源究82

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
1151 新型インフルエンザ 5/9 1156 達成感 5/14 1161 ボーダーライン 5/20 1166 本屋大賞 5/26
1152 ジャンボ 5/10 1157 プロフィール 5/15 1162 自衛手段 5/21 1167 何をもって 5/27
1153 身体表現 5/11 1158 複眼思考 5/16 1163 東京湾 5/22 1168 何をもって2 5/28
1154 一人相撲 5/12 1159 不安払拭 5/18 1164 会議ラッシュ 5/24 1169 何をもって3 5/29
1155 駆け込み 5/13 1160 葬儀風景 5/19 1165 励まし 5/25 1170 あれやこれや 5/30

1151:新型インフルエンザ

やはり、日本人から感染者が出た。先だって厚労大臣がコメントしていたが、水際で完全に防ぐことは不可能、時間稼ぎだと、私もそう思っていた。受け入れ側の態勢を整えるという意味で時間が必要だった。
 この度の大型連休で前年並みの海外旅行者が出国していた。一応メキシコなどは取りやめにした人もいたようだが、日に日に変わる情報でアメリカの感染者が急増、カナダも同様に増えていた。今回の感染者は情報では高校生の海外研修(4/24発カナダ)の参加者であることには間違いがないようだ。
 これは防げない。日本では競って海外旅行や研修を行っている高校や中学が増えている。どこもかしこもという感じ。以前は私学が多かったが、今は公私の区別はない。海外での研修を売りにしている。
 今年の3月、当法人の役員会の時に成田で施設を経営している役員からこんな話が出た。「マスクや緊急食糧を法人で買い込んだ。もう臨戦態勢だよ。尚恵でも買っておきな!」成田は空の玄関、一番リスクが高いという話だった。
 そのあと県に電話を入れ、何か我々が事前に準備することがあるか問い合わせをしてみた。
この問題は日本人全ての問題、特別施設だけがという事ではない。対応そのものは手洗いウガイという基本的なことしかない。患者が出た場合は、保健所の指導を受ける、その後の対応は指示通りに行うという話で終わった。
 私の情報源はネットのNHKオンライン、先ほど開いてみたら5分前の発表が既に速報で載っていた。正確な情報と冷静な対応。
 WHOの警戒レベルがフェーズ6に上げられるか否か?どっちにしても、昔の鎖国状態にすることなど不可能、難しい舵取りが要求される。
 昨夜、ドイツの先輩から電話があった。今月日本に来る。成田から私の家に直行し、暫く泊まっていく予定、その確認の電話だった。ドイツでは今の騒動はどうかと聞いてみた。殆ど話題になっていないという。ホントかいな?なんでも10人位感染者が出たようだが、症状が軽いのであまり心配していないという。
 その時思った。冷静な対応とはこういうことなんだ。幸いタミフルなどの薬効が高い事は証明されている。
ヨーロッパは人の交流が自由、これは今に始まった事では無く昔からである。日本が取った水際対策という概念はない。水際が無いからだ。
 日本はそこが根本的に異なる。外的な侵入に対して慣れていない。必要以上に反応してしまう。
日本人が何を恐れるかというと、多分、外聞だと思う。違うかなー。「もし、関係者に感染者が出たら世間に顔向けできない。肩身の狭い思いはしたくない・・・」病気そのものではなく世間体への危惧といったら叱られるか。
 だから隠そうとするんじゃないの。今回の疾病は、誰の責任でもない。・・・が全人類の問題ではある。
だから今我々ができることは、発生が疑われた時は速やかに保険所に相談し指示に従うこと。
 それと最優先でワクチンの開発を願うことである。
 今回の騒動が今後の国としての在り方に何らかの影響を及ぼす事は確実だ。それに我々としても安全衛生管理の問題を単独で対応するというのではなく、地域との連携を持って対処する時代になったということと認識する。

1152:ジャンボ

ソンブレロではありませぬ、ジャンボ椎茸!尚恵学園特産である。
 こんなに大きくなっちゃって?その大きさは私の腕時計と比べればお判り頂けるかと。小さ目の鍋には入らない。そして丁寧に値段まで付けて販売、一個10円。
 大きければ良いというもんじゃーない。雨の後収穫したのだろう、たっぷり水を含み重さは十分。これでは売れませんよ。ちょと可哀想なので我が家が買った。
 暑い日も寒い日も一生懸命作った見事な?見事なシイタケです。
"ジャンボ”と言えばメンバーの個性は超巨大、一人一人全く違う。前項で「外聞」という言葉を使いましたね。
彼らはそれが無い。周囲がなんと思うと関係ない。先日、発熱して通院したメンバーがいた。後でその報告を聞いたが病院中響き渡る大声で騒ぎまくってきたという。彼女は昔、私の目の前で頭突きでガラスを割った、外聞どころか、こんな事をやれば大けがするという事も関係ない。
 内部告発!職員が知恵を出し合って結果穏便に済んだという例など殆ど無いんです。彼らの方が上手。”ジャンボ”なんだよな。
 我々職員はまだ良い。交替勤務。それに正直預けている家族だってそうでしょう。ジャンボがいない生活に慣れてしまった。凄いのは仲間たち、キャスト総ジャンボの中で共同生活をしている。皆さんどうですか想像できますか!御不満もある事でしょうが、意見を言う前に1週間でも良いから一緒に寝てみたら。
 長く教員生活をされていた方の話を伺った。教員仲間で教員の専門性ってなんだ?という話になり、こういう意見に落ち着いたという。
 「どんな事があっても生徒を見捨てない」退学は一番安易な策だと。そうかもしれない。
『僕の好きな先生』という歌を作った有名なボーカリストが亡くなった。その歌詞には僕の好きな先生・・僕の好きなおじさん・・・という部分がある。先生面しないというかおじさんと声掛けできるような教師が生徒から好かれるようです。
 どうも専門性などというと外聞を気にしているように思えて嫌だ。
施設の支援スタッフがどうあるべきか、若い時分に新採用職員研修の講師を頼まれ、大層らしく話をしたことがあった。多分、施設職員の有るべき姿なるものを、自分ではできないのにしゃべったに違いない。
これを絵に描いたモチといいます。
 いま それはできない。あまりにも多くの経験をしてきた。その大半が失敗である。それでも許されてきたのは相手が出来ている方達だからである。
 最近、頭を痛めていることがある。学園ではどうもトラブルが多くて困っている方が家に帰ると全く問題が無くなる。それなら自宅でみたらという話、そんな単純な事ではないから悩むのです。
 ご本人の立場になればすんなりと理解できることだ。自宅でお利口さんでいれば、家に長くいられるかな?学園でヤンチャをすれば出してもらえるかな? これは私共が考えられる筋書きで、彼の本心はいかに?
 ただ、そうは言っても共同生活している仲間への被害が多い。これは黙って見過ごすわけには参りませぬ。
 ご本人の「真のこころ」とは一体何か?そして彼の持っている「天賦の業」とは?
好きな先生=好きなおじさんという関係。数多くの失敗を自分の宝と思えるか
福祉や教育に携わる人達が悩み迷っている。そこにいつまで足を入れていられるか、”ジャンボ”が相手だけに常に根競べ進行形である。
 今、枕もとで読んでいる本。「自力」か「他力」かというもの。そこで面白い例えがあった。
子猫か子猿かという事だ。なんだと思います?分かりますかねー????

