源究51

   

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
586 喜び 5/19 591 座る 5/26 596 水無月 6/1
587 覗き窓 5/20 592 お日さまと一緒 5/28 597 決算 6/3
588 新緑の風 5/23 593 報道 5/29 598 京都 6/6
589 移行の条件 5/24 594 原稿 5/30 599 ちょっと良い話 6/7
590 思考リズム 5/25 595 意識して 5/31 600 コンサルタント 6/8

586:喜び
土浦の中川市長さんがまんだらパンのゴマあんぱんが好物という。(上記) 先日、まんだらスタッフとの話し合いの場を作った時に初めて知った。地元でのバザーに市長さんが来られて「これ!まんだらだよね。今日はゴマあんぱん無いの?」生憎その日は売り切れてしまった後だった。(中川氏は市長になる前に私と福祉の店開設準備室の責任者で県外に見学にいった。特に思い入れが強いかもしれない。10年以上前の話)
 私は、まんだらを始めてから行く先々でパン屋さんがどうにも気になって、良く買ってきては食べる。(だから太ったという理屈は古い)。その印象がどうもまんだらのパンは一世代前のパンのように思っていた。それで今日はその事を言ってやろうと思って打ち合わせに臨む。そしたらどうも形勢不利。確かに今は至る所にパン屋さんが出来ている。見た目も都会的というかちょっと違うのだ。「お客さんは、他の店にないものをまんだらに行けば買えると思っているんです」とのこと。私の考えは違うと猛反発を受けた。それからこんな話も聞いた。ご夫婦で来店された方が「ここのパンはどこの店よりも心のこもったパンです。」と涙を流して買ってくれたという。そうかー!!作る人の気持ちまで察する方やジャムパンやクリームパンを懐かしむ人達がいるからまんだらが続いているのかもしれない。
 PRついでに、商品の中に実は土浦市の歯医者さん推薦のクッキーがある。別称「たかぎクッキー」高木ドクターのアドバイスを入れたもので、噛めば噛む程味がでる品物、ちょっと私には固いと思うのだが歯の健康にはとても良いとのこと。何が幸いするかわからない。
 さて、前段が長すぎた。テーマ「喜び」に移ろう。
 私の部屋には、壁に様々なものが貼ってある。真っ正面に貼ってあるものは、「報恩」すみません。「感謝」ありがとう。である。
 以前から何かが足らないと思ってはいたが、それがなんだか浮かばなかった。
その空席が埋まった。「喜び」である。生かされていると言う事への喜び、仕事が有るということへの喜び、歩けるという事の喜び(退院できたHさんがリハビリ中)、自分がこの事を感じるようになったのは、多分に年を取ってきたことがあると思う。
 しかし、様々な事件が起こり、誰もがこのままではどうしようも無いと感じているのは確かだ。
 死の受け止め方も実は様々だ。身近な人を見送ってから自分が逝くことを使命と感じ、93歳で天寿を全うした姉を最近見送ることができた方を知っている。悲しみというよりは安堵感&喜びにさえ感じた。
 実は天寿とは生きた年月の長短を言うのではない。生まれて直ぐに亡くなった赤ちゃんであっても天寿という。
 つい最近一時預かりを頼まれた子は5ヶ月になる赤ちゃん。昔とった杵柄か、やおらおばさんスタッフ(また余計な事を言うから叱られる)が対応することになった次第、2歳のCPの上のお子さんが入院されることになったから急遽対応することになった。お母さんは強いと思う。苦労と感じるか喜びと感じるか実は紙一重。
 さすれば、グルメ番組に登場する一流料亭の数万円もする料理よりも一個100円のゴマあんパンに涙を流すことでも良いではないか!土浦はガソリンに代わる燃料としてヒマワリを考えた市である。全国でも初めてだろうな、ヒマワリの種で作った燃料で本当に街の中をバスが走っている。
市長さんよ。これからの発想は従来の価値感からの脱皮しかない。いかに住民が喜びを感じ、報恩と感謝のこころで連携を持つこと。市長と私の仲介者は100円のあんパンだもの。これしか真の活性化は見込めないよ。如何に低コストで納得できる奉仕ができるか!安倍さんに分かるかなー!!! 
 

587:覗き窓

役員会
19日、今年度第1回目の役員会が開催されました。議題は事業報告と決算、お決まりの内容でした。正直、どのように説明すれば分かっていただけるだろうか工夫をしたと自負しているのですが、結果は説明すればするほど訳が分からなくなってしまいました。何故このように複雑な会計制度にしているのだろう?以前、官庁で使用している決算は故意?に複雑にしているとか聞いた事があった。(だってそうでしょう。事業毎の決算を見せられても赤字なのか黒字なのかわかりません)
 
