源究83

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
1171 何の日 6/1 1176 近況雑感 6/6 1181 途中下車 6/12 1186 後顧之憂 6/17
1172 京都散策 6/2 1177 得意満面 6/7 1182 アプローチ 6/13 1187 どこまで 6/19
1173 長谷寺 6/3 1178 いだく 6/9 1183 トップの判断 6/14 1188 思い出した事 6/20
1174 ロケ 6/4 1179 偶然&必然 6/10 1184 八兵衛なら 6/15 1189 時間が絶対 6/22
1175 ハプニング 6/5 1180 隠忍自重 6/11 1185 歴史に学ぶ 6/16 1190 メッセージ 6/23

1171:何の日

「水無月の地(つち)さへ割けて照る日にも」万葉集。
陰暦6月を水無月という。水を田に注ぎ入れる月の意。神立周辺の水田は既に田植が終わってしまった。年々早まるように思える田植え作業もスピーデイになった。夜中に水を一面にはり、翌日には田植機が然程時間もかからずに整然と植え終えてしまう。
 この季節は周辺の木々が新芽を出し、勢いを感じる。畦を流れる小川にドジョウやゴロ類の生き物が泳ぐ。一体どこから流れてきたのだろう。この辺の水源は霞ヶ浦、大きなポンプで水揚げし、それを無数に分かれた支流に流すから、多分霞ヶ浦から水と一緒に汲み上げられたのだろう。そしてまた霞ヶ浦に帰っていく。この循環が水田がある限り繰り返される。
 ”今日は何の日?”という番組がある。6月1日は電波の日。1950年に電波法が制定され、今に至る。ちょうどこの年は私が生まれた年だから59年前、電波は公共の伝達手段、ラジオやテレビが普及し、24時間何らかの放送が聞ける時代となった。そしてIT技術の進歩、高速性と利便性を競う。携帯電話が世界中を駆け巡る。マナーモードに切り替え忘れて失敗したことは数知れず、会議中に鳴り出すことなど何度も経験、仕事がら葬儀の最中に鳴り出したのには慌てた。何しろ最近置き忘れが激しくなって、ならば首につるしておこうと考えたのがミスの元。
 人間失敗を通じて学ぶとは良く言った。だが、失敗したことも忘れる年齢になればどうなるか?
お年を召された方が、何度も何度も同じ質問をされることは良くあること。周囲は偉い苦労する。そのお相手を根気強くされる方はヨッポド出来た方。身内だとお互い我儘が出て終いには喧嘩に発展となりにけり。
 今日は”何の日”が本日のテーマだった。直ぐに横道にそれ、要の事は忘れる今日この頃。
そうです衣替えの日でもあるわけだ。誰が決めたのかは定かでないが一斉に日本中が夏服に、電車の中で人とすれ違うとショウノウの匂いを撒き散らしている方を見かける。季節の風物詩とは言い難いが夏服も狭いタンスに半年しまいこまれ、ここぞとばかりに息を吹き返す。もう沖縄は梅雨に入り、徐々に前線も北上する。今年は例年と異なり、食中毒騒ぎよりインフルエンザが主役となった。感染者の有無を知らせる地図は色で区別されるから妙な感じ。何かそこに一定のパターンを感じる。それは都市化された地域から徐々に地方へ広がりを見せること。あまり望まれることではないのだが、ここまで人や物の往来が激しい日本では、県境で防げるなど誰も考えない。一時のトップニュースから各メデアも格下げし、大騒ぎは無くなった。だからといって菌は無くなったわけではないから、いずれまた登場するはずだ。
 菌を抹殺するのではなく共存することを人間は長年の失敗から学んだ。納豆菌やビフィダス菌は善玉菌の代表格、ならば新型インフルエンザも仲間に引き込んでしまったらいかがでしょう?
 私の今日は何の日??? ≪草刈り≫の日、朝からやる気満々、準備OK、エンジン全開。
天気は???。
 