1153:身体表現

劇団態変(たいへん)が土浦で公演した。私は自然生クラブからメールを頂戴し是非にということだったので一人で観にいった。題名『マハラバ伝説』「マハラバ」とは大いなる叫びという意味、・・・・追い詰められて、追い詰められてどうしようもなくて最後にあげるさけび・・・・
 1960年代に旧千代田村の寺で大佛空という住職の元に重度の身障害の方達が寄り添いながら自立を目指した。その後「青い芝の会」という組織に発展していく。
 当時、重症児を取り巻く環境は家族の手によってどうにか維持されていた、そのこともあって多くの悲劇を生んだ歴史がある。
 今回の劇団態変の公演は、活動のゆかりの地、茨城で開催することに大きな意義があった。
会場の灯りが全て消され、いよいよ開演、舞台が徐々に明るくなり、暫く何の変化も起こらない。その後の流れは独特の音響と障害者自身が役者となって表現する世界、正直私にとっては初めての経験、一体何を表現しようとしているのだろう?と理解できなかった。
 3幕構成になった、第1幕の最後に、出演者2名が大きな白い紙に、一人は筆を器用に足で挟んで書いた。もう一人は麻痺があるようだが、手で筆を持ち一気に書き上げた。その紙を上から降りてきたロープにくくられ、持ち上げる。なかなか解読できない字であったが、はっきりと読めた部分があった。
 健常者文明を否定する。・・・・・・と書かれてあった。客席から僅かな拍手がなった。
 この劇団を主宰する金満里氏のコメント
・・・人間の営々と続くより良く生きる道への葛藤とは、綺麗事ではなく創造と破壊が織り成す裏切りの連続運動のようなものである。生々しく生きる人間のエゴを見据え、どん底を足の下にしっかりと触りながらの解放を希求する、声にならないほどに大きな叫びを、確かに受け取り受け渡す人との連続性の中に生きるということでしかない。・・・・・
 帰りに受付にあった「脳性マヒ者(CP) 解放運動のめざすもの」を買い求めた。
昔賑わった桜町周辺は日曜日というのに閑散としている。この街並みの浮き沈みが創造と破壊????「綺麗事」で何重にも上塗りされた今の福祉の実態、当事者だけにその事が嫌と言うほど分かる。
以前として本当に困っている人たちへ充分な手を差し伸べることがない。
 一方、福祉事業家という特権意識を何の疑問も持たずに生きている人々がなんと増えたことか!
 市場原理を福祉に取り込み、サービスの向上をはかる、これだって金氏からすれば、人間普遍のエゴに基づく綺麗事でしかないだろう。
 私の場合は多少趣が違う。それは、「福祉」という名前を恥ずかしくもなく58年と9か月首にぶら提げて生きてきた。この恥知らずと揶揄されても
 最近、無性に歯がゆさを感じている。正直に言おう。
歯がゆさに、時に迎合し、仕方なしと妥協する、この自分自身に対する憤り。
 昨日、ある利用者の両親と話をした。家族が何を望んでいるのかこちらでは充分承知しているにも関わらず、あれこれ理屈をこねてしまう。
 それは「他害行為」という問題を本人のマハラバな身体表現として受け止めることができない苛立ちである。

1154:一人相撲

昨日、突然民主党代表辞任の発表を行った小沢さん、貴方は一人相撲が得意ですね。前にも似たような事がありましたでしょう。貴方なりの言い分を十分解しているとは言えません。ただ、貴方が普段言っておられたことと今回の辞任劇に整合性をどうしても私には感じられません。なぜか?代表というものは、自分だけの判断で進退を決めて良いものでしょうか?少なくとも後継者を選任し、新たな体制を見届ける責任を感じます。贔屓目に見たとしてもダダをこねて辞めるとしか思えません。
 ま!言いたい事はたくさんありますが、止めておきましょう。各紙の世論調査の結果が多少なりとも影響していたのでありましょうか?これは決定的ではないことは十分お分かりのはず。
 調査に応じる人間はそこまで責任はありません。質問にもよりますが2者選択であれば白か黒のどちらかになり、確定的なものではなく、流動性の高いものです。
 民主党が政権を取る。これは大部分の国民が一度、現体制を変えねばいけないと感じていますから。つまり、今の自民党主体の政権が後出しする様々な政策がその場凌ぎと非難されても仕方がない状況がありますね。目先のサジ加減では、この国の将来は覚束ない。そのように誰しもが感じています。
 果たして民主党が結束して新たな体制を組めるのでしょうか?現執行部が連帯責任ということで総退陣した時、一体誰があの党を纏めていけるのでしょうか。ここに不安と疑問が残ります。お手並み拝見というには、ちょっと時間が無いのでないでしょうか。
 それに2世議員立候補の禁止に関して一言、何をもって2世議員とするか?確かに親父の地盤をそのまま受け継ぎ、ノホンとしていらっしゃるお坊ちゃま議員もおりますから、それはそれで良いでしょう。本当に実行に移せますかね。
 中には野武士的2世の方もおられます。親父をはるかに凌いだ2代目、これだって評価はマチマチ、いずれにしても何らかの規制をすべきだと私は思います。地元にまったく縁が無い先生もおられるようですしね。
 ところで、本当にこの国はどうなるのでしょう?経済大国になったと有頂天になっていたら、国民一人当たりの借金が600万円?になるという。これをどうやって返すのでしょうか?誰しも貰う金には文句は言いませんが返さなければならないと言うとそうではありません。そこの情報開示が弱いと思うな。
 これこそ、前項で触れた”綺麗事”の裏に隠れた現実というものでしょう。
 話は変わりますが、昨日笠間市の某研修センターで会議がありました。県立のもので、山のてっぺんにあり、道案内が不親切で道に迷ったあげく私は火葬場に入っていってしまいました。着いて驚きました。なんと豪華な建物でしょうか、参加者が異句同音に言っていました。こんなものがあるの知らなかった。一体誰が使うんだいと。
 昨日は社会福祉法人の21年度実地検査の説明会、何しろ法人運営の施設だけで県内に600か所(保育所を除く)を超える数ですから午前午後に分けて説明会があったのです。私も出席したのですが、皆さんがどこか元気が無いと感じたのです。確かに監査を受ける立場ですから、気が重いのは分かります。
 それだけでは無いと思いました。それは福祉に従事しているという自信と覇気を感じなかった。これは問題ですぞー。福祉事業所は慢性の人材不足に苦労し、追い討ちをかける煩雑な事務手続きに嫌気をさしているのです。
 先の一人相撲とは別次元、現に抱えている問題の最前線がこれであります。法人格を有する事業所がこうなのですから在宅での実態は推して知るべし。老老介護も悲惨ですが、障害、児童の在宅の実態も深刻です。
 *自動車のスズキは決算で黒字になるといいます。現鈴木修会長の言葉、「自動車は単なる移動手段と考える時代になったとメーカーは認識しないといけない」この言葉にある重みを私は感じます。鈴木会長の人柄と行動力、それに先を読む力、一度現場を退き会長職についたが、再度この緊急事態に社長に返り咲き現場で、陣頭指揮をとる。政治や官僚組織にはこのノウハウはない、企業トップの責任の取り方にこの国の将来を託すしかないのかも知れません。
 