私は故意にそうしているという気持ちは全く無いと宣言します。
私は以前から当法人の役員会を誇っている。21名役員それぞれの経験や背景が凄いと思っている。個人情報なんとかで触れることはできないのだが。
一端火がついてしまうと議長(私)に関係なく話が進む。
 昨日も審議の途中で何が発端だったか分からないのだが、自由討論になってしまった。何しろドクターや幼稚園:保育所の理事長、大学教授、学長、老人施設の理事長、保護者、設計士、自由人?それに坊さん。当にゆりかごから墓場まで揃っている。
 そうだった。福島での母親を長男が殺すという事件が発端だった。某役員の施設では県の委託を受けて相談センターを開設している。3年で1000人ほどの来談者がいたという。その半分が大学生だという。これには全員が驚いた。
 次ぎに手を挙げての発言は一応良かった、『相談に来る人が確実に自分より上手な字を書き、言葉も上品、乗ってくる車は俺の車より立派・・・・・・これで何を相談するのよ????こっちが相談したいよ』
 幼稚園ではLDやADHDなどの園児が確実にいる。しかし、親が認めようとしない。認定する機関がない。さーてどうする?
 次ぎに出た意見、一時預かりで5ヶ月の赤ちゃんを預かった::::これって支援費がつかないんですよ。 何故受けるんですか?・・・・うーーん 職員が預かってきてしまうもんだから(これは私の答弁)
 何か事故があったらどうするの???  うーーーん(同上)
元筑波大の先生・・・・・入試の段階では判断できない仕組みは以前としてあるんですね。
さすれば入試とはなんのためにするのだろうか?? 一瞬静まる。
元県立施設の施設長・・・・・昔に戻ってきたんだな!(実は、昔の施設は確かに種々の障害がある人達が利用していた。私が「あんちゃん」と呼んで遊んでもらった方は少年刑務所から依頼された保護観察中のおにいちゃんであった。いつのまにか障害毎に分類してしまったんだ。)
 3障害一元化論議は、分かりやすく言えば昔にかえるということ。そう言ってくれれば直ぐに分かるものを。
どうも難しく難しく考えるから、ホラ見ろ。手を差し伸べる前に引っ込めてしまうでしょう。自然体が一番。
 手が上がった。「端的にお伺いしますが、新体系にして前と比較して経営は良くなったのですか悪くなったんですか?」
 ウーン 良く分からないんですよね(事務長答弁)
 今、頭を痛めています。  一体 これをどう議事録に起こしたら良いのですか? 役員の皆さん全員で責任取って下さい。
 平成19年度第1回尚恵学園役員会。以上を持ちまして閉会します。

588:新緑の風

上のスナップは学生時代の山登りの先輩から送られてきたもの。日光の光徳牧場にある山岳部の山小屋の管理人さんが送ってくれた。多分、今の季節は周りの木々が新芽を出す、澄み切った青空に目映い程の奥日光の景色が思い浮かぶ。日々の雑務から解放され、好きな単行本でも枕に草の絨毯に寝そべり、何も考えずできたら何と良いだろう!小鳥も盛んにさえずっているにちがいない。近くを流れる沢音をBGMに、しばし微睡む。・・・・

 ”カッツーン”現実を語れば、自らに驚く。5月に入ってから種々の会合、役員会、総会などなど。今月だけで20を越えるハードスケジュール。どれもこれも余り意味を感じない。本当に熱が入った会合は皆無。前年の踏襲、極端に言えば文章内容すら変わっていない。出来ることなら辞めて逃げ出したい心境だ。
 そこで自分を押さえるものは「引き受けた以上は・・・・」というつまらない意地。そしてちっぽけな虚栄心?を擽るから、一際目立つ発言を繰り返す。結果は口うるさい奴だという周囲の冷たい視線。  これが現実だ!
 故に、この季節の新緑の風が殊更、我が身に快い。
 真言宗にはア字観という座る行がある。できることならば、この風を感じ、瞑想の時間を持ちたい。
 小休止・・・・・・
 ここまでは昨夜の私の偽らざる心の状態。
 今日は午後6時からの利根川沿いのお寺が経営している保育所の理事会。
 早めに伺って利根川沿いを歩こう。
 大好きなひばりちゃんの『川の流れのように』を口ずさみながら。

589:移行の条件

役員会が終了した。その中で次年度には新体系への移行を進めたいと打ち出した。
 これは考えた末での私の経営判断。決してワンマンプレーとは思っていない。しかし、事が大きいことだけに誰しも積極的に提言してくる者は無かった。役員全員が特に新体系移行に関して異議を唱えるものはいなかった。
 いずれにしても、この問題がいつかは決断しなければならないことは分かっていたことであるし、ずっとその事は考えてきた。
 尚恵学園としては昨年の10月に通勤寮を廃止し、部分移行し、60名の多機能型のサービス事業をスタートしている。その経過を自分なりに判断してのことである。
 だが、今からクリアーしなければならない条件がある。
(1)障害認定に関して、内部調査の徹底。106項目のシミュレーションを実施。特記事項への記入。医療機関への協力要 請。(ケース毎:調査者の限定)・・・・・移行を終えた事業所への研修実施
(2)施設整備。現状施設の改修およびケアーホーム建設の具体化。(4年間の経過期間中に整備すれば良い) 場所:規模:運営方法:人選
(3)支援体制の見直し。夜勤体制と日中活動の職員配置と動き&役割。支援計画の見直し。
(4)日程。(準備期間と移行後の進行チェック)
(5)スタッフへの周知徹底及び採用計画・・・・移行準備委員会の定例会議