1172:京都散策

朝一番の特急で京都に向かう。それから1時間半で久しぶりに奈良桜井にある本山へ。本来ならば3日からある全国布教師会が本番だが、前日に教区長会議というものがあり、1日早い登嶺。
 全く便利になりました。朝出て昼ごろには長谷寺に着ける。夜は京都に戻り、宴席は失礼し、一人で京都を散策しようと思う。
 修学旅行が感染症騒ぎでキャンセルになり、例年と比べれば多少は静かな時がすごせるか。
最近、自分の時間が持てず、何か毎日が慌ただしく過ぎていく、このような日々を送っているとつまらない?事で思い悩む。これは私の持って生れた性分で如何ともし難し。夜は大阪に住む友人と京都で会えるかどうか、お互い60を間近にひかえる歳になった。本来ならドイツから帰国した先輩も合流するはずだったが、彼はリュック一つでどこを彷徨っているか、全く連絡が無い。次の小説の題材を収集とか格好の良い事ばかり言っているよ。
 今回、束の間の旅、昨夜急いで近くの本屋に行き、文庫本を一冊買った。今まで見向きもしなかった作家の本を求めた。太宰治のものである。
 何か知らないが現代流行の作家のものは読む気になれない。興味本位で奥深さを感じない。
私が関心を持てるのは、城山三郎まで。それ以後の作家には興味なし。
 私は京都に行くと東寺まで歩くことにしている。いつも整然とした広い境内に五重塔が聳えている。街の中の寺としては他の大寺とは違った雰囲気を感じる。空海所縁の寺だから、一気に時代を平安時代に遡る。最初にこの寺を訪れた時は、自分が寺を継ぐ決心をし、本山での1か月の山籠が終わった時だった。
 食わず嫌いだった僧侶への道、本山であった初老の坊さんから言われた言葉が私のこころの深層に居座ってしまった。「住田さんね、お坊さんになるんだったら、本気でやりなさい。ここで1か月で資格を取ったから良いなど思ったら後悔しますよ」と朝の回廊掃除の時に立ち話をした。
 その後、無性に弘法大師に会いたくなった。そこが東寺だった。
その初老の坊さんは教師を定年まで勤めあげ、何を思ったか、私と同じ1か月の山籠に山形から来ていた。もう多分亡くなってしまっただろう。
 「後悔するよ」と言われた言葉が何故心に残ったのか?自分の甘さを知らされたからだと思う。
その事をずっと感じながら今日まで生きてきた。
 ああすれば良かった否こうした方が良かったのではないだろうか?この自問自答はこれからも続く。
こうやって生きていくことしかない。 丁度時間となりました。今から駅に向かいます。

