源究78

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
1071 笠間散策 2/12 1076 自殺問題 2/18 1081 もしも 2/23 1086 判断 2/28
1072 一括売却 2/13 1077 チェンジ 2/19 1082 Departures 2/24 1087 弥生 3/1
1073 やじ馬 2/14 1078 国体は如何に 2/20 1083 暴露本 2/25 1088 適職として 3/2
1074 家族会 2/16 1079 できる自分 2/21 1084 ほのぼのと 2/26 1089 施設の役目 3/3
1075 S and B 2/17 1080 fell asleep 2/22 1085 燃焼できるか 2/27 1090 砂上楼閣 3/5

1071:笠間散策

北関東自動車道路が東北自動車道と繋がり、栃木とのアクセスが良くなった。友部から分かれ最初のインターチェンジで降りると笠間に出る。土浦から30分ちょっと。昨日は笠間の仲間の施設に立ち寄り、焼き物を見てきた。今度、辞める理事さんへの記念になればと思い、花瓶をもとめることにした。
 知人の店に案内され、とても奇麗な店で多くの作家の展示がされている。今風のデザインやユニークなもの、見ていて飽きない。聞く所によれば笠間市だけで300軒以上の焼き物屋があるという。店は持たず製作だけをしている人も含めてだと思う。
 笠間に久し振りに行った。個性的な店が多いのには正直驚いた。信楽や隣の益子とは街並みは違う。
住宅地の中にレストランや展示場があるからアンバランスな感じがした。そこがまた観光地化していなくて良いのかもしれない。
 昼時だったので道路沿いのシャレたレストランに入る。店構えは鎌倉か信濃路にある店のようだった。祝日だったので結構、客が入っていたが、どうもイマイチと感じてしまった。
 メニューを渡されたが注文すると品切れのものがあった。まだ昼の12時なのに、それから食べ物が出来るのが時間がかかり過ぎ、何度も水のサービスを受け、その都度、お待たせしてすみませんと言い訳を聞く。
 厨房を覗くと一人のシェフが奮闘している。他の客も同様の印象をもっている様子ありあり。
これにもまたアンバランスを感じた。高速が繋がり、県外の客も増えているのだろう。客の対応にてんてこ舞いだ。食事を終え、外に出ると「アルバイト募集」の張り紙が直ぐに目についた。
 都会で修行して田舎に店を出す人が増えている。店のデザインはプロがいくらでも考え作ってくれる。
 メニューも修行してくれば同じものはつくれる。・・・・が、客のニーズに答えること、これがもっとも重要なこと。この辺がちぐはぐでは二度と来ない。
 競争の社会は、常に状況へのいち早い対応が必要となる。福祉に関しても同じアンバランスの状況がある。素晴らしい設備を誇る。だが看板通りのサービスが提供されているかと言えばそうではあるまい。
 できない理由が山積み。これが実態である。
 できない理由は何がどうなっているからなのか?他人ごとにしていないだろうか?
 いま、次年度の計画を作っている。反省しきり、どこから手を付ければよいのやら。
 問題の共有などと言ってみても、実際に改善されなければ意味がない。そこにリーダーの存在が重要となるわけだが、果たして私ができるかどうか。
 焼き物を見ていた時に携帯に電話が入った。メンバーさんが指を骨折したという連絡だった。

1072:一括売却

かんぽの宿全国70施設をオリックスに一括して109億円で売却を決めた事が大きな問題となっている。今の自民党でどれだけ真相を究明できるか?静かに見守っている。契約までの経緯が不透明だということだが、我々が何らかの契約をする場合には100万以上は入札が義務付けられている。金額の問題ではなく公金だから透明性を第1という考え方。それが今回の日本郵政の取った行為は、どのような説明があっても不信感を拭い去ることは難しい。国会での西川社長への質問、なんとなく歯切れが悪かった。 かんぽの宿には正規パート併せ全国で3200名の社員がいる。憶測であるが、売却の条件にそれら社員の継続雇用があっただろうと思う。もしそうならば我々には納得できない。指定管理者制度により、社会福祉法人が主に公立施設の運営を引き受けている。そこでは職員の雇用の継続は条件にはない。
 どうも国のやることはチグハグだ。
 年金問題から郵政民営化と仕掛けた張本人は、次回は出馬せず政界から引退表明、その地盤は息子に譲るという。そして昨日の話、麻生さんへの痛烈な皮肉発言。確かに今の総理の言動には大いに問題有り、だがアンタに言われたくないというのが本心だ。
 どうも掻き回すだけかきまわし後は知らんぷり、これが長年政権を担ってきた自民党の実態なのか?
 ならばそれに替わる政党があるのでしょうか? なんどもこのコーナーで鬱憤を晴らしてきたが、所詮独り言。今の民主党で自民党と無関係な方が一体どれだけいるのですか?特に中枢にいらっしゃる人たちの中に。討論を聞いているとゲーム感覚があるとしか言えない。多分どことくっ付いたらよかっぺーで料亭密談が大流行りじゃーないだろか・
 この実態が政治への不信と混乱の一番の原因だ。不透明そのものじゃないか。この国に愛想を尽かし逃げ出したいよ全く。
 実は、昨日消防署に行ってきました。その理由は消防設備の件で、なぜ細切れに国は通知を出してくるのでしょうか?それも各省間での整合性が無く。建築法・消防法・自立支援法・・・・を根拠に我我を責め立てる。そんな簡単に聞ける話じゃーないだろうと言いたい。スプリンクラーの義務設置とか代替え設備で良いとか悪いとか振り回されている。何しろひとつの施設に設備するだけでも数千万の費用がかかる。うちは3施設につけるとなると一体いくらになりますか!
 消防の担当者も頭を抱えていた別に担当者を責めても仕様がない。
 これも場当たり的対応の弊害だ。GHでの火災事故があり、国は急に施設への消防設備基準を変えた。これって業者との癒着構造はないのですかと勘繰りたくなる。
 どうも政策の一貫性欠如と政治家&官僚の癒着構造は根が深い。果たしてそれを壊すことができますかね。小手先だけの改革論議に癖癖しています。あまり怒ると長生きできないような事が、先の山本七平氏の本に書かれてあった。憤死・・・・。