以上が最低でも検討される内容だ。
 私は、決してこの流れをマイナスには思っていない。この機会をいろんな意味で前向きに捉えている。
 施設に任せきりになっている保護者と同じ土俵で将来を考えるのには絶好のチャンスである。そのために『尚恵学園を考える会』を再編成する。この点については保護者会の全面的な賛同を得ている。
 やるべき事はいくらでもある。
 スタッフの意識改革を訴えてきたことの根拠が未だ充分に浸透しているとは思っていない。給食のアウトソーシングもその一つ。環境整備も大切な課題。リスク管理。健康対策。財務管理など
 ここまできて、以前として法人の願いを理解できないものがおるとすれば問答無用である。

590:思考リズム

熊本の和紙工芸家の金刺潤平さんの「見捨てられたものに生命を」を聞いた。(NHK深夜便)
水俣の公害問題は、ある意味では文明の最先端であるという。胎児性水俣病の方達との和紙造りは、現代日本の一番欠けている発想である。戦後の荒廃の中から、世界に類の無い奇跡的な経済発展を遂げてきた日本、九州のある地域・・・チッソ被害という負の遺産は決して忘れてはならない。金刺氏は大学で熱工学を学んだ。熊本は何の縁もない地、自分が一生を掛けて行う仕事を見つけ出せずに模索している時に自分の生涯の活動の地を見つけた。それが水俣であった。売り物にならない色褪せた海苔と全国一生産を誇るイグサを材料に和紙作りを障害者と共に実践されている。彼の工房で人気の壁紙は燃やしても有害物質は出ない。吸湿性の高い製品で環境に優しい壁紙である。
 彼の発想はグローバルである。有明海の海苔はチッソ公害の影響を諸に受けて消費価値が落ちた。海苔を和紙材料に使用し、新たな価値を見いだす。見捨てられた海苔に生命を与えたのである。
 今、幼児性水俣病の患者さん達と石でお地蔵さんを彫り、埋め立てられた干拓地の最先端に石仏を建てる活動を行っている。その干拓地は生きたまま魚が埋められた所、その魚たちの生きた証を見いだす彼なりの発想。
 公害訴訟問題は全国至る所にある。その大半が経済至上主義の結果もたらされた置き土産。その大半が既に昔のこととして忘れさられようとしていることも事実。
 「見捨てられたものに生命を」宿す活動は、実は障害福祉の考え方と同根である。
 だが、最近の状況は障害者が片隅に追いやられてしまうように思えて仕方がない。まだまだ日本人の思考リズムの中に物質的な豊かさを追い求める傾向が増幅され続けている。いじめや引きこもり、更に悲しむべき様々な事件、これは突き詰めれば日本が歩んできた道程での警鐘だ。その事を誰しも薄々感じてはいるが一歩踏み出そうとはしない。
 エコエネルギー活動が世界の感心を強めている。聞くところによれば、デンマークでは風力発電が全体の20%、余った電気は電力会社が買うという。オランダでは四人に一人が自転車通勤、国からの援助が出ている。イギリスでは「food mile」という仕組みが進んでいる。これなどスーパーでの協力が得られれば日本でも直ぐにでも取り入れられることだ。

先日、つくばの林業試験場で長年、土壌の研究をされていた方のお葬式を頼まれた。檀家さんではない。松食い虫の研究では日本では有数の研究者らしい。その方の身内の人の話は私の興味を引いた。北浦では外来種のレン魚の駆除が最近行われた。
 松食い虫やレン魚にこの世に生まれてきた証を認める度量は今の日本人にはない。
その同じ思考リズムが国の施策によって引き起こされた種々の公害問題に感じる。被害を受けた人々の生きる証
地球に優しい物作り。安倍さんが言う美しい日本は一部の見捨てられそうになっている人達の生命に息吹を与えることに結びつくのであろうか?
 いま、参議院選を意識した、政党間のPR活動が盛んである。全く知らない人の応援を中央から頼まれた。????
いずれの政党&議員も日頃の活動が一番大切、しかし残念ながら困った実態は以前として後を絶たない。
 議員の皆さん! いずれは貴方達が見捨てられる立場になることに気づかないの????ときた。(生臭政党総裁一言)