1173:長谷寺

新緑に覆われた大和長谷寺、真言宗豊山派の総本山、ボタンの寺で有名である。本山だから、もう何度訪れたことだろう。いつお参りしても暖かく迎えてくれる。清水寺ほど規模は大きくないが観音堂前には舞台があり、そこから五重塔を眺める景色が一番好きだ。
 長谷寺は京都や奈良市内の寺とは違ってアクセスに難がある。却って混まないから良いという方もいるのだが、関東の田舎から遥々来るにはかなりの強行軍、午後一時に集合がかかっていたものだから、朝六時前に出てきて、やっと昼過ぎに辿り着く。京都まではスムーズに来れるのだが、そこから近鉄に乗り、途中大和八木で乗り換え、桜井まで、本来ならば次の長谷寺で降りるのが一番近いのだが急行が止まらない。仕方がないので桜井からタクシーをいつも利用する。
少し時間があったので名物の399段の回廊を登り、観音堂まえから五重塔を写真に収めた。これで8割がた目的は果たした。研修に出席されたのは全国49支部の教区長、終わってから皆さんバスで京都の何がしかの旅館へ直行、夜の懇親会が凄いらしい、私は大阪のY君と前もって京都で落ち合う約束をしていたので別行動、もう一人懇親会には出ない方がおられて私と京都まで同行して戻った。宿は京都駅にある京都グランビア、豪華でデザインが独特で結構有名なホテル、その9階の北ウイングに部屋をとった。Y君も仕事を終えてからワザワザ京都まで出てきてくれ昔を懐かしみながら居酒屋で一時を過ごした。
 修学旅行も再開したのであろう、京都駅周辺の人込みは凄かった。
 今回、ちょとメモした事がある。
喫茶店に入った。すると「おタバコ吸いましたか?」と尋ねられた。???普通ならば「おタバコ吸いますか?」だろうと思ったが、京都弁でそう尋ねられると「いやー吸いしまへん・・」と返事してしまった。
 それに駅でのエスカレーター、これが東京と逆、駆け上がる人は左側を登る。なんで?
駅で座り込んで沢山の学生が乗る順番を待っている。大半の学生がマスクをしている学校があると思えば全くやっていない学校もあり、様々ですわなー!
 普段、こんな些細な事を改めてメモにすることなどないのだが、束の間の旅行気分に慕ったためだろう。大分、昔になったが、大原の三千院に行ったことがあった。観光シーズンだったこともあって、大混雑、それでもとても良い時間が持てた。また、そんな旅がしたい。
 そんな事をホテルの窓から街明かりを見つめ思い出していたら、いつのまにか寝てしまった。
 本当ならば2泊の予定、でもまたもや通夜が入ってしまい、1泊で帰宅した。
京都は26度、とても暑かった。
[ 平城遷都1300年」の記念事業が2010年に行われる。平城京が西暦710年に奈良に作られてから1300年が経つ。万葉歌碑巡りや飛鳥遺跡散策、奈良公園と世界遺産などイベントが目白押し、我が長谷寺は主なるコースから外れる。だが奥の室生寺や談三神社などのんびりゆっくり歩くには絶好のコースだ。どうですか?お二人で!!!

1174:ロケ

テレビ朝日開局50周年記念ドラマスペシャルで「刑事一代・・・平塚八兵衛昭和事件史」を6月20日21日午後9時より2夜連続で放映される。
 その番組にもしかしたら観音寺が出るかもしれない。明日そのロケ隊が寺にカメラを持ち込む。
吉展ちゃん事件や3億円強奪事件を担当した「鬼刑事」、その八兵衛さんのお墓が観音寺境内にある。昭和54年に享年67歳で亡くなっている。今回のドラマでは八兵衛役が渡辺謙、彼は一度墓参りに来た。
先代住職が付けた戒名は
 警覺院顕彰義照兵衛清居士
逆修で付けてある。私が観音寺の住職になって最初の葬儀が八兵衛さんのだった。ドラマの内容は全く知らないが、今から楽しみにしている。
 そのような時に昨日水戸で土浦荒川沖駅構内で起こった無差別通り魔殺人事件の裁判の公判があった。テレビのニュースで取り上げられていたが、犯人は信じられないような口述をしている。何の所縁もない人が2人亡くなっている。「誰でも良かった。死刑になりたかったので殺した・・・・」これをどう理解すれば良いのだろうか?彼は逮捕される時にも顔を隠さなかった。ふてぶてしい態度、終始一貫被害者への謝罪の弁は無し。彼はまたマスコミなどに手記を送っている。その内容も現実から乖離したもので理解に苦しむ。それから参考人として実父が出廷、ここにもちょっと気になる供述があった。
 息子の罪に厳罰を処して欲しいという。死刑になって当然という言葉だった。それを顔色変えずに被告人席で聞いていた息子。果たしてこの親子の25年間はどうだったのか?
 もしも八兵衛刑事がこの事件を担当していたら、どのようになっていたか?今となっては無理な話。
犯人には家族がいる。既に住んでいた家は空き家になり、どこかに移り住んだ。一生、我が子の罪を背負って生きていかなければならない家族も気の毒に思う。彼はそこまでは考えが及ばない。あくまでも自分のことしか正当化しない。殺された方の菩提寺の住職を私は良く知っている。
 罪と罰、ドストエフスキーが小説のテーマとして選んだ、世界との断絶感に陥った主人公が老婆を殺し、その後娼婦ソーニャとの出会いがあって生きることへの喜びが沸いてくるという筋書き。
 どうも日本では依然として自死を選ぶ人が後をたたない。生きることへ失望し、この世に生きていても仕方がないという。今回の事件が果たしてどうなのか真実は本人しか知らない。
 実はこの事に対して、現在の宗教が何ら力を発揮できていない。形に拘り、その意を十分に解し得ない。自らをいくら省みても正直、どうすれば良いのか分からない。深く重い出来事があまりにも多く起こる。
 

