源究55

夏に負けませんよ!

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
646 釈迦に説法 8/17 651 相談支援事業 8/23 656 寄る年波 8/30
647 一陽来復 8/18 652 出張法事 8/24 657 向日葵 9/1
648 正副会長会議 8/19 653 東京事情 8/26 658 表裏 9/3
649 いつの間に 8/20 654 新聞報道 8/27 659 ギャップ 9/7
650 敢えて苦言 8/21 655 改造内閣 8/28 660 自己選択 9/8

646:釈迦に説法

熊谷では、2日間に渡って40度を越す。全国各地で熱中症で病院に担ぎ込まれる人が多かった。昨日の午後2時は当に最高気温の時間帯、私は利根川沿いのお寺の施餓鬼に伺った。丁度39度あった。もう体の中は臨界温度に達して、頭はボーとしてフラフラ。
 午後,5時にはなんとか終わって自宅に戻る。着替えて高校野球を見ようかとテレビをつける。その時玄関のチャイムがなる。正直、トウバ取りに檀家さんが来たのだろう位に思って、玄関に行くと汗をびっしょりかいて紙袋を下げてNさんが立っていた。「住職、釈迦に説法だと思うんだけどよ。これ持ってきた」と何やら袋の中身を取り出した。カセットとCDが50本ぐらい。
 「どうしたんですか?こんなに」
Nさんとの話の内容はこうだ。彼は運送業を行っている。毎月3回ほど九州に自ら大型トラックを運転して往復している。高速道路はなるべく使わない。(経費削減か?)それで日本海側の道で九州に行くという。長距離ドライバーの楽しみはラジオ、それが日本海側は上手く入らないというのだ。それで聞き始めたのが「ホレ。これなんです。」
 松原泰道、寂聴、高田好胤、青山俊董。。。。。私も知っている坊さんの説法。「聞き始めたら,こっちゃってね」と頭をかきながらCDを説明、ご丁寧にコピーしたCDをファイルにきちんと整理して持ってきたのだった。
 釈迦に説法どころではない。片道何キロあるんだろう。私は運転が好きでないから土浦から東京を越すことなど殆どない。仕事とはいいながら九州まで、それも一般道路を走る。Nさんはどこでこの説法を聞いているのだろうか?そこのところをお尋ねするのを忘れた。
 早速、私は高田好胤の「盆と日本人」という話を聞いた。
在家の方は、本当の宗教を求めている。一方では高額なお布施や坊さんの懸け離れた生活が批判の的になっている。
 私は、この時期坊さんと接する機会が多い。集まって坊さんが話している内容はどうかと思うようなものもないわけではない。
 しかし、大部分の坊さんは真剣にお盆の行事を勤めている。ほんの一部の非常識な方が目立ってしまうことに不満を持っているのだ。だが、坊さんの世界は強いてそのことを声を大にして叫ぶことはしない。守られているからだろう。
 その一つが、本日紹介したNさん。50本以上の膨大な量の説法をコピーして菩提寺の住職にわざわざ届けてくれる。
 釈迦に説法でなくして、なんとしよう!
日本海側は韓国のラジオ放送が邪魔をするという。土浦→大分まで陸路片道1300キロ、一般道路にては40時間。5日間を1クールで月3回行うという。過酷な業務である。土浦ー高崎ー長野ー舞鶴ー津和野ー九州、まさに根っからのトラック野郎である

647:一陽来復

冬が去り、やがて春が来る。悪いことが重なっても、必ずや良いことが巡ってくる。これを一陽来復という。
 そうやって、何かに失敗をした時に自らを奮い立たせてきた。後で思い起こせば懐かしくもあり、何らかの自信に結びついてきたとも言えよう。そんな事を考えていたら、人間は死んだら終わり!なのかと言う思いに至り思考停止。坊主が今更何をか言わんやである。
 今年も新盆回りを行った。2件の家で同じ事を遺族から言われた。戒名の事だった。昔は戒名の字数を気にされる方が多かった。最近はその事に感心がある方は確実に薄れている。2家族に何が共通していたかと言えば、若くして自ら亡くなった方の遺族である。「付けていただいた戒名に救われました。」と言われた。「風」「純」「浄」「蓮」という戒名に付けた字、故人の死を必死に理解しようとしたに違いない、残された家族の深い悲しみ、悔しさ、もどかしさ。その事を今となっては故人に伝えることができない。人並み以上に純粋なこころを持つが故に死を選び、先だっていった。決して苦しみもがいているのではなく、浄土の世界に遊ぶ姿を表したくて泥中に浄かな花を咲かせる蓮を添えた。
 人の死は遺された者に、深い失意と悲しみを与える。愛する者との別れる苦しみ。
 ただ、不思議な事に時が経つにつれてその苦しみからまた生きる力が芽生え始める。悲しみが深ければ深い程、その力が大きく強くなる。それを信じてきたからこそ、今まで葬送の儀に立ち会うことができた。
 世を儚むことは誰しもが経験することだ。死を自らのこととして感じることは実はなかなか出来ない。大きな病気を経験したり、事故に遭遇したりすることで身近になる。
 今日は水戸で緊急の正副会長会議を招集した。事業所間のギクシャクした関係をどうにかしようと集まる。仁義なき戦いまでには至っていないが、福祉施設が利用者から選ばれる時代になって、事業者間での従来の持ちつ持たれつの関係が薄らいだ。果たしてこの事が自由主義経済の定番としてそのまま受け入れて良いものか?
 私が真剣にコンサルを導入しようと考えた一番の理由がそこにある。
 今、「白い恋人たち」という北海道の名物菓子が賞味期限を偽って販売していたということで問題になっている。生産を停止しているから1日当たりの会社損益は3000万、会社存続の危機。同じ北海道で食肉業者が同じ過ちで自己破産したばかり。不二家もそうだが、引き継ぐメリットがあるとみられれば救われる。
 同じルールを福祉に取り入れて良いのだろうか?コムスンの破綻の検証が充分になされず、事業を継続することにのみ感心がいって業界の自浄力は後回し。企業の社会的責任を掲げることは世の常、しかし、実態はどうだろう。
 昨日、前記のNさんが寂聴さんの新しいCDが手に入ったといってわざわざ届けに来てくれた。その題名は「遺言」
 彼女は50年以上作家活動を続けてきた。僧籍を取り、宗教活動も彼女独特の説法で周知のごとし。今、彼女は小説が書けなくなったという。その最後のテーマに「遺言」を選んだ。
 しかし、私はこの事を言いたいのではない。彼女は宗教活動ではお金をいただかない事を一貫してきたという。
僧侶として宗教活動は社会的責任という。だからそこからお金を頂戴することは彼女の出家の意に反するのだ。
 作家という生産活動(?)から充分な収入があるからできるんだと言うには、彼女の僧侶としての実践活動があまりにも大きいインパクトがある。