591:座る

5月27日はTさんの1周忌の命日、スタッフから「園長、お経読んでくれませんか!」と言われ、思い出した。彼女は入院して1週間も経たずに亡くなった。入所36年、享年44歳だった。本当に長い間、彼女には家族の面会は無く、いつも声を出して、私に訴えてきた。特に親の会がある日には、その声が私の耳に強く響いた。彼女は実家のお墓に埋葬されたという。誰かが墓参りをしてくれているだろうか?
 今日、神宮寺の本堂で共に過ごした仲間達が集まってささやかな法要を行う。
 職員からその話があってから、考え込んでしまった。
 一体、この1年はなんだったのか! 制度の改正?地域生活?就労自立?障害認定?1割負担?
 昨日、某法人の役員会があった。大規模に事業展開しているその法人には私の施設もお世話になっている。そのために役員を引き受けた。
 事業報告の中で、利用者負担が増えたことで利用率が下がったという報告があった。
 私の脇に座る理事が「違うよな。今まで年2回旅行に行け、新車を買っていた家族がそれができなくなるから不満を言っているんだよ」と皆が聞こえないような小さな声で呟いた。
 分かる人は実体を掴んでいる。彼は、自らケアーハウスを経営している。
 障害者施設の場合は、どうだろう?1割負担論議の中、全国から不満の声があがり、政府は特例交付金という2年間の期限付きの補助金を設けた。県の人口割合で交付金の額が決まる。茨城県は合計で15億2千万円。このお金が実際にどのように使われるか、当然感心が高い。先日の我が団体の総会でも質問が集中した。
 実際は大きな矛盾を持つ福祉。長い施設利用者は多額の年金を積み上げてきた。亡くなったりすれば、どこからか身内が現れ、根こそぎ(?)その年金を持っていく。正直、我々事業所は指を銜えてじっと耐える。ホンネを言いたいが、唾を飲み込んで耐えた。
「このお金は本人が使うために国が支給したもので、貴方達家族が持っていくべきものじゃないでしょう。」
年金の使用は、県の行政監査で厳しくチェックされてきた。今も監査の重点項目だ。
詳しくは分からないが全国で施設を利用している人達の年金の総額は膨大であろう。何しろ大規模施設の年金を管理している特定郵便局の預金実績はもの凄いと前から聞いている。国が利用者負担アップを決めた根拠にその実態が必ずあると思っている。
 私は、利用者の福祉と称して、この状況をオープンにすべきだという考えを持つ。でないと在宅の障害者との公平性に欠ける。
 一方、施設への利用者の目も厳しさを増している。サービスへの苦情が以前に比べ、格段に増加したという。
 いまこそ、家族の役割と我々事業所の役目を真剣に摺り合わせする必要性がある。
 そのことが整理されない内に、福祉を掲げながら利潤を追求する事業主体参入が認められたものだから、より複雑になってしまった。今、それが福祉現場の実態である。
 だから、本堂の中で”座る”時間が増えた。  ・・・・・無・・・空・・・・ム・・・・ソラ・・・・

592:お日さまと一緒

エレクトーンのお姉さんが弾く”お日さまと一緒に”。ジーンと来たね。笠松でのゆうあいスポーツ大会。昨年は雷がなる大雨の中の開催、知事の参加するゲームがあまりにも皮肉だった。傘に書かれたジャンケンのグ:チョキ:パー。ゲーム用の傘に雨よけの傘をさす。だれも予想しなかった事態。それが、今年は全く天気の心配をせずに済んだ。
 朝の準備委員の皆さんの晴れやかな顔に出会ってホットする。
私は30代の頃、福祉活動部員として前日泊まり込みでやったことを思いだす。9年前の全国スポーツ大会も茨城が実施した。
あの時も雨だった。あれは台風の直撃、私は海辺の民宿でテレビの天気予報を気にして眠れなかった。実は最初から航空自衛隊(百里基地)の協力を得て気象レーダーの情報を得ている。数分きざみの最新の情報だ。
 しかし、いくら文明の最先端の技術を駆使しても自然はいかんともし難し。
 そして元NHKの体操のおにいさん佐久間氏、彼の大きな体から熱気溢れる歌声は、側で見ていてさすがにプロだと感心した。その彼はまだまだ若いのに亡くなって今はいない。大会の最後のプログラムに歌う”お日さまと一緒に”は後をついだお姉さんがエレクトーンにあわせて歌った。
 その歌声を聞いて、今年も無事終わったという安心と様々な想いが交錯し、涙もろい私にはきつかった。
 
《大会裏話》
 お役目で私は知事の側にずっといた。
 マイクからの声に参加者たちが「ハイ」「うん」と答える。それを聞いていた知事が「本当に素直なんだよなー」とニコニコして話していた。
 今年もテントを一周して参加者に励ましの声を掛け、一緒に写真におさまり、握手をかわしていた。
 そして、「もっともっと多くの方達が参加できるようにしたいよなー」と話された。
 「そうなんですよ」と答えたが、正直、私にとってはプレッシャーになったことは事実。
 第1回大会から休みなしで参加してくれる橋本知事がいればこそ、障害を持っている方や家族が明日を生きる勇気をもらい、そして多くのボランテイアが協力し、この大会を盛り上げてくれることを忘れてはならない。
 

