源究56

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
661 画餅に帰す 9/9 666 親の願い 9/17 671 彼岸会? 9/23
662 盲導犬 9/10 667 逆転の発想 9/18 672 ちょっと 9/24
663 ホームページ 9/12 668 怒れ フクシ 9/18 673 秋の気配 9/26
664 因循姑息 9/13 669 利害調整 9/21 674 活動報告 9/27
665 ノンフィクション 9/15 670 驕慢とは! 9/22 675 お隣さん 9/29
45回身障スポーツ大会
9/9(笠松)

661:画餅に帰す

絵に描いた餅、アイデアを形にすることは何と難しいことだろう。日々変化を繰り返す。弘法大師が何故に四国を歩き回り、土佐の荒海に向かい、座して瞑想に耽ったのか?また、見下ろすと恐ろしい岸壁や岩穴の中で何日も座禅を組んだともいう。1200年の時の流れは、今その地を訪れても当時の面影はない。「現世安穏 後生善処」 法華経を信じることで実現するという信仰。果たして現世において安穏な生活が送れるのだろうか?
 現世を学び(修行)の時と考えれば、一つ一つの苦を多少とも軽減することもできよう。来世にこそ安楽な生活(涅槃)を望み、ひたすらに生きている人達を多く知る。寧ろ今の時代は、死んだ後のことまで誰もわかりゃーしねー、この世で思う存分楽しまにゃーと考える者も実に多い。・・・刹那主義・・・
 尊厳死という事が医療関係者の間で問題になる。日常の医療行為の中で生命維持装置を外すか否かという判断。
実は私にも今、同様の事が起こっている。ある利用者が延命措置を受けて3ヶ月を過ぎ、転院するように言われている。県内にはそのような患者を受け入れる医療機関は3カ所しかない。両親も既に亡くなり、身内は兄弟である。職員は毎日、様子を伺いに病院へ通っている。チューブに繋がれた利用者さんを見ていると複雑な思いになるという。こうやって生かされてどうなるのでしょうか?その問いかけにはっきりと答えることができない。正直、私は事業所(理事長)としての責任を一番大きく感じる。
 食事が喉に詰まって呼吸停止の時間が長かったために脳死の状況になった。もし、家族が学園の責任を訴えれば、逃れることが出来ない事実が存在する。私は今までに同様の事でスタッフに責任を負わせたことは一度なりともない。訴訟になれば私の責任で受ける覚悟は出来ている。
 不思議なもので、一度このような事故が起こるとまた同様の事が起こるような気になってしまう。そう考えると眠れない。
 確率として、利用者の定員が多ければ、事故の発生割合も増える。更に難しくしている事に、利用者の高齢化がある。体力や機能が落ちている。これからもっとそのリスクが増えるだろう。
 画餅には、正と負がある。もしも、負(リスクや苦)が徒労に終わるのであれば大歓迎、だがそれとて一瞬の事。こうやって現場と向かい合い日々戦っている。大多数の施設の実情はこうなのだ。ほんの一部の良からぬ事業所がマスコミで話題にされる。この影響は実はもの凄く大きい。ギリギリの所で耐えているものが、興味本位で報道するからその緊張が切れてしまう。事業所を廃止するまで至った施設はまだ全国で多くはない。しかし、後を続けることを迷い不安を感じている経営者を何人も知っている。また、中途半端に福祉の仕事に見切りを付け辞めてしまう若者が相当数いることも大きな問題だ。仕事の重さからして処遇が低く、将来の生活設計ができないという理由だ。
 画餅の100分の1で満足できれば良しとする状況ではなく、反対に100を120%にすることを要求される。ベストではなくマッチベター。言うは易しである。
 ● 上記スナップは30度を超す炎天下での開会式。全国大会(秋田)の予選会も兼ねる。年々参加者が減ってるという話も耳にした。先ほどドイツの先輩からメールがあった。ドイツは今年消費税を2%あげ、19%になったという。そのことに対する反対はあまり無かったという。それは何故か、上げた分、自分達の社会保障が充実するという信頼があるからだという。
一方 消費税5%の日本、選挙への影響を考えて棚上げされた。選挙で信を問う以前のレベルである。
 

662:盲導犬

身体障害者スポーツ大会の開会式、関係団体の代表が前に並ぶ。(右側)左側には議員の先生達がズラリ。ご本人は4名だけ、残りは秘書の皆さん、県も気をつかうのですね。何故なのでしょう?全員を紹介するから、時間もかかります。心配した通り、式の半ばになって、気分が悪くなって倒れる方も出てきました。いつもの事だそうですが、プラカードを持つVSの学生が一番先にダウン。緊張していたんでしょう。前に並ばされた私も実は寝不足で頭がフラフラ、その時気づいたんです。私の右に並んだのは「ワンちゃん」視覚障害の代表の方の連れている盲導犬。「シット・シット」座れという指示、「アップアップ」立てという指示。ワンちゃんも炎天下の暑さには多少なりともぐったり気味。座るとアンツーカーが暑くなっているから座れない。
 代表の方に声を掛けてみた。「何語で指示するんですか?」「あー私はね茨城弁、ほれ、シット。暑いか?そんじゃーアップだー」その度に、ワンちゃんは立ったり座ったり。今年で7歳になるという。人間では50歳ぐらいという。私の方が年上だ。
 私の団体の関係者は身障療護施設の方達、9カ所の施設のプラカードがあった。参加者は数人で、多くはない。仕方がない。
 裏話を紹介しましょう。在宅の障害者が行事に参加するには大変です。県内各地から集まるのですが、今では全市町村からの参加は無いという。市町村によって、予算が年間5万から100万と格差が大きい。日曜日の行事に職員を派遣できないとバスを出してくれない所もあると言う。朝の9時に集合するには、片道2時間もかかる地域から参加するには無理がある。
 福祉に理解のある首長は協力的、しかし、全てがそうだとは言えないようだ。
 県も市町村に強制的に参加を促すわけにはいかないとのこと。これも三位一体改革のマイナス面であろうか。
 私が知っている方が選手として参加していた。Kちゃんだ。彼女の義理のお母さんの法事が午後有ったはず。
 午後に寺に戻ってから13回忌を行う。「kちゃんは、どうしてますか?」と私が聞いた。「朝、行ってみたらどこかに行ってしまって留守なんですよ」法事に来るはずだったんだろう。「あのー、笠松でKちゃん見かけましたよ。行進してました」
 Kちゃんは私の施設で関わった方、結婚してどうにか自立の生活を始めている。親族との関係を保つには、あまりにも彼女の経験が薄い。義理のお母さんの法事よりもスポーツ大会の参加を優先した彼女の気持ちをどれだけ理解してもらえるだろうか? 余計な事を言ってしまったと多いに反省、しかし、後の祭り。また、Kちゃんに怒られる。「シットだ!」