648:正副会長会議

心身協の正副会長会議を招集したところ全員が出席してくれる。今回は月末に開催する施設長会議への調整が主な内容。事前にアンケートを行った中間報告があり、この時期各事業所では様々な問題を抱えていることが分かった。特に、新しい事業所が開設された地域での利用者の入退所の問題、関係施設から施設長に来てもらい状況を聞いた。
 端的に言って、制度の変更と現場対応のズレから生じていることである。従来の利用手続きが県を間に通さず、直接施設と市長村になったこと、これによって市町村の対応格差が原因のようだ。いくら利用契約といっても、施設側の言い分もある。
 例えば私の法人は20カ所以上の市長村との関わりがある。その市町村の対応がそれぞれ違っていることからの混乱が一番大きな問題となっている。
 具体的に言えば、日中一時預かり事業がある。尚恵では10カ所以上の市長村と契約を行っているが、報酬単価がそれぞれ異なっている。また、単価設定の根拠になる預かり時間も長短様々、同じ対応をしていても、このような矛盾が現場では発生している。その調整を是非ともやってほしいと県にお願いしているのだが、ご承知のように三位一体改革とやらで、事業と金が県ではなく市町村に移った。調整機能が働き難い状況が出ている。これも分かる。
 国は混乱している。つまり、人口50万人規模の政令指定都市と県の関係と人口数万の地方都市と県の関係との整理が充分でない。小規模都市では福祉事務所の体制も貧弱、担当者は掛け持ちの状況で、制度の詳細まで把握するなど期待できない。そこが窓口になっているという実態。
 この辺の環境整備がなされずに規制緩和が進んできたから、極端に言えば仁義なき利用者や職員の引っこ抜き(誤解は覚悟)が行われている。それに利用料の日払い方式が拍車をかけ、欠員が生じた場合の減収が大きく、事業所によっては経営の危機までいたる。
 規制が緩和され、利用者が自己決定でサービスを利用できる仕組みの筈だった。しかし、裏には大きな問題が含んでいる。それは障害程度区分という制度での差別化、ご承知のように区分4に至らない入所利用の家族会(全国施保連)の活動に伺える問題だ。されば認定そのものに問題がないのだろうか?市町村で実施されている認定審査会の現状は決して褒められた状況にない。このように全てが当時者不在の中で動き始めている。
 この調整を心身協で行うこと、果たしてできるのだろうか?先のアンケート調査と同時期に次年度の予算要望の調査を行っている。実際は県の事業は限定されている。要望してもゼロ回答がここ10年ぐらい続いている。だからか要望数が非常に少ない。予算活動そのものが正直現状維持がベストで如何に前年度からカットされないようにするかという事で大きく後退している。
 これは私の立場で言うのも妙なことでお叱りを戴くことになるかもしれない。構わない。強いて言えば私の意見はこうだ。
事業所が会計報告をオープンにすべきだ。私の法人は10年まえから機関誌(尚恵だより)に決算報告を掲載、HPにでも公開している。
 見る人が見れば尚恵学園の財務状況は一目瞭然、福祉事業は長い間、お役所的経営の温床にあった。その事への反省を自ら先ず改善しなければいけない。
 昨日の朝日新聞に出ていた。栃木県の某法人の利用者預かり金の流用が発覚、家族会で管理していたようだが、どうして2億円以上の金が引き出されていて気づかなかったのか????
 世界的企業の肝いりで開設されたその法人のことは以前から知っている。
 今の時代、言うべき事は自らの責任によりはっきり言い、やるべき事は自らの責任で行うことが重要。今更ということになるが、これは昔の先駆者が生涯をかけ実践していたことなんですね。
 

649:いつの間に

皆さん、どうですか。いつの間に、こんなに大きくなってと感じることがありませんか?体ではなく、年を取ったということで。
 夏はお寺さんでの施餓鬼という行事があって、わたしも多くの寺にお手伝いに行くのです。法要は年の順、(本来は僧階順ですが)に並ぶんですが、いつの間に私は上の方に座らされる羽目になってしまいました。皆さん子連れで来られる方も多く、私はその親との付き合いですから当然と言えば当然です。若い連中と話題が全く違うのに気づきました。
 年寄りグループは「腰が痛い」「早めに寝るのが一番」「メガネを忘れた」、若いグループと言うとそれを冷ややかな目でみて「ヤダヤダああはなりたくねー」この二極化は実は私達年寄りGも其程昔の話ではなく、自分達もそう思っていた。
 ここで密かに喜んでいることを紹介させて下さい。8月15日でお陰様で57歳になったのですが、子供がプレゼントしてくれたものが任天堂の脳のゲーム、これが子供騙しと思って、なんでこのような物をと少々不満でした。それが横で脳年齢を計るというゲームをやっているのが気になり、「やらせろ!」と横取りしてやってみた。それがどうだろう。結構ハマリましてね。
 「グー。チョキ。パー」と言うのを機械が音声解析して正誤を決める。結果は脳年齢 30歳と出た。
「そうだろう。そうだろう。この機械はなかなか上手く出来ているな!」 無視された。
 今、そのゲームは放り投げられて誰も使わない。インチキだという事のようだ。買ってくれた子供が80歳と出たことが一番の原因らしい。修行が足りないんだよ。まだ10年早いんだよ、お前は。
 修行といえば9月にどうしようか迷っていることがあります。知的協会の全国大会が愛媛で開催されます。最後の日に全国施保連の総会があるという通知をいただき、茨城も参加しないといけないと考えているわけです。もう一つ松山には別の楽しみがあります。それは遍路なんですね。どっちが大切かと言われれば正直遍路です。
 私流の理屈から言うとですね。四国は遍路という形で信仰と観光が上手にマッチした文化?が根付いています。これは戦後に今のような賑わいを見せるようになったようです。四国四県の連携は実に素晴らしい。また、地域の人々のお客様を受け入れるこころ(接待)も実は学ぶことが多い。サービスをお金で買うような時代になって、接待のこころが実は一番必要だと思うからです。それは関係者が研修でいくら学ぼうとしても実は出来ない。自らの足で歩いて感じることですね。「福祉」という言葉を大上段に構えた地域展開に市民はアレルギーを感じる世の中、その事を気づかず以前としてホンネとタテマエを使い分ける。そう思っているのは福祉関係者だけ、その事にいかに早く気付き、新たな戦略を練るか。
 そのヒントが四国遍路に有ると私は見ている。福祉の世界に一人勝ちのルールは絶対に有り得ない。
 果たして甲子園観戦も実現できず、夢の世界で終わるかもしれません。密かにその準備をしてますんです。悪しからず。