1073:やじ馬

世の中が挙って”やじ馬”と化した。何しろ小泉さんと麻生さんの郵政民営化不協和音は見苦しい。ね・・そう思いますよね。別に同調を求めなくてもよいのですが。
 小泉さんが絶好調?の頃、ブッシュさんとキャッチボールやったりプレスリーのマネしたり、はしゃぎ過ぎでしたよね。いま、どうですかアメリカからブッシュさんのニュースは全く影を潜めちゃって。ところがです、日本の元首相は引退表明してから、また動き出しはじめるなんて、なんですか、この大切な時期にロシアですか?一体何しにいくんですか?ODAとかでまた持参金でもばらまいてくるんじゃないでしょうね。
 私はダメとなったらもうダメなんです。彼の言動はまさに”やじ馬”。
彼は自民党をぶっつぶすと言ってトップに就いた。もし、今の演技が彼のシナリオ通りならばどうだろう。
 でも、辻褄合わないよな、息子を自民党から出すんでわな。
*≪自分に関係のない事を人の後についてわけもなく騒ぎ回ること、また、そういう人≫広辞苑。
 ヒラリーが16日に来日するという、小沢さんは会わないとか?何で会わないの?彼特有の”黙して語らず”戦法か、この国は”やじ馬”と”寡黙”のリーダーの鍔迫り合い。世界の目からどう映りますか。
なぜでしょう。こうやって懲りもせず文句を言う私は、大分性格が歪んでしまった。そう感じています。
 実は昨日法人の人事発表をしました。80名程の人数ですから然程苦労はしない。でもね、本人にとっては一大事、個人面接は大分前にやったのですが、世の中がもの凄い勢いで変わっていますからどうかね。辞めたくなっちゃわないかな・・・。
 障害者自立支援法だけを取って見ても次年度の関係予算(案)がまた変わるのでしょう。要望があって変わったのか?ただ、いつGOサインが出るのかそれが分からない。だってそうでしょう。国会がご覧のとおりですから、(案)がいつになったら取れるのか!人の手立てはとっくにしました、今更無くなったとは言わんでしょうな。この不信感が人間性を歪にする。
 それからです。新潟県泉田知事にエールを送りたい。北陸新幹線の地元負担を拒否、地方がモノ言うべき時代になった象徴。その論法でいきますから、我々事業者もモノを言うべきなんですね。そして家族も言いたい事を言ってください。陰でコチョコチョはダメダメ。
 事業者間の競争を国は狙ったようですが、これではダメなんですよ。業者談合が無くならんし不祥事が続出するでしょうが、全くかんぽの宿問題と同じ手法しか考えが浮かばない人達だ。
 私の考えは決まっています。福祉は国の責任で行うべき、そして財源は消費税アップで目的税とするべきだ。民主党の無駄を省けの主張も分かります。でもいつまで持ちますかね。無駄を省いてから再度考えるというのでは、国として明確な方向が出ないのではありませんか?
 消費税を上げ、並行して無駄を省く事です。そして、今回のかんぽの宿やグリーンヒルの無駄は、当事者責任を追及するべきです。もし、高額な退職金を手にしていたり、天下り先で理事長とか会長職で胡坐をかいている人がおれば、没収すべきです。さて、民主党にそれだけの覚悟がありますか、そのことをはっきりと国民に約束すべきです。これが”Change"です。私は今の民主党の執行部にこの点の確信がないと見ていますから、強かな官僚に押し切られるんじゃないでしょうか。
以上”やじ馬”の独り言でありました。小沢さんでも麻生さんでも良いからしっかりしてくださいよ。
 ここだけの話を一つ、首相になってもらいたい人、東大姜尚中教授ということをちょっと耳にしたんだけど。その辺のチェンジが必要かもね。

1074:家族会

法人の家族会があった。80名ほど保護者が集まる。最初に私から障害福祉の動向及び法人の抱える課題について話をした。いま目まぐるしく変わる制度を逐一時間の流れに沿って説明することは至難の業である。
 特に施設利用が長期に渡る家族は、我々施設に任せっきりという感じは否めない。
 何しろ40年以上も生活を共にしていない方が結構数いるからだ。そこで障害程度区分が3以下の場合は入所施設を出なければならないと説明しても、”なに言ってんだ?そんなことあんめーよな。冗談きついよ・・・・”という受け止めをされるのが落ちだ。それにヤヤコシイ事業名を言ってもチンプンカンプン、それが分かっていても懇切丁寧に説明した。皆さん頷いて聞いてくれていたようだが、どの程度理解してくれたか?
 今我々が抱える最大の課題は高齢化の問題である。何しろ最高齢者が68歳、平均年齢は47歳にならんとする。そこで将来を見込んでその人たちをどうするか?
 それから深刻なのは医療機関への通院数、なんと年間延べ人数が2000名(平成19年度実績)毎日5〜6名が通院したことになる。一人に一人の職員がつくから、想像できますよね。それも通院にはどれだけの時間がかかるか、受付にならんでから薬をもらってくるまで半日かかる。
 よくもこの数を法人全体でやってきたものだ。統計表を作っていて、正直驚いた。

それでも家族からアイデアは浮かばない。”どうすんだい 理事長?”そんな視線を感じた。30分程の時間で資料に基づき説明、その後は8ブロックに分かれて協議した。多分県内の同種の施設で、出身地ごとにブロックに分かれて事業をおこなっている施設は他にないと思う。これが尚恵の伝統だ。それからまだ驚いた事は利用者の出身市町村の数、30を超えている。これがまた市町村ごとに内容が異なるというオマケまで付いている。
 私は早めに失礼し、埼玉の仲間に電話、東京に新たな試みを行っているという情報を聞き、早速アポイントを取ってくれるよう依頼した。
 ありがたいことに持ちつもたれつ、全国に知り合いがいるので困った時には情報を頂ける。
 当然、土地の確保やら建物の設計、肝心な資金計画などやるべき事がいっぱい。誰もやってくれる人がいないから、これが俺の仕事と思うより仕方ない。
 施設の老朽改築を少なく見積もってもヒェーだ。ナンマんダ!ナンマいダ。どこにそんな金あるんだ?
 そうだ、かんぽの宿にある。ふざけやがってチクショー。急に芝刈りやりたくなってきた。へこたれーねわい。だんだんパートV。(NHK朝の番組もいよいよ佳境に入って、目が離せませんね。)支離滅裂。頭大混乱。
 2月15日、日曜日でした。だんだん。
 
(新聞への思いを2句にしてみました。)
      
      この国は 非常識が 常識に
               なって喜ぶ 新聞社

      朝一番 広告無くて 大騒ぎ
               早く良くなれ 日本の景気
     【かいせつ】 私は毎朝、4新聞を読みます。そこで感じたこと、それは何故に
                  心癒される記事が少ないかという事です。
                  それから毎朝、事務所に来る3人のメンバー、彼らは新聞の広告を
                  待っているのです。肉の広告、ファッションの広告と目的は異なります。

1075:Scrap and Build

”Scrap and Build”この手法が過去のものとなっている。今は”Scrap and Scrap"という。これは膨張しすぎてしまった組織をスリムにすることが緊急措置だということ。日野原先生が「生活習慣病」という事を言い始めたそうだが、まさに日本中がメタボ状態なのかも知れない。
 出るは出るは次から次に呆れてしまう実態報道、N財務大臣のG7記者会見、でも私は以前から国会中継でも何か変だと思っていましたよ。どっちかと言えばイケメンな面構えでクールな感じ、お父さんの壮絶な最期を知る人は、どうも母親のDNAを多く引き継いだと思うかも。最近、髪が乱れ、顔の張りを感じなかった。相当疲れているんだと思った。麻生さんの髪の毛が薄くなったという事(*私の髪は風前の塵だから気になるのかも?)も彼らのスケジュールは超過密、それは予測できたことだろうが想定外なのは木に登らされたはいいが、梯子を外され”降りろ降りろ”と尻を仲間から突っつかれる。これが永田町流のスクラップandスクラップ。
 更に、雲行きが怪しくなってきた。それは景気悪化がこのたびの騒動の本家アメリカよりも悪いときた。ダブルパンチ。いよいよか!
 だけど、誰をピンチヒッターに指名するのでしょうか。ベンチの控えは役者不足。さーてどうしましょう。
 何がどうなっているのか分からないのは、頂上を究める9合目に到達した最大野党、先の小泉さんの動きに目くじらたてているとも。小泉劇場の再演を恐れているとかいないとか?これも面白可笑しく報道するマスコミだから信じて良いのかどうかわかりませぬ。
 いま最大の問題は、この国を統括できない実態である。自由社会での考えられるリスク。バランス調整する機能が働かないことである。その対極にある国を知っている。それはネパールである。
 私は三度訪れた。最後は10年前になるかな、当時、王国で政府軍とマオリストとの内戦状態、カトマンズ市内は至る所に塹壕が掘られ、銃を持った政府軍が警戒していた。私が泊まった宿の3軒隣が爆発された。いま、ご存じのように王政は廃止され、選挙の結果マオリスト政党が圧倒的多数派になり、改革が進められている。これは何故起こったのか、ネパールを訪れた人には直ぐに分かったこと。それは都市部と地方の格差が想像を絶した。特権階級の利権と私腹への怒りだ。私は日本の民間援助で建築中の学校に案内された。レンガ造りの3教室ほどの粗末なものだった。どれだけの費用がかかるのか尋ねたが、100万円位だったと記憶する。
 これが今の地球規模の実態。ただ、ネパールは今も外務省の渡航禁止国にはなっていない。日本人に対し好感を持つ人が多く自国のヒマラヤを誇りに思っている人達だ。
 そうでした今の日本の金属疲労?状態を示す直近の実例を紹介します。
 オバマ政権での閣僚人事、数人の閣僚が自らの意思で辞退している。主張が違うという理由や身辺の事情で辞退した。一方、我が国は、大臣の問責追及を国会に提出するという話、何故?どうして?貴方達は今そのようなことに大事な国会討議を費やして良いと思っているのですか?どこまで平和ボケしているのか!怒り頂点だ。
 それは貴方達に今の日本をどうしたらよいのかという明確な方針が無いと思われますよ。
 だってそうでしょう。大臣のミスをつっついて、一体ナンボ?無駄をさけぶなら、貴方達の議員経費のほうが無駄とは思わんか!
 そうそう、オバマ政権と違う日本は、大臣の椅子が欲しくて欲しくて掴んだら死守する人が多い、このギャップは酷いというよりも醜い。
 