663:ホームページ

ホームページは事業展開する上で有効なPR手段である。福祉関係者もHPを開設する事業所が増えた。多分、HP作成を請け負う業者が沢山あるし、丸投げして開設した所が多いかもしれない。それは更新日が古い日付のままになっているから直ぐに分かる。実は、その事を一番避けたいと考えていた。SJKネットサービスのHPは私自身が全て自分で初めから作成することにしたのである。作成手引きと睨めっこしながら、分からなくなると私のITのS先生に電話で確認する。その繰り返しを今日まで行っている。だから、見栄えのしない素人作りのHPを飽きもせずに続けている。
 アイデンテイ(Identity)の重要性が言われる。事業所としての独自性や個性的な社風である。どうもHP一つにしてもあっと思わせるものは少ない。格好は良いが中身に欠ける。今何をテーマにどう実践しているかが読めない。
 その反動がモロに出ているのが、私が独り言で書き続けるこのコーナーだ。発信するものがなければならないと考えるから、取り上げる事が広範囲しすぎて纏まりに欠けるという問題もある。理事長一人のパフォーマンス。もっと他の方に任せるべき。自覚はしている。しかし、公式HPというよりは私的HPの色合いが強くて良いと思っている。押し並べて網羅するものは所詮飽きがくるし限界があるものだ。
 今、ちょっとした事で時間が取られている。寺関係の事。私は寺と施設の組織にとても似通った所があると思っている。
 あまり営業的に事業を進めたり政治的な動きをすると批判の的になる。いずれも法人で公益的内容を本来の事業目的にしているからだ。規格化された物をつくるのでは無しに人間相手の仕事で且つ長いスパンでのお付き合いとなる。事業に要する土地建物が個人の物ではなく法人のもの。これが類似点。
 敢えて異なる点を見つけると寺は住職一人で切り盛りしているのが大部分であるということ。だから、寺の評価が即、住職個人の評価となる。しかし、寺そのものは何百年と続いて歴然と存在する。日本のトップ企業が今、戦々恐々としているM&Aなどは寺の世界では殆どない。何故なのか?
それは檀家の存在が機能しているからだと言える。古い檀家さんほど「自分達の寺だから自分達が守る」という意識が強くある。〈企業の株主とは全く違う点〉 住職はある意味では今を担当する留守居役程度に見られている節もある。〈住職が偉いと自分で思うのを実は錯覚という。はい〉
 方や施設はどうかと言えば、利用者が自分達の施設という思いは少ない。不満があれば一緒に変えていこうという話にはなかなか進まないからだ。私の狙いは、実はここに有る。どうすれば自分達の施設という思いに皆がなれるか!
 それには誤解を恐れず、有りの儘の心の内をオープンに先ずしなければいけないと考えた。理事長が一体何を考えているのか分からない状況では探りを入れる位が関の山。
 また、経営の実態を公表する。特に経理面では決算書をHPに最初に載せた。基金はなんの為に必要なのかを機会ある毎に訴える。福祉関連の事業所が寺と根本的に異なるのは、経費の大半が税金(公金)で運営されていること。だから舵取り一つ間違えれば事業廃止という処分は明日にでも起こりうる。そのことを肝に入れておかないと結果として多くの人に多大な迷惑をかけることになる。・・・・・〈福祉関連の不祥事は、99%が公金を私物化した結果からきたものです。はい〉