650:敢えて苦言!

あまり言いたくはないのですが、どうも黙ってはいられません。
 近頃の実習生事情、確かに中には今でも就職してもらいたいような若者もいます。しかし、その数は少ないようです。親離れできない学生と子離れできない親。どっちもどっち。私の所での実習は宿泊の場合は寺の客殿に泊まる。
 だからとは言わせない。「寂しくて、帰りたいので電話して下さい」・・・・これ以上、書きたく無い。話題は変える。
 日本の家庭事情、子供が少ない。甘やかされて育つ。親が子を叱れない。兄弟がいないために子供同士の付き合いが苦手。 それでいて情報は世の中に氾濫し、簡単に成功できると錯覚。困難に立ち向かう気概が乏しく。苦しみ悩むことが将来の生きる活力になることを経験する前に避けてしまう。こんな私に誰がした。子は親に。親は教師に。教師は政治に。政治は官僚に。その責任を転嫁させる・・・・・行き着く所が分からない。円循環。本当は逆循環が大切。
 発心・修行・菩提・涅槃  四国を遍路する人達が徳島の1番から時計回りで四国4県にその意味を持たせ、1300キロを歩く。インスタントな成功事例にない、自らの足で体験する人生とダブラせる。実習なんてやりたく無い子を面倒みることより、四国でも歩いて来いと今度から言おうかと真剣に考えた。
 その前に私が歩きたい位だ。高松にかっぱ塾を開く坊さんがいる。引きこもりの子供たちを3ヶ月預かっている。”きびしいよ。それが嫌だったら来るんじゃない!””でも楽しいよ”
 引きこもる子供たちは泳げない子が多いという。その子供たちに「海で泳げるようになるにはどうすれば良いの?」と尋ねると分からない。「体の力を抜けば浮くんだよ。海に浮かせる力があるんだから」「体を強ばり構えてしまう。だからカナヅチとなって泳げない。これって人生と同じなんですよ」「毎朝5時に行う座禅、この力が凄い。足の痛みを経験し、自らを見つめる。最初は座っているだけで充分。そのうち力が抜けて身を任せるようになる瞬間を経験する。この切っ掛けが見つけられない子供が実に多いんですよ」    確かに頷ける。 先の実習生の話にまたユーターン。彼女は実習する前から嫌だ嫌だと思っていた。それが親に通じ、本当に1週間ウチの子はできるのか?この不安そうな親の態度が根底にあって、子供に電話をして親に迎えにきてもらうという発想につながる。まだ、今回はいいほうなんですよ。前回は施設を訴えると母親から怒られた。実習に入って2日目に発熱したので、医者に診せてウチの看護士が側に付いていたのです。どっちが実習なのか????救急車を何故呼ばなかったのか、ウチの子を殺すつもりなのかだって。開いた口が閉じません。これ実態。知らないでしょうね。
 今の教育現場も弱腰、学生確保に必死になっている。どうか無事卒業して下さいという。この関係から果たして何が生まれるのだろうか?
 常総学院は甲子園に出ても勝てない。再度、木内監督の登場となった。オン年  76歳の現役監督。
そこに座っているだけで子供たちを安心させる。このカリスマは甲子園優勝3回の実績。誰もができることではない。
 住職が座っているだけで充分。故人が成仏できます。なんて言われたことない。住職が足が痺れモジモジするから法事の客にも伝染、皆モジモジ始める。モジで始まりモジモジで終わる法事。本尊さんのこころ穏やかならず。「ああ・・・・・」
それに懲りない住職も立派。本尊に向かい 「ナーム 大師遍照金剛だ。」昨日、松山行きの便予約してしまった。実践あるのみ。