1076:自殺問題

最近、車で出かけることが増え、車内でラジオを良く聞いています。そこで気になっている事があるのです。それは、「人身事故で・・・線が運転見合わせ中・・・」というニュースが目立つような気がします。
 昨年は東京で2度ほど、人身事故で電車の中で待たされることがありました。警察庁は今年から毎月自殺者の数を発表すると言う事です。日本では年間3万人を超える人が自殺しているという。このような国が他にあるのでしょうか?
 不況下で益々、前途を果敢なんで自死を選ぶ人が増えることが心配されています。
 昨日は県の社会福祉審議会があり、そのことが話題に上がりました。予防対策は実は大変難しい。いのちの電話なども開設されていますが、実態はどうでしょう。大分前に私はいのちの電話の評議員をやっていましたが、相談者になる方が減っているということでした。
 私は住職です。あまり大きな声では言えないのです。本来ならば宗教家の役目であるという思いがあるからです。”慈悲”とは”抜苦与楽”の意味。苦しみを取り除くことをやっていますか?答えは”NO”。
 仕事がら回数は少ないのですが、自死した方の葬儀を行ったことがあります。それはとても残酷なものです。遺族になんと声をかけてよいのか迷います。そして遺族は身内の死を一生背負って生きていかなければならない。その後の人生で心の底から笑うことができるでしょうか!生きてさえいれば必ず何か良い事があるはずだと信じられない。何故だといくら問いても返事がないことを繰り返すのです。
 世の人々の眼は冷たい。行政が出来る事には限界を感じます。相談機関を紹介する仲立ちの役目はできるかもしれない。そうなると対策は無いのでしょうか?
 障害者支援の強化事業として、ピアサポート(peer support)があります。これは”対等な支援”という意味でピアカウンセリングやピアリスリングと類似語、同じような悩みを持つ人が周りで支え合う活動です。
 何故、国はこのような施策を急に取り上げてきたのでしょうか、それは本来地域が持っていた支え合う機能が無くなってきたからです。私の住む街を考えても、民生委員や保護司、区長になる人が見つからない状況があります。これと問題は同根です。自由個人主義は成熟社会の中で増殖します。その結果、自分さえ良ければ良いという価値観をなんの疑問を持たず受け入れてしまう。権利を主張する人も増え、それに伴う義務は果たさない。
 この状況が日本中に蔓延してしまった。そのことと自殺問題は無関係とは言えないのです。
ならばどうする?私は少しずつ日本人がこれではまずいと感じ、アクションを起こすようになってきたと思っています。政治家や官僚への厳しい目もその現れ、戦後復興の中で確立された縦軸の構造、横暴とも思われるトップの絶大な権力、それが崩れ始めてきた。多くの若者はその事に気が付いている。
 トップに立つ者こそが、自らの足で意見を聴く時代になったのです。 

1077:チェンジ

いよいよ世評として”チェンジ”待望論が高まってきた。当然と言えば当然だ。ここまで様々な膿が出始めてはどう弁解されても納得はできない。 政治に関心を持つ事は国民としての義務、この事が正直無かった世界でも特異な国であった。それはいつも言うようだが成就社会となった日本の宿命。自民党の政治使命は終わったという。なぜなら国家としての目標が立たない状況が続き過ぎた。この政治空白の間に討議されることと言ったら、枝葉末節の滑った転んだのことばかり。
 このズレが政治的無関心層を醸成してきたのだ。国家としての目標がボンヤリとだがやっと見えてきた。
 それは外需頼みの輸出偏重の経済活動への赤信号、ならば本当に長年かかって培ったこの仕組みを転換できるのか。内需拡大路線といっても経験がない日本人には誰しもが安心できる政策ができにくい。
政治への不信と将来への不安という負の二重構造が重くこの国にのしかかる。
 トップ企業はグローバル社会の中で、いつ会社が買収されるかという不安にかられている。
今の政府はどんどん支持率が下降し、歯止めが利かない。
 この危機感は政治家、官僚、市民・・・全てが持っている。否、そう信じたい。
 昨日は晴れてはいたが、風が冷たかった。久しぶりに休暇を取り、友達とゴルフをした、結果は102と散々であった。腰を痛めてから暫くクラブは握らなかった。
 一晩たって考えたこと。それは長年使ってきたアイアンを取り変えようかと思った。他の3人のクラブをみたら全く私の道具とは違っている。これも”チェンジ”か。
 なんだか知らないが3人(中学の先輩)のワナにかかったような気になった。私一人が孤軍奮闘、歩きまわったもんだから、疲れきってしまった。
 仲間に入れてもらうには、綺麗事ではダメ、障害者が地域でありのままに暮らせることを言ってみたって、具体的に国は何も示さず。できないのだ。それこそ個々の事業所の力が試される。
 風邪ひきそうだが夜遅くまで付き合った甲斐があり、次回はコンペを開く事になった。蕎麦屋で4人で電話をかけつづけ20人の賛同を得てしまった。いま元気で暇なのは、団塊世代、この人たちを動員しないのは実にもったいない話である。