664:因循姑息

因循姑息な男という者がいる。決断力に欠け、グズグズする奴。世のため人のためと良いながら柳のように右に揺れ左に揺れ動く。何のことは無い、どっちに身を置けば自分の利となるかが唯一の関心事。平時には表に出なくとも乱世になれば言動にミスマッチが出るから恥をさらす結末。「御輿に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」というものがある。これが世の中であろうか。しかし、科学や利便性を追い求めた結果、自分が良ければという事があまりにも多くなりすぎ、バランスが壊れた。陰で故意に糸を引く輩はもっとタチが悪く鎌倉時代の白河上皇の院政亜流が未だ生息している。確かに平時の宴に興じていた時期が長かった末の置き土産。
 残念な事に私の周囲にもその種の人影がどうも見え隠れする。困ったもので、自分の力で偉くなったと思ってしまう者、その者に媚びを売ってなにがしかの糧を得ようと画策する者など困ったものだ。困った困ったのオンパレード。
 私の性分では黙っていられない。腹が立って仕方がない。やはり・・・・・・
 そのような時に安倍総理の突然の辞任騒ぎ、正直私は彼に同情する。もっともっと批判されるべき者は裏にいる。彼がその流れの中で泳ぎ切れなくなった事態が今の状況だ。今まさに溺れようとしている者に手を差し伸べるどころか足蹴りし深みに引きずり込む。恐いというよりも信じられない。これが人間がやることなのか。阿鼻叫喚の巷と化した情景。政治空白を長引かせてはならないという大義で直ぐに次期総裁選びにギアチェンジできる人種も私には理解できない。安倍さんは政治の世界から身を引いた方が良い。(全く私は面識などないが、4大学合Wというものがあって年に一回だが安倍さんの出身校と私の出た大学は合宿を行った。小生4年の時の1年生、何か他人に思えない彼に対してエールを送る一方通行の思いがある)だが、これは自民党だけの問題では決してないと思う。野党と言われる連中にも同様のさぐり合いつぶし合いが常態化している。恐ろしい世界だ。
 「罪のクズ」という話を知っているだろうか?日本では毎日食べ残しの食料が1日に1千万トンも出るという話。これは実に300万人分の食料に匹敵し1日だけでこの日本では破棄されてしまう。これこそ恐ろしい世の中ではないか。地域格差という政争の具は狭い日本の中だけ、世界には飢餓に苦しむ人達がどれだけいるのか正確な数は分からない。政治とカネも大切かもしれない。しかし、これだって事を荒立てて議論する以前の問題。今はむしろ、政治家だけでなく日本人自体が狂ってしまったということに早く気づくべきなのだ。テロ特措法の問題は、党利党略のレベルの問題ではない。如何に日本が世界の中で役割を果たすかという問題。これだけ日本企業が海外に進出し、大儲けしている実態は世界中の人が知っていること。一人勝ちのルールはいつまでも通じない。日本の常識は世界の非常識!世界柔道連盟に日本人の理事が誰もいなくなり、国技と言われる相撲の3役はもはや万博並の国際化。靴裏の土まで入国チェックするタスマニアと同様の鎖国?政策は今の時代受け入れられない。世界遺産を守るという世界に認知されたタスマニアならでの言い分が今の日本にはない。
 昨日は県から6名の方が来られて一般監査(実地検査)があった。こちら側は10名ほどのスタッフが対応し、特に大きな問題はなかったとの講評を頂く。私は何も恐いことなどない。ありのままに見て貰って構わない。非は自らの責任で認めなければならない。
 そうは言ったものの、朝一番に職員を怒鳴りつけた。「箒もってここを掃除しろよ!」それも既に監査班の方が何人か集まり始めた時間にだった。何を感じるかだ?監査を受ける側のせめてもの接待の気持ちと受け止めてくれたスタッフがどれだけいただろう。
所詮 人間 独りぼっち   エーイ  非常ーに  さ び し い 「財津一郎」

665:ノンフィクション

事件の綾・・・・子の親殺し事件を取材し、精神科医師によるカウンセリングの実施記録がノンフィクション作家に渡り、本になって出版された。家族の一変した生活内容まであからさまにされた。遺族であり被害者、そして実の子が加害者であった事件。その作家の主張は知らないが余りにも無神経な行動に思う。
 また、北九州で起こった市職員による飲酒運転で3人の幼子が亡くなった事件で加害者側の弁護士を他の弁護士が訴えた。死刑廃止を掲げる弁護士による法廷での意見陳述。素人の私には何かしっくりしない。
 僧侶である私が死刑という極刑をどう考えるかと問われたらどう答えれば良いだろうか?一瞬思考停止。
 犯罪を裁く制度が2年後に大きく変わる。裁判員制度の導入である。被告には上告する権利がある。しかし結審するまでには長期になる。その間の被害者の地獄の苦しみ。多くの犯罪被害者が一様に言う、思いも寄らず不意に襲われた事件に巻き込まれ、それまでの生活が一変、そして決して心の癒しを得ることがない戦いを一生続けることしか選択肢がない。その悔しさや悲しみを誰に訴えれば良いのか。先ずは加害者に向けられて当然である。その複雑な心境を公にされてしまう。日本ペンクラブが法務省と争う構えを示している。・・・・中断・・・・・
 最近、書店の棚を見るとタイムリーなノンフィクション本が目立つ。少し前には、山本譲司の「累犯障害者」、佐藤優などの暴露本が読者を引きつけた。今、上杉隆の「官邸崩壊」を読んでいる。安倍総理辞任劇の前に出版されてはいるが、まさに筋書き通りになっている。驚きというかこれが永田町の常識なのか。本当に国の為にと思って政界入りした人間がどれだけこの国にはいるのだろうか?スーチン女史の登場(ミャンマーで軟禁されながら非暴力を訴える)は、今の日本に期待するのが筋違いなのか?確かに武器を使っての争いでは無い。しかし、陰湿な相手を陥れるような行為が蔓延している。これを暴力と言わずになんと言うのだろう。
 私は連鎖反応を一番危惧する。永田町や霞ヶ関のルールが日本中に侵攻し、地域の隣同士の助け合いや絆、更に共通の楽しみが無くなり、後に続く子供達に郷土愛すら伝えることができなくなる事態。
 活字離れしているという状況にあっても、この日本で毎日新刊がどれくらい出版されるのだろう!読者の興味を誘う、より過激で話題性の高いものに流れる。司馬遼太郎や藤沢周平の変わらぬ人気は、その流れと対極にある。私はフランス文学を専攻した。卒論にバルザックを選び、訳本と原本を併読。読み続けていると書かれた時代にタイムスリップする喜びを感じた。 もしもだ、今書かれている本が100年後の読者に今の時代をどう感じさせることができるだろう。
 狡猾に立ち回り、相手を騙しても何とも感じない者達が繰り広げる人間模様か!もしそうだったら、長寿日本の長命までもが仇となる。福祉の先駆者糸賀一雄先生は54歳、正岡子規はなんと36歳で亡くなっている。そのような事を感じ、自らの人生を振り返る。いつの間にその年齢に自分がなったということかもしれない。
 