651:相談支援事業

市町村事業の中で相談支援事業はこれからその重要度が増すと考えています。従来の福祉は事前の手続きが煩雑で、いざ利用するとなると面倒な事がありました。しかし、相談事業は入り口の所でのサービスが主な役割で、ややこしい登録申請などは無くとも電話1本で動くことが要求されます。今年の夏は例年にない猛暑が続き、高齢者はもちろん障害者にとっても健康を維持するのが難しい状況です。福祉事務所としても、以前は相談を受けてから対応できる事業所を探すという実態があり、24時間の対応を必要とする場合は、事務対応では限界があったのも事実、今年から我々は知的障害者の相談事業を土浦市より委託され、緊急度の高い在宅障害者の対応を行っています。
 昨夜、自立支援連絡協議会を開きました。関係者が連携して地域で対応していこうとする調整の場になります。
 この体制が今まで老人介護と比べ弱かったので、その必要性を私は機会あるごとに訴えてきました。やっと実現したわけです。
 役所の対応も随分変わりました。土日閉庁を止めて、窓口を年中無休で開いている市町村も出てきました。「すぐやる課」などの設置もその変化の現れです。
 公共のサービスと民間の役割は重複するところもあります。しかし、住民サービスには公的サービスが不可欠、民間の事業所との連携を図り、お互いがサービスの補完関係を保てる身近なサービスの仕組みを作るべきなのです。
 市町村合併が進み、事務の効率化や組織の合理化を優先に考えると、きめ細かな住民へのサービスが蔑ろにされることがあります。この事は注意して見守る必要があります。
 事業所としても表看板を掲げた以上、体制の整備強化が必要になります。スタッフの専門性や受け入れキャパの拡充など、これは既存の事業継続と施設整備改修を平行して行っていかなければなりませんから大変です。
 ここで一つの問題が新たに出てきています。それは国の行政の縦割り発想が以前として根強くあるということ。
 現場では臨機応変な対応が要求されるのですが、制度や法律のレベルでは整理されていない事が多すぎます。
GHの整備を検討すると、建築基準法や消防法の条件が以前に増して厳しくなっています。例の耐震偽造やGHでの火災事故が大きく影響しているようです。
 ですから一つの計画を実施することになると、様々な役所の指導を受けなければならなくなり、なかなか計画が実行に移せないのです。
 何を最優先にするか?役所のメンツではなく、これこそ利用者本位の立場にたった行政の仕組みを考えていくべきと思っています。
 * 直接は関係無いかも知れませんが、私はNTT東日本に何度も電話をし、フレッツ光のケーブルを張って欲しいと要求していましたが、盆前になって、なんの前触れもなく、配線工事が始まり、近日中にADSLから光ケーブルへの切り替えが可能となりました。(利用者の声は、誰かがやってくれるではいけない、自らが行動することですよ)

652:出張法事

さて、今日も忙しくなるぞ! 朝から気合いを入れている。どうもこの夏の暑さに少々参った感じであるが、そうも言ってはおられません。今年最後の施餓鬼会をつくば市のお寺で済ませてから、そのまま東京に出ようと思う。東京の檀家さんから葬儀が出来たとの連絡を昨日もらった。錦糸町の駅前だから、車で行かざるを得ない。果たして慣れない首都高速、どのくらいで辿り着くのやら、通夜の時間までに間に合うか否か?大分昔の話  同じようにホテルを予約してもらって伺った時。駅裏でとても分かり易い場所にあった、だが、法衣姿でウロウロできない状況が直ぐに判明。それは何故でしょう?利用者がどうもカップルが多く泊まるホテルだった。その時の葬儀屋に確認はしていないが、その狙いは何だったのか?利便性それとも??果たして今回はいかに!
明日また報告します。一端擱筆。
(25日起筆)
 いやー疲れました。グッタリコン。坊さん体力がないとやってけない。私は高所恐怖症、首都高速6号の八潮から向島当たりが一番嫌い。手に汗をかいてしまう。どうしてサイドの塀を高くしないのか。道路公団の設計ミスだ。まったく。早く着きすぎてしまった。今度は車を停めておく場所がない。東京都が悪い。人間集めれば良いとばかり考えているのか!まったく。
 多少荒れ気味かなー。
 通夜がどうにか終わったのが午後8時。錦糸町の東武ホテルをとっていてくれた。とても良いホテルだった。部屋が19Fちょっと高いか。でも不思議に心は穏やか。前回とは雲泥の差。
 9時からの葬儀を済ませ昼頃寺に戻ってこれた。そして時間をずらしてもらっていた法事をこなす。やっと1日が終わった。「アレー塔婆は?」書き忘れ。「すみません。ちょこっと書きますから」
明日の日曜日も法事が入っている。住職にとってまだ8月は終わっていない。

653:東京事情

東京や名古屋という大都市と地方の格差が問題になっている。いつも東京へは電車で行く。今回は葬儀の関係で自分の車で行った。車だと違った光景が目に入る。墨田区や足立区は東京でも下町になる。国道6号線周辺は今、建築ラッシュ、想像以上に建築中の建物が多いのには驚いた。どうもその大半が住宅(マンション)のように思えた。なんで分かるのかと言うと、工事クレーンの数や建てている場所で商業ビルと住宅の区別は大体分かる。
 これじゃー人手不足になるのもしようがないか。建築材料費も高めに推移、需要があるから当然の成り行き。しかし、住む人がいるのだろうか?土浦などの地方都市でもマンション建築が進んでいる。しかし、実態は半分も売れない。築後3年ぐらいで引っ越ししてあるくジプシー族をターゲットにしているのかどうか?世界的な株価暴落を生んだアメリカでの低所得者向け住宅ローンの焦げ付き騒ぎ。ちょっと行きすぎていないのだろうか?
 住宅業界は今、工法の画一化&プレカットが主流、その分、外観や内装仕様パターンを増やし、オプションで施主が選ぶというもの。建てる側の自分で建てる家という意識を上手く利用している。
 それから、本業の葬儀についても昨今の事情は変わってきている。一昔前のように花輪や弔問客の数を競う社葬などは減り、本当の身内だけの葬儀形体が圧倒的に増えている。家族葬と言われるものもそうだ。業界用語で言えば大きいものを狙うよりは小さなものを数でこなす。これが市場ニーズに上手くあっているという。
 斯様に大都会の事情は確実に変化している。ゆっくりではあるがその流れが地方にも浸透する。こうやって昔の良き物が姿を消していく。
 この辺で我々は気づくべきだと思う。それは利便性を求めた結果どうなのか?
網の目のように東京では交通機関が張り巡らされている。地下鉄、JR、私鉄。江戸時代の面影を残す場所が蔵前当たりには目立つ。橋の名前がその一つ。昔は当然歩いて移動する。川を渡る橋に重要な役目があった。橋の名前でどの辺なのか直ぐに分かった。しかし、今、橋は殆ど気にならない。川の下を地下鉄が走り、川の上を道路が通っているからだ。
 ここまで人口が密集してしまった東京は異常にしか思えない。下町の住宅事情も凄い。隣との境は数pという接近状況。火災があれば一網打尽。
 密かに定年後は田舎で生活しましょうという運動があるという。別荘ライフではなく、小さな畑付きの住まいを売りにしている。茨城でも過疎化対策で北茨城などで行っている。自分で作った野菜は格別だとおもう。私も実は3坪ほどの畑にナスやピーマンを作った。この夏、猛暑で雨が降らない。何度も野菜に水を掛けた。そうやって大きくなった野菜は格別なのである。