1175:ハプニング

”宵闇せまれば悩みは涯なし、みだるる心にうつるは誰が影・・・・” お馴染みのフランク永井のヒット曲。
しかし、ラジオから流れてきたのは、藤圭子が唄う「君恋し」、その歌声は曲の内容にドンピシャリ。
 そして、突然、音が乱れた。深夜便での一瞬の出来事(ハプニング)。”CDの具合がちょっと変ですね、さあ、もう一度かけ直ししてみましょう。いいですか・・”さすがベテランアンカーの咄嗟の対応。まったくうろたえる様子を見せず、再度初めからかけ直した。
 生放送、それも朝方3時半、大半の視聴者は寝ぼけ半分でイヤホンで聞いている。
藤圭子の歌声は、何か心に沁み入る。私が好きな女性歌手でもう一人上げれば「山崎ハコ」。二人とも澄んだ声ではなく、どちらかと言えばシャガレ声。その声に見事にマッチした歌を唄う。
 歌はこころで歌う。そして人生を感じさせるもの。長く歌い継がれる曲には、聞く側に何かを遺す。
ハプニングとは思いがけずに起こる出来事。実はこの世の中で予定通りなどというものはない。さすれば全てがハプニングってことに。
 昨日は私より1歳年下の方の葬儀がありました。割烹店を30年、この地で行ってきた。そこで築いたものは店の大きさだけではなく、人脈、多くの弔問者が昨夜に引き続いて集まった。最初は10人程の客でいっぱいになる小さな居酒屋からスタート、30年の苦労の甲斐があって、神立では一番流行る店にまでのし上げた。その歩みは当に58歳で旅立っていく、彼の全力投球の生き様だった。
 最後のお別れ、皆さん何らかの言葉を掛けながら花で飾った。涙いっぱいの目に、しかし、不思議な事に顔は笑顔。 そうか、遺影も笑っている。彼はお祭り好きで人が大好き、割烹という仕事を自ら選んでやってきた、皆さん笑って送ってあげているんだ。
 このように自分の道を精一杯生きて笑いながら多くの人々に送られる人もいれば、自分では死にきれず、無差別に他人の生命を奪う人もいる。
 これが世の中さなどと言えたもんじゃない。人間を信じることは、先ず人を好きになれなければダメ。
 好きで一緒になって、途中で別れる夫婦も多い。それは他人が知ることではないし私には関係ないことっす。
このことだって人生のハプニングと言えば、話は別になる。
”君恋し”の歌詞で『涯なし』という字、「はてなし」と読む。これを「悩みは果てなし」としたのではまずいのだ。漢和辞典をひいてみた。『涯』には「かぎり」「みぎわ」「きり」という意味がある。
「生涯」も・・・生涯は天の涯に在り、生涯は地の角に在り・・・・と読まれたように、生きる岸ということだ。
 これは天命と対になって、自らの命を生き切るということにつながっていく。
 だから、他人の所為にするなどと言った言動は許されまじきことなのだ。そうなのだ!
 自己弁護します、政治や官僚への不満は別立て、これからも永遠に死ぬまで 言い続けてやっからな!私の一生は憤死で良い。以上であります。敬礼!!

