源究49

  

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
556 60000回突破 4/7 561 子猫の死 4/13 566 悲喜交々 4/21
557 花まつり 4/8 562 選挙一色 4/15 567 銃社会への危機 4/22
558 退職挨拶 4/9 563 苦情対応 4/16 568 危機そのU 4/23
559 ブルーベリー 4/10 564 リスク管理 4/18 569 孫悟空 4/24
560 自立ホーム 4/11 565 認定審査 4/20 570 106番 4/25

556:アクセス60000回突破

見よう見真似でHPを作り始め、何かを発信してみたいというどうしようもない衝動に駆られた。それから『源究』などと大それたコーナー名を付けて書き始めた。積もり積もってNo49号で合計で556本の文章を書いてきた。正直、大変失礼な内容を書き殴ったこともあり、読む人に不快な思いをさせてしまったのではと心配している。
 しかし、諦めずに書き続けてきた結果、とても多くの人たちから思いもよらない反響があった。「大分イラついていますね!」とか「お疲れ様です」・・・・など。覗いてくれる人が少しでもいると実感することは私にとって大変な励みになっている。
 知的に障害がある人たちの純真無垢な人なつこい特性や優しい心の持ち主であることをどうすれば分かってもらえるだろうか?そのことがこのコーナーの主眼点である。
 行政や政治に対する不満は言ってみれば自己満足の域からでていない。私がいくら叫んでみたとしても何も変わらないことは承知している。なにかのウネリになれば話は別だろうが。
 また、自分としては今の正直な気持ちを文字に残しておきたいという気持ちがある。私の父が書き残した「精神薄弱児指導メモ」は今の自分にとっては無類の指南番である。法人の基本に置くべき理念は、今のような時代であればこそ、後に続くものへの責任として残し伝えていくべきである。猿こう捉月(エンコウソクゲツ)にならねば良いのだが。
 毎日が予測できない事が次から次へ起こる。どうしても後手後手の対応をせざるを得ない。早いもので、私がこの道に入ってから35年が経つ、制度や世の中の仕組みは大きく様変わりした。日本人そのものが豊かさの中で何かとても大切なことを忘れているように強く感じる。
 もし、後35年経ったらどうなっているだろう。自分の目で確かめる体力的自信はない。だが、少なくとも障害を持って生まれる子供たちは多分、その時になってもいるだろう。イラク戦争の化学兵器使用を裏付ける障害を持って生まれた子供達、人間が主義信条の違いによって相手の立場を尊重せず力によって征服しようとする傲慢さは決して無くならない。何が幸せかということを真剣に模索した先人がいることをその時の人たちが思い出してもらえれば私は幸せだと思うのだ。アクセス60000回は一つの節目、更に、自らに課すことは「共生」とは何かというテーマへの挑戦である。どこまで続くか分かりませんが皆さん飽きずに・・・お願いします。果たして実践躬行の範を示すことができるやいなや!

557:花まつり

釈迦の生没年には諸説があることをご存知であろうか。29歳で出家、35歳で覚者となり、以後45年の布教。没年をBC544かBC486にするかで誕生の年が変わる。4月8日はその釈尊の誕生の日だ。各地のお寺では盛大に誕生会の催しを行っている。
私はネパール側よりチャーターした車で5時間ぐらいかけ誕生の地、ルンビニーに行ったことがあった。もう10年も前のこと。当時のネパールは共産主義者が王制を批判し、各地で内乱が起こしていた時期、峠を越えてルンビニーに行くには多少なりとも不安があった。数日前にマオ賊の襲撃を受けた小学校の前を通過した時など緊張した。 子供を拉致して共産主義の教育をさせるんだと現地のガイドが話していた。
 ルンビニーは今から2500年前の当時を思わせる雰囲気があった。色とりどりの布旗がつるされ、多くの参拝者がいた。
最近訪れた知人に聞いたところ、各国の寺院が整然と建てられ公園のようだったという。随分変わった。
 花まつりはその釈尊の誕生日を祝う仏教行事。いつの間にか私の所での行事は影を潜めてしまった。住職の怠慢といえば、否定できる言葉はない。甘茶をつくって天上天下唯我独尊の像に甘茶をかける。幼稚園や保育園では今でも盛大に行っていると聞く。
 「四諦八正道」(したいはっしょうどう)は釈尊の説いたキーワード。
四諦とは「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」の四つの真理をいう。その「苦諦」には、生・老・病・死と愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五薀盛苦の八苦がある。四苦八苦の語源はここから来ている。
 この現世の苦の原因が人間が無常を認識できないからだという「集諦」、それから「滅諦」とは物事への欲望と執着を無くせば理想の境地(涅槃)につながるという教えであり、その(涅槃)に到達するための修行法が「道諦」であるということを説いた。
 尚恵学園の基本理念にはそのことを揚げている。
 いつになったら実現できるのだろう?
ある方から薦められて山本譲司の「累犯障害者」という本を読む。ご存じの方もおられると思うが、山本自身は衆議院議員でありながら秘書費流用で実刑判決を受け刑務所に収監された経験がある。彼が黒羽刑務所で障害者の介護担当となって様々な障害がある受刑者と会う中で感じたこと、出所してから福祉の現場で働きながら何度も何度も刑務所に入る累犯障害者の実態をレポートした本である。障害者の犯罪は加害者になると言うよりは被害者になる割合が圧倒的に多い。軽微な犯罪(600円の万引きによって収監された例など)により刑務所と娑婆を出入りする者が大半。そのような中で社会防衛目的のために、隔離論や厳罰論が幅をきかせている。
 水戸パッケージ問題がマスコミに取り上げられた時だった。弁護士の副島さんからメールが届いた。現在刑務所に入っている人の受け皿になってくれないかという内容だった。正直、迷った。栃木県のカリイホは既に多くの出所者を受け入れているという。そのような時思い出したこと。私が小学生だった頃、学園に刑務所を出所したばかりの青年を父が預かったことがあった。私は「あんちゃん」といって遊んでもらっていた。今その人との音信は全く取れていない。
 仏教に掲げる涅槃は、決して一部の人が到達できれば良いということではない。悉有仏性というが如く、自然界のもの全てに仏性が有るとみる。さすれば累犯障害者と言われる人たちも同じなはず。
 そんな事を考えていたら、心から花まつりできる気分にはなれなくなってしまったのが正直なところ。
 今日も独り密かにお釈迦さまの誕生を祝うことで許しを請う。生臭の生臭たる所以は如何とも処し難し。
 