666:親の願い

親の会の行事として昨日は奉仕日であった。30度を超える残暑の中を分かれて清掃などをやってくれた。私は午後1時からの役員会に出席したが、様々な意見が出された。学園側と話をするといつでも我が子の将来の話になる。そこが一番の関心事なのだから当然である。
 今、私達が頭を痛めていることに利用者さんの健康維持のことがある。つい最近も救急車で病院へ運ばれ4日間入院してきた方があった。24時間付きそう事で入院の許可が出た。案の定、点滴などの治療の結果、症状が良くなって元気になり、点滴を抜いてしまった。私も昔は何度も病院で付き添った。一人で対応すると正直トイレにも自分が行けないこともある。幸い今回の方は退院許可が早く出たので助かった。だが、これからは今以上にこのようなケースが増える。その事を役員会の席で正直に話をした。話を聞いてどうにかなると言うわけではない。しかし、せめて共通認識を持って頂きたいという私の本心があった。事故が起こった場合にどうするか?正直毎日何事もなく過ぎて欲しいと願うだけ。
 残念ながら家族の反応は様々、怪我でもしたものなら血相を変えて怒鳴り込まれる事態もある。これは我々の宿命だと自分に言い聞かせてみても何かしっくりしないものがある。
 現在、尚恵学園には24時間預かる方がGHも含めると約140名(80%の方が重度)、在宅支援の対象は登録では50名を優に越す。その対応を限られたスタッフで実施している。世間では3連休とか、私どもでは全く関係のない話。寧ろ一般の方が休みに入れば、余計忙しくなるという状況がある。日中預かり希望者が増えるからだ。
 先日の県の監査で、一つ気になった講評があった。「予算を取って職員に多くの勉強をしてもらうために研修に出して欲しい。利用者さんは・・・・・・・」 監査員が帰ってから、直ぐに講評の真意を職員に確認した。すると「あれは一般的な県の要望で、どこでも同じ内容の事を話して行かれるようです」という話だった。
 私の性格で、カチンときた。今でも出来る限り職員の研修には出しているつもりだ。何と比較して監査員は言ったのだろうか。もっと出せば良いということなのか?
 24時間体制の施設では、正直研修に出せる余裕がない。その実態を監査していくべきだろう。
 まーこれぐらいにしておこう。
 親の願いと施設の願い。  しかし、忘れてならないのは実は利用者(本人)の願い。
休日の朝
自分の外出用の靴を一人で洗うSさん。
支援者は、この情景から何を感じ取れるか?
この感性が大切だと思います

667;逆転の発想

麻生:福田の両氏が一緒に総裁選地方遊説。ここまで国民を愚弄した永田町の人倫のみち。裏に某かの戦略を感じせしめる。街頭演説、折からの強風に薄くなった髪を靡かせ、穏やかな口調で真摯?に話しかける。一方、いかにもやんちゃなお坊ちゃまがそのまま大人になったような麻生氏が彼独特のめりはり?のある論戦を挑む。 この姿を民主党の小沢氏はどう感じているか? 多分、彼は本心を言うことはないが、表情から伺うに、安倍さんの失態?を上手く利用され地団駄を踏んでいるに違いない。高松での演説風景がテレビ画面に出た。当に参議院選挙とは逆の展開がそこには見られる。観衆がわんさと集まり、大フィーバー。特にギャル達が携帯カメラを候補者に向ける姿は、小泉旋風とは違った盛り上がりを感じる。
 なんて事はない。前回の参議院選挙の大敗を教訓に民主党の取った戦略を自民党が上手く利用しているだけだ。なにせ政党が掲げるマニフェストなるものは一般の国民にはどこがどう違うか分からないのだから。国民も怒っている。郵政民営化や年金問題は確かに論点を絞るのには効果はあった、しかし、外交問題や財政問題は国の基本姿勢にかかわる重要事項。小沢氏の先の米国大使との遣り取りは現実に即して考えると断言して果たして良かったのかという疑問が残る。
 国の繁栄は、どうあるべきか?政治とカネで大臣がコロコロ変わった。これは国会という場で論議される以前の低レベルの話。あまり触れたくないが民主党で当選したなんとかパパはどうなったの?政権政党ならばまさに民主党が言う代表の指名責任が問われて然るべき。民意は政権政党の有無に関係ない。いつの間にか話題性があまりにも低いのでマスコミもそっぽを向いた。
 そりゃー何枚もカードを持っているでしょう。でなければあれだけ次から次へ出てくる筈はない。
 次は、どのカードを切ってやろうかなーってか。でも 熟慮しなさいよ。自らの墓穴を掘るはめになるかもしれんから。
 