654:新聞報道

茨城新聞の片隅に母子心中の記事がのっていた。25歳の息子さんの将来を悩み「ごめんなさい。もう駄目です」という遺書を残し母親が息子さんと一緒に自宅で亡くなった。2年前まで作業所に通っていたが、それが出来なくなり、自宅での生活をおくっていた。息子さんは自閉症。その記事を読み、直ぐに地域担当の職員に尋ねた。我々が関わっていたケースではなかった。
 なぜ、そこまで追いつめられるまで何らかの支援がなされなかったのか?誰しもそう思うに違いない。しかし、現場で直接の関わり経験を持つ人ならば分かる、一人一人がまったく違うのだ。当然、支援の仕方も異なる。手を差し伸べようとする行為そのものに異常な反応を示す方もいる。
 日曜日だったが、私は直ぐに県の課長にメールを送った。状況を掴んで欲しい。そして、市町村と県、それに事業所が緊急に対策を講じたいと伝えた。今年の夏、尚恵を利用された人達は大勢いた。学校や事業所が休みだったという理由が一番でその間の対応は家族、それも母親が殆どあたる。今回の悲しむべく事件の背景は全く分からない。しかし、同じような悩みや不安を抱えている人を沢山知っている。自立支援法がスタートした時、日本福祉協会で全国でのマスコミ報道がなされた心中事件などを報告されたことがあった。相当数あるのに関係者が驚き、これからもっと起こりうると警鐘をならした。
 現場対応で一番苦労する事は、様々な要望にどのように対応するかである。受け入れのスタッフをどう確保するか?職員の休みを保証し、尚かつ緊急のニーズに答える。正直、限界を感じる。それでも今年の夏は職員を総動員してどうにか対応してきた。8月の末になり、どうにか山を越えた。スタッフに心から感謝している。
 福祉の原点は、やはりいかに早く要望に応えられるか!という事だ。今、実態はそうなっていない。申請手続きが複雑で障害認定がなされていないとサービスが受けられない。緊急性の高い場合は、特例の対応が有ると聞いているがどうだろう? この特例処置というものが実はくせ者。特例故に複雑でお盆期間など役所も業務を縮小している時は一体誰がその決定をするのか。業務対応マニュアルではこなせない。
 「ごめんなさい。もう駄目です」という言葉に込められた母親の思いを重く受け止める。障害が有る子を持つ親が良く話している言葉、この子を置いて私は先に逝けない。この世の中に、我が子を障害を持って生みたかった親などいるはずがない。本人だってもちろん自分は健康に生まれたかった。それが出来なかった家族にその責任を負わせ、「しっかりしなさい。お母さんが弱音を吐いてどうするのよ。」と励ます。これが実態です。その事に心を動かされ、先人がゼロから始めて今の制度が出来上がった。しかし、残念なのはその制度そのものを現場を知らないものが作った。その意味では事業者たる我々の能力が問われている。(8/27 Am7:00)

655:改造内閣

参議院選挙後の国会運営は与党に取っては厳しくなる。衆議院で可決されたものが参議院に移って否決される場合が多くなるからだ。安倍内閣は思い返しても、大臣の失言交代、政治資金問題など誰が考えても合格点を付けられる実績はなかった。総理自身は人柄が良くて、いかにも悪いことなど出来ないイメージ、それに対して彼を補佐するお歴々の皆さんは何か胡散臭い感じを持たせてしまうのは何故なのか?
 このような中で参議院選挙に大敗した自民党は幹事長始め執行部を総入れ替えした。そして昨日の改造内閣の発表。
 就任2ヶ月でマスコミを賑やかした女性初の防衛大臣は、その真意は分からないが自ら次期内閣では防衛大臣を辞退すると発表。辞退という言葉は就任を依頼されてからの事のはず。その辺が彼女が渡り鳥と言われる所以。
 安倍さんも大変だ。先祖が大物議員だから、何かがあると比較される。人間世界は彼岸に渡ってしまった人は偉業礼賛されはしても多少のミスは取り消しになる。だから此岸の者は、敵わない。これ仏教の真理。
 議員を志したものは誰もが大臣の椅子に憧れる。それだけ座り心地が良いのだろうか!自分の政治経歴に元○○大臣経験という肩書きがつく。これが魅力なんだと思う。
 今回の選挙では自民党へのお灸をすえたと考える人も実は多い。永田町の論理が民意と大きく遊離してしまった事への反発。
 私はどうも腑に落ちないことがある。昨日の組閣発表に声がかかった議員さん達の首相官邸への呼び込みの光景。あの中で地下鉄かJRで官邸に来た議員さんがいるのかな?黒塗りの車で到着,先ず秘書が2人〜3人出てくると多少恥ずかしそうにご本人が車から降りる。これって実は県のレベルでも全く同じなんですね。何かの会合が有れば、便利な駐車場は全て黒塗りの車が停められる。私ども下下は遠い一般駐車場。
 僧侶の世界は?実は似た所もありますね。昨日中学時代の恩師の葬儀に参列、弔問者が多く、葬儀の時間が長くかかった。座る場所がないのでずっと立っていた。私はいつも祭壇前の特等席に座らせてもらうからな、40分の時間がこれほど長いもんかと感じた。坊さんが立ってお経を読んだらどうか?多分時間短縮になるはずだ。私の場合、早くと頼まれればいくらでも早く終わることは可能、でも頼まれた事は無い。
 そこで気づいた。内閣発表などは儀式(呼び出し焼香)なんだ。いかに大臣さんが偉いかを見せるセレモニー。俺は皆さんとはチョと違う。だから仰々しくやればそれだけ良いってか。ウーム。
 テレビ報道の妙・・・見事大臣に就任が決まったMさんが、朝のゴミ出し、自家製のプチトマトを収穫している。一方、モーニングを事務所に掛けて総理からの呼び出しを待つYさん、結果は永田町のルールから外れ大臣から漏れた。この場面を見た人は何を感じるか?前者には”生活感”。後者には「私には政治生命がかかっている」とまで言った方の”ズレ”である。これが意図的な報道であるならば、あまりにも影響大であろう。