558:退職挨拶

NHKのこころの時代の担当デレクターは私の先輩になる。今回のお相手は漢詩の話、75歳のその方は声が活き活きしており、とても元気な方だった。漢詩などというと何か難しい話になるのかと思って何気なくイヤホンを耳に当てていた。
 しかし、聞いていく中に興味がどんどん湧いてきた。確かに普段読んでいるお経は7言や5言で出来ている。読む側にも聞く側にも韻を含んだ漢文故に心地よい。太鼓などもリズムはその韻に合わせて打たれる。
 定年後にもこの方のように活き活きとして夢を持って生きられるにはどうしたらできるのだろうか?
 4月はいつものように退職される方の挨拶通知が届く。ああーあの人も勇退するんだ。好きな釣りでもやりながら楽しみますと書かれている。児童相談所の所長を辞めてから13年も知的障害児の施設の園長さんとして勤められた先生。この方とはいろいろな場面でお会いすることがあった。その方は、子供達の話をされる時の表情がとても活き活きしているのに気づく。
 公僕であった時にはできない子供との触れあいの機会を得たことにいつも感謝し、喜んで片道1時間の通勤をやり通した。
 昨日、孫にせがまれて自転車を買いに近くのホームセンターに行く。何日も前に下調べしてこれだと決めていたようだった。
直ぐにお目当ての自転車の置かれたところに行き、自転車に飛び乗った。その時に対応してくれた方、胸に「実習生」というバッジをつけていた。箒をもって掃除をしていた手を止めて私達のところに来てくれた。対応がとても実習生とは思えない位に慣れていると感じた。支払いが済んで、微調整をしてくれているその方の脇に知り合いの方が来てお喋りしている。聞きたくなくても聞こえてしまう。その話の内容は、リストラにあって今最初からこの仕事を始めたという。仕事があることに感謝している、仲間はまだ何もやっていない・・・・・という話を明るい調子で会話している。地方では50歳近くなった人たちの再就職は難しい。
そのような中でゼロから新たな職場に挑戦している。
 4月になって学園の調理を外部委託した。まだ正直起動にはのっていない。そのような時に会社から前の調理スタッフを2名採用したい旨の申し入れがあった。独りはGHで生活する方、彼女は聴覚に障害を持っている。折角調理の仕事に慣れ、喜んで厨房の仕事をやっていた。その彼女の仕事を失うことになり、気をもんでいたことも事実。
 その方が委託先の会社で採用してくれることになった。
 「普通は外部委託すれば職員は退職になるのが普通、住田はそれができない。非情になるときも必要だ」と余計なアドバイスをしてくれる友人もいた。確かに私は経営能力はない。どうにか私の弱点をカバーするスタッフがいたからここまでこれたと正直思う。
 だから、退職を勧めることができない。卵とニワトリの話。どっちを優先するかだ。
先日、産休で休んでいる職員が2ヶ月を迎えたコッテリ太った赤ちゃんを連れて事務所にきた。早く復帰したいと話していた。
 情があればこそ、非情になれる。非情があればこそ、情になれるでは無いはずだ。(漢詩の世界?)

559:ブルーベリー

「住職!ああー良かった。今からよー。行くべーと思ってたんだ。あのよ!なんでも良いから畑使ってくんねーか?」と道ですれ違った時に車を止めて声をかけられる。今度、学園の近くの畑を購入し、何も作るあてがないんで学園の子供達に使ってもらいたいという。無料でしかも作る物はなんでも構わないともいう。600坪だ。さて、困った、OKしたものの芋は芋掘りがあるし、菊作りは見事に失敗した、私のアイデアはことごとく挫折、物にならない。その話があってからどうも気になって仕様がない。
 そんな時だった。ブルーベリーがふと浮かんだ。知り合いの設計士さんに話をしたところ、茨城県のブルーベリー会長を知っているという。更に苗木を大規模につくっている人も知っているという情報を得た。早速、そこに同行してもらった。手応えは充分、指導してくれるような雰囲気。
 梨やイチゴを作っている農家は檀家にもたくさんいる。しかし、問題点があった。それは消毒の問題、頻繁に消毒をしないとダメだということ。消毒は彼らには危険だ。
 ブルーベリーは何かで聞いていたが殆ど消毒をしないで済むという。
 利用者さんの作業として、いくつか条件があった。年齢が高くなってきているので従来から行っているシイタケ栽培も難しい。体力の問題。それに消毒はむかない。畑の管理が機械化で対応できること。収穫が比較的容易など、条件を挙げていくと、止めたほうが良いという結論に達する。
 実は、私のイメージの中にはブルーベリーは昔からあった。まんだらパンと一体でジャムを販売したい。自家製のケーキと私が好きなコーヒー、杉木立の中で地域の人たちが散歩がてらに訪れて作業をしている彼らとの触れあい。
 昼には癒しの梵鐘の音・・・・・・平成平家物語の世界だ。喫茶ショウケイの開店。
 多少の予定外の事も有るにはあるが、まんだらパンもお陰様でやっと起動にのってきた。次なるステップアップをスタッフ自ら模索している。
 山の木々が芽吹き始める4月、私の頭の中は絶好調!
 私はアイデアを出すが、実際には何もできない。根気がないのだ。目移りが激しいのだ。大雑把なのだ。○○なのだ。
ああーいつも言われているからお経の文句のように出てくる。
 老いは夢を持たなくなった時から始まる。同感。燃え尽きるのだ。それが一番。
 まだまだ、イメージの世界、次ぎに報告できるのは立派なブルーベリー畑だと誠に都合が良い。