1155;駆け込み

滑り込みセーフ!
 昨日は10時半から県庁で会議があった。事前に何度か打ち合わせがあり、どうもキャンセルできそうもない。そんな時に限り、葬儀が入る。葬儀の時間は午後1時から、最終時間の火葬に変更していただく、高速を使えばどうにか間に合うという読み。会議は余程の事がなければ1時間で終わるはず、早めに到着、11Fの喫茶コーナーで一人でコーヒーを飲んでいると、後ろで聞いたような声がした。あっつ○さん達、同じ会議だ。その瞬間、余程の事が起こるかもしれないと直感、大きな声で不満?を連れの人と話している。どうもテンションが高い。
 しかし、予想に反し、いつもよりは短めの意見を述べただけで終わった。11時45分。終了。
それから駐車場に行って衣に着替える。課で着替えて下さいと言われたが、どうも法衣に着替えるのはと思って遠慮した。それから水戸東より高速に乗って神立まで、1時10分前だった。
案の定、葬儀屋と喪主が玄関でまっていた。これ私の定番、駆け込み葬儀。今回は白足袋と草履は忘れなかった。Good。
 物事は思うようにいかない。これ常識。3日前にスノータイヤをノーマルに変えた。その時1本タイヤがパンクしていたのを思い出す。釘を踏んでいたと修理屋さんが直してくれたのだった。それをこんな時に思い出す。急にアクセルを緩める。なんだか余程の事が起こるのではないのかとまた不安になった。
 私の人生、いつでも不安と同居、あまり良い性分でない。どうしてこうなっちゃたのと自問自答。
本日は他にいくつか気になる事があったのです。それはあるメンバーさんの事、彼女は熱が出て先日通院、その時だって職員二人が付き添った。病院でケタタマシイ声を張り上げ、病院中に大迷惑、その報告を聞いていた。今日は3人付けたという話。一人の利用者に3人の職員ですぞ。その逆ならば分かりますが、私の所ではこっちが常識、利用者より付き添う職員がどうしても多くなる。
 あれやこれやの毎日が施設現場、どこの施設も同じです。それをなんと言うことか、ある人たちは以前として入所施設解体を叫ぶとは!
 そりゃー日本が地域に受け皿がドーンと揃って、いつでもいらっしゃいなら良いですよ。そんな所どこにあります??横浜?東松山?伊達?わたしゃーいずれにも行って見てきましたが答えはNO。
 だから、そんな空言を言っているより、現実をどうするかという段階なんですよね。
これは譲れない持論である。
 それに国はいけません。何かの要望が出ると、上辺だけ取り組む、サーとね。奥が無いんだよね。薄っぺら。結局、線香花火というあっという間に消えてしまう事業ばかり、これも実態であります。
 そこで我々の事業も見直す時期に来てますね。無駄を省き、実質主義に立ち戻るべきでしょうね。
特に研修などがそうです。やたらと同じ内容の研修が多くなる、この調整が是非とも必要でしょう。
破壊と創造、それに何を継続して次に引き継ぐか、これがポイントでしょう。
 余談です。
 10日にアフガニスタンより帰国された中田先生が土産を送ってくれた。そこに書かれてあるコメント、「食べられるかどうか分かりませんが・・・・・」とあった。乾燥した穀物のようであり、何かの種のようでもあり・・・・・。畑に巻いて良いものか、そのまま口にして良いものか??
 6月9日、アフガニスタンより6名の研修生を受け入れることになった。不安がまた増えた。
私には親父のDNAでしょう懲りない性分も有りますから。

1156;達成感

”葛藤”という言葉の意味は、葛や藤のツルのもつれからみを例えて心の中の迷いを示している。ただ、皆さんご承知ないと思いますが、禅宗で言う「公案」という言葉も同じ意味なのです。人間社会の中で超越的絶対的な真理というものが掴みきれるのかという永遠のテーマに対する自問自答。
 満足度・喜び・達成感・向上心・・・・個が集団を形成する過程でその熱き思いは薄れ、結果として妥協と諦めに身を置くことになる。その絡みの連続が人生。
 何故このような事を考えているのだろう。『歎異抄』第3段にある「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。・・・」という悪人正機説。
 方や『正法眼蔵』の「現成公案」にある「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふとは、自己をわするゝなり。」ということば。
 絶対の真理が有るとすれば、この世に生を受けたものは100%死ぬということ。昔より人間は死を怖れ、有期限の生の中でどう生きれば良いか悩み苦しんだ。ただ良く考えてみれば、自分の生きてきた年数(過去)は思い出すことが可能だが変えることはできない。今後はどれだけ生きられるか分からない。もし決まっていたとしたらどうだろう?その不確実性故に我々は生きることができるとも言えまいか。
 だから1日1日の重みが増すのです。日々是生涯という言葉が好きである。こうできたら良いという意味で。
 今、メデア各社が関心を向けている民主党の代表選出、これなど一番良い例である。カメラやマイクの向け方次第では、どうにでもなる。ただ恐ろしいのは、ラジオ・テレビ・新聞が飽和状態の日本では情報への麻痺と誘導が同時進行で起こること。
 そしてずるい事には、当事者には言い逃れをすることが許され、結果を諸に受けてしまう我我選挙民は自己責任に帰すという構図。これを民主主義と履き違えてしまった。どうしてこうなるか、それはある面では成就した社会の宿命、政党政治の限界、要はどこの党でも掲げる政策に大差が無くなってしまったということである。だから中央と地方のねじれ現象が目立ち始めた。
 達成感は何を目標とするかによる。経済至上主義の綻びを経験した国々、特に先進国と言われる国は、次なる方向性を見いだせずにいる。株価の上下に一喜一憂する有り様は如何なものか!これが人間らしい生き様なのでしょうか。
 先に紹介した悪人正機のパラドックスと自己を忘れるという事の意味をどう解するか。その事が問われているのだ。従来の価値観に縛られて生きてきた過去、そのことが危うくなっている現代、そこに新たな生き様を模索しながら読み切れないジレンマ。
 昨日、こんな事がありました。玄関のチャイムが鳴った。外に初老の人が立っていた。私がドアを開けると深々と頭を下げ、「○ですが、これ今年の分です。どうぞ宜しくお願いします。」と3,000円を私に手渡し直ぐに帰っていった。檀家さんだった。自転車か歩きで来られたようである。寺では郵便振り替えで墓地の年間管理料を毎年集金している。この方はいつも通知を出す前に早めに自分で寺に持ってきてくれる。
 正直、このような檀家さんだけではない。「もう収めましたよ!また取るんですかガシャン」という方もいらっしゃる。これはこちら側の責任だと思うのだが、墓地を掃除してもらって有り難いと思うか、いつ来ても草だらけと腹を立てるか、これはご本人の心の持ち方でしょう。
 3000円という年間の管理料が高いと思えば、ご自分で掃除しなさいよと言いたい所だが、これはこれ
「自己を忘れる」ことが肝心かと日々努力しております。ナームなむ。
 そうでした、達成感は日々変わります。掃除して綺麗になった墓地が、直ぐに草が生え出します。
 

1157:プロフィール

個人情報がややこしくなって暫くになる。今はどうなったのか分からないが、一時名簿の売り買いが問題となり卒業生や会員名簿などが売れなくなった。それに電話帖も急減した。
 プロフィール掲載のお決まりは政治家、その逆の未公開は官僚、政治家個人のHPなどを開くと事細かに経歴がのっている。それを見てみると面白い事がわかる。
 2世議員や小沢さんのように新党を何度も立ち上げてきた人は別格であるが、一大発心して政治の世界に入った人の経歴は紆余曲折、特に保守系の政党では個人秘書から出馬するケースが結構あり、落選の苦渋を舐めた後、対立政党から出馬して当選する人が結構多くいる事がわかる。
 これは一体何を示しているのだろう?人脈・信条・公約????プレイグランド?
出会いというものも重要なファクター、この人に感銘を受け師事というものもある。しかし、この傾向は最近薄れてきたようだ。いつ何時鞍替えするかご本人が分からない。だから真の腹心という者がいるのかと疑いたくなる。嫌な世界だ。
 グループや派閥、呼び方はどっちでも構わない。「愛のある社会」対「人々の幸せの後押し」民主党の代表選のお二人の政治姿勢。「挙党一致」「全員野球」16日に決まる。
 これは政界再編成という次なる段階への警鐘か。
・・・・・今から水戸へ 中断をご容赦・・・・・7:00Am
Pm8:00
 今日は二つの理事会があったのです。私には濃すぎるコーヒーを2回、胃もたれ気味。これからまだ大分役員会がある。うんざりこん。
 今年の全国大会関東地区予選でサッカーが見事優勝、新潟に大勢で参加できる。鹿島がJ1で好成績を収めているから知的障害のサッカーも全国大会に行かせたかった。鹿島アントラーズからメッセージを貰おうと画策、それがJ2の水戸ホーリックが練習場を貸してくれたり非常に協力的だったという話を聞いた。
 こうやって県のレベルが上がれば皆さん大喜び。
 新潟は多分順番で私が団長になるかも。楽しみが増えた。足腰を鍛えないと。