656:寄る年波

昨夜は某お寺さんで前住職の奥さんの通夜があった。私も連絡をもらったので参列。本堂には随喜寺院の席も用意され、イスになっていた。法要が始まる時間に住職方が衣に着替えて集まってきた。気のせいかもしれない。どことなく皆さんお疲れのご様子。関東地方は昨日からやっと平年気温に戻った。お盆の疲れと夏の行事が終わったという気の弛み、それに急に気温が下がった事での体調の変化、これら交々の要件が重なって皆さん下向き加減。居眠りしそうな坊さんもいる。
 通夜が終わり、忌中の席へ移らず帰ることにした。何人もの坊さんが同じ事を考えていたようだ。私は誘導に従って奥の方に車を停めておいた。やはり、心配は的中。前に車を停められて出せない。車で暫く待つより仕方がないと覚悟したら、外で何やら騒いでいる。「後ろの畑をブッキって出べー」と言っている。「四駆なら大丈夫だっぺー」。エイ一か八か。私も真似をする。この時ほど私の愛車(レガシー)を頼もしく思ったことがない。いつも燃料ばかり食ってとぼやいていたが、昨夜の雨で少し柔らかな畑の上を、いとも簡単に走り抜けた。
 この地区はつくばエキスプレスのみどり野駅に近い。以前来たときは田園の中の集落にあったお寺という記憶。
 帰りは谷田部インターから高速で帰ることにした。ナビで誘導、しかし、私のナビはデーターが古く、近年の開発スピードについていけない。インターまでの距離は大したものではないのだが、ナビが示す道順は細い道路をクネクネと表している。仕方がないのでその表示通りにインターまで向かった。公共交通は凄い。駅前開発はもちろん、そこにアクセスする道路整備も急ピッチ。やたら立派な道路が出来ている。
 今年の夏は熱中症で亡くなった方がかなりいたと思う。特にお年寄りに多かった。60前後の我々の年代でもこの暑さの影響はある。月並みに言えば”寄る年波”を感じる昨今である。
 盆前に檀家さんから頂いた著名な坊さんの説法CDを寝る前に聞くようになった。昨夜は高田好胤さんのもの。
その中に良寛さんの話があった。ある人が良寛さんに「百まで生きる方法を教えて欲しい」と尋ねられた。良寛さんは「うん。そりゃー簡単なこと。良いか今が百歳だと思って生きることじゃよ」と。良寛は74歳で亡くなっている。
 説法が終わる前にいつの間にか眠ってしまった。
 寄る年波はどうもマイナスイメージがある。
 自分を何と比べるか?その比較する対象を変えることも”方便力”。
*実は情報社会になって、その比較する対象が無秩序に氾濫している事が大きな問題。一問一答の良き時代は取り戻せないだろうか!
 

657:向日葵

夏に咲く代表的な花、「向日葵」はキク科の一年草。大陽を追って花が回るという俗説もあるが実際はどうか。観賞用というより最近は種から油をとるために大量栽培される。私の好きな花の一つ、高山に咲く可憐な花とは対象的、どちらも好きだ。
 向日葵は夏の厳しい暑さにも負けず、むしろ大陽に向かって大きく花を咲かす。この姿に勇気をもらう。
 上記のスナップはGHあじさいの前に咲いた向日葵、今年も雨が無い時には利用者さんが朝晩水を掛け育てたもの。彼らはこの花をどうみているのだろう。
 昨日は恒例になった知事を囲む懇談会を施設長会議の後行った。87名が参加してくれた。私は様々な会合に顔を出すが、この会ほど盛り上がる宴席を最近経験しない。宴が始まって30分も経たない頃には至る所で輪ができ、話が盛り上がる。橋本知事はその輪の中に自ら入っていき、交流の場を作る。全く感心する。当選以来毎年2回、この会は続けられている。それから場所を移しての2次会、これがまた雰囲気が変わって宜しい。今回は他の客はいなかったので貸し切り状態。
 カラオケの音がやかましいのだが皆さん日頃の鬱憤を晴らしているのだろう。大目に見る。どうして話題が尽きないのかと思うほどあっちこっちで話が盛り上がる。施設長の中には職業を間違えたのではと思うような才能を見せる者がいる。絶妙なタイミングで盛り上げる能力はただただ感心するだけ。「お友達内閣」という国への批判は我々業界(否、茨城県)には該当せず。
 私の悩みは部屋に戻ってからの同室の方のイビキ。今回は被害は無かった。朝一番にフロに入り、朝食前にホテルを後にした。土曜日で法事が入っていたから仕方がない。
 1年草の向日葵を人間の一生に例えればあまりにも短い人生になる。草木に仏性が有るという教えは分かるようで分からない。(昨日の行政説明とダブル)しかしだ、花そのものにその意識が無くとも花を見る者に何かを感じさせることは事実として存在する。(入我我入)
 折しも元厚労省の局長の疑惑が話題に出た、これなど私に言わせれば無心の花のこころを解する感性の欠如だ。キャリアだろうがノンキャリアだろうが俺には関係ない。舛添新大臣が如何に処分を下すかこの点はじっくり見届けたい。国家公務員倫理法に抵触するかな?
 今でも私は彼が厚労省の課長時代に有楽町の東京フォーラムで「障害者を浮浪者には絶対にしない」と断言した時を覚えている。その時の彼の真意はなんだったのか?丁度その頃かね!セルシオの中古?を貰った時期は。59歳、全く情けない。職権を得た者が自らを律することが出来ないならば、花にミツバチが集まる理と同じ。花が散る頃に内部の告発というしっぺ返しを受ける。弁明すればするほど自己矛盾が大きくなる。それすら分からない者が我々の業界の元締めにいたかと思うと力が一気に抜けてしまった。
 責任転嫁の言い逃れに終始するのか?そうは問屋が卸さない。利益供与した元理事長にも相応の罰が下されて当然だ。
 お前!何様だと考えているのか!80歳にもなって。 全国の同業者がどれだけの被害を被っているかその責任を問いたい。損害賠償だ!告訴だ!エーイ他に無いか?その法人から関係者は全員強制退去だ。それぐらいのお咎めあって良いでしょう。コムスンは社会的制裁を受け、会社存続の危機にある。今回の事件は、もし手ぬるい処理で終わったならば、また同様の事がどこかで繰り返される。
  向日葵は自らの花を精いっぱい咲かせることで人の心を和ませ、
 Mという元局長は、私腹を肥やし障害者の心を蔑ろにし、なんとかという元理事長は公金を集めて世の信用を無くした。
佛さんは良く見てるんだから駄目だよ。