1078:国対は如何に

国体を如何に・・・・日本の舵取りが迷走している中で、確実に世界の動きが変わっている。その一つアメリカ・ロシアの関係が微妙になっている、この2大強国の間に挟まれ日本が右往左往している。理由は明らかだ。日本の弱点(軍事力&資源)をどう補完するかということ。
 ロシアのルーブルが急速に下落している。これはエネルギーに頼り過ぎた経済政策と西側との関係悪化が原因だという。一方のアメリカは新政権になり、大規模な経済対策を推し進めている、その財源は国債の発行に頼らざるを得ない。従来のお得意先である産油国や中国がどうも購入を引き締め始めているという。そこでロシアとアメリカが次なるターゲットとして考えるのは日本。最近、日帰りでサハリンに出向いた麻生さん、日本を最初の訪問国としたクリントンの狙いもそこに在るという。果たして安全保障やエネルギーの確保という重要事項を外交で対等交渉ができるのか!
 なぜならば国内対策で目一杯な実態、先生達は次なる選挙のことばかり。地に足が付いていない。この状況で依然として繰り広げられることは、国対を論ずるどころか、辞めろ辞めないの泥試合。
 その煽りを受け我々施設は21年度の予算がたてられない。情報ばかりが流れてきて、その全てが未確定。
 我々は事業をストップして待つことなど許されない。茨城の我々の事業所団体は社団法人になっている。もう直10年になる。当時の指導は、事務局体制を強化し団体が自主活動をできるようにしなければいけないという指導を受け、知恵を出し合って立ち上げた。事業も起動にのり、これで一安心と思っていたら、行政改革の中で公益法人の見直し。最近話題になっている漢字検定?法人の目に余る実態。これと同じ基準で我々の団体の見直しへ。5年先に一般社団か公益社団かという選択をしなければならない。
 このような動きは国にとっては些細なこと、しかし、我々にとっては一大事。
 私個人としては、どうのこうのと面倒な事になれば、また元に戻れば良いと思う。何もない時代を知っている強み?ただ、会員が許してくれるか否かは別問題。会員の主体性が問われている。
 それよりも、今回もし選挙があるのであれば、以明国体で政策を示すことが絶対条件だ。政治はマニィフェスト大流行り、だが過去にその通りにできた試し無し。その責任も曖昧。
 安全保障とエネルギー政策、それと社会保障の方向を示せ。!それは野党も与党もだ。戦後60年を過ぎたこの時期に国民全てが自らの責任で選択するべきである。
 残念なのは、選択する材料が曖昧、こっちよりもあっちが良いようだという。黒船が見えているのに、これではちょっと覚束ない。
 

1079:できる自分

”できた””できない””できる”。
昔を懐かしむ年代になり、できた自分が段々遠ざかる。昔取った杵柄と勇気を振り絞り挑戦してみたまでは良いのだが結果は散々。どうもエンジンがかからない。そんな気持ちになっていませんか?
 最近、ドッポリ浸かってしまった。これだって自分の気の持ち様と理解はしていても、だめだー。
 今日は大人のレクレーション?。毎年1回、新年会と合わせ昔の仲間で集まる。別に酒を飲むわけじゃない。「マージャン」の卓を囲む。10卓ほどできるから、相当な人数。私は発起人に名を連ねているだけで、ココしばらくはご無沙汰していた。メンバーの最長老は92歳、大半は現役を退かれた人達だ。私が福祉の道に入った頃から、いろいろ指導を受けた先輩達。この中で一番私が若年かもしれないな。
 この集まりを楽しみに他県からワザワザ駆けつける好きものもいる。
和気あいあい、取るに足らない事をしゃべりながら一時を過ごす。茨城の福祉は、この人たちの苦労があって今がある。その思いを私たちが次の世代に引き継いでいく責任がある。毎日のように国から送られてくる膨大な資料、プリントするだけでも大変だ。こんなことばかりやっているから、肝心要の事(こころ)がどこかに忘れ去られてしまうのだ。いつも思うことだが、現役を退いてから何十年もこうやって付き合える関係はどうしてできたのか!
 傍で見ていて感じる事は、皆さん”やってきた自負”があるということだ。昔は良かったと懐かしむ反面誰しもが一抹の寂しさを持っている。差し引きゼロに近いかも。これが人生さなどとキザな事は決して言わない。そんな事を言わずとも十分相手を認めてる。
 その先輩達との卓を囲んでのレクレーションは、ハンデイ無しの一発勝負。
”できる自分”に「いま」を付けてみたらどうだろう。四肢麻痺で寝たきり状態で入院されている方の話。
同じ入院されているお婆さんと病室で2時間ほどおしゃべり、そのお婆さんから「こんな楽しいおしゃべりできて本当にありがとう。」と言われ、リハビリに失望し自暴自棄になっていた自分が”今できる事”があるんだと気づいてもう一度リハビリをしようと思いましたという。
 人間は他との比較で自分を見つめる。だがこれは絶対的な事ではないと知っている。最終的には誰しもが自らの人生を自らの責任で全うしなければならない。
 そこには年齢や障害に関係なく究極の”できる自分”が必ずあるということ。これがこの世に生を受けた者全ての真理である。
 幸いにして、私は知的に障害を持つ人たちと人生の大半を過ごしてきた。彼らの有りのままの姿が一体何を我々に教えてくれているか!そこを見失ってはこの仕事の醍醐味は永久に分からない。

1080:fell asleep

"fall asleep"居眠り。
 元中川大臣の先の失態はどこまでも尾を引いている。何度もその場面を流されると、居眠りどころの話ではなく泥酔轟沈状態。彼に対してどうのこうの言う前に財務省の付き人の能力を疑う。何故、記者会見をキャンセルできなかったのか、むしろ、作為的な罠を感じた。同期のなんとか局長が同行していたという。ならば遠慮せず忠告できただろうに。それをカメラの前に立たせ赤恥をかかせてしまった。常識を持つ人間(臨機応変な対応という意味)はその事を先ず感じたに違いない。付き人達が一体ローマで何をやってきたかその辺も画面に出すなら出しなよ。一本数十万のワインでも飲んだかもしれんし。
 多分、外遊先では羽目を外すような出来事はあるんだろう。それぐらい毎日走りまわっている激職の大臣には許されると思う。今まではマスコミも暗黙の了解で報道は遠慮していたにちがいない。それが今はスクープと言わんばかりに余計な報道まで面白可笑しく出してくる。これもまた故意のなせること。
 それにだ!腹が立つのは22人の同行者への費用が6000万円だ。2泊3日ぐらいの旅で一人300万?これが実態ならば、本当に怒らなければ、今度は日本人が世界中から嘲笑される。お人良しもいい加減にしろだ!
 全てが税金なのだ。湯水の如く浪費する。どこまでこの国は腐ってしまったのか。最近、永田町とか霞が関という言葉を聞くだけで気分が悪くなるのは私だけでないだろう。「武士道」を書いた新渡戸さんがいたら今をどうみるか!
 彼らの一番の弱点は、「ヒトの痛みが解せない」こと。最高学府を卒業し、エリートコースをひた走る。残念なことにその過程に人の温かさや支え合うという教えを学ぶ機会を逸してきた人種だ。その逆に制度の冷たさと相手を蹴落としても出世しようとするノウハウだけを身につけた。言い過ぎだろうか!どうしても、そう思わなければ合点がいかない。
 それから昨日のWam Netに掲載された21年度予算概要、これだってフザけている。量が膨大で、一体どこを見ろというのだ。それに金額はまた変わるかもしれないとのコメント付き。分かりやすいとか優しさという配慮を微塵も感じない。無駄がなんとも多く、責任逃ればかりのオンパレード。
 3年で景気が回復するとか麻生さんが言った、今の現状を根本的に変えるにはそんな生易しいもんではない。総入れ替えしかない。国の課長以上は全て下野し、やる気のあるものでやってほしい。出世競争に血眼になっていた輩には、もう退場してもらうしかない。政治家もしかり、本当に誰を信じて良いのか分かりません。
 冷静に見ても今の日本丸はトコトン痛い目に合わないと眼が覚めないようだ。日本中がin asleep状態。 それに足元を見ても全く同じ。保身最優先でモノが言えない人が多すぎます。
 戦争を体験していない世代が築いてきた社会が今出口の見えない迷路に入ってしまった。戦後60年の平和は確かに誰しもが認め将来にわたって守り続けなければならないこと。ひとつの時代が終わった。
 だが、ここまで日本が経済的な繁栄を勝ち得たことには、世界に対しそれ相当の義務が生じる。その貢献の有り方が纏まらない。ここが次なる政権の踏み絵となる。
 私は自らの足元をみようと思う。世を憂うだけの時間がもったいない。このコーナーだけは唯一の例外として。 