1158:複眼思考

アクセス100,000回に想う
 一つの通過点で、特に何かが変わるものでは無い。毒舌とは言わないまでも独り言だから”まーいいか”という思いはどこかにあります。決して言っていることに責任逃れするつもりは無い。
 いま、朝の5時ちょっと前、玄関のチャイムの音が鳴った。誰だろう?急いでドアを開けたら、長靴を履いて服を目いっぱい着込み完全武装でGHのKさんが立っていた。手にノコギリを持っている。「あのあの・・・竹もらって良いかな?」
 何を言っているのか直ぐには分からなかった。「あのあの  畑にさす竹・・・」 了解!今日は土曜日、彼は仕事が休み、朝一番に自分の畑に使用する竹を切りにきたのだ。寺の竹やぶから以前も切って持っていった。彼の自給生活?こんなに早く来なくても良いのにと言いかけたが止めた。大声でノコギリもって歩いている、近所の人が警察に通報しなくて良かった。彼は同じGHの住人Sさんから感化を受け、自分の畑を作り始めた。何かが出来たのかどうか。出来たら持っていくという話だったが、一向にその気配無し。
 『老いても子に従わず』これは芦屋の岡本医師の話。こころの時代で聞きかじったものである。彼は老人介護の第一人者、北欧の仕組みに詳しく様々な活動をしている。テーマが「安心して生き切る」
 関西弁の独特の言い回し、決して難しい事を言っているのではなく、豊富な体験に基づく話だけに非常に面白かった。日本の現状をこのように分析している。現在介護施設等に入所されている方の8割は女性だという、それも寡婦の人。それから老人の自殺で多いのが異世代同居の老人で独居よりも多い。「老いては子にしたがい」は聞き分けの良い老人になって子どもと同居させてもらうのが幸せという幻想、これがギクシャクした関係を生み悲劇が起こっていると分析する。
 北欧の老人と比べ、日本人には元来「孤独に耐える」力が弱いという。特に男性に顕著で定年後、名刺肩書きが無くなって帰属性を失い何をすることも浮かばない惨めな老後をも指摘する。
 なるほどなるほど。それから小津安二郎監督の「東京物語」の話。見事に高齢化社会の有り様を描いているという。それは誰に世話になるかという視点、「いい人ならば付き合えるが血縁だけという理由では付き合えない」という描写、今度ビデオショップで借りて観てみたくなった。
老夫婦が戦死した息子のお嫁さん(原節子)に世話になる。実の娘とは冷めた関係。そのお嫁さんに笠智衆(主演)が言う「もう息子の嫁はよして、自分の生き方をしてもいいよ・・・」と言う。
 家族の絆とは何か?夫婦と子供、老いと死というテーマを昭和20年代に小津が映画で見事に先取りした作品。

 昔は良かった風潮話へ一言。日本ではメデアが口を揃えて現状批判をするが、果たしてそれで良いのかと指摘する。三世代同居で孫を膝にのせ縁側でくつろぐ姿を老後社会の理想とする場面を作られた幻想だと言う。過去の異世代同居は経済事情から来ている形態であると。なるほど。
 今のお年寄りに昔に戻りたいですかと聞くと大半は否定するとも、確かに良くなった面を見ずに現状批判が多すぎるのかも、グローバル化した社会のシステムの中で、自らの足元を見る力が急速に落ちている。権利と義務という事も曖昧になった社会は、政治の責任ということもあるが、それよりも実は個人の占める責任が大きい。
 先ほどのKさん、関心なことがある。いま勤めている会社は一度もやめていない。それに会社への不満を私は聞いたことがないのだ。寧ろ勤める会社を誇りに感じているようだ。
 忙しい時に彼に休まれると困るとまで言われている。凄いことである。
話は変わるが福祉現場の仕事は大変である。だが本当にそうでしょうか?と疑問を敢えて投げかけよう!
情報操作によるところもあるんじゃーないの。離職率が高く、一か所で長く頑張る事ができない。最近、確実に福祉への求職者が増えている。どうも求職する方で転職が多いのは気になる。面接時、その事を尋ねると仕事に夢が持てないという。夢は与えられものじゃなく、自分で見つけ出すものだ。そのように私は話す。
「老いては子に従わず」の深意は「孤独に耐える」をどう貴方自身が捉えるかということ。
 これも単眼的思考に慣れ親しんだ現代人にとってはこれから自分がどう生きていけば良いかという問題に答えが見いだせない・・・・むしろ複眼的思考を持って臨む(生きる)ことの重要性を今こそ再認識することではないだろうか。祝10万回

1159:不安払拭

新型インフルエンザの感染拡大は防ぐ事は非常に難しい。
 神戸や大阪で感染者が90名を超えている。いずれも高校での集団感染が中心、学生は公共の交通手段を利用して通学する。ウイルスを定期券を使ってバラ撒いているようなもの。今朝報道された国の方針は、大阪府及び兵庫県の小中高学校の7日間の臨時休校、それから介護事業所や障害施設、いずれも通所利用の事業所もサービスを休止することになった。
 橋下知事のコメント、とにかく7日間は家の中で我慢していてくださいという、国への要望として今回のウイルスの毒素の実態の説明を願っている。つまり、あまりにも過剰対応してしまうと都市機能が動かなくなるという危惧。今回のウイルスの弱毒性については様々な噂?が漏れ聞こえる。だが、最初メキシコで発生が確認され、死亡者の数が公表された時は、各国の反応は厳しいものだった、情報が入らないということと、見えない敵にどう対応すれば良いのかということで混乱した。WHOも警戒レベルをどこに定めるか迷った。
 日本は島国、外国からのウイルスの侵入を防ぐ、水際対策に重点、しかし、舛添大臣が述べたように時間稼ぎでしかなかった。いま感染の広がりが進行形。
 情報を流すことは、実は非常に難しい。不安を煽ることになりかねないからだ。
当然、国民一人ひとりが自らの責任で感染を防ぐしか方法はない。実は昨日、尚恵学園の家族会の総会があり、私から新型インフルエンザへの法人としての取り組みを説明した。
 旧来のインフルエンザと対応は変わらない。ただ、窓口が土浦保健所になること、その指示に従うことが既に決められていると説明した。それ以上の事は実は現時点で言えない。受け入れ医療機関の事まで心配したら、どうしようもない。
 ただ、お願いしたのは、もし感染者が出た場合には、元気な方には一時家庭に帰省することをお願いすることもあり得るということを付け添えた。
 入所施設の場合、何事も世の中の動きから遅れて入ってくる。その意味では常に自宅待機しているようなもの、園内外いずれからも一番安全な場所である。批判覚悟で言えば、隔離が取り易い所。
 いつも私の頭を混乱させる、施設の地域化・・・ノーマライゼーション・・・を図ればはかる程リスクが増える。何を是とするか????である。
 今回の国の示す方針として、最終的には地方の判断に任せるということ。県や市町村も任せられても困るはずだ。我々事業所は、保健所に全て任せれば事が済むのだろうか?サービスを休止するとは、一体どのような事を想定しているのか?
 この辺の話になると実は行政は手が出ない。もしも、我々施設が全て事業を中止したら、それこそパニックになることは明らかだ。その辺の詰めは実はなされていない。
 不安払拭、仏教的に言えることは、「死ななきゃーなおらない」という一言。
此岸は四苦八苦の世界、これこそ全ての生あるモノが共有する現実。さらに今の混乱が何を示しているかと考えれば、何か大いなるものが我々人間に対して警鐘を乱打し始めたことだと私は思う。お不動様の形相で怒っている!!
 懲りない人間、エゴの塊り、相手を蹴落としてまでも自分の幸せを掴もうとする動物。六道で言えば、地獄餓鬼世界そのもの。親が子を殺し、子が親を殺す人間社会への真なる怒りだ。
 人間は時が立てば忘れるという便利な能力を有する。あまりにも多くの大切なものを他の犠牲によって享受してきたことへのツケである。恐らく、このドタバタ騒ぎも一時的なもので、忘れさる運命であろう。
 時には忘れる事を正当化し、時には”認知症”といって社会問題として棚上げする、至極利己的な動物であるんだわな。

