも有るようです。介護保険がらみの事業は様々な事業主体が参画していますから、語弊が有るかも知れないのですがお客さんの取り合いという状況があるようです。それも確かに地域によって状況は異なるようです。当然義務教育段階でも少子化の影響で生徒の青田刈りという状況が出ています。私学の中高一環教育などがその例です。学齢前子供への保育所と幼稚園の競争も激化しています。このような流れは我々の障害福祉にも確実に押し寄せてきています。法律が変わる前からその兆しは見えていました。入所待機リストなども実際の数には隔たりがあり、いざ入所の段階になって断るケースも多いと聞きました。これは本当の意味でのニーズ調査がなされてこなかったという事だと思っています。新たに事業を興す際の根拠となる数字合わせであったこともあるでしょう。障害福祉に関しては実はそれだけでは無いのです。本当に今必要な時に利用できない仕組みが多すぎたということです。尚恵学園で一番ニーズが高いのはレスパイトです。これは受け入れてナンボの世界。希望があって職員の体制を組むやり方です。これは実は経営から考えるとメリットが無い事業です。予約があっても突然のキャンセルなどが日常多く起こるからです。正直私の施設では本体の余力をそれらの事業に振り分けてどうにか運営できるという状況です。また、施設のサービスの在り方が大きく変わりました。日中と夜間のサービスを切り離す仕組みを取り入れたのです。細部については検討する問題が多くありますが、確実に方向性は決まりました。私の頭を悩ましているのは、実はどこで線引きをするかということです。給食サービス一つにしてもアウトソーシング(外部委託)が増えています。内部では1年前から検討していますが、実際にいつから切り替えるかという判断が難しい。つまり、先行き不透明な中で先行投資して事業拡大を図るか否か?経営判断ですね。幸い尚恵学園はSJKというネットワークを組んでいます。尚恵学園(S):神宮寺(J):観音寺(K)。別に檀家さんだからとかという意味での配慮は一切ありません。要は受け皿としての地域をJ&Kで表しているだけです。陽に付け隠につけ地域の人達の支えがあって今日に至ったことは事実です。持ちつ持たれつの関係は人と人の関わりから生まれると思います。

514:休息

”休”という字には木によりかかる人という意味がある。”働”という字は人が動くこと。いずれも人べん。誰しも分かることだが良い働きをするためには休息が必要だということ。自分の反省だが、どうもその辺のバランスを上手く取るのが苦手。常に疲労感を持っている。楽な方に行こうとする自分を盛んに押し戻そうとするもう一人の自分が大きくなったり小さくなったり。いつの間にか頼まれることが増えてしまい、俺は一体いくつの関わりを今もっているの?と指を折りながら思い起こしてみた。理事や特別委員などざっと数えてみたら10本の指を3巡したのには正直呆れてしまった。30以上の関わりをもっている。福祉だけではなく大学や寺の関わりが増えた。同時期に総会や集まりが集中するから掛け持ち、それに本業の寺は700軒を越す檀家さんを1人でやっている。めちゃくちゃだなー!休もう、そうだよ、休めよ、なっ なっ なー。今日はこれまで。短文明快。