1081:もしも

”作業仮説”という言葉を知っていますか?
一定の現象に終局的に説明しうるように設けた仮説ではなくて理論的に検証し、1定の枠内で統整するために有効な手段とする仮説。????何を言っているんだか自分でもわからなくなりました。無理すんなよ。住田さん。
 つまり私は今の時代を表すのに”作業仮説”という言葉を引っ張ってきたまでなんですね。それで悲観的に思うのは、日本の現状は仮設を検証するまでの過程がスッポリ抜けているということなんですよ。
 もっと解り易く? そうね・・・簡単に言えばですね。///ああ言えばこう言う社会と言う事かな・
 筋が通らないことが多すぎる社会。否!何が筋かも見失ってしまった社会。
 その曖昧さが評価された時もありましたね。ノラリクラリ。今それは許されない。言った事はやりな!殊、外交政策に関してはそれがルールでしょうという訳。
 戦後処理の過程で教育に宗教色が一掃された。今の既成宗教は葬式坊主と揶揄中傷され、それにじっと耐えてきた。教育の中で活躍する場を失ったからである。昔は少なくとも僧侶が教職に就いたことは許された。今それができ難い。
 ただ残念なのは、宗教界そのものが現状の温床にドップリ浸かり、活動範囲を極端に狭めて生き延びているという実態。だからどうだろう、自省を含め今感じていることを吐露すれば。自殺対策の中で宗教家の出る幕がない。これは世界でも特異な現象だ。
 何故ですか?そのことを考えていたら”作業仮説”という訳の分からない言葉にぶち当たった次第。
葬式坊主の一人として、今、生きている人へどのような布教の方法があるか?日本では数千という宗教が存在するという。このこと自体も異常なのだが、布教を自らの属する宗教に加入させる事が主なる目的となっている。
 多分、様々な要因があるのだろう。これが実は検証できない。
 もしも日本が一つの宗教に意図的に統合されたらどうなるか?だれもそんな事は考えない。
 いつも私は思考がストップする段階がある。それは何故自分は真言宗の僧侶なのかということである。もし、禅宗の寺に生まれていたら、神社に生まれていたら、在家に生まれていたら???
 反発はしただろうが、結局は落ち着く所に落ち着いたに違いない。人生は長いようでそうでも無いという事。これが私の考えられる作業仮説である。

1082:Departures

今朝のニュースは久し振りに喜べるものが一面に載った。映画「おくりびと」(英題:Departures)が昨夜アカデミー賞を受賞したのだ。
 私は殆ど映画は見ない。ただこの作品だけは妙に気になっていた。前宣伝などで紹介される内容は、どうも私に少なからず関係しているなということ。ウーム葬儀屋さんの話か。納棺師という職業があるのも正直知らなかった。亡くなると湯灌や死に装束を着せる人がいることは知っていたが職名となっているとは。
 それに何故この映画の英題が「Departures」なのかも不思議だった。
主人公が故郷酒田に戻り、職探しをしていて広告で「旅のお手伝い」というものに目がとまり、訪れた先が葬儀屋という筋書き。
 飛行場に行けば”「Departures」は出発便である。なるほど日本人の持つ死生観を旅に例え、そのお手伝いをするということか。テーマに元々あるユーモア&ペーソスを感じた。
 宗教学者?の中沢新一氏が分析している。現代人の”死”に対する考えは、大半が病院で亡くなり、死を身近に感じなくなっている。そして坊さん任せの進行で、葬儀屋が全てをサポートするものとなった。そのセレモニーも今では多様化し遺族が故人との別れを悲しむという状況から程遠い。
 死の問題は普遍的なもの、誰しもが経験しなければならないこと、それを遠ざけてはならない。何故、この映画が外国人に評価が高かったのか、それはニューヨークでの9・11の経験があるという。外国では死を現実のものとして受け止めるというよりも宗教の違いかもしれないが”物語”の中で納得しようとしてきた。その遠ざけてきた死の現実を一瞬の出来事で全世界の人々が目の前で見てしまった。この衝撃が未解決のままどこかに残っていて、死をテーマにした「おくりびと」が人気を博したと分析している。
 実は、私はこの映画をまだ見ていない。見ていないでこのような事を書くのは大変失礼なのである。
しかし、私自身はずっと考えてきたテーマ。そりゃー衣を着ている者として当然でしょう。
 「出発」に対し「到着」(arrival)が有るのか無いのか?これは宗教学的には大問題です。何しろ実証されていないことですから。
 ただ、仏教的に敢えて考えるとすれば、「到着」を「仏国土」「浄土」に例えることも可能であろう。だがこれとて誰もが行って帰ってきて報告がないからどうでしょう。
 その辺の曖昧さが実は「無」とか「空」という字で表現されるわけですよ。
 映画と言えば、我が街、土浦には昔多くの映画館があった。いま、上映しているのは一館のみ、後は郊外の大型ショッピング店にまとめられている。
 瞬間鮮明に思い出した。それはなんの映画か忘れてしまったが高校生の頃だった。あの頃に戻る事はできない。でも「departures」ということであれば、いつしかまた。see you again!Good luck!