1160:葬儀風景

「本日は法話がございますか?」「いや、しません」
 斎場で必ず打ち合わせの時に司会者と交わす確認事項、私はいつも法話はしない。自分なりの理屈がある。通夜や葬儀を等閑に附しているわけでも無い。相手と通じる話ができるのは回忌法事の時だと決めている。
 最近の葬儀屋さんは演出が素晴らしい(?)、本人の履歴を事細かにナレーションで案内する。すると坊さんが故人を忍び敢えて付け加えることが無くなっちゃう。
 諷誦文(ふうじゅもん)や表百(ひょうびゃく)は、必ずお唱えする。これ常識。正直、漢文読みだから、聞いている人は何を言っているのかチンプンカンプン。
 そこが良いと私は考える。
昨日の葬儀は91歳のお婆ちゃん、ゲートボールが日課、自宅にホームグランドまで持っている。娘と二人で草取りを行っていて、娘さんが家の中に着替えに入り、お婆ちゃんを呼びに戻ったら倒れていた。その間10分も無かったという。救急車で病院へ搬送される中で、息を引き取った。腹部大動脈瘤破裂、瞬時の出来事であった。私はこのお婆ちゃんを良く知っている。旦那さんを16年前に亡くし、17回忌を今年やろうと家族で話していたという。
 晩年はお孫さん家族と同居、ひ孫の成長を楽しみにしていた。巣鴨のお地蔵さんに通っていたかどうか知らないが、お婆ちゃんの逝き様は見事であった。
 子供さん達の付き合いが広く、通夜葬儀と大勢の弔問者があった。それぞれの関わりが有って参列してくれた人々、葬儀や通夜は、その方達との別れの場。
 それがどうも(坊さん)側の言い分だが、絶好の布教の場だから利用しないことがないという。
 私はそこに疑問を持っている。これ以上言うと差し障りが出るからやめておこう。
夏目漱石が講演を頼まれてこんな話をしている。(明治44年8月明石にて)
・・・・彼らは見性のため究真のためすべてをなげうって坐禅の工夫をします。黙然と坐している事が何で人のためになりましょう。善い意味にも悪い意味にも世間とは没交渉である点から見て彼ら禅僧は立派な道楽ものであります。・・・・・・・・
 これは「道楽と職業」と題して講演した時の記録にある。道楽を決して批判しているのではない、研究者や芸術家、それと作家である自分自身も道楽ものであると言っている。
 何を職業選択するか、そのモチベーションは変わった。いつもの私的見解で申し訳ないのだが、いかに楽して将来安定な職業を求めようとするか、その傾向が強いんじゃないの。若者よ!
 人付き合いが面倒で苦手な人は、組織の中に入ることを嫌がる。ならば手に職を付けて職人になるかと言えば修行に耐えられず中途挫折。
 学業優秀で最高学府に進めれば将来はバラ色?これも雲行きが危うくなってきた。
この根本の問題は何か!自分の将来に受身なんだな。自らの意思で切り開いていこうという気魂が無い。そうかと思うと成功事例はいくらでも知っていて、こうあれば良いと思いながら現実とのギャップに目がくらむ。
 どうのこうの言ってみたところで、人生一回きり(註:輪廻転生を信じれば話は別)、元気で長生き、気心の知れた人達と好きな事をしながら、ポックリ逝きたいものである。ナーム大師遍照金剛だー。
 

1161:ボーダーライン

”境界線”   何を持って境界とするか? これは日々の生活の中で誰しもが感じること。例えば”これくらいはまだ良いか”とか”これは私の守備範囲を超えているな”と言うように何らかの判断基準をさす。
 最近、話題になっているWHOが決める警戒レベル、悪評の障害程度区分もそうだ。
あらかじめ用意されたレベル事の条件を満たす割合により、人為的に判断されるもの。
 区分されても、実態に何ら変更はないのだが、周囲への影響は大きい。いま進行中の新型インフルエンザ騒ぎは、経済活動への影響が計り知れないという。1917年の世界大恐慌と同時に起こったスペイン風邪騒動を思い起こした人も多いに違いない。どっちが先に起こったのかまでは分からない。しかし、ダムの決壊と同じで一旦起こってしまうと手に負えない惨事となる。決して不安を煽るつもりはない。
 今回の新型がそうだと言うのではなく、現実に歴史が証明している。
 アメリカ発金融破綻の話題性が影を潜めてきたと思ったら世界中を震撼させる騒動となった。国は冷静を保つために必死になっている。正確な情報を早く国民に知らせるという方針に間違いはない。ただ、刻々と報告される感染者の数は、冷静に受け止める境界レベルを越えているように思う。
 想像で言うのは良くないのだが、果たしてメキシコやアメリカの感染者は本当に減少しているのだろうか? それにお隣の中国はどうなの?と疑問を感じたら切りがない。過剰な対応を疑問視する人もいるが、その言動は極めて控え目。
 関西のある地区に集中する感染は、時間と共に必ずや日本各地に伝搬するだろう。なにろしろ境界線は全くウイルスには関係がない。その時どうするか、それぞれの事業所で対応準備を行っている。
 病原性の特性から判断し、季節性インフルエンザに準ずる取扱いにするとかしないとか。そうなると話は別になる。多分、ヨーロッパの国で感染者の数が然程増えていないのをみると、事細かに検査を実施していないんではないのかと思いたくなる。確かに特定の慢性疾患を有する人や妊娠中の人には警戒が必要というのも分かるが、これは別に今回の疾病に限ったことではない。それに弱毒性が感染を繰り返す中で強毒性に変異する可能性も否定できない。
 実はこの判断が難しい。だからじっとおさまるのを待っているしかないのだろう。
正直、6月初めに奈良の本山で会合があり、宿を予約してある。その頃になれば、どうにかなっているかもしれない。敢えて関西方面に行くのもどうか?迷うのである。
 昨日、県と24日に実施予定しているスポーツ大会の開催の有無について電話で話をした。事務局は内部で既に話し合いを持っており、いくつかのパターンを用意しているという事だった。
 私の所に何人かの施設長から電話で問い合わせがあった。

1162:自衛手段

昨日は東京で会議がありました。これでは無理だー!
 心配していたことが現に起こっている。感染者が東京八王子と川崎で出た。二人とも19日にアメリカから帰国した高校生。機内検疫ではマイナスでパスしていた。私はマスクをして電車に乗る。1割にも満たないマスク使用者、これじゃーすぐだわな。そう思った。今日行けばどうか?関東で感染者が出たから、少しはマスクをする人が増えているだろう。
 昨日の会議は全国会長会議、兵庫や滋賀の代表者も来ていた。彼らが菌を運ぶわけではないのだが、恐縮していた。出席者の関心事は決算や事業報告ではない。事務局からの説明に対し、意見が出なかった。その他の事項になり、俄かに賑やかになった。それは近畿地区代表が現状を報告したことが突破口となる。
 国の指導では、学校の休校と合わせ、保育所や幼稚園も休園する。介護事業所や障害施設の通所サービスはストップ、この状態が長引くと大変だという報告であった。
 どうも今回のインフルエンザには特徴があるように思える。感染者の大半が10代の方、学校を通じて集団感染するようだ。家族への感染もあり、確実に広がりを見せている。
 日本医師会が季節性インフルエンザと同様の対応にして欲しいと国に申し入れ、これは急増する感染者への対応が難しくなっている神戸や大阪の実態からであろう、それと病後の快復が思ったより良いという臨床報告からの申し入れである。
 当然、その動きに警鐘を鳴らす人も出ている。東北大の先生がどこかの講演で重篤化した事例を取り上げて油断しないよう注意している。
 国も見定めるのが大変だ。有事の決断は、実はどちらにしても批判はつきもの。
ただ、明らかに他国と日本は違う。個人医院でも検査キットがあって、即座にインフルエンザか否か初期判断できる。中国を例に挙げては失礼だが、果たしてあの大国で今日本で行っている対応が可能だろうか?
 むしろ、今回は将来起こり得る強毒性の感染症対策に地球規模であたる参考にすべきである。それには最優先でワクチンを開発することしかない。日本が世界に貢献するとすれば、ここにこそ力を注ぐべきでしょう。
 がっかりしたのは、某新聞にこのような記事があった。今回の感染騒ぎを自民党は選挙広報に利用か!という内容だった。
 この記事を書いた記者の常識を疑う。なんでも話題性を高める記事にしようとする。他紙からの批判を受けて当然なのだが、どこも似たりよったり。
 上野の売店で買った新聞、感染記事が一面にあったので買い求めた。電車の中で読む。次のページに進むとアダルトものが紙面を埋め尽くす。これが実態です。
 自衛手段とは言っても、個人のできる事に限りあり、とりあえず、25日の横浜と2日の京都、一泊で会合がある。マスク持参で参加しようと考慮中。