515:サポート協会

いばらき互助会が金融庁の指導により継続が難しい状況になり、全国の知的障害者の互助会が今後どのようにしたら良いのか検討を重ね、結果として関東甲信越互助会は全国知的障害者サポート協会を発足し、新たな保険の仕組みの中で再出発することになった。いばらき互助会は発足が遅れ、一番新しい互助会であったが、出先を挫かれたような思いになった。国の制度も融通が効かない、確かにエセ互助会みたいなお金を集め夜逃げするような事件が一時問題となり、その防止策として国の制度の見直しがなされたことも頷けないわけではない。その煽りをもろに受けてしまった。関係者の努力は凄かった、何度も検討会を重ね、国への働きかけも何度行ったことか、その努力が実ってこの4月から新たな制度でスタートできるまでになった。今日、県内の支部長を集めて新たな仕組みについて説明会を水戸で開催した。皆さん関心が強く、熱心な質問が出された。自立支援法の盲点を埋める仕組みでもあるいばらき互助会はベストではなくマッチベターな選択である。細部については課題はまだ残っている。しかし、現実は待っておれない。利用者がもし入院になった場合の付き添い費用など今回の新法では全く考えられていない。完全看護が原則だという杓子定規。だから付き添いを職員がしても施設にはお金が入らない制度になっている。誰が考えた仕組みなのか、今日、水戸からの帰り道高速道路で国会中継のラジオを聞いてきた。野党議員の質問に答える安倍さんや柳沢さんの答弁は私にはどうも納得できない。Yという質問者は関西が地盤なのか、滋賀県での親子3人の無理心中事件を例に挙げて新法の悪法と言われる根拠を声を張り上げて主張していた。確かにそれだけ聞けば障害者の意見を代弁しているように取れた。だがどうだろう。1年半も議論を重ねてきたという話だが結果として今の状況を生んだという事実は野党もだらしがないということだろう。つまりだ、今回の厚生労働大臣の失言に対しての審議拒否戦法一つを取ってみても審議の真意が見えてこない。我々の貴重な税金を使っているという自覚がない。全国にある今回の新法の関係する悲劇は表にでないものまで入れるともの凄い数有ると思っている。本当に障害者を考えているのであれば野党や与党の政党の柵など無くして法律を作るべきだ。結果が全てであることを忘れている。
 政府は確かに都合の良い情報を平均値と思ってしまう癖がある。これは正直官僚が悪い。ほんの一部(予算の潤沢な中での成功事例)の限られた地域での状況をそれが全てかのように取り上げ過ぎる傾向が強い。サポート協会はそのような悠長な事を言っておれない、今困ってしまう現場から創設した制度なのだ。分かったか!怒りが込み上げてきた。やすめねーよ。そうだ!立派な国会議員宿舎から出て築30年の家賃7万5千円のアパートに引っ越しするKせんせいは地下鉄で国会通勤とか、パフォーマンスでもいいじゃないですか、これぐらいしてみたらどうなのよ!立派な黒塗りの高級車など乗り回す経費は一体いくらかかるんですか?まったく今年も怒りのトシになりそうだ!

516:バッテリー充電

恐れ入ります。このようなお忙しい時期に雲隠れとは。なんと申し上げて良いのでしょうか。良い言葉が思いつきません。電池切れと言いますか充電警告とでも言ったら良いのでありましょうか。6日間ほどの小休止。箱根駅伝ではないのですが、山登り前に少しギアの切り替えが必要と実感しました。私の周囲は全てが動き始めておりますから待ったなしの毎日で、どうも朝晩の散歩?では整理が出来ない状況が正直あります。
 今の私の正直な心境は、どうしてこの仕事を先代は始めたのだろうか?それを支えてくれた人達との遣り取り、重大な方向を決める際の根拠、・・・・。実はこの辺の認識は既に出来ていたと思っておりました。しかし、こちら側が決めていても世の中の流れはそうではないんですね。利用される方や保護者、そしてスタッフと地域の人々、50年の月日は大きく様変わりしました。福祉という言葉が誰もが知るところとなりました。でもいつのまにかちょっと可笑しいな!と感じるようになってきましたね。それを言葉で言うのは簡単じゃない。大きなうねりの中に飲み込まれてしまいますもんね。福祉関係者という人達と会う機会が増えました。違和感をどうしても拭うことができません。多分独りよがりなんだと思う。お金の大切さは充分承知しています。設備を良くしたいと思えば当然先立つ物が無ければできませんよ。知っています。でもなー?糸賀先生がどうしてあの時代に彼らこそが世の光になるべきだと断言できたのか!先生は50代半ばで亡くなった。私はその年齢を超えた。親父の85歳までには、まだまだ。ヒャー持つかなー。今の私の正直な気持ちを吐露すれば、”足跡をちょっとだけ残せば良い”という心境。
 18日にまた元気に登場しますんで6日ほどの時間を私に下さい。あータスマニア。イエイ**(調子者は変わりません。悪しからず)