668:怒れ フクシ

憤死 悔い無し! ここ数日、最高潮にヒートアップ。寺の事で火がついたら、施設の方まで飛び火。世界中で山火事が起きている。これは異常気象による乾燥が原因。私の場合はちょっと違う。世の中が心を乱すことばかり。全く誰にその鬱憤を晴らせば良いのか。私の体から殺気が出ている。私の良きパートナー(ネコ)のハナまでも私に近寄ろうとしない。遠回しで餌を要求する。「お前にエサをあげないことが有ったかよ?ようハナ聞いてくれよ。憤死するってこんなことだよな・・」「ニャー・・・・」「なんとか言えよ」「ウニャー・・・・」  ダメだこりゃー。
 今日は私の寮のお楽しみ外出で、ホテルニュー岡部に泊まりに行っている。今頃、宴会やっているころかなー?大きな浴衣を引きずって、そうか。随分俺は利用者さんと一緒に旅行に行ったことがないなー。
 本日、労働局と共催で障害者就労セミナーをやった。前半のリスクマネージメントに感心があったのだろうか大勢の施設長が参加してくれた。
 後半の労働局の講習には何かズレを正直感じた。ハローワークの在り方に元々疑問を持っていたからだろうか、何かお金をかける割には現場の役にはあまり立っていないという印象。ジョブコーチについても然り、一体一人の為に何人のジョブコーチを付けるのか?それよりも基本的におかしいのは、ハローワークの窓口を通さないと適用しない今の制度に疑問。事業所が直接採用した障害者はカウントしてくれないんですよ。先ず関所を通って通行手形を見せないといけない。これって制度の悪用を避けるため???最初から相手を疑ってかかる。これがおかしいと思う。少なくともヨーロッパの制度は障害者自身の主体的な選択を尊重、関所を通ろうが通るまいがその事で差はつけない。
 お役所的というか、自分達の実績を数字で出したいというのが見えてくる。障害者の法定雇用率など一番良い例だ。1.8%のハードルを越せば済むという話ではない。
 まだまだ待ちの行政。企業には雇用率をクリアーできなければペナルテイを与える。これって可笑しいでしょう。
 茨城県は雇用率は全国でビリから何番目。これは自分達の怠慢でないの?これこそペナルテイでしょう。公金を使って給料もらって、必死に企業の生き残りに奔走する事業所から有無を言わさず罰金徴収(障害者雇用納付金)。何か江戸時代の年貢取りを彷彿させる。・・・・代官さま おいらを そんなに意地めんでくれー。頼む。・・・  今日は時間が無かったのでいつものような意地悪な質問はしなかった。でも、本当は一番そこが言いたかった。
 答えは決まっている。制度がそうなっているからでしょうね。
 怒れ フクシ 憤死を恐れず お前の人生 悔い無し 誰かは分かってくれる。 南無大師へんじょう金剛。
  ハナには内緒で 我が家にもう一ネコ 補強しようかと熟慮中。これ ホンネ。

669:利害調整

高速でラジオを聞いていたら、興味のある番組だった。お腹に赤ちゃんがいたのに離婚され、その後一児を抱え、様々な職業につきながら23回司法試験に挑戦し59歳で見事合格したという女性の話。途中から聞いたので最初の頃の内容は分からない。しかし、視聴者からの反応はすごかった。勇気を頂いた。感動した。。。。。云々。
 淡々と話されるその方の人生は多分想像を絶することだろう。何度も挫折し、諦めようとした時に一人息子の「お母さん 
やりたいんでしょう。やれば」という言葉でまた奮起したという。その方が法は利害調整だという話をされた。お互いの言い分を裁判で調整する役目。多分、弁護士でも異質な存在なのだろうが、他の弁護士が断った事件を引き受けるという。これだってなかなか出来ないことである。お金になる弁護というのが有るのかどうかしらない。
 今の日本で一番問われている事が彼女の生き方から感じ取れる。なんの為に政治家になったのか?なんの為に警察官になったのか?なんの為に教師になったのか? あまりにも理解に苦しむ不祥事や事件が多すぎる世の中だから。
 利害調整という役割は、実は福祉の現場でも毎日繰り広げられている。利用者の苦手とする所に手を差し伸べる。これが福祉の原点である。現実は支援する側の理屈で事が運ばれることが多い。
 今、全てに置いて何でも有りの状況がある。調整機能が働かない。有ったとしても形骸化している。
 それは一体何が原因しているのかと考えた。他の業種には経験もないので分からない。しかし、福祉や寺の世界は大体把握している。福祉と寺の大きな違いはさて何でしょう??
 それはサービスの対象者が生きているか死んでいるかの違い。実はこれは決定的な違いなんですね。住職のお経が長いとか説教がヘタだという不満は有っても、裁判所に訴える人はいない。当然、亡くなった人が急に起きあがって「訴えてやるー」なんてこともない。有難いというか何というか。私はその2足の草鞋をはく。
 最近ボケが出てきたのか、ホテルを借りて利用者さんと新年会などをやると、「この斎場は設備がいいなー」なんて言ってしまう。つい最近の祝賀会の席で、司会者から「住田さん、これなんて読むんですか」と聞かれ、「うーん、この弔電かー・・」と言ってしまった。
 利害調整は仏教で言う「中道」に通じるんだと思う。 
さーて今日も片方に白足袋、片方に靴下履いて出かけっぺー!20日は秋彼岸入り。

670:驕慢とは!

「驕慢」・・・「驕」は自分の事を自ら誇ること。「慢」は他と比較して自らを誇ること。
 我慢という言葉は、仏教では4根本煩悩の一つだが、いつの頃か「我慢する」などと寧ろ良い意味で使われるようになった。本来の言葉の意味は時代とともに大きく変わるものである。興教大師の書かれた懺悔の文にも驕慢という事を僧侶の戒めとして説いている。だが、生きていくという事は実は大変なことである。正義感が強いものは、世の中の不正に形振り構わず怒りをあらわす。私はどちらかと言えば、そんな人に親しみを感じる。影で画策する輩を極端に嫌う性分はどうして身に付いたのだろう? 最近、頻繁に感じる。「余裕がないんだよ。」こう自分を客観視するもう一人の自分がいる。
 断言はできない。しかし、私の性分は多分、小学生から中学生時代に醸成され身に付いてしまったようだ。  中断
 さて、マス・メデイアの責任を問いたい。全国紙と言われる新聞にどうも疑問を感じる。記事の内容に意図的なものを感じる。世論を誘導するかのごとき論調。また、雑誌も同じ、今、福田さんや麻生さんのパッシングが激しい、女性関係や蓄財の暴露など、どうして一国の総理になろうとする人達を誹謗中傷するのか。誰が記事を書いているのか、センスを疑う。自らの事は棚に上げて、貴方は自分の生き様に嫌気をささないのだろうか?と問いたい。もし、これらの報道を敵陣の大将小沢さんは喜んでいるのであろうか?
 そうでは無いはずだ。政治家の本分はマツリゴトを治めること、下ネタに一喜一憂しているはずがないだろう。彼自身も嘗てはパッシングにあっている。
 世を憂い悲しむことは誰にでも出来ること、それをどうすれば皆が住みやすい国を作ることができるのか。規範法則が無い時代に何が悪い、ここがダメだという他を攻める議論はもうやめようよ。当為の法則が個人の自由というロジックに消されてしまった今だからこそ、先ず自らの足元から謙虚に反省すべきなのだ。
 人間は努力する限り 迷うものだ・・・・と言ったゲーテは、一生をかけ自ら悩み迷って真理を追い求めた。先ず自らが先なのである。
 この章を中断した訳は、ある利用者さんが体調を悪くし、寮から呼び出しがあったから。1週間前に退院したばかりの彼は私と40年以上の付き合い。私が行くと布団に体を横たえて休んでいた。今日も今から点滴に病院へ行く予定だった。
 この現実から逃げることはできない。真っ向から立ち向かうしか方法はないのだ。本来ならば入院を継続するべき体調なのかもしれない。同じ人間に生まれ、安倍さんには同情しているが、彼は完全看護付きのビップルームで入院している。
 此岸でのこの格差は、利用者さんの責任で無いことは明確。 美しい日本を掲げた安倍さん、本当は誰にでも優しい日本を目指していたんだと思っている。彼岸の中日を明日に控え、胸中は穏やかでない。