593:報道

昨日の臨時ニュースは日本中をあっと言わせた。「現職の農林水産大臣が自殺」。衝撃的であった。戦後では初めての現職大臣の自らの死。
 事の真実は分からない。しかし、事務費処理の問題を国会の中で追求され、その説明責任への言い訳は、聞いている者にとって決して頷ける内容では無かった。そして、新たに関連業界の談合問題で逮捕者が出る。彼の周囲には常に黒い噂が流れていたが決して塀の内側に落ちることはなかったという。これだって報道の狡さだ。現職の大臣に媚びを売り、持ち上げたかと思えば急転直下、攻撃を開始する。
 彼は熊本出身、地方から中央に出て大臣にまで登り詰めた政治家で町の誇りであった。熊本はイグサの日本1の生産地、ほかにミカンや海苔なども特産品だ。それらの生産者が彼に大きな期待を寄せていたに違いない。
 私は議員の方を何人か知っている。当選回数を重ね、地位が昇ると殆どの議員が支援者とのズレが生じてくる。本人はその気が無くとも、どうしても地元との関わりが薄まる。大臣は政治の世界では誰しもが夢見る地位、彼が初入閣してからのイバラの道はご本人にとって想像を絶っしていたに違いない。
 この現象は一体どこから来るのだろうか?
 答えは簡単。自利自他の不調和。 政治家絡みの事件は、その大半が内部からの情報漏れだ。何故か、政治は数がものをいう世界。支援者それぞれが支持する議員に投票したという証拠は全くない。無記名投票の仕組みを変えれば別だ。だから政治家自身も常に半信半疑での地盤固め。日頃の活動を蔑ろにして選挙の時だけ頭を下げる。即席の指示固め。
 いくらマニフェストを掲げてもだれも信用などしていないのでは????そこが一番の問題。
 政治家の持つ既得権益が有権者と余りにもかけ離れ過ぎている。彼が今話題の悪名高き議員宿舎で亡くなったというものも彼の最後の抵抗と私はみる。
 投票に関して私の終始一貫した考えはこうだ。
 尚恵学園の利用者さんは全員が投票権を持つ。彼らは毎回投票券をもって投票に行く。自分の名前を書くもの、鉛筆が何のために渡されたのか理解できないものはその場に立ちつくす。
 大半が無効票。それでも彼らは投票に行くことを楽しみにしているのだ。政治に参加するということは誰かに言われて投票することではない。また、自分を投票しない者(実は字が書けないのだ)を相手にしないような政治活動&議員の在り方に根本的な問題が潜む
 

594:原稿

大分昔の話です。某市の市長さんの委員会での冒頭挨拶。「本日は、○委員会を開催しましたところ、委員の皆様には大変お忙しい中をご参集いただきまして、誠にありがとうございました。さて、本日ご協議頂く内容につきましては@・・・・・・」「?」
 「A・・・・」「??」 何か変だ!慌てたのは市長本人ではなく、担当課長だった。委員会挨拶の文面(原稿)を間違って渡していたのだった。委員は平然としている。聞いていないのだ。
これは最近の話です。某推薦委員会での一こま。法律にそって地元において推薦したものを国にあげて承認を得るという。「今回は3名の欠員が出ましたので、本会においてご検討いただきまーす」これ委員長挨拶。
 いつものことだ。事務局の一方的な説明をただ聞いて、「異議なし」
 閉会の委員長の挨拶、机に於かれたペーパーを慌てめくり始める。「ウ、ウン」と咳払いの後。「本日は長時間に渡り、慎重なご審議を頂き、まことにありがとうございました。以上を持ちまして○○法に基づく推薦委員会を終了致します。お疲れさまでした。」
 開始後、実は20分で終了。あくまでも委員長は事前に渡された原稿を忠実に守った。
これってどう思います????平和だなーってか!
 こんな時一言言うと嫌われるんだわ。そうなんだわ。
おめーもそんな事言うんだったらやめれば良いんじゃねーの。とか言われるのが関の山。心中穏やかならず。
 今日は5月最後の役員会が2つ、午前と午後水戸であります。ネクタイしめて髭そって出発しまーす。
 

595:意識して

@こりゃー問題だわ!
 昨日の役員会のこと。とりあえず、問題だわ!とりわけ午後からのものが根深いなー!・・・・・《ムニャムニャ 夢の中》
○社会保険庁の5000万件に及ぶ記録の不明・・・・・大きな問題になる。この一連の問題が明るみに出たのは民間の生保における保険金未払いの実態が明るみにでてからだ。民間会社であれば当然執行部が辞めるなど責任を取らされる。
 だが、社保庁の場合は誰が一体責任を取るのだろうか?某番組で話題になった。政府が悪いとかなんとか言ってはいるが、現野党の執行部のKさんが厚生大臣経験者、さらに言えばそのような実態を黙認してきた国会議員全ての責任だ。
 まさにその通り。・・・・・《パッチリ目が覚めている》
@あれは一体どうなっているんだ? 危機感がないんだわな。昨年66名も退職したんだそうだ。立派だ。良く辞めたよ。表彰ものだ。
 生活大丈夫なんだろうなー! だが、籠城している輩はどうなんだー?本気に変えようとしているのかねー!あ・・・ん?
・・・・・・・・《ムニャムニャ・・・・》
○こんな歌があった。
 「大きな栗の木の下で あなたと私 仲良く 遊びましょう 大きな栗の木の下で」
替え歌
 「多額の公金の元で あなたと私 仲良く 仕事して 多額の給与をもらいましょう・・・・・ジャガジャン」
ふざけんなー おめーら 勝ち組か! それだけの仕事してんのかよ!
 