658:表裏

また一人茨城の福祉を支えたKさんが亡くなった。73歳。だがKさんは52歳で倒れ、その後の20年間、車イス生活を続けてきた。今日から四国、葬儀には出席できないので昨日自宅を訪れ線香を上げさせていただく。声が人一倍大きく、どこでも目立つ存在だったKさん、どういう訳か私には暖かい声を掛けてくれた。長年介護を続けてきた奥さんが懐かしそうに話をしてくれた。最近は体が弱り、自宅で一人になるからと言って近くのデイサービス利用のパンフレットを本人に見せると、その資料を手でどけてしまうという。「嫌なんですよ。」と笑いながら話された。自宅で倒れ、頭を怪我しての入院中に急変し、夜中に息を引き取った。
その日は2日間の法人の監査が終わった日。昼間に病院を訪れた娘さんが「監査無事終わりましたよ」と伝えると安心したように頷いたという。その日の晩であった。
 私はこの話を伺った時に父の最後を思い出した。父も同じく脳梗塞で倒れ、5年間の闘病生活の後で亡くなった。
私は父の死に立ち会う事ができた。今でもその時父の流した1粒の大きな涙が私の中でとても大きな存在。一粒の中に多くの思い出や果たせなかった夢が込められていると思うからだ。最近それが私の中でどんどん大きくなっているのは何故なんだろうか?
 Kさんの一生は多分波瀾万丈だったと思う。兄弟一人一人がぞれぞれ施設長を行う。茨城県では大規模法人の一つ。
 しかし、Kさんの自宅は質素である。施設の入り口にある。
 一方、官僚を巻き込んだ大阪の法人前理事長、障害児施設や老人施設:精神病院を三県にわたって大規模に経営している。どうも、日本では肝っ玉の小さな人間が目立ちすぎる世の中になった。我利我利亡者。小さいよ。
 表と裏は本来一体なもの。夕べのニュースでまた大臣が辞任した。正直な話、野党は次のターゲットを誰に絞っているのだろう?
 政権を担う与党だから攻撃される。しかし、どうなんですか?野党の皆さん!貴方自身は大丈夫なの?領収書の額が5万だの3万だのって、何をトンチンカンな議論をしてるのかね。いい加減にしろよ。私は団体の長には向かない。多分向かないんだろう。いろいろな方(政治家?)から研究会とかなんとかの通知がいっぱいくる。全く行きたくないのだ。そして行かない。
 だってそうでしょうマニフェストとかなんとか言ったって代わり映えしないでしょうよ。それをやってくれるという保証が無い世界なんだから。みんな自分の事は棚上げしておいて綺麗事。汚ねーよ。
 表裏というものは人間誰しも有る。これ真理。しかしだ、問題はそれをどう使うか。日本一の社会福祉法人を築いた長谷川先生(静岡)は奥様とだけ生活できる古ぼけた平屋の小さな自宅で亡くなった。
 今日の午後の便で松山、遍路がしたくなった。歩いてくるつもり。表向きは全国大会。文句あっかー。今年亡くなった先輩を偲んでくる。中川先輩。岡野先輩。それに中山先輩。お疲れ様でした。

659:ギャップ(三段跳び)

歴史と文化の街=『松山』。実質3日間堪能。この忙しいのに不謹慎な。誠にそうかもしれない。道後温泉本館の2階は400円をプラスすればお茶付きで休憩できる。(上記)今回の密かな作戦は1日だけ歩こうというもの。履き慣れた運動靴で来た。3日は松山に着いたのは夜になってしまった。松山全日空ホテル、裁判所前の綺麗なホテル。
 翌朝、朝早く出発。52番札所大山寺。ホテルから約10キロ。7時に出て途中、種田山頭火ゆかりの一草庵を訪れ、朝のラッシュで混雑する道をあるく。いささか遍路路とは異なる、車に注意して。当初の予定では宇和島に行こうと考えていたのだが、台風の影響か午後は雷注意報が出ていた。10年前に霊山寺(1番)から歩き始めた時に雷で失敗しているから早めの変更。松山から今治の50番台を廻ることにした。袈裟と白衣それにリュックを背負い、格好は遍路姿。良かった。しかし、四国の暑さは凄かった。日中34度、道路からの跳ね返しも予想以上。結局、朝の7時から午後4時まで歩き、万歩計の歩数は四万。常の四倍だった。
 五十四番まで歩いた。ペットボトル四本、熱中症になっては様にならない。親切な現地の人や全行程歩くという人との出会い。「お水いただけますか?」「どうぞどうぞ」この何気ない遣り取りの中に新鮮な感動を得た。
 歩き終えて道後温泉に直行、観光客でゴッタ返しするフロからは早めに出た。旅の土産にと興味本位で訪れる人達、観光バスで大急ぎで札所巡りをする人達、様相は年々変化している。しかし、一歩、路をはずれてみると昔からの良きものが今でも残っている。道路端に立つ石地蔵には新しい朱の前垂れ。誰が供えたか分からない新鮮な花・・・・・。
 今回は知的障害者の第四十五回全国大会への参加。締切日が過ぎてから申し込んだ。案の定、参加者名簿には私の名前が無かった。メイン会場の県民文化センターでは茨城から参加した人とも会えた。何人もの他県の知り合いとも顔を合わせた。「なんで来たんだよ!」と声を掛ける仲間は失礼なようだが、嬉しいものだ。西川きよしの記念講演は笑いが絶えないもので良かった。人の苦しみや悲しみが分かるには自分がその経験がないとできない。十八年間無所属で参議院議員を続け、三年前に引退した。西川きよしの人生は故横山やすしとの絶妙なコンビで一世を風靡、これが表の顔とすれば彼の幼い時代の貧乏生活の経験が裏にしっかりと根付いていた。大阪の吉本興業は一部上場の会社、ここまで大きくなった一番の理由は西川きよしなどお笑い芸人という人材の発掘と育成があったればこそ。
 これはどの世界にも実は通じること。ノウハウも大切かもしれない。しかし、もっと大切なものが有るはずだ。
 それが人間として相手を信じることができるか否かという大原則だ。八十八カ所はご承知の如く、弘法大師のゆかりのある寺を巡る信仰の道。千二百年の歴史を重ね、その道を辿る事は変化の激しい今の時代にあって、自分を見つめ、何が大切かを思いおこすのに絶好のプレイグランド。漱石や子規を生んだ風土は、今も大切に守られていた。子規の記念館二階に洒落た喫茶店がある。そのご主人と暫く話をした。日焼けし汗をかいた体には、その主人が煎れてくれたコーヒーがとても上手かった。「美味しいですね!」と声掛けた。するとパイプを取り出し火を付けながら話し始めた。
 私が五十一番石手寺と同じ宗派の坊主だと言うと、「ほんま?」という反応。石手寺が地元でどう思われているのか?
「今の住職さんは、なかなか発展家ですねん。幼稚園なんかもしとるし・・・」
 一般の人達の理解は微妙、福祉をやっていますという表と最近問題多発の不祥事。このギャップを意識の中に持たないと偉い失敗を起こすと学んだ。今回の研修で一番の収穫がここにある。
 