1163:東京湾

有楽町駅から東京湾側に10分も歩かずに竹芝桟橋に着く。最近、近くのホテルでの会議が多くなり、何度も来ている。いつも会場に直行するのだが、今日は時間があったので伊豆7島への定期船の発着場所となっている竹芝桟橋に行ってみた。右側に聳えたつ橋、2段式になっていて、ゆりかもめと高速道路が通る。天王洲側から見た風景とは逆になっており、お台場に林立する高層ビルをバックに外国に行ったような錯覚を覚える。
 港や飛行場は独特の雰囲気があって誰しもが心弾む。旅をしたいのは山々だが、どうも事情が許してくれない。この辺りは東京湾からの風も心地よく感じられ、ベンチに腰掛け本を読んでいたら、束の間の午睡となった。その時間は数分かもしれない。ただ、多くの思い出が一瞬のうちに浮かんでは消えた。
 昔、源氏物語や平家物語に歌われた情景は、せせこましいこの世にあっては無縁となってしまった。
人間が味わうことができる心の綾は、相手にどうすれば上手く伝えることができるかという能力を育てた。いま、それはメールという至って便利な機能によって一瞬に行われてしまう。そうじゃーねーだろうよ。
 思いもかけない一瞬の出来事や目に入った風景で言い尽せぬ膨大な量の語らいが生まれる。
そこに価値観を私は感じる。
 新型インフルエンザ!障害者自立支援法!国会陳情! ホトホト疲れましたね。一体ここまで大騒ぎして何になるのだろう?
 ウイルスだって自分が生き延びようと必死なんだ、豚さんの中では住みにくくなったんだよな。次は鳥さんから転居してくるかもしれない。
 人間が弁えず土足で踏み込んだりするからなんだ。
国会陳情? ここ数年、なんとバカなことに翻弄されてきたことか。正直そう思っています。悪法だかなんだかしりません。
 だってそう思いませんか稀なるテンキ様。自分の世界に引きこもっている間は良かった、周囲が騒ぎ始めたものだから落ち着かなくなり、手当たり次第に手を上げる。業界用語では”他害行為”、集団生活に不適当、医療機関に相談し、家族を交えて大騒ぎ。これだってもしもだよ。上記の写真のような景色のよいところで過ごせば問題が自然に無くなるかも??
 いまぶち当たっている様々な出来事に悪法論議は全くなんらの回答を示してなどくれやしない。
本来の福祉は、こんな風じゃなかったはず。法律ができればそれを悪用する奴が出てくる。このほうが問題なのですよ。そのことを履き違えちゃったんだな。だから格好つけて”族議員”先生まで登場、今まで吹いていた浜風が陸風に変わったことも本人は分からずに帆を同じ方向に向けて船出する。
 基本ができていないんだよ基本が。もう一回顔洗って出直してこい。
ああ・・・疲れる。
 潮風に こころ和みて 幾年つき・・・・・・

1164:会議ラッシュ

昨日は尚恵学園の役員会議があった。出席率はすこぶる良く、穏やかに晴れ渡った天気にも恵まれ、”ウーン今年こそ尚恵の年になるか!”など思ったものです。
 なにせこの時期は決算理事会が連続する。今日は関係する法人の理事会が他に3つあり、2つは欠席させてもらう。その間に土曜日とあって法事があった。予定は未定、寺での法事だが、皆さん遠方から集まるとかで集合が遅い、急いで供養し納骨に墓地まで。待ちくたびれた様子の石屋さん、お骨を納めようとするが、何やら様子が変だ。ハンマーやバールを持ち出し必死の形相、どうしたのか尋ねると「狭くて骨壷が入りません」ときた。喪主も大変、一番遅れて来たものだから、着物の帯がずっこけた。引きずるように歩いてはいたが、案の定、墓地に上げる花を忘れてきた。「早く持ってきて・・・台所の中!」娘に睨まれながらも石屋さんに声掛ける。「あの?もういくつ入りますか?私の席ありますか?」石屋「・・・・・」必死ではずっている。参列者は「シラー」気ムード。
 そのまま法衣の格好で私は土浦のホテルでの理事会へ、もう議題の後半、昼食を頂きに行ったようなもの。
 どうも世の中思ったように進まない。
午後3時からの本番、自分の施設の理事会。頭の中が纏まらず、議長になったのは良いけれど、どこをどう説明したのか分からない。大変失礼な議事進行と成りにけり。
 うれしい事は様々なご意見が乱れ飛び、お陰をもちまして予定時間を通り過ぎ、充実した決算理事会となりました。
 本日は晴天なり???今、朝の6時過ぎ、今日は笠松で恒例のスポーツ大会、茨城放送で開催の有無を知らせるとか、しかし放送時間を忘れてしまったから仕様がない。
 ヤオラ大粒の雨が降り出した。思ったようには進まない。

1165:励まし

励まし気を引き立たせる。昨日はゆうあいスポーツ大会、朝からの雨模様、何度天気予報を聞いても「くもり時々雨、午後は雷になる地域あり・・・・」
 ”時々”というのが曲者、何しろ家を出る時には大粒のまとまった雨になっていた。現地で準備しているSに電話、「やりますよ!こっちは雨降っていません」茨城県も広大で良かった。
 それならばと高速に乗って笠松へ、いつもなら水戸に近づけば雨脚が弱くなる、それが本日は違った。
やけくそ!指定された駐車場、カッパを着た誘導係がイマイチ元気なく思えたがガランとした駐車場へ一番先に車を停めた。
 開会式の始まる頃には雨も気にならなくなった。さすが百里基地。レーダーも健在なり。
知事も登場し、スタート、恒例の来賓議員のお歴々の紹介、「手をあげて・・みなさーん頑張ってくださーい」とスムーズだ。選手宣誓に選ばれたお二人は最前列に並んでやる気十分。徐々にいつもの雰囲気に。
 歌のお姉さん?とエレクトーンのお姉さま?  長い付き合いになりました。アウンの境地というのでしょう。簡単な打ち合わせで本番へ。さすがプロ、盛り上げる術は心得ている。このような職員がいたら良いだろうにな・・・・と隣の席の方に話したら「うん」 そうですか いずこも同じですか、妙に納得してしまいました。
 早めに終わったのは良かった。後片付けが終わる頃にはまた雨が降り始めた。各テントを回った時、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。どこかで見たような顔、何気なく胸章をのぞいたら、瞬時にタイムスリップ、あっつあの時の”アンちゃんだ”。そうだわな?兄弟でウチにいたんだっけ、それも30年以上も前、「○吉はどうした?」「家にいる。仕事ねーんだと」「そうか」この兄弟は良く覚えている。地元の小学校に何人かと通った。昭和50年ごろだと記憶する。そしてその後は施設が変わってどこにいるのか分からなかった。その彼が向こうから声をかけてくれた。
 この仕事を続けてきて良かったと思う瞬間だ。お互いに昔の面影はないけれど、何か通じ合えるものを感じる。
 折からのインフルエンザ騒ぎ、将来このような全県的な行事が続けていけるのかどうか?どうも腰が引けるのは支援する側で参加する人たちは、楽しみな交流の場となっている。
 今回、個人的には感動していることがもう一つあった。それは、宿敵東京と埼玉を関東地区予選で負かした茨城のサッカーチーム、見事全国大会への切符を勝ち取った。準備段階で今回から変えたことがあった。
 それは従来順番で2種目だけ関東地区予選に参加していた団体競技、これが希望が強くて、全種目予選会に出場できるようになったこと。その先陣を切り、今回サッカーが栄光を勝ち得た。
 開会式の開会宣言、順番で私が行った。言うつもりは無かったのだが、参加者の顔を見たらなんだか知らない、サッカーチームの事が口から出てしまった。何か大いなるモノが私に言わせたのだ。そうなのだ。以上。