560:自立ホーム(表紙写真)

障害者自立支援法がスタートして1年が経つ。いろいろと山積する課題と格闘していると、最後には自らの自立が問われていることに気づくのだ。就労自立論議の中で言われた事だが、一般就労に限定した自立はおかしいという。逆に「一般」の反対語は何?。単なる言葉遊びではないのだろうか?
 日本福祉協会の批判をしたくない。自らの反省として、どうも何を狙っての討議なのか?自分の既得権を保持するための論議、改正?確かに現場を長く預かっていると、事業所の種別など関係ないところでどんどん事が進んでいく。
 業界の体質として、どうも制度の福祉から抜け出られない実態が見え隠れする。その中でいくら声を大にして叫んでも、先ほどの論法で言えば一般受けしない。社会的な認知がされないのだ。
 大体、部外者の方と話していると自立支援法が悪法であろうが良法であろうが関係がない。そこが実は問題なのであり、その事を棚の上に載せた論議をいくらやってみても、所詮、狭い世界での自己満足。ここからの脱皮した戦略が何故できないのか?
 それは結論から言うと、所謂この業界でしか生きていけない人たちが多いという現実だと思う。これは勿論自省を含めての話。昨日、寺の住職総会があり60名ほど集まった。県南ブロックの住職で組織する。会議は勿論、懇親会の席でも我々が1年間必死で論議して障害者自立支援法などといった話題は皆無だった。坊さんがこれだもの。世の中の人は言わずもがな。
 確かに厚労省との協議は必要だろう。だが、これには限界を感じる。何故か、それは国の機関そのものが自立をしていない。矛盾だらけの裏話がいくらでも出てくるではないか!
 さすればどうするか? 自らの足元から始めることしか方法はない。机上の空論を取り交わしている時間が勿体ない。
 一番の犠牲者が利用者になっていることは明らかだろう。
 1年間の反省として、誰しも感じていること。それは改正を求めれば求めるほど事務量が増え、制度そのものが複雑になって分かりづらいものとなった。これなど当に本末転倒している。
 それではどのような戦略があるのだろうか?
 先ず、利用者との共闘だと思うのだ。当然、スタッフや家族会も同じ土俵にたつことが不可欠。実は昔を振りかえれば、50年前にはそれが基本にあった。行事の前日には親が一緒に泊まって弁当作りをした。今、そのことがない。
 学校の給食費を払わない親が相当数いるという世の中だ。支払うだけの十分な収入があるにもかかわらず。
 今、計画中の自立ホームは木造で5部屋の個室、成人寮の利用者さんが使用する。自己財源で建てる。家族会にも話をしている。もし、結果が良ければ法人として同種のホーム整備を増やす。補助金を充てにするスタンスでは、我慢を強いる期間があまりにも長期になる。これには忍びない。
 自己PRになるが、尚恵学園の活用できる土地は現在6万坪(20町歩)を越えている。一生利用を考えても使えるものではない。残念なのはそれを活用するだけの資金の裏付けがないこと。二兎追うものは所詮一兎も追えないのだ。
そこでトップ力量が問われている。
 そろそろ学生時代に書いた卒論「福田思想」の第2ステップに入ろうと思っている。 