1176:近況雑感

近況報告ありがとう。元気そうでなによりです。一方的な通信はもどかしいものを感じますが仕方が無いでしょうね。
 「住田は、いつこの文章を打っているのか?」と聞かれた。「朝」と答えた。正直に言えば一定していない。トータルで言えば朝が多いかな!それも早朝。夕べから降り続く雨が一向に止みそうもない。
 もうじき梅雨入ってしまうのかもしれない。昨日、ロケに来るというから朝一番に庭を掃き、自分では出迎える準備をしたつもり、だが何時になっても音沙汰なし。なんと今日までに3回も日程変更を告げられ、結局、昼ごろに来た。これがあの業界の常識なのか腹の虫が騒ぐ。
 夕方には某市の福祉担当者との約束があった。あるケースの対応について、私の意見を聞きたいという。できるならば全面的に受け入れてあげたい。それができないこちら側の事情を説明する役回りとなった。案の定、結論の出ない話し合いになった。期待と不満は表裏一体ということです。
 その時に精神障害団体の方から電話が入る。7月の大会で何かを話せということに、そこの会長にはいろいろお世話になったので、引き受けることにした。
 テーマは「三障害一元化」という国の方針に対する私の考えを述べよ!ということらしい。
 私は基本的に三障害という区別そのものを納得していないから、脱線必死・支離滅裂の話になるだろう。それで良いという話だった。
 今日は法事が二件ある。墓地開眼もあるのだが生憎の雨、明日の日曜日も法事。週末がこうやって寺の仕事で取られる。寺に住まわせてもらっていて当然だろうと自らを慰め叱咤する。
 九日にはアフガニスタンからの客人を受け入れる。昼を食べていくことになって、豚肉を使わない特別食を厨房に頼んだ。菜食主義者も一人、ただ凄いと思ったのはさすがプロ(アウトソーシング)だな、自前の厨房だった時には平身低頭、慰めゴマスリ頼んだもの、いま、「分かりました。やってみます。」と一言。  OK!
 福祉業界が一番遅れているサービスとは何ぞや?という価値観の曖昧さ。まっ いいか。
 そこに、葬儀がまた入った。九日は私が説明しようと考えていたのだが途中で失礼することになる。それだって、職員にとれば良い機会、任せりゃーいいんだよ。私の影武者がチョコチョコ顔を出す。
 まーこれが私の近況かなー。
遠況としてはですね。外国とは言わない。奈良にでも行きたい心境ですね。平城京遷都1300年という節目の年、奈良はゆっくり散策が似合う場所。忙しない旅ではなく、カメラ片手にオニギリもって悠久の自由旅がしたい。
 日本人全員がこの時期に奈良に行けば良いと思う。選挙のマニフェストどうせ出来っこない事を羅列してもダメダメ。日本の基礎は奈良:平安に在ると思う。何も外国まで行ってインフルエンザを持ち帰るよりも来年は全国の中高生は奈良を訪れる。旅費半分ぐらい道路特定財源で出してあげなよ。
 今の若者が何を考え、どう生きたらよいか分からない。それは歴史の重みを軽視した今の教育の在り方に責任あり。そのことが親子関係の希薄さと尋常でない事件につながっている。
 日本の歴史に触れることで必ず何かを感じ取ってくるに違いない。そして、この国を貴方達はどうしたいのか?何を望みますか?と問うてみな。今の教育現場は殺伐として人を押しのけ、相手が悲しむことを勝利者という勲章で煽る戦場と化していないだろうか。
そんな雑感も近況報告に添えてみたくなった。
 