 独り言・・・・おらー最近 生臭だけだと思っていたんだけどよ・・・やけに皮肉っぽくなっちゃてよ・・・・・御大師さんじゃーねーけどな 土佐の岩穴に籠もりたくなっちゃたー 

 「小さな柳の下で あなたと私 仲良く ケンカして 素敵な夢を語りましょう」ってか   ハハハ。 クソ坊主で結構、結構
毛だらけ猫灰だらけ。
 追伸: 
 『最近住田さん大人しくなっちゃたよね』と声をかけられましてね。ハット思ったんでした。そうか、流されてきたかなー?と。初心に戻りましょ と i一番大勢に逆らわないのが楽だしね。でも、それが出来ない性分なんだな、これが。 また ギアチェンジしたんです。ガス欠まで頑張ろうと。念の為に 夢の中に登場した人達の中に本当に変えようとしている人も確かにいますし頑張って辞めていかれた方も何人も知っています。この事だけは分かっているつもりです。

596:水無月

当に梅雨の候となりました。天気が定まらない。今日などは長袖でも寒く感じる気温です。皆様いかがお過ごしでしょうか?
水無月とは良くいったものです。語源由来を調べてみると、水の無い月と書くが、水が無いわけではないのです。「無」は神無月の「な」と同じく「の」にあたる連体助詞「な」で、「水の月」という意味があるとのこと。旧暦六月は田に水を引く月であるから、水無月といわれるようになったそうです。
 このように日本語は昔から言葉の裏に多くの意味を含ませていた。外国語でこのように微妙な表現をする言葉があるのだろうか?これは墨絵の世界にも通じるぼかしの妙。それを感じるセンスが持てるか否か。長い歴史の中で育まれてきた日本の文化が今地球温暖化と時を同じくして急激に変化:崩壊しているのだ。
 福祉の世界も同じ問題を含んでいる。
イコールフィッテング、また知ったか振りをしてしまった。これは言うまでもなく、同じ条件の元、市場原理の原則でサービスの競争をし、質を高めようとするものです。これが現実には至る所で狂ってきているのです。公立と民間の違い。公的なサービスの役割が長年の積み重ねの中で疑問と感じない体質、その根本の問題はどこにあるのでしょう。
 理事会の在り方に苦言を呈したい。それは、従来のあて職を選任するということに問題あり。事業団など第3セクターの事業には同じ経営主体の法人理事などが入っても改革はできない。自らの墓穴を掘る結果になりかねないからです。
 また、規模の縮小と事業を特化するという指針が示されているが、どうもその方向に進んでいるとは思えない。
 その経営責任を一体誰が取るというのだろう。その時には現在の全ての役員が職責が解かれ、その時点で新たに選任された役員によって計画をねることになるのだろうか?
 我々の業界は障害者自立支援法の制定により、支援費だけを財源にして経営することになる。私はいずれ建物整備に対する補助もなくなるのではという危機感を持っている。
 目先の財源よりも事業継続をはっきりと裏付ける経営責任が今問われていることを自覚すべきである。もし、それが無いと自認するならば、潔く職務を辞するべきであろう。
 

597:決算

決算役員会が一段落しました。私の机には様々な役員会で配布された資料が山積みになっています。正直どれがどこのものか分かりません。何しろ20数カ所の書類ですから。私は尚恵学園・茨城県心身協の二つと神宮寺・観音寺の二ヶ寺の代表をしているから、特にその報告が無事終わるまでには結構気を揉むわけです。
 その中で特に尚恵学園は18年度中に新体系に部分移行した事業があって、決算書を纏めるには会計事務所の応援があってやっと纏めたということになりました。
 全国では、まだ数は少ないようですが今年4月には新体系への事業移行をされた事業所があると聞いています。「案ずるより産むは易し・・・」ということもあるとか。
 尚恵学園も昔と比較すれば大きく様変わりしました。食事の外部委託、それに会計処理については、会計事務所が入っています。
 決算報告と同じ役員会で事業報告(地域支援の一部記載)をするわけです。いつも、書類をみて驚くのですが、こんなに事業をやっているのか?ということです。毎日の活動を纏めるとそうなってしまうとか。確かに、ここの利用者さんのケース記録一つにしても年間のデーターは膨大になります。今はケースは全てコンピューター処理していますから、瞬時に必要なデーターを開くことは出来ます。しかし、それと裏腹に社会保険庁の問題と同様の事が起こりうります。バックアップは必ず取るようにしていますが、これも100%保証はできないでしょう。相手が機械ですから。幸い私の所で使用しているソフトは最初から同じ会社です。
 最近問題が多くなっているものに、会社が倒産したりして突然アフターサービスが無くなるという場合です。
 実は私はその失敗を経験済み。セキュリテイの委託をしていた会社が倒産し、システムが使えなくなってしまった事がありました。これからは利便性と同時にその保守点検などのサービス上のトラブルリスクは併存しているのです。
 国が様々な変更を行う度に現場は大混乱という事態が現実に起こっています。
 この流れをどうにかストップできないものでしょうか?根本に財源問題がある以上は、今後益々変更が繰り返されることでしょう。
 規模を大きくすれば効率化が図れる部門も確かにあるでしょうが、これからの時代はどうもそうではないような気がします。
 むしろ、規模が小さく、サービスの提供者と受ける人達の距離が近いことがメリットになる時代です。
 大きな事業所がサービス毎にユニット化する流れもあります。しかし、どうも上手く機能しているとは思えない。それは集中管理しながらサービスの個別化をはかることが,対象が人間の場合は難しいということです。一定規格の製品を生産することではないからです。
 実は、膨大な量の決算書や事業報告からは窺い知ることができない利用者側の満足度が重要であるからです。
 苦情処理や第三者委員等の仕組みを設けても、現実は充分機能しているでしょうか?スタッフの人事考課にしても然り、本来の目的を果たしているとは言えません。仕組みのための仕組みになっている。形から入った場合の限界を経験します。ですから全てが後手後手の対応で、その経験を後に生かせないのです。
 我々の仕事は必要性がある場合に的確な対応をスピーデイに出来ることに価値があります。経営に主眼を置くと、どうしてもサービス量に応じた報酬単価に感心が強まります。世の中のルールとして一定の基準が必要なことは理解します。しかし、事業主体参入の規制緩和をした結果、利益中心の考えが大半を占めてしまった。《今、病院で必死に生きようとしているメンバーさんの事を案じつつ自らを反省する。》