1166:本屋大賞

横浜・みなとみらい
研修が終わり桜木町前のホテルに入った。窓からの眺め、画面には入らないがランドマークタワーが左側に聳え立つ、中央の帆船の形をした建物がインターコンチネンタルH・・・・・
 全国から大勢集まる会議だから、有楽町の東京フォーラムか横浜の国立大ホールが最近交互に使われている。
 でも土浦から横浜に出るには少なくとも3回乗り換えなければならないので不便である。電車の中で本でも読もうと上野駅の書店で1冊の本を買い求めた。特別展示コーナーに並べてあったもので、”本屋大賞”という札が目に付いた。もう読んだ方もおられるでしょうが第1位にランクされた『告白』湊かなえ著を買った。私は本屋大賞なるものがあるのも知らなかったので騙されたと思って暫く思案したが買ってしまった。
 新人の作家にしては、今までの流行作家にはないタッチで描かれたいるという書評、乗り過ごしにご注意!とまで表紙裏に書かれてあった。
確かに1章〜6章の構成になっていて読みやすく内容もスリリングで引き込まれるように一気に読破する。小説とは言え、こんな筋書きで問題にならないのだろうかと気をもむ。もし未だ読んでいない方がおられたらお勧めです。双葉社発行1400円+税。ちょっと高目の昼飯代と思ってどうです。
 実はここで本の内容を書くつもりはない。横浜では私は午前中から召集がかかり、早めに出た。関東地区の会長会議があったからである。各県の状況を話し合うのだが、正直、先の見えない中で各県同様にもがいているといった印象を受けた。政令都市の代表もいるので10人ほど、各県会長の入れ替えもあったようで、初対面の人も何人かいた。いつまでもこの席にいるべきではないなと感じた。
 できれば、あまり変な事に頭を使わず、のんびり今の仕事をやりたい。余りにも周囲の事に時間が取られ過ぎた感がして仕様が無いのだ。
 みなとみらいという振興の開発地域はいつ来ても何かを感じる。夜中に目を覚まし、窓の外を見ると道路工事を一生懸命行っていた。車の通りの減った夜中に働いている。街灯がものの見事に夜景を演出、休まない大都会。電気代も大変だ!これは無駄とは言わないのか。
 何度かインターコンチネンタルHに宿を取った。豪華で部屋からの眺めも素晴らしい。今回はランクを下げて駅前のホテル、夜は宴会はせず、近くの中華店で簡単に夕食を済ませ、早めに寝た。
 実を言えば、横浜に着くやいなや、葬儀屋から電話が入っていた。今晩の通夜は無理だが翌日、どうしても葬儀をしたいという。そんなこんだで、すっかり意気消沈、知り合いも何人かいたのだが、誰にも声を掛けず部屋にしけこんだ。
 一つ気になる話があった。それは障害福祉が何故この国で伸びないのかという全体会での一コマ、確かに老人介護に比べ、方や個室が常識になっているにもかかわらず障害福祉は4人部屋、関係者に責任が有るのではないかといわんばかりの発言があった。
 カチンときた。だが障害福祉をここまで複雑にしてしまった根本原因は、「関係者が意見が纏まらない。それぞれの主張を訴えはしても、一緒に纏まろうとしない。国への要望一つみてもそうだ。この辺が変わらないと本当の意味の利用者本位の仕組み作りはできない・」
 福祉の世界にも本屋大賞に代わる利用者大賞を作ればどうでしょう。その辺の意識改革が果たしてできますかね。???
 

1167:何をもって

核心部分に触れるには、書くスペースに問題有り。良く良く考えて「なぜ論議の方向性が定まらないのか?」と問うた。自省を込めて敢えて核心に触れる。それは障害者福祉というお題目の陰に隠れた我利我利モウジャの争いだからである。我が田に水を引くことばかりに関心があって、隣には冷たい。
 気が付けば誰しもが金を最優先に考えるようになった。儲けをどうすれば増やせるかという類のノウハウ福祉セミナーに参加者が多く集まる。
 ならば何をもって福祉と言うのか! これに対する回答は取って付けたような模範回答、しかし、実態は如何に?
 儲けをどう還元するかについては、一向に定まらず、この端的な悪例が嘗ての”コムスン”とこの度の”漢検”事件、問題はトップが何も問題と感じていない事にある。良かれと思って起業し、波に乗ってあっという間に時代の寵児。だがトップや経営陣を据え替えれば万事解決となるか?答えはNO。
 その影に必ず、政治や官僚が見え隠れする。この構造があっていかなる福祉論が取り交わされても結果は明らかだ。
 今の時代、情報の流出に歯止めが利かない。政治に期待すること事態が愚かなこと。何故か?
それを示す端的な事例が起こった。お隣さいたま市の市長選、立候補した3人が全て保守、急遽鞍替えした候補者がトップで当選、だが、元を正せば同じ党出身。
 政策通と言っても、結局は何を選択するかという事に尽きる。ここが重要なのだが、へーそんな事と言われましょうが・・・『人間性』ということだ。過去のポストなど関係ない。いかに聞く耳を持ち誠意をもって対応するか! その姿を見れば自ずと周りも変わる。この変化の波が要となる。誰しも全ての要求が満たされるなどと考えていない。それよりも重要な事は感じ合えるという実感、そこに微かな期待が芽生える。
 今後、どのような展開になるかは知らない。今、盛んに論議されていることも、いつの何と比べて、という事だ。私の原点は昭和31年、法人設立の趣意書にある。
 既にその時代の事を知らない人々がこの業界に多くなった。
アメリカから講師として招いた方が、日本で何気なく使われている「サービス」という言葉に即座に反論したという。「サービスはお金で買うもの」でサービスではなく「サポート」でしょう。サポートは支えること、相手が何を必要としているか見定め、それを支える活動が福祉だと
まさにココが核心である。福祉に結果オーライは馴染まない。
 日本ではサービスの質の向上を目指せとばかりに市場の競争原理を取り込んだ。その結果何が起こったか、言わずもがなミニコムスンが至るところに立ちあがった。これを良しとするのであれば、私はこの世界から潔く退場させていただく。そうじゃないだろう・・・絶対違う。
 いま、ある方から電話があった。大分以前に触れた民間施設が連携して社会貢献活動をしようという。
これもまた表と裏を見てしまうと、私の性分ではどうしようもない。みんなで渡れば怖くない。自未得度先度他という思想は、自らが先に渡り、自己満足に浸ることを嫌うもの。ここを履き違える輩とは同行を拒むことしか心狭い私にはできない。
 どこまでやれるか知らない。また際限が無いサポートだと良く知っているからこそ、一粒の種を蒔き、その小さな芽を育てていく。この選択しかないように思います。結局、核心に触れるにはスペースが無かったようです。お許しを下され。
 