517:バッテリー交換

18日午後9時に無事帰還、イヤー疲れました!こんなはずじゃー無かった。しかし、年だな・・・・。全く気力に体が付いていかない。まーいいや。しかし、良かったな!この感覚は実はいろいろな意味があるんですね。タスマニアは南極大陸に近い所、メルボルン(下記@)から国内線で約1時間でホバートまで。。この町は人口が20万大都市殆ど私には興味がない。北海道よりやや小さいと言う島の半分以上がここに住んでいるのかな?知識不足。これも興味ない。何に興味があるかと言えば残された自然であります。ホバートからレンタカーを借りて約300キロのA1線を突っ走る。途中1泊、これも興味なし。世界遺産のクレイドル山系。イヤー参ったな!これだよ。遠くここまできたんだ。ドーブ湖にうつる標高1500メートルの山並み(下記A)。ここまで来るのに道路で何匹のワラビー(下記C)の死骸を見た。車に轢かれたんだ。人間が起こした罪。ここでは山小屋Lemontyyme lodge)に泊まった。ワラビーがドアの外で草を食べている。人間が後から来たんだと分かった。それから自然を守るという意識はオーストラリアには随分浸透していることが分かった。靴の泥までチェックしようとする。他からの異物の流入を避けようとする配慮。それから商売根性だなー。お墓に興味が移ってしまった。本当にこれがお墓?これでいいのかよ?あまりにも簡素。宗教の違いかな?それにどんな小さな集落にも教会が建っていた。牧師さんが住んでいる生活感はなく、ひっそりとしていた。自然に返るということは実は立派なお墓を建てたりすることじゃないんだ。今住んでいる地域の自然を守ることじゃないのか!汚すだけ汚しておいて自分は立派な御殿(お墓)に入ればという根性がイマイチだ。その辺の感覚は正直麻痺していた。
 それから世界中どこに行っても日本人に出会う。これって凄いな!それにトヨタやニッサン&ホンダ。これまた凄い。まだ帰国して10時間頭が整理できていません。取り急ぎ報告まで。詳細報告をご期待下さい。
 How about TASUMANIA?   It’s excellent!
               
    @メルボルン    A クレイドル山     B羊放牧風景      C ワラビー

518:何を大切にする?

これもラジオ深夜便からの情報、東北の沢内村という所で長らく医療に従事された増田進医師の話は非常に良かった。今の医者は患者を見ない触れない。検査結果のデーターばかりに関心があり、マニュアル化され保険によるお金が出る医療行為しかしていない。辺地医療は外科の医師が多いという。確かに縫ったはったの世界だから患者さんに触れないと商売にならない。治療ではなく「手当」という増田先生の拘り、大学の医局に戻ることを断念し、村に残って診療にあたる。老人医療の無料化を日本で初めて行い、次から次へ社会保障の仕組みを村と一体になって進めて来られた。今の医学を学ぶ若者への不安を正直に述べられた。病院に弁当を持ってきて一日過ごす患者さんを実態視察された国の役人が「これは医療でなくて福祉だ」と言ったという。「医療も福祉も利用者が良くなればいいじゃないか!」と先生は話したそうだが通じたかどうかわからないと話していた。
今日本の社会保障費が膨大になっている大きな理由に、医療機関側に問題有りと指摘する。検査漬けと必要以上の薬、この状態は誰が考えてもおかしい。しかし、修正が効かなくなっているのも事実。先のタスマニアではどうなの?誰かに聞きたかった。しかし、その必要は無いと直ぐに了解。私が泊まったロッジは大半が老人夫婦、手を携え、レストランに二人で行く。ワインを飲みながら、「どうしてそんなに話があるの???」これも質問しなかった。食事に2時間くらいかける。私など10分だから話にならない。老後は元気に年を取り、世話にならずにそのままサラバが良いと誰かが言っていた。ここでは多分、病気になったら病院が近くにないんだからどうするのかな?薬は殆ど飲まないという話を聞いた。そりゃーそうだわな。高血圧だって糖尿だって殆どが生活習慣病だ。それを分かっていて直そうとしない。病気になってから医師の助けを求める。その前にやることがあるでしょうと言われた。私は朝、血流の良くなる薬と夜、高コレステロールの薬だ、それにだ、今回ハニーファームにてロイヤルなんとか??という物を買ってきた。昼に飲むんだから。こらーブクシ!!おめーは懲りないな。死ぬまで直らないとは実はどんな意味???何を大切にするかだな。そうだそうだ。以上でタスマニア報告を終了します。悪しからず。