 幸い、台風接近の中、揺れる飛行機で無事帰宅。この分で歩くとなると、いつ成満できることやら。
 

660:自己選択??

法人として初めての試み、園庭に独立した仮称「自立ホーム」(表紙スナップ)を建てた。個室で5人が利用できる。完成引き渡しも終わり、いよいよ誰が利用するのかということが決まる、基礎工事の段階から感心を示すNさんは、上手く入れるかな? 私は口を挟むことはしないと決めた。スタッフが以前から希望していたものを造るまでが私の役目と割り切る。
 今の時代、一気に新しく設備を建て替えるのは難しい。また、立場上、他の施設を飛び越してまで手を挙げることはできない。となると少なくとも5〜10年は無理、その間今の状況を我慢して頂くには正直忍びない。法人の生活寮で一番古い建物が昭和52年建築のもの築30年である。ちょっと無理だ。まだまだ県内には古い施設があるからだ。
 建物を造ることは、土地と資金があればどうにかなる。今回の自立ホームは補助金無しで自前で整備した。しかし、問題は活用の段階で上手くできるのか。これが一番の課題。
 今回の松山での研修でその解決になるような情報は無かった。基調講演を行った江草先生が名誉理事長を行っている岡山の法人はなんと70の施設を経営している。マンモス法人、施設長だけでも70人いるという化け物。
 福祉の業界も自ずと市場のルールが生かされる。仕方がない。福祉のM&A。確かに法人の中で、看護養成校や病院、施設それも幼児から老人まで、法人内だけで自己完結するシステムもある意味では評価される形体だった。(敢えて過去形に。)
 だが、私の目指す方向は違う。出来ない事の高望みという自粛の思いもあるが、むしろベースに私なりの理由があるからだ。今回の伊予(愛媛)遍路でも確信したこと、そこには私の拙い経験との比較がある。35年前にイギリスで研修した時(4ヶ月施設実習)の思いがある。端的に言って、イギリスと日本は根本的に社会保障の仕組みが違う。日本流の良いとこ取りの制度では無理があり、継続不可能、至る所に綻びが見え始めた。何故なのですかね、GNPで優にイギリスを追い越しているのに日本独自の制度設計ができない? 社会福祉法人の歴史は高々50年、この先どうなるか分からない。
 今回、今治を歩いていた時に道脇に看板を見つけた。『たまり場○○』というもの。立ち止まってどこにあるのか捜したが直ぐに見つからない。なんて事はない。私の目の前にある、全く一般の住宅と同じ建物がそうだった。デイサービスとGHであった。建物の異様性と豪華さを売る福祉はどうも一般受けしない。それどころか不祥事があからさまになれば、補助金絡みの汚い部分が国民の不信を倍加する。それも我慢の限界に来ている。
 四国の接待は、一度訪れたことがある人には分かってもらえるだろう。「接待」は相手に見返りを要求しない自らの行為を言う。仏教の基本姿勢だ。
 つまり、利用者の立場になるということはどういう事なのか?法人設立者の偉業を称える事業所と両極にある。
 だから、私の捻くれ根性か、立派な設備の施設ほど胡散臭く思ってしまうのだ。地域にあって決して派手ではなく違和感なく存在することが、地域に受け入れていただく先ず第一歩。
 職歴36年目の今、思い起こすと施設整備に地域の同意書を添付する頃から、どうも方向が違ってきたと思う。
 このことは何も福祉だけの問題ではなく、迷走する今の日本の道標になること。遍路道には地図が無くても逆順の道標が至る所に立っているから地図無くても歩ける。
 ここにヒントが実はあるのだ。それは、時計廻り(1番→88番)、逆廻り(88番→1番)、更に1国打ち(1県だけを廻る)など
様々なオプションがある。どれを選んでもOK。結果として88番全てを廻り終えれば成満。これを人生に上手く結びつけた発想が実に分かりやすく受け入れやすいことなのである。福祉も分かりやすく受け入れてもらえるものにしないと!
 何か今の仕組みが複雑で使いづらいものにどんどん流れていっているように感じるのは私だけだろうか?更に地域に受け入れて貰うには、一方的な押しつけではなく、ギブ&テイクなのである。