671:彼岸とは?

23日は秋の彼岸中日(秋分の日)、前後の7日間(20日彼岸入り・26日明け)。彼岸は悟りを得た西方浄土、迷いの世界は此岸(しがん)常日頃、忙しさに追われ、自分自身の仏心を見つめることが出来ない我々が7日間善事を行い先祖への報恩感謝を表すもの。
 私が昔から依頼されている土浦市の調理師組合からの魚霊祭(供養)は運動公園の包丁塚の前で行う。毎年、秋の彼岸中日である。供養の後、放生供養、これは生きた魚を霞ヶ浦に放す。魚を調理することを生業とする調理師さんの感謝の気持ち。盆月から1ヶ月経った9月に彼岸会、お寺さんは忙しい。暑さ寒さも彼岸までとは昔の話、どうも今年の天候は異常である。だが本当に今年だけなのだろうか?お年寄りや体が弱い人には今の時期、疲れがどっと出てくる時期だ。
 学園の利用者さんもここに来て体調を崩すものが目立つ。150床の病院みたいな状況が毎日起こっている。42度の高熱を出し、救急外来にて処置してもらったSさんは熱が下がった翌朝、グランドに出ていつものように石拾いを行っていた。
 福祉事業所に対する世間の目は厳しさを増す。それだけの不祥事を行っていた事実が報道されたから仕様がない。
 だが、それはほんの一部の不届き者(事業者)が原因。介護報酬の不正請求がやたら目立つ。医療機関の年間倒産も全国では増加しているそうだ。経営能力のない医者は病院経営はできない時代になったという。その結果、病院のM&Aやコンサルが急成長。大手の事業所の傘下に入る事態になっている。地元土浦でも昔開業していた病院が閉鎖されたところが何カ所かある。
 障害者自立支援法の立派なお題目の下で相当数の事業所が苦しんでいる。先ほどの利用者が体調を崩した場合一つみても理解できる。通所施設の場合は、定員の7割程度の実質利用率の所もある。当日、休みの連絡が入るわけだ。そうなると3割の経費が今度は入らなくなる。職員は年間を通じ、採用しているから経営を圧迫する。入所施設の場合は、利用者さんが入院した場合、1ヶ月に微々たる経費(6日間)がいただけるがそれも3ヶ月だけ。長期に入院がなった場合の保障はない。付き添いが最低条件の場合は最悪だ。尚恵学園は100名中96名が重度判定を受けている。一人で入院できない人達が大半だ。
 これから高齢化が進む。 当に迷いいっぱいの此岸だ。
 しかし、こんな話もある。施設を利用している人はまだ良い。在宅の障害者には全くお粗末なサービスしか用意がない。
 入院の事態になれば、全てが家族の負担となるのが今の在宅福祉の実態。
 さーてどうするか! 福田さんでも麻生さんでもどっちでも良いよ。もしそれがダメなら小沢さんでもいいじゃない。これが正直な民意だわな。特定の政党を支持することで某の恩恵を得られる時代は過去のこと。政治とカネの根本問題はそこにあるんだ。
 これが否定できない理由だと思うんだがなー。何故、いつも言いたいことがこうなるのだろう。どなたか違う考えを持つ方いませんかね。
  実は理由は分かっているんです。抱えすぎ着すぎという事。身の程知らずという事。自分の背丈に応じた役回りで良いんだよ。余計な事を考えるから それ!見たことか。