598:京都

東寺五重層塔
五日〜六日と大急ぎの京都・奈良。毎年この時期の開催である全国布教師会の総会に出席。朝六時のフレッシュひたちで上野、それからのぞみで京都、更に近鉄に乗り換え大和八木経由で長谷寺、乗車時間五時間という長旅。
 本山長谷寺に登嶺するのは何年かぶり。長谷寺駅から門前町を歩きながら研修会場の本坊へ、丁度午前の部が終わり、記念写真を撮り終え、昼食時間。何人か茨城からきている仲間と顔を合わせる。皆さん昨日から京都に来ている人が殆ど。所詮、土浦から10時開始の会議には間に合わない。
 鈍行列車に乗って大和路をゆっくり来た。これも良かった。午後は「いじめ問題」に関する、地元櫻井市の教育委員会の方の講演、それから4人でのシンポジューム、これが良かった。午前と比較して半数ぐらいになったとか、でも熱心に参加している。
 研修終了後は知り合いの坊さんと一緒に近鉄で京都に戻った。私は京都駅にあるグランビアというホテル。利便性は抜群だ。そしてとても綺麗なホテル。夜、4人で会食、楽しい一時を持った。疲れたのでマッサージを予約して部屋に戻る。
 朝、東寺まで散歩。片道20分ぐらい。境内には京都の名門、洛南高校がある。タクシーが沢山停まっていた。筑西市○中学 修学旅行の学生達がグループで観光している。茨城県の中学校、何かの縁を感じた。8時半にならないと開門されない。境内を歩く。散歩する人達を多く見かけた。また、お年寄りがお互い合掌をしながら向かい合い話している。南門の脇にある修行大師像には皆さん通りすがりに手を合わせていく。
 京都ならではの風景。南門を出て撮った写真が上記のもの。五重塔(国宝)である。
 京都はとても活気があった。外国人の観光客も目立った。私は朝9時ののぞみで帰路につく。また片道5時間の列車の旅。
 何かを考えるという時間ではなかった。むしろ異文化?を感じることでリフレッシュできたことが良かった。
できれば四国に足を伸ばせれば良かった。知り合いの茨城から来た坊さんは四国遍路に行くと別れた。
 目先の事に振り回された1年、1200年前の法灯が引き継がれて今に至る。この歴史の重みは、人間が人間らしく生きることへのそれぞれの挑戦の重さだ。
 園に戻る。(閑話休題)
 Y子さんが私を見つけて寄ってくる。
「ふくし さん ふくし さん  」 「なんでしょう?」「ふくし さん おうちを作って下さい」「どこに?」
「おもちゃ班のわき」「どんな?」「二階づくりの」「誰が住むの?」「Y子が 1人で住むの」「・・・・・」
「手紙書いてもいいですか?あしたふくし さん いますか?」「・・・・・」「鼻をつまんでもいいですか?」「???」
 彼女独特の自己主張、親身に聞いていないと彼女は強く相手の鼻をつまむ。これだって彼女らしさ!
重いなー。