561:子猫の死

まんだら工房で働くMさんが「ねこがいる・・・」と言っていた。何のことなのかその時には分からなかった。
学園から寺に戻った時、玄関に段ボールの箱があった。いつものように近所の方が野菜を持ってきてくれたんだろうと思って箱の蓋を開けた。すると2匹の子猫が入っている。側にはキャットフードを皿に入れ添えてあった。「ありゃー。まただ」
 今までにも何度となくあった。捨てるのが偲びないのだろうが、お寺に置いていく猫や犬。
 家の中に入れ、ストーブの側に置いてやる。まだ、生まれて間もないのは目が見えなく小声で泣きながら箱の中を手探りで動き回っている姿で直ぐに分かる。自力では牛乳も飲めない。その晩の中に一匹の子猫が動かなくなった。
翌日、気になって早めに帰宅し、覗くともう一匹のほうは声を上げながら動いている。とても不安そうにその声が聞こえた。夜中ずっとその猫は微かな声をあげている。朝方、2匹は重なるようになって冷たくなっていた。
 本堂の脇の植え込みの中に穴を掘り、埋葬した。
 水郷公園の霞ヶ浦湖畔を散歩した時に何十匹という捨て猫がいるのに驚いた。今、寺の周辺は犬を連れた人たちの絶好の散歩コースになっている。中には乳母車に犬を乗せて毎日歩いている人もいるぐらいだ。
 昨日死んだ2匹の子猫と余りにも違う。
2日連続の深夜便で「山谷曼陀羅」という放送があった。宮下さんという方が長年、山谷でのボランテア活動をやりながら知り合った人たちの話であった。その中に、紹介された事だが、様々な背景があって段ボール生活をしている人達の中に自分の子供のように猫や犬を可愛がる人が多いという。
 その日の自分の食べ物を工面するのにも苦労される人達がちゃんと犬の餌も用意されているというのだ。
彼らの本当の理解者になるには同じ境遇に自分が置かれなければできないという話もあった。それと全く同様のことが障害福祉にも通じる。いくら我々が福祉論を振りかざしてみても真の理解を得ることはできないのと同じ。ピアカウンセリンという手法は、そのことから起こっている。
 昨日新聞記事になっていた。「コムスン」や「ニチイ学館」の介護報酬不正受給、コムスンに関しては4000万円の返還命令が出た。この実態が黙視できない。先ほどの宮下さんがホームレスの方が書いた詩を涙ながら読んだ中に、福祉にこころが必要なんですよ。今の日本は本当の福祉がない。・・・・。私はその話を聞いて、やっとMさんが私に猫がいることを知らせてきた意味が分かった。
 国も甘い。我々弱小の事業所だったならば報酬を不正請求した事実があれば、即事業廃止という制裁を受ける。
憶測だが、先の大手と言われる福祉産業の経営陣は八方手を尽くし、逃れる為の裏工作をしているだろう。もし、事実ならば事業認定を取り消すべきだ。彼らから偉い迷惑を被っているのも正直我々だ。その一つが年間1000人の新採用を豪語したという裏に半分が1年持たずに退職し、そのとどのつまりスタッフ不足での水増し請求だ。福祉に情熱を燃やして就職した若者を余りにも粗末に扱いすぎる。これは許し難いことだし、それを曖昧にしてしまう政治や行政のチェック機能は一体なんなのか!政党に関係ない。政治家個人のモラルの問題だ。
 行政や政治それに業界の癒着が先進国?と言われる国ほど蔓延っている。何の為に行政や政治に自分が身を置いているのか理解していない方が余りにも多いような気がしてならない。
 山本譲司の「獄窓記」に書かれている。自分の秘書に暴露されて投獄された山本自身が述べている。「自分が刑務所の生活経験があるから受刑者が心を開いてくれた・・・・」と。これも私から言えばちょっと可笑しいんじゃないの、山本さんと言いたい。ならば貴方が国会議員だったから議員仲間が心を開いてくれたの?そこを赤裸々に暴露してもらいたんだよな。
 彼は東京都の知的障害者の施設で支援員として働いているというから、今度会う機会があれば話してみたい。「貴方の役割は政治と金の告発でしょう。片手間に施設で支援員するなどと考えずにそれは我々に任しなさいよ。貴方にこそ、命をかけて政界の腐敗を暴露する位の勇気をもって貰いたい。それが貴方を信じて投票した支持者への報恩行でしょう」
 確かに、常道を逸した生業は自らの足元から崩れると先人が言っていることは真理だ。自分が心から信用していると思うことは勝手だ。相手がどう思っているのか、内部告発というリスクは事業の発展と表裏一体のもの。子猫を弔う話が妙な方向に行ってしまった。悪しからず。
 

562:選挙一色

15日は市議会選挙が各地でスタートした。投票日までの1週間が勝負、私には立候補する人達の気持ちが良く分からない。民主主義を取り入れて以来選挙により議員を選出、行政と立法と司法の三権分立の制度が出来上がった。
しかし、国によって大きくその内容は異なる。
 ドイツやオランダの仕組みを聞いたことがあった。ドイツでは議員は殆どの方が他に職業をもっている。生活の糧はそこから得て、いわば議員はボランテア、当然仕事が終わる時間帯の夜に議会がある。手当も交通費程度が支給されると言う。
 日本はどうか?議員経費が膨大になっている。更に、今時報酬を上げた市があるのには呆れた。
誰もが胡散臭い感じで見ている。議員報酬は労働時間当たりの単価にしたら桁外れに高額である。定められた報酬以外に今問題になっている領収書がいらない手当?が沢山いただけるそうだ。
 ある議員が言っていた。「選挙に金がかかるから」と。金を掛けないと当選できないのか?だからだろうか日本の政治は金で決まるという結論に到達するわけだわな?
 平成の市町村大合併によって、その地域の議員数が減っている。今回の選挙で当落の線が読めないと当事者は躍起になっている。どうも日本の実態を見ていると無関心層が増えるのは仕方がないように思える。期待できないからだ。当選するのが目的になってしまって、何をやるかという一番大切な事が後回しになっている。公約の不履行に対する明確なペナルテイがない。
 選挙民にも問題がある。応援したんだから見返りを期待する。それも我が田に水を引くようなものばかり。「あいつはダメだ。何もやってくれない!」という議員への影の声は良く耳にする。(無功徳:無効用)
 そのようにして選ばれた議員が官僚と渡り歩く。当然、双方の利害が一致するところでの手打ちということになるわけだ。
 選挙民のほうもそれに上手く入り込もうとする。公共事業にたむろする人達。情報をいち早く取ろうと争奪戦。この構造はどうも解決の糸口が見いだせない。
 このパターンが国、県、市町村まで全く同じなのだ。政党も実態ははっきりと政治思想や信条から枝分かれしているというわけでもない。市町村レベルになれば、正直何がなんだかわからない。どのボスについた方が票が取れるかということが最優先。
 議員報酬や定数削減を昔から選挙公約に掲げている人がいるがいざ当選してしまうと一向に実行されない。
 このままだと日本全国、財政破綻した夕張市と同じ結果に遅からずなるだろう。その時、どうするか?市民がその負担を税金増額ということで賄うのか、しかし、それが可能な額なのだろうか?次の世代に余りにも多くの負の遺産を残しすぎてはいないのか!
 多分、今の仕組みを続けていくと、債権が増える一方だ。情報開示とか言っても、誰もが分かり易いものにはなっていない。
その辺の実態との遊離が大きすぎる。形を真似することに関しては世界で一番たけている日本人だ。
 金を掛けなくても議員活動が出来る仕組みを何故真似ない?不思議な事である。ひねくれ坊主の戯言だとでも言うんかい。
 