672:ちょっと

休日アラカルト。
 頭をツルツルに剃ったH君、愛車(自転車)に釣り竿3本と道具を載せて土浦ドッグまで今日も釣りに出かけた。彼は一週間前炎天下に釣りに出かけ熱中症になって自分の携帯から救急車を呼び病院で点滴、その時に学園に電話が入った。
 毎朝、お墓参りのWさん。ここだけの話、彼はお墓にあげられているものを失敬する。腹は壊さない。強いんだなー。
 「ちょっくら 行ってくっからよ」とほろ酔い加減のNさん。今日は1000円貰えない。私に1000円貸してくれと哀願、1000円あれば電車で水戸まで行けることは承知の助。帰りは、酔っぱらってへべれけになり、鉄道公安室に逃げ込む。するとお決まりの電話、Nさんが今日も来てますよってことになる。今日はダメだった。悲しそうな顔をした。
 休日の昼時は、GHで生活している仲間達が銘々集まってくる。自分で食事ができる人は来ない。自分で作れない連中が食事に学園に集まるのだ。石屋のM君、「なんでーいつもいねーんだよ。ブクシ。母ちゃん 元気だ。社長も元気」これがいつもの私との挨拶。めいっぱい力を込めて抱きつかれる。
 今朝、Mさんが私に寄ってきた。「ウー あったーりょこう」 私 「どこにいくんだよ」 M  「しんねー」
 通訳します。「お早う。明日 俺は旅行に行くんだ」「どこに行くの?」「知らない」 
 園長室で新聞を読んでいたら、Yさんが後ろに立っていた。ビックリしたなーもう。彼女は私が飲んでいたお茶を無言で横取りして飲んで出て行った。その間1分。体の割には素早い動き。このー礼儀知らず。
 これが今朝の出会い。
 いいなー。 党の三役がどうのこうの 巷の関心事など 全く関係無い世界。 もしも、何も考えず仲間達と一緒に生活ができたらどんなにか良いだろう。
 衣も脱ぎ捨て、園長、理事長 全ての肩書き放り投げ、仲間と生きられたら どんなにかスッキリするだろう。
 * メールで”共感”ってどんなことでしょうか?と尋ねられた。
   上手く説明できないけど、多分、このような生活の継続だと思うのです。残念なんですが、瞬時でしか無い現実は正直認めなければなりません。それから、言葉を話せない仲間、自分で歩けない仲間、彼らの思いを受け止めることはもっともっと難しい。尚恵学園はそのような仲間がとても多く生活しているのです。答えになっていませんね。
 今を生きるということ。
 「生老病死」四苦の解釈は今ズレていると思います。老や病そして死までも現代は見えなくしています。親は子に勉強しなさい。立派に生きなさいとばかり、将来への担保を突きつける。教育現場は荒んでいる。「私達の命にまで○×を付けないで下さい」と小三の子供が言ったという。果たして命の○は何を根拠に決められるのか?
 福祉は今をどう生きるかを大原則に考えるもの。利潤追求の裏に一人一人の生きることの価値が見えなくなった。
 そこに気づいていながら自分だけは大丈夫と勘違い。・・ガン告知 新たな人生のヨーイドン・・・・老や病は誰しも避けては通れない。それを何故隠す必要があるのだろう。・・・必要以上のセレモニー 請求額に酔いも醒め・・・
 本当に別れを惜しむ人達だけの最後の宴で 送られることが 本当は大切だと思う。
 (参考:こもれび舎:栖雲幸雄氏談NHK深夜便)
 

673:秋の気配

いつものように日光光徳小屋から数枚のスナップがメールで届いた。上記の写真は中禅寺湖、水面から立ち上がる霧に目映いばかりの大陽、青空そして秋の雲。あの学生時代に戻ることはできない。今でも仲間を誘い、山歩きをする先輩、「住田は元々山は好きでなかったからなー。写真だけでも送ってやるか!」実はこの心配りが無性に嬉しい。
 自然と触れ合う余裕などなく、ただガムシャラニ目先の事を追いかける。自分が何かに飢えた虎(ネコかもしれない)のようだ。「住田さん、怒るときは怒れ!」と励ましてくれた先輩。どうも最近は怒りっぱなしの自分を感じる。
 昨日のテレビで面白いものをやっていた。11人の子供達、一番小さい子は3つ子、お母さんはその3つ子を連れて出て行ってしまった。奄美に残り、当時1歳から年子で8人を接骨医院をやりながら子育て奮戦の父・清志さん。生後7ヶ月で母親が出て行ってしまったトトちゃんは母さんの顔をしらない。それでもたくましく生きる家族。離婚した母と末の三つ子が突如奄美にやってくる。そこからこの番組は始まる。今時、8人の子を男一人自らの手で育てようとする清志さん、逞しさ以上(ビッグダデイというタイトル)に親子とは何かを考えさせられる番組だった。島の人達の支えがあって生活ができる。その事を一番理解しているのは8人の子の親である清志さん、そしてその子供達だ。そこに、ノウテンキ?の母親が3つ子を連れて名古屋から舞い戻る。その間6年の空白があった。母親も頑張り者、朝から晩まで一人新聞配達で働き5歳まで一人で3つ子を育てた。これからこの合計13人の家族はどうなっていくのか。
 親子を巡る様々な事件、短絡的に自死を選んでしまう人達、地域で生きることが苦手になった日本人にとって何か大切な事を教えてくれる。
 マスコミに登場する評論家、無責任な言動に視聴者は振り回され、何を信じれば良いのか分からない。
 清志さんは良く一人で釣りに出かける。8人の子供達の食膳を飾るオカズを取るためと彼は言うが、多分静かに自分を見つめる時間が欲しいのだ。彼は42歳私の年齢と比べればまだまだ若い、何か彼から勇気をもらった思いを今している。
 ダメということははっきりと筋を通す。その時は相手がどう受け止めようが、後でその真意が分かってくれれば良い。清志さんの生き様だ。
 自分の周りにも、同じような事が頻繁に起こる。
 この家族を支えるものは一体何なのか? そう思った時、家族の人間愛や絆は勿論のこと、それともう一つ暖かく包み込む奄美の自然があることが分かった。
 「美しい日本」などと敢えて言わなくとも、四季があり、緑豊かな国は、眼前に歴として存在する。自然が与えてくれる掛け替えのない恵に、そこに住む人間の奢り高ぶった思いが充満する状況が今の日本かもしれない。そう思うと、時間の流れと自分の人生が肩肘をはらなくても良いじゃないかと気づかせてくれる。漸く秋の気配を感じ始めた今日この頃である。