1168:何を持ってU

昨夜、知り合いの通夜がありました。61歳で逝った。
 知的障がいの仕事に御夫婦で長年あたってこられた。どこまで真相に触れることができるか正直自信がない。しかし、故人は丁度1年半前に亡くなったご主人と一緒に障害者との夢を必死に追い続けた。その姿は良く存じ上げている。
 ご主人がこの世界に入ったのは私と同じ20歳前半、もう40年も前の話、あの当時、地方の施設職員で中央の従事者会で活躍できる人など少なく、その中の一人だった。名前だけは存じ上げていた。自分の考えをはっきり言う方で、やることもやった。それだけに敵?も多くいたようだ。そんなご主人の一番の理解者だったのが長年連れ添った奥さん、決して全面に出る事はせず、いつも笑顔で迎え入れたという。3人の子供達もそれぞれが所帯を持ち、親元から独立、お二人の子供夫婦がお父さんとお母さんの後を継いだ。
 決して順風な船出ではなく、独立と同時に引き継いだ児童養護施設は、想像以上に荒れていた。
組合闘争に巻き込まれ、裁判、地元紙からのパッシング、福祉関係者からも横目で見られる。どのくらいの年月が過ぎたのだろうか、結局、最初に受け継いだ養護施設は県が間に入って、他の人に譲り、30名の知的障害施設を独立させ新たな法人としてスタートする。
 この間のご苦労は想像を絶する。ご主人は心労から体を壊し入退院を繰り返す生活を余儀なくされた。
御主人への献身的な看病も功を奏さず、夫は1年半前に亡くなった。その頃だったようだが、今度はご自身が体調を崩し、子供たちが必死に取り組んでいる姿を闘病をしながら見守る。多分唯一の楽しみはそれぞれの孫たちの成長だったに違いない。体調も十分ではなかったと思う。しかし、その素振りは一切見せず夫婦で働く子供たちに少しでも手助けになろうと孫達の面倒を引き受けた。
 先日、新たな施設のお披露目があり、私は伺った。式典など実施せず、自由に見にきて戴く形にしたという。新たな土地の確保それに地元への理解・建築、多分苦労したと思う。しかし、今度は”築く苦労”だ。私が娘さんにお母さんは完成したのを見たのと尋ねると黙って首を横に振った。本当ならば一番先に見せたかったはずの小さな小さな施設、お父さんとお母さんの想いがいっぱい詰まった施設。その時お母さんは病院だった。
 いま、入所施設の解体とか家族経営の批判が叫ばれる。本当にそうなのか!ならば貴方達が最後までこの人たちをサポートするのですか?
 私はこの世界では2代目で通っている。確かにそうだ。自分が築き上げたなどという自惚れた思いは微塵もない。組合闘争も相手の立場になれば分からないこともない。尚恵学園も丁度私が就職した頃、その動きがあった。むしろその当時は理事長である父に反発した。こんな実態で良い福祉などできやしない。なんで息子に福祉なんて名を付けたんだ・・・・!涙ながらに訴えた。
 その時、父はこう言った。””共闘””だよ。
今の政策に不満があるとすれば、予算がないという事で全てが片付けられてしまうこと。そして意欲のある方が異動で直ぐに変わってしまう。これは一体どうしてなのか?
 引き継ぎがなされない仕組みが出来てしまった。前任者を踏襲するやり方が無難だから形が残って心が無い。
私は大切な事は次の世代にきちんと引き継がなければならないと思う。今日、荼毘にふされる奥さん。貴方は自らの生命をすり減らしながらも亡き夫の想いを子供たちに立派に伝えて逝ったんです。
心から冥福を祈ります。

1169:何をもってV

”何をもって”云々・・・もってを「以って」とすれば”何のために”という意味を持つ。あまり屁理屈をつけたくは無いが、○○委員会という場に出席する度に、「この集まりは何のためにやっているのかな?」と分からなくなる。事務局も余り疑問も感ぜず淡々と進行表に基づき進めていく。
「待って下さい。一体今日は何の会議を行っているのでしょうか?」などと尋ねてみれば出席者から冷たい視線を浴びる。「事務局一任」「異議なし」「拍手パチパチ」・・・「えー本日は大変お忙しい中を慎重なるご審議誠に・・・・」  何を以ってうべなるかな!
 宮崎駿がNHKの100年インタビューで・・・
  ゲーム・テレビ・アニメが無くなれば子供たちは自然と楽しむようになるし、プロパンができて山が荒れ、食が良くなって川が汚れた・・・・
67歳の時のインタビューでこれからどう生きるかをテーマに話したものである。彼はご存じの通りアニメ作家では世界に名を馳せる超有名人、その彼が昔を懐かしみ感慨深くとつとつと語った。今の技術やメデイアを何の為に活用するかという事を自分自身アニメ業界にいて可能性を追い求めている。
 ここまで進んだIT社会を元に戻すことは不可能だ。寧ろ今以上に高速でメガ容量の技術開発を競う。恐ろしいのはゲームソフトでイジメや殺人のゲームが売られているということだ。野山で虫を追い、小川でカエルを見つけて遊ぶ。。。そこから夢を膨らませ将来の自分の道をさぐった。そんな時代に後戻りすることはできるのだろうか?
 いまデジタルでゲーム感覚で物事を考えるようになった。
某研修会での話。ある社会福祉法人で現実にあったこと。全職員合わせて150名ほど、1年間に辞めた職員42名、うち25名が勤務1年、17名が半年以内、そして3名が就職3日目で辞めた。そしてその後補充した職員32名。
 これは決して極端な例では無いのである。現に福祉現場で起こっている。確かにここにきて就職希望の見学者が急増している。その半数は今何がしかの福祉現場で仕事をしている人達だ。
 種別によって若干異なるようだが、日本の最大の福祉業界の介護現場が一番ひどい。
 若者の育成といくら関係者が声を大きくしても効果はない。「何を以って」という事が自らの意思で考えつかない人が増えている。デジタル化したゲームは瞬時に結果が出る。途中経過は全く無視されている。田んぼの畦で、小川を覗くとオタマジャクシ、それが大きくなってカエルになる。そこに生き物の不思議さと大切な命を感じ取る。
 また、ここまで学習塾が増えた国も珍しい。だが、どうでしょうか?彼らは何のために塾通いしているのか、実際に分かっているのでしょうか?○○ちゃんが行っているから、お母さんが行けというから・・・
 この延長線上に国の自立という議論がある。・・で、どうでしょう?
昨日も国会審議を車の中で聞いていた。『敷島』級の艦船を何隻建造すれば良いのか・・・北朝鮮の核実験への制裁決議。どうも将来を思えば思うほど悲観的にならざるを得ない。
 *肺炎で入院していたMさん、退院できて昨日久し振りに会った。「退院できて良かったなー」と声をかけると大きなマスクをしながらニッコリ笑顔で片手をあげた。

1170:あれやこれや

適当な日本語が見当たらない。”あれやこれや”と言ったところの毎日を送らせていただいております。
 施設の生活を考えるとなんでも有りという事になりますか、医学的な専門知識がないのだが、一人無事退院できたと思ったら、今度は違う寮で「マイコプラズマ」による肺炎の疑い、念の為に寮間の交流を一時やめにした。しかし、どうなのでしょうね。そこで困った事があります。ショートステイを3人受け入れる手筈を取っていたものだから、他の寮での受け入れに急遽変更。
 先日、県内の施設長会議で某施設からインフルエンザ対応での苦労が報告された。日本中が色めき立っている時期だから尚更だ。
 そこで私の今の心境開陳である。2日京都に行く事になっていた。本山での全国布教師大会、本心はキャンセルしたいのであります、・・・が役目上ダメと言われた。本山からはマスク着用でという異例の文章も届く。1泊で戻る予定でいたのです、夕べ葬儀の知らせが入った。3日の通夜に伸ばしてもらったが、逆算して奈良を早めに出ないと間に合わない。何しに行くのか自問する。
 ここのところ出ずっぱり、業界仲間の集まりが大半。息抜きになるどころかストレス倍増だ。
 障害者自立支援は難しいなー!それと一般の人々の理解が十分でない。その一例である。
移動介護という事業があるのです。私どもは現在休止している事業だ。福祉タクシーがあるのに何も我々が領海侵犯することもないだろうと思うからだ。皆さん!知ってますか?移動介護でパチンコに同行するという話、自宅からパチンコ屋までお連れして終わるまで脇で待っているということを。これ どう思います? 私は正直、おかしいと思いますよ。でも実態は許されている。そこの施設に匿名で電話があったという。「てめーら、税金使って昼間からパチンコやってんのか!」というお叱りの電話だったと施設長が教えてくれた。別に職員が公用車でパチンコをやっていたわけじゃないんですよ立派なお仕事ですからと付け加えて。これは特異な例だと思いますね。
 本来の移動支援は、地域で日常生活を行うのに不便をきたす人たちへの支援です。確かに福祉タクシーでパチンコ屋に行くと結構なお金がかかるようですし、その分パチンコに投資したほうが良いのかも。でもねー。これが一般市民の理解を得る福祉の在り方でしょうか。でも、利用者からの言い分は違いますよ。
 後もう一つ。社会福祉法人では毎年監事による監査報告というものがあります。これが実に困ったものなんですね。国はバラバラな書式を統一しようとするんです。これは分かりますがね。でもね、次から次に書式を変えるんです。今年は異常なんでしょうか?従来の書式で監事監査報告を作ったのでしたが、それでは何か拙いようで、再度取り直しをしました。やっている事はなんにも変らないのですがねー。
 仕事を余計複雑にして難しくするのは何故なんでしょうか?匿名で国に電話いれたくなりますよ。まったく。
それからもう一つ。あっ 止めておきます。切りがないから。
 ・・・あれやこれや どうのこうの 色即是空 空即是色・・・
 ・・・長谷観音 お目にかかれて あな嬉し 帰りの時間が うらめしや・・・・