599:ちょっと良い話

産地直送の話。
 奈良での研修で心に残った話を紹介します、
 福島で定時制高校の教師を長年務められたお坊さんの話・・・・・私には未知の世界であるが、定時制に通ってくる学生は個性的だという。その中の1人にまったく学業に付いてこれない生徒がいたという。オール1という成績表、その先生は休まず通ってくるその生徒に「3」を付けてやったという。その生徒は今、社会人として立派になっている。その子と会う度に「先生に感謝しています。」と挨拶されるという。司会者から「いのちについて一言」と意見を求められた。そのお坊さんが答えた事が頭に残った。・・・『私には87歳で亡くなった母親がいました。母が亡くなりタンスを整理していたら母が書き残した手紙を見つけたんです。その中に【我が人生悔いなし。ありがとう。】と書いてあったんですね」と話された。これってどこかで聞いた話のような気がするけど、そのお坊さんの生き様をしっかり見守っていたお母さんの話だからインパクトがあるんだよね。
 もう一人のパネラーの良い話・・・・・・自坊で長年、電話相談を実践している群馬のお坊さん  「私は24年間各地で講演活動をしています。先日ある小学校より頼まれて全校生と保護者、教員の前で話をしたんです。がっかりしました。私が面白おかしく命の大切さを話したんです。最後になんでも良いから質問を聞いたんですが、数人の生徒が手を挙げて「いのちって大切なんですか?学校で教わったことありません」・・・・・・・
 この坊さんは体の向きを変え校長始め教員に対して  「貴方達は何を子供達に教えているんですか?。数の計算、字の読み方・・・その前に教えることがあるんじゃないですか?」 と言い放った。気まずい雰囲気が体育館を覆った。そして子供達に「皆さん、10日間だけ時間下さい。私が校長先生と話をして、また皆さんの前に来ます。その時まで待ってくれますか?」 その期限が2日後で切れるという話。「世の中が皆よい子になっています。そうじゃないでしょう。憎まれ事も言う大人が必要でしょう。その点坊さんは何も気にすることがない。皆さん一緒にやりましょう」参加者から一つ二つ拍手がなり、最後には大きな拍手が出た。
 「坊さんは理屈じゃない。実践が大切」という師僧の話。どうも世の中が変な方向に進んでしまった事の大きな原因に経済第一主義の流れの中で「憎まれ口」を言う大人がいなくなった事もある。何が大切かという事がはっきり言えない人達ばかりになり、綺麗事や上辺の理屈でいくら表面を塗りつぶしても直ぐに色褪せる。
前項の鼻つまみのY子は、こだわりの固まりだが、素晴らしい世界を持っている。彼女の木のおもちゃは・・・・たかが木のおもちゃ  されど 木のおもちゃ・・・・・・・なのだ。
 *ここだけの話・・・・・二日間だけ坊さんやってきたものですから、ちょっと違った目で考えました。また、生臭にもどりますので、悪しからず。・・・・・・今から八王子へ。行ってきまーす。

600:コンサルタント

 7日〜8日まで八王子において入所更生部会の関東地区研修会が開催された。茨城県からは5名の参加、会場は狭くて決して好環境ではなかった。部屋も狭くてちょっとゆっくりするにはイマイチだ。しかし、2日目の船井総合研究所から来られた福祉チームリーダーの話は新鮮でとても参考になった。
 「これからの施設経営・・・コンサルテイングをどう使うか」というテーマ。船井総研は船井幸雄氏がコンサルタントを業務として起業し、東証一部上場に登り詰めた業界屈指の優良企業。私も彼の書かれた本を何冊か読んだ。成功の条件として、@素直 A勉強好き Bプラス発想を掲げる。決して難しいことを言っているわけだはない。しかし、なかなか実践するとなると出来ない。
 この基本を元に分かりやすい説明をしてくれた。福祉業界は、民間企業と比べ全てにおいて遅れをとっている。それが競争社会の中に放り出される。大事に育てられた赤子が果たして上手く生きていけるのか?確かに社会福祉法人といっても全国では職員数1000人を越している大規模施設もあれば10名そこそこのスタッフでサービス提供をしている零細事業所もある。自立支援法どころで右往左往している業界、その後に社会福祉法人の見直し改正が待っている。規制に守られ温々としていた。時を同じくして介護サービス最大手のコムスンの問題が報道された。介護事業で全国展開で急成長し、今では2000カ所の事業所と職員数2万人という桁はずれの企業だが今回事業認定取り消しの処分を受けることになったのだ。当然、研修会会場の至る所でその話題は出ていた。平家物語ではないのだが、驕れるもの久しからずである。事業拡張にスタッフの確保が間に合わなかった。そのため名義借りや幽霊社員という誤魔化しが摘発された。内部告発だ。確かに急激に進む高齢化社会への基盤整備は待ったがきかない。その国策と上手くリンクして折口というカリスマ?によって創り上げたモンスター。
 福祉という看板の裏で繰り広げられていたコムスンの実態は私もおかしいと思っていた。介護スタッフを派遣し、その給与から一定割合でピンハネする総額が年間15億円に上る。
 しかし、合法的な事業に於いても微妙なズレが出始めている。東京都は3年間の期限付きでコンサルタントを受けるよう事業所へ都単独の補助をしている。富の一極集中がこんな所にも現れる。知的障害者のための都外施設が全国に40カ所ぐらいあるというのも驚きだ。そして大規模の施設は千葉にあり、入所者定員650名だという。東京都の施設保護者連絡会(施保連)は関東地区の連絡協議会には加わらず単独で行うと宣言した。その代表者と私は2度ほど設立準備会で一緒になった。
 茨城は遅れをとった。昨年、施保連の組織化を保護者代表と施設長の合同勉強会という形で進め、全国施保連に参加することを意思表示している。
 どうも力があるところは連携を保つということには消極的で困る。他を相手にしなくても充分果実を得ることができるからだ。地方分権が地方の格差を広げる、本来の主旨にズレが生じている。その傾向は止められないのだろうか?
 正直、他の施設など構っておれないというのが私の本心だ。団体の運営に、この1年相当数時間を割いてきた。
 もし、これが独り相撲、八百長であったならば泣くになけない。
 私は今回の講演を聴き、コンサル導入を積極的に考えてみようと思っている。
 どうも理屈では分かっていることが実際に形になってできない。常に同じ場所に地団駄踏んで留まるより、この実態からどうにかして脱け出したいのだ。『参考報告