674:活動報告

 10月に入ると次年度の予算絡みの活動が活発になる。実際はそれ以前に調整が進み、骨子は出来てしまう。我々がどの時期に関わるかと言えば、6月に各会員に予対よりアンケート(要望)をとりまとめる時である。しかし、正直言ってここ10年ぐらい決して活発な活動とは言えない。茨城県の場合は県社会福祉協議会の中に予算対策委員会があり、関連団体がそれぞれ要望を取りまとめて所管課と調整する。最終的には小冊子にして、県知事に直接要望を行っている。
 本日、障害福祉課とのヒアリングがあった。 
 財政厳しい時期故に今年度並みの予算獲得は難しい状況だ。終わってから土浦に戻り、電車に乗り換え幕張に向かった。関東地区代表者会議が2日間に渡り開催されている。夜の懇親会にどうにか間に合う時間だった。しかし、何が起こるか分からない。東京駅より京葉線に乗る手はずだった。夕方、人身事故があったようで電車が動いていない。やっと動き始めると丁度帰宅ラッシュ、大混雑だ。どうにか海浜幕張まで辿り着く頃には、グッタリ疲れてしまった。もう宴会は終わった時間、部屋に入り、そのままキューバタン眠ってしまった。翌日は会長会議、各県の近況報告と協会に対する意見。様々な意見が出る。昨夜は3次会まで盛り上がったようで、皆さん目が虚ろ。私だけ蚊帳の外。先行き不透明感が強い。情報だけが一人歩き疑心暗鬼の体。結論の出ない話を持ち帰る空しさよ。帰路は京葉線は避け、武蔵野線で三回乗り換えて土浦に戻る。
 話題に出た内容は@協会活動の総括がない。特に政治連盟や矢継ぎ早に出されるアンケートや陳情書の類。それがどう活用され結果どうなったかの報告がない。だが専門委員に選ばれた人は涙ぐましい努力をしている。むしろ同情したい。障害認定一つにしても3人の学者を動員して翻訳、その版権取得のメドがたたない実態。努力が報われない、担当者の嘆きをどう地元に戻り会員に報告すればよいのだろう。A新法の抜本的見直しが有るのか無いのか。法改正の動きの中で主に利用者負担の軽減措置などマスコミが取り上げた。だが我々事業所からの改善要望については以前として不透明。B人材確保が深刻。何らかの対策を講じなければという共通の話もあった。
 実は今日は他にいくつもの行事が重なった。茨城ゴルフでのシニアーオープンゴルフでの招待イベント多くの仲間が楽しんだ、テレビやラジオで取り上げられ盛り上がったようだ。それから会議が二つ、県育成会の理事会、土浦市の民生委員推薦会、全てキャンセルして千葉まで行ったのに、どうも帰りの手提げカバンが非常に重かった。
 携帯の留守デンを開くと、昨夜、何通も入っていた。「住田さーん。今、どこにいますかー?。2次会は3階の・・・でやってまーす」だと。このー暇人が。ああーあだ。わたしゃーね孤独が好きなんだよ。

675:お隣さん

危ねーあぶねー!何がだ? いろいろだー。
 2日前の京葉線での事故、詳しい状況は知らないが、ラッシュ時にぶつかった為に大混乱になった。私は偶然、その電車の中にいたから一部始終分かる。先ず、多くの人への影響が大。電車の中には赤ちゃんをベビーカーに乗せていた方もいた。電車が駅に着くと、降りる人の何倍もの客が乗り込む。昔学生の頃、山手線で経験はしたが、その現象が近郊の都市まで広がっている。恐ろしいのは、乗客の大半が「またか」と言った捉え方で平然と文庫本を読みながら乗り込んでくる人もいる。事故など覚悟の上といった感じでマヒしているんだ。
 田舎暮らしをしていると都会での利便性の落とし穴が見えてくる。大惨事は常にお隣に存在する。今でも高層マンションが建てられている。確かに通勤時間を考えるとそうなるのも仕方がないのか。
 落とし穴ついでに、政治とカネに纏わる事。どうして大臣になると急に周辺が慌ただしくなるのか分からない。今まで本当に分からなかったのかどうか。むしろ、今がチャンスとばかりに内部からの情報流出(告発)が実態じゃないのー?そう考えないと辻褄が合いませんね、これだけ続くと。身近にこそ落とし穴があると言うことでしょうか。
 それから、利権絡みの事件が絶えないのは何故?どうして?
 ミャンマーでの事件報道、50歳の記者が銃弾にあたり亡くなった。危ない取材は、自社の社員でなく、長井さんみたいなフリーカメラマンに委託するのが殆どだという。昔名でビルマ、日本には関係が深い国だ。仏教徒が人口の90%を占める。今回の事件は軍事政権への不満が民衆から沸き起こったもの。僧侶が見るに見かねて立ち上がった。非暴力が本来の仏教の教え、それを犯してまでデモを先導したとは考えられない。軍の幹部と企業との癒着は相当進んでいるという。当に利権地帯、今の軍政が変わるとまずい者達がいるのも事実。仏教国のミャンマーでも実態はこうだ。隣国の思惑もあり、自国民だけでの改革は非常に難しい。その実態を暴く、誰もいかなければ自分が行くと入国3日目の悲劇だった。
 日本の僧侶はどうか?ある意味では平和で経済繁栄の日本の中では目立った活動の場は正直ない。
 これもマヒの前兆である。歴史を辿れば、確かに一揆などが頻発した時代には僧侶が社会を動かす原動力になったこともあった。それらの動きは表に出たことで誰もが分かる事実。私が今深刻に思うことは、一部の者或いは地域の問題という意識が蔓延している事と問題が表に出ることが無くなり見えにくくしている世の中の在り方である。
 福祉の業界も同様、理念無き者が福祉は美味い仕事だと勘違い、自分達の利になる政党や官僚に恥も外聞もなくまとわりつく実態だ。昨日まで支援した政党を一夜の中に鞍替える身の素速さよ!
 お隣さんに恵まれないと大変なことになるかもしれない。嫌だ嫌だ。