563:苦情対応

朝、玄関前で声を掛けられた。「おれ、嫌だよ。何言っているか分かんないし、仕事もやらねーのに、給料貰ってさ。俺だって2万円しかもらえねーのに」彼はやっとの事で今のパン作りの仕事に自分が納得でき気持ちが向いていた。その時から朝晩すれ違っても彼はニコニコして私に挨拶してきた。その彼の苦情だった。
 それから「今度、お別れ会やるから来てくれなー。ケンカばっかしてるんだもの、おれここやめるんだ」彼は私に会う度に尚恵学園を退所して他の学園に行くんだと訴える。辛いのは彼は家にも帰れないし、施設が変わることもできないと分かっていて私に訴えてくるのだ。
 彼らの訴えを無視できないと考え、『尚恵学園を考える会』を発足しようと考えた。
 昨日は保護者会の役員会があった。私は午前中2件の法事をすませてから途中から参加する。話の内容は、ケアーホームを作る話題のようだった。建築資金を親の会で積み立てようという話が続いていた。私は黙って聞いていた。
 今日の資料として「尚恵たより4月号」を配布しておいた。その中に自立ホーム建築の話を載せておいた。それがきっかけではない。前回、役員会で愛の家を訪問し、その時に家族会独自の資金でケアーホームを建築するという話を聞いてきたからだと思う。老朽改築するにはまだまだ時間がある。(10年後)それまで4人部屋で我慢しようというには、利用者同士のトラブルが避けられない。誰しも自分の事として考えてみれば頷ける話だ。そこで今年、法人が自前の資金で5人対象の個室ホームを建築することにしたのである。待っていられないというのが私の気持ち。図面も完成し、業者選択の段階になったので尚恵たよりで公表したのである。
 2日前埼玉県に行ってきた。打ち合わせがあったからだ。実は私は30年以上前にこの施設を一度見学している。見事に変わっていた。施設規模も大きくなり、立派な施設が5年前に出来ていた。土地代を含め6億円かけた。2階建てでコンクリート造り、全面タイル張りという何かマンションみたいな建物が開発著しい郊外にあった。
 正直施設長も話していた。「ここは鍵があるのが最大の問題なんですよ」
確かに玄関から鍵を開け始め、3度開けて、やっと利用者がいるデイルームに通された。外には当然鍵が掛けられているから利用者は出られない。
 市街地の施設の限界か!建物内部は個室で廊下には夥しい数の照明器具があり、こまめに消していると話してくれた。
建物が先か生活自由が先か?
安全面を考えるとこのような結果になってしまう。
 当然尚恵学園としても老朽改築の準備は私の頭の中ではやっている。先ず建設場所の確保、それにどのような設備にすべきか?など。もう少し具体的になれば「尚恵学園考える会」に検討を依頼するつもりだ。
 相当な自己資金も覚悟をしないとできない。その第1段階が今回のケアホーム建築提案と理解して欲しい。
 事業所の経営自立は永遠の課題、尚恵学園は2つの寺からの有形無形の支援があって今に至っている。これは法人がある限りにおいて変わらないことだろう。これを読んだ施設関係者に言いたい。今できることで将来の準備を怠らないということが重要だ、そして、それには利用者を含め様々な人々が一緒になって検討することを重ねていくことだと思っているがどうだろうか?

564:リスク管理

グループホーム利用者のAさんが軽トラックと追突。彼は片足が義足で、電動式の自転車に乗っている。ペダルをこぐとモーターが回り、踏む力が少なくても動く。GH近くの畑の角で曲がろうとしたトラックと正面衝突、幸い本人は怪我しなかった。しかし、愛用の自転車は使用不能。相手が保険で買ってくれるようだ。事務所に来て彼は「びっくりしたよー」と話をしていった。
 だが、相手の方は驚いたという。ぶっつかった瞬間だから気が動転していただろう。そして、転んだ相手が足が片方無かったのだ。実はAさんの義足がはずれてしまい。彼は無造作にトラックの下から転がっている片方の足を取りだしたという。
 勿論、相手は義足だとは知るはずがない。
 半年前にも仕事場の駐車場で配送トラックに自転車が挟まれ、救急車で病院へ運ばれた事故があったばかり、このときも本人は怪我は大したことが無くてすんだ。驚いたのは職場の同僚達。
 外で生活することの難しさは予測できないリスクを多く背負う。今、33名の方がGHにて生活をしている。本体の100名と合わせると大変な人数になる。果たして今後これがどうなるのだろうか?在宅の方が更に相当数利用しているし、土浦市の相談事業をこの4月からスタートする。
 保険にも全員が数本入ってはいるが、それでも充分ではない。また、医療面での支援が多くなっている。通院は毎日で、それも複数の病院に行く。当然、つきそう職員が条件、独りで通院できる人は皆無。家政婦協会の応援も得ている。
 食事をアウトソーシングにしたは良いのだが、何か今まで出来なかった事が急に目立ってきて、増えた筈の職員が余計分散し、少なくなってしまった印象だ。
 昨日は、驚愕の事件報道があった。アメリカでの大学内での乱射事件、独りの学生が無差別に発砲し、32名が犠牲になった。そのニュースが報道されている最中に生放送での長崎市長の悲しむべき事件を知る。これが世の中の実態なのか!
 もし、そうだったならば地域生活を目指す今回の新法はどうなのか?彼らこそ無防備なのだから。
今の日本の障害者GHの実態は話にならない。私は今考えている計画がある。介護保険対応のGHと障害者のGHのドッキング。
親子で利用しても良いのでは?実際にそのニーズが出ている。介護対応で9名、障害者対応で9名。この体制で臨めばどうにか支援態勢が組める。今の障害者GH(4名)ではパートでの世話人1名がやっと。これで業務上過失の嫌疑をかけられては堪った物でない。世話人が見つからない。これでは地域生活のバラ色が霞んでしまう。
 いま盛り上がりつつある家族会のケアーホーム建設の動きと合わせて法人の計画をどこかで調整しようと思っている。
 リスクへの対応はいくらマニュアルを整備しても実際に対応できるスタッフがいなければ絶対に無理。しかし、今の制度では如何ともし難し。そこで頭を使う。
 五木寛之の林住期ではないが60になる前に障害福祉における住田流第2段階へいよいよステップアップしようと目論んでいる。言っておきますが期待しないで下さいよ。自己陶酔の世界!