1177:得意満面

突如として現れた2枚目? 朝私が出勤するとワゴン車がスーと玄関に横づけされ、颯爽と出てきたのがSさんだった。一瞬目を疑う。全身黒ずくめ、更に大きめのサングラスと帽子。
 ワゴン車から二人の男性が降りてきて私に挨拶、「いつもお世話になっています。」初対面で誰だか分からなかった。その時Sさんがその車に乗ろうとした。そうか彼の勤める会社の人?Sさんにどこへいくのか尋ねると「ふくしま」   
 会社が休みで福島に旅行だと分かった。あまりにも素晴らしい装いだったので携帯カメラで一枚、するとご覧のようなポーズを取り写真におさまった。
 とても感じの良い同僚だった。いつもお世話になっているのは間違いなくこちら側なのに、彼が仕事が長く続けられる理由が分かったような気がした。
 ポーズと言えば、また偶然に出会ったことが最近あった。京都から土浦に帰ってきた時、ホームの喫煙コーナーで小指を上げ、親指人差し指2本でタバコを持ち、顔を上に向けて”スッパー”とうまそうに吸っている女性を見かけた。一見して即分かった。「あれ?Yさんじゃーねーの」彼女はつくば市に良い職場が見つかって電車で通勤。幸いYさんから私が分からない場所で下車した。
 尚恵学園での生活模様、一面かもしれない。彼ら彼女らはそれぞれの素顔を持っている。
多分、我々が理想の場を追い求めたとしても決してここの住人には満足できるものではない。上のお二人のように、自立への生活を挑戦している人たち、彼らにも言い分はある。その何分の1程度しか満たされていないのも事実。私はそう思う。でも何かがある。それは周囲に自分を認めてくれる人がいると感じれること。これが大切なのである。
 彼らには家族との触れ合いは望めない。・・・・が、彼らはそれに代わる何かを必死に自分で探しだそうとする。その一つに派手派手な衣装、それから女優まがいのタバコのポーズ。
 もしも、周囲の人が「おかしいよ、こうしなよ」と横やりを入れるとその瞬間に表情が変わる。
 一方、安心する家庭があってもそこでの居場所が無い人も多い。これが実に厄介である。日常生活の中で我々が見て問題行動と思えることは、実は原因が殆どわからない。彼らは自らの言葉で”言い訳”は決してしない。「どうしてそんなに怒っているのよ?」とスタッフが宥めている姿をよく見かける。
そんな時の彼らは頑なだ。口を真一文字に閉ざし、凄い形相で立ち尽くす。
 もしも、彼らが「家に帰りたいよ」「お母さんに会いたいよ」と自分の言葉で発したら???
私たちはなんと答えてあげて良いのか分からない。「なぜ,○○さんは学園にいるのか分かっているでしょう!」なんてお説教したところで聞く耳を持ってくれない。
 その事を毎日のように経験している。だから家族の役割を口すっぱく言ってきた。それが、聞く側からすれば”オドカシ”のように取られることもあるようだ。
 ここが障害福祉の実に難しい処であって、軽率に「利用者の立場にたって」などと言ってはもらいたくないものだ。
     * 得意顔 貴方にかける 言葉無し *