519:飲んじゃった

「ご苦労さん まーどうぞどうぞ」とビールを注がれ、何も考えずにコップを差し出した。「乾杯!」  あれーどうしたんだろう。飲んじゃった。飲めないはずなのに。そして自分からまたコップを差し出した。変だな。昨日で6年間担当した県の布教師会の研修会が終わった。その後の恒例の懇親の席。今回は自分では決めていた。今度こそは辞めるんだ。だから我が儘言って今回の企画は私の考えを優先させて頂いた。正直どうなるものか役員4人が不安だった。なにせ今までは宗派関係者を講師に来て貰い2本の講演を行ってきた。従来の踏襲をやるのが一番楽だった。でも今回は最初からこれでは悔いが残ると思っていた。そんな時ふとした事で今回の講師の方に巡り会った。ある宴席で隣の席になったということで話が盛り上がり、今度の研修はこの人に是非とも話して頂き、それを題材に参加者全員で自由討議をしたいと思った。54名の出席者が1時間の問題提起の後、引き続きの自由討論、私が司会になった。言い出しっぺの責任を取ろうと思った。最初は皆さん戸惑いがあり皆下を向いていた、なにしろこのような研修に慣れていない、それよりもテーマが固かったのかもしれない。テーマは「今、僧侶になにができるか?」である。講師の方は他宗派、ゼロからスタートして現在400軒を越す檀家さんにまでなった。寺は土浦市にある。岡山から出てきて托鉢を行い、県内を隈無く托鉢安行し、県下6138柱有るというビルマ戦死者の遺族を廻り、供養させていただきたいと戒名を教えて頂き4600柱に及ぶ戦死者をまつる釈迦堂を建てられた。そして、今までお世話になったご恩返しということで少年院において長い期間教誨師の仕事をされている。触法行為で入っている子供達の更正に苦労されているのだ。今までの様々な経験とビルマ留学で学んだ、僧侶には先ず実践が優先されるべきという信念の元に今年で73年の歳月を生きてこられた。この先生の話は分かりやすく私は良かったと思った。その前にホットした。一緒に役員をしてきたOさんが「住田さん、今日のは良かったよ!」とビールを向けられたから飲んじゃった。今、出口が見えない様々な社会問題が叫ばれている。子供達のいじめ自殺などの悲惨な状況、教育者だけの責任じゃない。親の責任だけでもない。全てが絡んでいるんだ。その中で僧侶がどうすれば良いのか関心が無いはずは無いと私は信じている。県内に150名近くの布教師全員に通知を出させていただいた。その中で54名の方が参加してくれた。返信ハガキに体調を崩し申し訳ないが出席出来ませんと書かれたハガキが何通か目に付いた。今大事にそのハガキを持っている。皆さん関心が有るんだ。もっともっと僧侶が人々のなかに入って行かなければならない。セレモニー化された葬儀は先のNo:518のマニュアル化された医療現場と全く同様の問題を含んでいる。