1083:暴露本

鈴木宗男と佐藤優コンビが書いたものを本屋で見かけるようになって暫くになる。県開発公社1階にある書店で何気なく手に取った『闇権力の執行人』(講談社+α文庫)を買い求め、昨夜から読み始めた。
 まだ序論の部分だが、実名入りで登場する人々、官僚以外は大体知られている人達だ。その暴露内容が疑いたくなるようなものだった、一体鈴木氏の狙いはどこにあるのだろうか!
 彼が持つ外務省や自民党更には警察権力に対しての遺恨は凄い。彼の性格ではそうだろうな。居眠り大臣で話題になった方の父親の秘書から1983年に国政に登った。地盤は北海道、ロシアには人一倍関心がある。
 外務省をめぐる疑惑で2002年に斡旋収賄容疑で逮捕され収監されている。その後、再度国政に挑戦「大地」を立ち上げ孤軍奮闘、嘗ての朋友を敵に回し、闘っている。
 その彼が書いた内容、多分彼は実名を挙げることには訴訟も覚悟である。だがどうだろう、暴露された人たちが果たして自らの汚名を晴らそうとするでしょうか。多分しない。それはより深みに入ることを恐れるからだ。
 彼の官僚に対して遺恨晴らしを示す言葉が最初のページに登場する。
「・・・・硬直した組織の中で特権階級意識に凝り固まった高級官僚が、自己の栄達と蓄財のためだけに築き上げた官僚天国・・・・・」
 これは単なる評論家の文章ではない。彼は外務省の力になることを誇りと感じ、遮二無二働いた。その結果、全ての責任を自分に押しつけられ実刑を受けた。だから開き直りもある。禊を終え、再度国政に彼を送ってくれた北海道民がバックで支えている。*ノラリクラリ永田町で居残ることばかり考え、地元の人気が全くない先生よりはずっと評価できる。
 確かに今回のG7外相会議の顛末をみていて誰しもが怒りを感じている。腑に落ちないのは当人達が疑問に思っていないこと。前例に従ってという理屈では時代錯誤も甚だしい。
 鈴木氏の活動をまともに受け入れる土壌は今の日本にあるのだろうか?多分、私はないと思う。誰しもが叩けば埃が出る。外務省に限らず、全ての省庁と議員の関係は、表向きと裏の関係を使い分けて成り立つ。
 法の番人であるべき司法にまでその関係が蔓延しているとしたら、もう救われず、泣き寝入りするのが落ちだ。その事が鈴木氏のモチベーションを沸騰させたと私は読んだ。
 こうやって自分が評論家のような振る舞いをしていることに言いようが無い自己嫌悪感を持つ。だがどうだろうか?多くの日本人が私と同じ意見だと思うのだ。ただ、どうすれば良いのかが分からない。結果として自分だけが良ければという考えに辿り着く。これが実は大問題、ケインズかマルクスか、経済学の論争が再燃している。
 物事を2極構造に分け、そしてどっちを選ぶかと。
 自由主義社会を選択した日本が今、袋小路の中。それは義務と権利が曖昧となり始めた頃から顕著になった。私自身、福祉の仕事をしていて諸に感じていることでもある。
 障害者を国や施設が見るのが当然、その代り、親としての義務を貴方達はどう考えているのですか?と問いたい。全国施設保護者連絡会というものが法改正を期に組織された。本来、障害者を抱える親という立場は他の団体、全国手をつなぐ育成会と全く同じ。その関係がしっくりしない、これが今の日本を如実に示していると私は思っている。我田引水と言えば、訴訟されるかな?
*私は誠心誠意骨身を惜しまず、頑張っておられる人達がいることは承知しています。そのことが私の支えでもあるのです。(追記として)

1084:ほのぼのと

ほんのり心暖まる事に気付かぬ様になってはどうもまずい。私のレンズが曇っているのだろう、何を見てもトゲトゲしく映り、手で触れてみたくはならない。
 そんな時、友人から一枚の写真が送られてきた。筑波山の後方から昇る朝日、朝モヤに浮かび逆光故に幻想的な感じがした。土浦から見る筑波山と正反対、男体山と女体山が丁度逆になっている、日本の百名山に入っている双峰で古くは万葉集などにも歌われている名峰。
 関東平野のど真ん中に聳える筑波山。それを眺めながら自分は育った。
 この自然の雄大さに比べれば、私の気持ちの揺れなどは取るに足らない。先日、テレビで世界遺産の番組を放送していた。ちょうどタスマニアのクレードル山周辺、氷河期に岩肌が削られ、独特の自然が今も残っている。2年前に歩いたところだから感慨も一入であった。
 翌日、違う番組で奥日光から会津地方の山並みが紹介された。空中撮影による映像は、タスマニアの風景ととても似ているとその時思った。
 自然は慣れ親しむと生活の一部となり、汚したり破壊しても気付かぬことがある。また自然に縁遠い生活に浸かっていると、心に余裕を失い、荒涼としてくる。現実には自らの責任でコントロールするしかない。
 またテレビ番組の事で恐縮だが、所さんのダーツの旅という番組がある。ダーツを日本地図に向かって投げ、刺さった所に取材にいく番組である。そこに登場する人々は、大半がお年寄りである。仄々として、笑顔と方言が妙にマッチして、見る者に癒しを与える人気長寿番組である。
 取材側の一貫した意図を感じるのは、地域で生活している元気な人たちが対象であること。一人で逞しく生きているお年寄りや忘れかけた日常の何気ない触れ合いにカメラを向けている。
 老人ホームや病院などは一度も登場していない。豪華な設備を誇らしげに建っているそれらの建物はどっちかと言えば背景の自然とはミスマッチ。生活の温もりを感じない。どうもこの辺のバランス感覚は?
何を優先するかというセンスの問題だ。
 昨日は坊さんの研修会が2つあり、掛けもちだった。一つはこの5月からスタートする裁判員制度の勉強、検察庁から講師の方が来られて説明を受けた。大凡5000人に1人が裁判員に選ばれるという、裁判官3人に裁判員6名の編成で行われる。茨城県では毎年、平均60件の事案が裁判にあげられるとという。その中で死刑判決に至る凶悪犯罪は1〜2件と少ない。もし、坊さんが裁判員に選ばれ、死刑の判決にどう対応するかという質問が出た。既成宗派の中でも宗団としてその対応を統一している所もあると聞いた。
悪人正機説を説く真宗などは取扱いが微妙だろう。真言宗豊山では、今のところ統一した方針は立てていない。裁判員制度は多くの課題を持っていることが分かった。果たして日本の精神文化に合うのか否か。自然の話から人間が人間を裁くという、全く異質の話になってしまった。現実はこうやって動いている。
 丁度その時、私が良く知っている同年の坊さんが昨日、急逝したという事を知った。日頃、健康で過ごし、宗派の重役も積極的につとめられ、私が今使っている”風誦文”はその方より頂いたものだった。
心臓発作、58歳だったという。

1085:燃焼できるか!

人の一生を振り返った時、いつどのような事にでも心から燃焼できたことがあるだろうか?
 実は今朝のNHKラジオ「100年インタビュー」を聞いて一瞬自分の耳を疑った。元日本サッカー協会の川渕チェアマンの話である。Jリーグ創設に関わり、日本サッカーをワールドカップに出場させるまでにさせた一番の功労者である。司会者との絶妙な話は彼が昔演劇をしていたというベースがあってのことと初めて知った。思い出に残る彼のサッカー人生の話をしている途中で急に声を震わせ泣き始めた。その場面はこうである、ワールドカップアジア予選でジーコ率いる日本が負け日本チーム全員が放心状態、がっくりしているジーコ監督に言葉をかけにいった場面だった。スタッフ控え室に川渕さんが入ると
「あのジーコが・・・・・・ご・め・ん・な・さ・い・・・・と言ったんですよ・・・・」 込み上げてくる様々な思いが彼の言葉を遮った、涙声で言葉にならない。司会者も驚いたに違いない、ラジオ番組であれだけの沈黙の時間が入るのは珍しい。アトランタでブラジルに1対0で日本が勝った時の話は、飛びあがらんばかりの声に変わった。
 ああ、これだけ何かに燃焼できた人は少ないなーと思った。川渕さんは中学で野球、高校で友人に誘われサッカー部に入った。直ぐに辞めてやろうと思っていたというから誰かと同じ。その後、日本のサッカー協会のトップにまでなった人だ。2050年までには日本がワールドカップで優勝できると断言する。彼の事をトヤカク言う人はいる。しかし、サッカーは結果である。いくら良い試合をしても負けては評価されない。点数が入らないスポーツだから尚更、1点の重みが他のスポーツとは違う。過去に代表監督になって、その1点に泣いた人(加茂さん・トルシェ・オシムなど・・・)が数えきれない。放送の最初の部分は聞いていなかったが、多分、今の日本の事について話していたように思う。理念無き人が多すぎる・・云々という部分から聞き始めた。
 トップに立つ者の宿命は孤独、それと絶対条件として自らが持ってたつ理念がある。最後にサッカーを一言で言うと何ですか?と問われ、暫く考えていた彼が言った言葉は”サッカーに感謝”であった。