565:認定審査

 自分に正直に向き合うことが実に大変なことだと思う瞬間がある。それは毎月1回程度の割合で昨年から関わり始めた市の障害程度認定審査会が終わった時だ。午後6時半から5人の委員で申請のあった障害者の程度区分を審査する。その日によって申請件数の多少がある。昨夜は今年度の新たな委員の委嘱状の伝達が合同審査会の前に行われた。
 委員の半分の方は医師である。その中で私が選出された理由は福祉事業所の立場である。
 個々のケースに書かれている内容を見ていると、私は文字に表されないその方の生き様がどうしても気になってしまう。
介護の状況はそろっているのだろうか?今何が一番困っているのだろうか?などなど実に様々な想いが浮かんでくるのである。障害認定がその人の一生にそれ程大きな影響を及ぼさないだろうという思いと交錯する。
 審査委員など、そもそも自分には合わない役目である。
 私の師でもある通信がある。「針の穴通信」。これは朝日新聞の編集委員をされていた方が定年退職後地域活動の一環として様々な実践をされているが、その方の現役時代の医療関係人脈の自由投稿という形でのメール通信である。全国の医療現場で実践されている医師や関係者の投稿記事が多い。医療制度改革の中、本来の医業を模索し、何が本来の医師の役目なのかを赤裸々に記している。
 何故、私が師と思うか?それは宗教界には、当事者の内面を吐露する場があまりにも少ないという現実があるから。
 私自身の正直な思いから言えば、信仰という大義の名の下で実際に行われている実態は????先の山本譲司さんに言えたものではない。
 私の立場は真言宗の僧侶である。しかし、それ以前に住田福祉という人間がいるのだ。確かに開祖の弘法大師空海の事跡を追えば追うほどに空海が遠のいていく。開祖の理解を本当に出来るのだろうか?答えは明白”否”である。
 さすれば、どうするのよ?ということになるわけだが、現実には3ヶ月先まで法事が入っている。
 懺悔の気持ちを持って法要の後のお話をさせて頂いている。その中でついつい私の心情を触れてしまうものだから、なんでこの坊さん、自分で迷っていて何が成仏なんだよ・・・と言われて当然だと心から思う。
 決して得脱したなどと言えるものではない。確かな手応えを感じる時がある。
最近の法事は約8割は寺で行うようになった。本堂の脇間には尚恵学園を利用されて既に亡くなっている仲間達の遺影(13名)が飾ってある。その彼らとの思いを語った時に、殆どの人が法事の後、彼らの写真を覗いて帰られる。中には遺影に向かって合掌される人もいる。
 想いはそれぞれ異なる。それで良いと思うのだ。私にとっては弘法大師は未知のお方。肌の温もりを感じることは不可能。何しろ1200年前の方だもの。
 一方、遺影の仲間は全員と関わってきた自信がある。独り1人との思い出が今でも鮮明に思い起こせるのだ。
その彼らが自分達の障害の程度を6段階に区分されることをどう思うか?
 きっと「おらー。そんなこと構わねーよ。関係ねー」と言うに違いない。何が大切なのか?未だに理解できない頭の良い(?)人達が、また制度をこねくり回している。
 

566:悲喜交々

1日を振り返る。まさに悲喜交々に至るという心境。朝、神宮寺の庭に雑草が目立った。今までも気が付いた時々に草を抜いてきたのに、春の日差しとここ数日の雨によって急に雑草は成長した。(何をもって”雑草”というか語弊がある。)当然、園舎周囲の草に目が止まる。「どうして抜かないのだ」と走り回るスタッフとは異次元で独り気持ち高ぶる。
 相棒のNさんとWさんに声を掛ける。どこからか鎌を持ってきて私の側で草取りを始めた。ついでに外トイレを覗く。案の定、汚れていた。これを黙って出来れば褒められたもの(積隠徳)、しかし、お生憎様、そこまで得脱はしていない。わざわざ(?)目立つように掃除を始めた。助っ人のWさんは全くニワトリみたい。葉だけを取って根っこを全て残す。抜き散らし型。一方Nさんは小石の間の草を愛用の鎌で丁寧に根っこから取る。神経過敏型。私はといえば、まさに気まぐれ演技型。30分も経っただろうか?見るに見かねたのか二人の職員が声をかけてきた。「理事長、私がやりますか?」『いいよ、わざわざやっているんだから!』私の本音は「言う前にやれってーんだよ。」だがここは一番我慢して嫌みだけ。
 寮のドアを大声をあげて開け閉めしているSさん。どうも何かでヘソが曲がったようで、食事を拒否してのハンガーストライキ。
私に盛んに訴えている。しばらく黙って見ていると、スタッフがSさんにそっと近づいて「行こう」と誘う。彼女はその声を待っていた。一瞬微笑んだ。
 夜の7時からの歓送迎会、4名の新人と退職された1名。料理屋は今日は混んでいて、妙な形での宴席。最初は全員が集まらず、私の挨拶時にはどうでも良いという雰囲気、そうだ思い出した。去年はインフルエンザ騒ぎで突如中止した親睦の場。
 最近の傾向として、大部屋での宴会は流行らない。気のあった者による居酒屋での席を好む。
私は自宅から夜間愛用の蛍光タスキをかけて、店に来た。飲めない酒だが飲む気になっての参加。日頃ご無沙汰しているスタッフとの貴重な時間だもの。そう思ったのは実は私だけ?一通り一周して話をしていたら2時間の制限タイムがいつの間にか過ぎていた。
 どうも宴席で自席からまったく動かず隣同志でだけ話す者がいる。私にはそれができない。いつでも動き廻る。
 自分の所に来てくれるのを待つなどと考えたことがない。何人かのベテラン職員に「座っていないで回りなよ」と促した。
 どこまで真意が通じたことやら、あーあ。悲喜交々に至るの1日が10時に終わった。