 ここで終われば私も大したもんだ。でもできない。いつもの事だが自分を鏡にうつすから。学生時代を振り返るとどうしても忘れる事ができないことがいくつかある。中学時代は嫌で仕様が無かった歴史の時間、それと2塁にスライデングしてベース前でコケて骨折したこと。高校時代はなんと言っても県大会で水戸商業に10対0で負けたサッカーの試合、大学では数々の山の想い出・・・・泣き笑いの人生が心に今もハッキリと残る。いま、余所目も気にせず大泣きすることは無くなった。大人に成ったのではなく年老いたのだ。正直そう思っている。
 完全燃焼など願わない。でもなー、何かに燃えて生きたいね。
 

1086:判断

沈思黙考・遅疑逡巡・千思万考・・・・
 判断することは、言うは易しである。つまりパーフェクトの判断は有り得ないのです。山で道に迷った時は元の場所に引き返すこと。それは道がある場合。藪こきなど全く道がない所をかきわけて山を登る際には、良く赤いキレで目印をつけて歩いた。その目印が無いのが今の状況だ。目印=規範&理念
 単独行とパーテイを組んで登る時は違う。リーダーの能力によって差が出るのは当然。そんな経験をした若き日が実に懐かしい。結束を体感できた。
 今、日本中が真のリーダーを待望している。なんとも絶大な人気で登場したオバマ大統領と比較されてはたまったもんじゃーあるめいな。トップを選ぶ方法が違うという言い訳は実に虚しい。
 昨日のニュースで小さく紹介されたことに日本の政治が抱えている矛盾を垣間見た。
それは神奈川1区の政党推薦のこと、国民新党が先に推薦を決めたらしいが後になり民主党が推薦者を出したといって新党の代表が参議院での野党連合を破棄したいと申し入れた・・云々。
 これを聞き直ぐに疑問に思った。民主党も国民新党いずれも代表者は元自民党、
多分、考え方は似ているはずだ。大木から枝分かれを繰り返し今が在る、所詮同根なのだ。
 主義信条での意見対立ではなく、いかに当選するかという確率論最優先の動かぬ証拠。これではなー!
いま日本がどうあるべきかが問われているのですよ。自分が当選できるか否かなんか関係ないんだから。選挙民はね。そのズレの修正は永久にできないのかね。
 膨大な国の借金は、他国の事を言っている場合ではないはずだ。それに兵を出さない代わりに金を出す国際貢献。これがどこまで続くのか?小沢さんが言ったとか言わないとか、アメリカ軍は第7艦隊だけで日本の防衛は十分だと、この真意は分からない。なんと今日本には3万3千人の米兵が駐屯しているという事実を誰が知る。
 そのニュースの後に、フェイリピン人親子3人の国外退去命令の判決ニュース。街頭で署名活動をしていた娘さんは13歳、日本で生まれ日本で育った。国は何を恐れているのだろうか?不法入国という罪を認め、真面目に働いている家族への政府の判断はどうなのでしょう。
 国の在り方を考えるべき国会の先生達がこの件に関しては沈黙を貫く。
 また一方では、介護現場の人材確保という大義によって、フィリピンやインドネシアから働き手を迎え入れようともしている。この事とどう整合性を付けるのか、不法滞在という罪には国外退去という司法の判断しかないのでしょうか?もし可能ならば、情状酌量そして収監されなくとも執行猶予で日本での生活を保障できないですか?
 明治100年は大分昔の話、依然として日本は鎖国という尾を引きずっている。当時と比べれば雲泥の差、日本企業が海外でどれだけ外貨を稼がせてもらったのですか、今の繁栄を築いたのは俺たちだと自画自賛、日本人全てがその事は認めています。昔から日本人は情けが薄かったのでしょうか。
外国との交流に関しては、以前として二重三重の足かせを履かせている。これで世界が認めてくれるのでしょうか?そして、これからもこのスタンスは変えないのでありましょうか?
 そんな話を一体誰がどこで・・・・・・。

1087:弥生

早春とはいえ肌寒く・・・・弥生3月、ここ数日間は今年1番の寒気団で震えるように寒かった。一雨ごとに春めいてくるのでしょうかね?
 近年は季節が早め早めに変わるという。旧暦や新暦の区別、或いは古くからの風習も意味が分からずに行われている。昨日長くオーストラリアに住んだ人と話す機会があった。火災被害の話をするとあの国では別に珍しいことではないという。毎年今頃の時期(夏)は自然発火による火災が起こっているという。何しろ今年の最高気温は50度を超していた。そんなところでどうやって生きるのか。1月〜3月に日本人が多く訪れるというのだが、今年はその数がかなり減っているという。逆に向こうから北海道にスキーに来る人も減っているようだ。
 今、格安の旅行が流行っている。2万円で3泊の外国旅行、どうしてそれで採算があうのか分からない。
旅行業者も生き残りに必死、今、人気のコースは韓国、ウオンが安いからという。それにベトナム、いま直ぐにでも行ってみたいのだが、計画倒れで実現せず。
 このような事を思い描いているのは、大変贅沢なことかもしれない。いま、働く場を毎日ハローワークに通い探している人が多い時だ。考えるのは自由だが自嘲しないとな。
 春の訪れは、私たちに期待感を持たせるものだった。土浦で霞ヶ浦湖畔に持ち上がった一大プロジェクトが白紙になった。元請け会社が経営悪化したのがその理由。計画では琵琶湖にあるレジャー施設を彷彿させる内容だった。基礎工事まで進んで今はストップ。
 これからはどうなるのだろう?この種の施設でデズニーランドの一人勝ち、真似して作ったアミューズメントパークは軒並み経営悪化。規模と内容が比較にならない。なんの商売も同じだがリピーターがつかめないものはダメ。私の住む街に自棄に目立つのはパチンコ店、最近また新しい店が2軒できた。パチンコ銀座となっている。私はやらないが、ハマっている人に聞くとどうしても店に入ってしまうという。

 期待7で暇つぶし3???
春ウララ・・・春光天地に満ち・・・とは程遠い、先1週間は今の景気を反映するかのごとき、やわらぐ天気は望めない。
 久し振りに1句
     水戸の梅  マフラー巻いて 急ぎ足
   まだ風邪がはやり始めているとか、子供はうつりながら丈夫になっていく。