567:銃社会への危機

衝撃的な事件が立て続けに起こった。アメリカの大学で起こった銃乱射は事件の真相が解明されるにつれて、犯人がビデオを犯行の間、それも2時間の中でマスコミに送りつけたという事実。昨晩のニュースでブッシュ大統領が精神異常者への対応を指示したという。半世紀ちょっと前に起こったヨーロッパでのヒットラーの独裁、アウシュビッツでの悲惨極まりない事実が公表された。
 何かその事とダブル、ブッシュが指示した、中東での殺戮は一体どうなのか大国の論理が正当化され、長い歴史を刻んできた中東の人々の生命や財産を最新の兵器によって一瞬の内に破壊し、壊滅的打撃を与え続けている。派兵された多くの帰還兵士の中に精神的に病むものが多いという。人為的に人間はいくらでも精神異常をきたす。その事を歴史が証明してきたのではないのか!
 私はアメリカには行ったことがない。行きたいとも思わない。今回の韓国籍の犯人の家族は夢を実現するためにアメリカに渡ったという。両親は真面目に働き、姉は有名大学(ブリストン大学)を卒業、国務省の派遣職員になった。言ってみれば勝ち組に入るのかもしれない。その弟が今回の事件を起こしたのだ。8歳の時に家族と共にアメリカに渡り、23歳まで過ごした。そして、あの恐ろしい事件を自ら用意周到の計画で実行に移したのだ。
 世界遺産と言われる所を訪れてみると、感じる。この地球のすばらしさと掛け替えのない自然。それを守り続ける人々。
戦争はその自然をいとも簡単に破壊する。仏教的発想の中で、戦争を肯定する教えを見いだすことはできない。
ならばキリスト教はイスラム、ヒンズー、ユダヤの教えはどうなのか?
 私は仏教と同じだと信じる。
長崎市は広島市と同じく被爆地、核廃絶を訴え続けた伊藤市長が背後の至近距離から撃たれ亡くなった。
この事件を日本人誰しも言いようの無い怒りを持って聞いた。
ある本に書かれていたアメリカの巨大軍需産業がバックにいて、戦争をコントロールしている・・・・云々、もしこれが事実とすれば世界に類を見ない犯罪である。
 どうも、経済大国になった国には、奢りを感じる。自分達の意のままに世界を変えようとする何かを感じる。
中国やインドは毎年10%に達しようかという経済的繁栄を享受している。もしこの国が常軌を逸した指導者によって支配されたとしたら。 幸いにして両国とも宗教を信じる人達が沢山いる。それもどういう訳か都市部ではなく農村山間部の人々に多い。
 それがせめてもの救いになれば良い。{37歳の若さで亡くなった方の通夜に想う}
 

568:危機・・そのU

人為的に作られたものは、はかない。即効力のあるものは、その反動が大きい。
前項の都市部と農村部の格差について触れよう。中国に行ったことがある人は日本とは違うということに直面する。以前、青海省に行った時、青海湖当たりは海抜2500メートルから4000メートル、見渡せる周囲360度が草原で大きな木々は全くない世界、そこでの生活は遊牧で成り立っている。そこから飛行機で上海に飛んだ。高層ビルが建ち並ぶ大都会。そのギャップは今、もっと大きくなっているはず。青海省では有名な寺に調査に入った。ノートが買えないのか小さな黒板を子供達は持って勉強をする。書いてはまた消す。しかし、朝晩のおつとめは欠かさずなされていた。
 今新たな問題が深刻化している。親は子に苦労をさせたくないという事で教育費を稼ぐために都市に出稼ぎに出る。中国の奥地でも確実に変化が出ており、昔からの家族制度が崩れ始めている。
 森の宗教と砂漠の宗教の相違を述べた方がいる。確かに中東などの砂漠社会では一歩道を誤れば死が待っている。水の確保ができなければ死があるからだ。
その点、森は自然が見守る。至る所に水源があって動物や人間それに植物が生きることを可能にさせる。遊牧民は自然の恵みによって羊を飼い、その毛と乳を搾って生きる。だから自然に感謝して共生することを学んだ。。
 一方、人工的に作られた都市は、人間の奢りがどうしてもでてきてしまう。その結果、環境を破壊しながらも自分達の生活の便利さを追い求める。多くのものが確かに人間の知恵によってこの世に生まれたもの。
 インフルエンザの即効薬であるタミフルがその副作用の恐ろしさで証明しているように人間の自己再生力を無視した異物の投与はその反動が大きい。
 最近の世の中を騒がす一連の事件は、自分の事は棚の上において他人や社会への不満を報復の理由としている。格差が広がれば、更にこのような事件は増えるだろう。
 しかし、人間の幸せは、本当の癒しはそこからは得られない。
 その事に気付き始めた人達も徐々に出てきている。もし、今の繁栄の元になっている石油資源が枯渇したらどうなるか?
今のペースで消費していけば近い将来そのような事態になることは確かだ。
 北極圏で昔から生活しているイヌイットの人達がサバイバル体験ツアーを行っているという。体感温度マイナス50度の世界、
その環境で生き延びることができる文明人?はいない。豊かさと便利さを享受した者にとって、それを失った時の耐性は脆い。自ら生きる術を見いだそうとする能力が退化している。
 話は変わる。施設福祉の賛否論争は以前として燻っている。私の施設は50年の歴史の中でそれを体験し、模索してきたのだ。利用者にとって何が大切なのか?一様ではない。豊かさそのものの意味づけができないし彼らの生きる喜びと直結しないのだ。
 何もやることがなく無為に過ごしてしまう人達、その彼らに何かをしてあげたいと想うか想わないか!
法人が創設時に掲げた”共生”は当に宇宙論的発想が必要だと痛感。

569:孫悟空

私の友人が福祉の仕事を36年勤め終え、子供さんからのプレゼント?での中国旅行、滞在地の北京から昨日届いた絵はがきが上の写真、「孫悟空」Sun  Wukongである。
 呉承恩の西遊記に出てくるので有名、小さい頃良く読んだ。三蔵法師のお供で天竺への旅、その旅先で遭遇する様々な事件できんとうんの術を使って危機を救った。その相貌から子供心にしっかりとインプットされている。物語は孫悟空が花果山の帰郷後に、海中の竜宮や倣来国から武器を奪い、猿の軍隊を纏め上げ、自らを「斎天大聖」せいてんたいせいと称し、危険視された。その悟空が三蔵法師に随う信仰の対象とまでなる筋書き。
 今の時代に孫悟空はいるのだろうか?先日、京都で大法要があった。良く知らないのだが漫画の主人公の死を悼む擬似法要?とのことだった。有名な歌手(谷村新司)が喪主になって弔辞まで読んでいた。??????一体この国はどうなってんの?
 平和ボケと言わずになんと表現したらよいのでしょう。世も末ですかねー。コミック本の流行は相当なものらしいのだが、私には全ての本が同じに見えてしまう。手に取る気持ちになれない。
 尚恵学園には三蔵法師みたいな方がいる。私が夕方歩いて帰宅する時に高台になっている寮から私をじっと見つめている。厚生園から成人寮は100メートルぐらい離れているのだが、彼は私が厚生園を出る時から見ている。そして私が彼を見つけて手を挙げて声をかけると、いつも片手をあげてニッコリ笑え顔で答えてくれる。彼が怒った事をみたことがない。いつもニコニコしていて、決して他の人をとやかく言ったり暴力を振ることなどない。大体、私の帰宅の10分の道のりは、様々な想いが頭の中を駆けめぐる、そして自省する時だ。そんな時、彼の姿を見つけると、自分の高ぶった気持ちがすーと落ち着くのだ。
 「なーに、そんなカッカして歩いていんのよ、石につまづくよ」と言っているように感じる。
とても辛い葬儀があった。お年寄りの本当に喜べるGHを作りたいと全く従来のホームとは違ったGHを作り、実母と共に頑張ってきた方が亡くなった。スタッフとの軋轢や自分の思い描く理想のホームとのギャップ、焦り、2階を自らの生活の場にしたホームで、住宅地にあり、全くGHであるとは誰もが分からない。ホームの中は様々な写真や絵が飾られ、居間の片隅に車イスとピアノが置かれている。
 彼女の願いは、一度訪れれば直ぐに分かる。ご主人が涙を押さえながら、話をしてくれた。「お年寄りが私達が一緒に住んでいることで少しでも安心してくれればという思いで2階を私達の住まいにしました。でも、下でちょっとした音がすれば気になってしまい、それが負担になってしまったのかもしれません」
 ここまで心を尽くしたホームを私は知らない。
 規模を大きくすることが事業の成功者だと、サービスにかける費用を削っても次なるホームを増やしている。
 介護の実態をどれだけ国は理解しているのだろうか?
 小学6年生のひとり娘が・・・大きくなったらバレリーナになります・・・・と書かれた手紙が棺の上に置かれていた。
37歳で自ら旅だっていってしまった、若いお母さんの棺から最後まで離れようとしなかった。
 

570:106番

「こちらNTTです。・・・・番ですか、電話が入っています。どうぞ」
これは106番を掛けて電話をつなぐ、コレクトコールというものである。
「はい。観音寺ですが」「○△と申します。まんだらへ廻してください」「○△さんかい?」「ハイ」
それから内線でまんだら工房へ電話を廻す。今日はどうしたのだろうか。頭が痛くなったのかな?それとも風邪かな?いろいろ想像してしまう。彼がどうにかGHから現在のまんだらに通えるようになって、もう何年になるだろうか?
 電話を掛けるのに、将来の自立の事を考えて106番の利用を薦めてきた。それを確実に実行する。他の利用者さんは携帯電話を持ち歩き、高額の電話料金をどうしたら払えうるのかと頭を痛める。しかし、彼は決してそのようなことはしない。
 ただ、強度の緊張があるのが難点。自分の体調に敏感で神経質、病気を自ら作ってしまうのである。
 以前はそのような性格の彼を受け入れてくれない仲間とのトラブルが頻発した。それがいつの頃からだろうか減少した。
「休みたい時はいいんだよ!でもね、職場には必ず連絡するんだよ」とのスタッフの対応が効を奏したのだろう。彼はその事を着実に守っている。今朝も7時前に106番コールが入った。人間は受け入れてもらった経験が無いと相手を攻めることしかできない。これは真理。
 昨日、成人寮に建設を考えている『自立ホーム』の業者の内定があった。設計見積もりより、低めの金額であったが、もう一声という条件を私が付けたからどうなることか?
 振り返る。
 毎年のように何らかの工事を行っている。正直、規模を大きくしたいなどと考えていない。むしろ縮小したい位だ。しかし、利用者さん達と付き合っていると,彼らから発するオーラを感じる。多分、それを感じなくなった時は、私が引退を決心する時だと想っている。
 全職員にテーマを与えた。自分の目標を書いて貰うのだ。正直、何も事前学習しないでいきなり締切5月1日。
 私は彼らが何を考えているかということを白布の上に描いて貰いたいと思った。
 独り1人の目線は異なって良い。しかし、大事な事はある。それを次の段階で個人面談という形で実行するのだ。
これが新体系へ移行するスタートラインになる。