1088:適職として

職業選択の自由は認められている。これは求人求職のバランスがとれていればという条件付き。そのバランスが崩壊、ハローワークで職を探す人が急増、また新聞の求人広告が目立っている。よく見るとそこに一つの傾向が見える。新聞の折り込み広告は、依然としてパートや派遣社員が目立つ。大企業が収益悪化で先ず行ったのは人件費の削減。そこで中小企業は良き人材を確保するチャンスと思っただろうが、思惑どおりにはいかない。中小企業のほうが大企業より不況の影響を大きく受けている。
ワークシェアリングの実態は凄まじい。6割減収もあるという。
 医療や福祉に人の流れが変わるか?そう上手くはいかない。
 ここにきて日本人の職業に対する意識が変わっている。終身雇用は、先が読めない時代では難しい。例えば、医療業界の最前線ではいま何が起こっているかを見れば直ぐに分かる。
 地域の基幹病院(大病院)の労働環境は想像を絶する。36時間連続勤務、月に休日2日などをこなす医師がいる。病院が救急医療の指定を受けると勤務外の呼び出しが頻発するという。
 当然、医師以外の看護師や検査技師も同様、過酷な勤務に耐えている。長続きはできない。医療ミスや診療拒否が問題にされるが、やむを得ない状況が存在する。
 その激務に耐えられず病院を辞め、フリドクターになる方が増えている。数か所の病院と契約し、週数日働くというもの。自分の時間が取れて、尚且つ収入も増えたという。それと開業医も増えている。私の住む街にも多くの個人病院ができている。重篤な患者は総合病院へ患者を回す。日本の医療制度の矛盾、入院ベットを持つ病院は殆どが赤字だという。ここまで苦労して・・・と思う医療者が多い。
 福祉現場はそれとは異なる問題を孕んでいる。十分な賃金が期待できない。労働時間が不規則である。専門性が確立されていない。・・・・・・。
 21年度の予算に、報酬単価の改正がなされている。しかし、それが賃金にあてられるという保証はない。最近建築された施設はユニット型で建設費が嵩んでいる。初期投資にかけ過ぎるから借り入れが膨大になっている。ホテルコストを払える利用者ばかりではない。返済に充てる金額を事業差益の中で確保しなければならない。恒久的な人材確保の苦労。経営者はこの2重課題を常に抱えている。
 その中でニーズだけは増え続けている、嗾ける中間者がいて、今を逃しては後がないなどと誘惑する。自らの力を過信し、その上手い話にのるから、リスクばかりが増大。
 種別に関係なく、経営者や運営責任者(施設長など)がダブルパンチで疲れきっている。
 この状況の中で、現場は頑張っています。職場環境の向上の努力、更に利用者へのサービス向上、やらねばならない課題は山積み。これまた、どこまでもつか?
 この状況をどうにかしないといけない。優秀な人材を確保する育成する。それがあってこそ将来が開ける。
私は様々なセミナーに参加してきた。結論! 今の仕事を自分自身が適職と考えるか否かという事につきる。

1089:施設の役目

工事中。
姜尚中の「悩む力」を本屋で求め、読んでいたら思考停止状態に陥った。売上第5位という本だった。
・・・・「悩みの果てに付き抜けたら、横着になってほしい。そんな新しい破壊力がないと、いまの日本は変わらないし、未来も明るくない、と思うのです。」という部分に目が止まって動かず。
 在日2世で私と同じ年、戦後の荒廃を多少なりとも経験し、今ほどモノが豊かでなかった時代をそれなりに悩み苦しんで育った世代、私の場合は学生運動が一番激しくノンセクトとして、やじ馬根性で20代を過ごした。
 姜氏の場合は、両親が韓国人という特殊な背景を背負っている、勇敢?に時代と対峙し自らを鍛えあげ、今の地位を築いた。
 冷静沈着で理知的且つ物静かな話しぶりに惹かれるものがあった、この本を一気に読み終え、その理由が多少なりとも理解できた。
 「施設の役目」というテーマを何気なく挙げたまでは良かった。簡単に書き進むと思った。本を読み終えて気付いた、頭の中が真っ白、何も浮かばない。
 その夜、新しい入所者の話が未解決のまま、いつもの如く早めに寝床に入った。
分かり易く説明しよう。欠員があり、新たな利用希望者の話が上がった。私は寮の責任者の判断に任せる。これはいつものパターン。以前は県が待機者リストを作り、順番を決めていたが、いまそれは無くなっている。・・・・・・。
昨年、47歳で亡くなったIさんの事が急に頭に浮かんだのだ。彼の人生で44年間、我が園で生活した。彼にとって、そのことが良かったのかどうだったのか悶々とした気持ちが晴れず、今に至っている。
 施設の役割は何?  利用者全てが違う、その家族も然り。施設にとって歓迎される人は協力的な家族、利用する本人にとってはどうなのか、実は二の次?
 家族の役割を執拗に、考えて欲しいと訴えてきた。
これを延々と引きずっているのである。その時に「横着になってほしい」という姜尚中氏の言葉に出くわす。・・・現代人の心を救う、逆転の発想・・・・。
 堂々巡りの時代、全てがそうだ。政治も行政も・・・。端的に言って障害者問題がそうだ。こっちが少し良くなるとあっちが悪くなるという循環を飽きもせず繰り返す。それに振り回される我々現場、家族、本人。
 気がついたら、何も制度がなかった時代が理想郷!そこに向かってノーマライゼーション?
”横着”という言葉に彼の体感した人生の悲哀を感じる。その一例は、彼が言うところの拉致問題、日本人が嘗て大義として行ってきたアジア人に対する過去の清算の有無。
 被害者という立場と加害者という立場、どちらに立つかによって、全く異なった評価となる。
だから「施設の役割」という事は、今の時代、関係者だからという理由で断言すること自体が危険だ。
以前「工事中」悪しからず。
 

1090:砂上楼閣

犯罪被害者等基本法は2004年に成立。オウム真理教事件を契機に被害者救済への手立てとして定められた。その中身が大きく変わっている。振り込め詐欺被害者へ重点が移る。なんという世の中になったのだろう。一律12000円の給付金に対して新たな振り込め詐欺が発生している。情け容赦の無い社会は憂いや怒りが蔓延する。
 心神喪失・責任能力・・・人権擁護・・・個人情報などメデアに登場する言葉になんら温もりを感じない。
 いずれ出てくるだろうと思っていたことが、ここにきて俄かに永田町を騒がしている。西松建設とかいう中堅ゼネコンの献金疑惑、事もあろうに今一番脚光を浴びる小沢さん絡み。彼の公設第1秘書が逮捕された、昨日、記者会見を開き、不公正を訴え、国策捜査と不満を露わにした。
 国がやる気になればどうする事もできない。強制捜査は有無も言わさない。あそこまで大げさに報道されてしまっては、国税・検察、更には国土交通省絡みに発展することは間違いない。さすればどこかの時点で決定的な埃が出る。
 その辺を与野党がアウンの境地でバランスをとってきた従来の政治手法が通用しなくなっている。清濁併せ飲むという政治の世界で筆で描くキャンバスが明らかに違ってきている。保身第一で大義を解せない議員が多くなった。もし、今回のスキャンダルで彼が首相になり損ねたら、彼は悲劇の主役を演じた一人として後世に語り継がれるかもしれない。首都圏一極集中の構図は決して経済だけの問題ではなく、地方格差が政治の世界にも浸透していることを理解すべきなのだ。自らの足元、選挙地盤から反対の狼煙はあがるものだ。今回の選挙で彼が刺客となりどこから立候補するかという事が話題になった。このこと自体地元軽視の極みではないのか。私はその辺から彼の陰りを見た。岩手県民はそこまでお人良し???
 どのような理屈を並べても地元有権者を無視してはいけない。地元への足が遠のけば秘書に任せざるを得ない。そこに不満がどうしても出るという構図。秘書と二人三脚と言ってもどこまで信頼関係があるか?もし更に事件が発展した時に私の関知しない出来事とは言えないだろう。過去に企業との献金疑惑で失脚した政治家は枚挙に遑がない。現実に西松が受注した工事の内容を調べれば彼の地盤の東北岩手がダントツに多い、その事をどう説明するのだろう。
 ま!この辺のリスクは覚悟の上と言われればそれまで、だが一国民としては、この構図をいつまで貴方達は続けていくと考えているのですかと問いたい。
 地元は盤石で心配無しと思った瞬間に砂上の楼閣と化すことは良くある話。
 それに生活の基盤を東京に置く議員の実態をメデアが報道すれば良いと思っている。これだって情報開示の本来の主旨ではなかったのか?
  どこの国だったか砂で描いた絵のコンテストがありました。あれって制作に要した苦労に比べれば、
壊すのが一瞬ですよね。これ自然の理。