1178:いだく

『いだく』斎藤亙・2004
 皆さん、上の絵を良くご覧になってくれませんか!この絵は高山辰雄の絵を元に亙さんがアレンジし書き上げたものです。
 その意味では、数多い彼の作品の中では特異なものの一つ。彼の画風は年齢と共に変化してきました。先日ご両親が画集が出来た報告に来られ、いろいろ話をしてくれました。初期の作品は鉛筆でなぞらえたものが大半であったという。その後,安部田ご夫妻の指導もあって彼独特の色を使い始めた。この心境の変化はどうしてなったのでしょうか、それから彼は一つ一つの作品に名前をつけています。
 御両親に抱かれる何も身に付けていない赤ちゃん、良く見るとスヤスヤと眠っている。ご両親の眼差し、実に愛情に満ち溢れた優しいものを感じる。
 この絵を彼がどんな気持ちで描いたのか?2004年と言えば彼の人生の円熟期にあたります。ベルギーのクレアム付属のマッドミュージアムで個展を開催しています。その後様々な場で彼の絵が人々の前に紹介されました。
 障害者の社会参加の一貫として様々な取り組みがされています。県で開催される障害者の作品展、絵画部門では、毎年数多くの作品の応募があって、審査員の一人として何を基準に選考すれば良いのかいつも迷います。
 亙さんの場合は、絵に託された彼の想いです。それは彼の生き様を多少なりとも知っている私は理解することができます。初めて見た人がそこまで感じ入ることが可能か。
 このことは様々なイベントを企画するときに考慮すべき重要な事です。それが福祉の厚みです。
今日は午前中、アフガニスタンからのお客様を受け入れます。そこで、彼の絵を見せたいと思っています。
 中東は長い間、紛争が続いています。私は行ったことがありません。でも想像はできます。いつ起こるか分からない紛争、部族間の争い、貧困。それとは全く異なった石油によって膨大な富を得る人々。この格差は日本人に到底理解できるものでは無いでしょう。
でもどうでしょうか60数年前の日本は、全く同様の悲惨な情景が至るところにあったはず。それがいつの間にか風化しています。現代の紛争は宗教とか民族の争いと言われていますが,真相は”石油”という麻薬による利権闘争ではないのでしょうか。
 アフガンからのお客様が彼の『いだく』という絵を見て何を感じるでしょうか?
一応JICAには了解を得ていますが、ありのままの姿を私たちは見てもらいますし、私自身の率直な意見も言わせていただくつもりです。明日のこのコーナーで紹介できればと思っています。
 こんな事を言っている方がいます。
最近よく言われる「癒し」というものは、体験してしまうと物足りなくなり、次々に要求が高くなる。「癒し」ではなく人間が究極に求めるものは、「安心」であると。
斎藤亙遺作展示会は6月13日から土浦県生涯学習センターギャラリーで開催します。

1179:偶然&必然

アフガン研修・・コスモス・・
果たして”偶然or必然”なりや?
 JICAの視察依頼を受け、アフガニスタンからの7名の研修生を受け入れました。ご存じのようにアフガニスタンは長い紛争の後、未だ国としての体制が出来ていない。その中で日本が特別支援教育の関係者を向かい入れ約3週間、国内の関係する機関を訪問し研修する。その訪問先に私どもが選ばれたというのは大変名誉なことなのだが、なんてことはなく、研修責任者の中田先生を良く存じ上げていたからで、それ以外の理由は無いと思っている。
 ただ、受け入れに当たって私なりに下調べ、面積は日本の1.7倍あり、西にイラン東にパキスタンと大国の間に挟まれたイスラム教の国、言語はダリー語、人口は2800万人、GDPは230億ドルで世界104位、国民一人当たり800ドル(日本円で1年8万円位?)。
 前回の南米研修と同じ日程を組んだ。正直に感じたことだが、ラテン系の人々のような根っからの明るさを感じなかった。私の話が終わった後、コーランを読んでくれた。お寺でコーランも妙な組み合わせ、しかし、そこは仏教の寛容性、見事な歌声に暫し聞き惚れた。
 後で分かったことである。研修生は教育省の特別支援教育の責任者、その他、国立のカブール大学の先生達だった。その中に最近、御兄弟をテロで自分の目の前で殺された方がいたという。なんということか!復興への思いの強さを感じました
 日本では自立支援法への様々な改正要求がなされている。方や歴史の古さでは日本が足元にも及ばない国。その国には障害者への確固たる取り組みが無い。日本と違うのは紛争被害者や血族結婚による障害者が多いという。この実態も実は明らかではない。
 それから果たして日本の仕組みが良いのかどうかという話もした。教育と福祉、未だ十分な連携はできていない。学卒後の対応がスムーズでない。その実態はどこから手を出してよいのかすら分からない。既得権と縦割り行政の弊害ばかりが目立ってしまう。
確かに器は立派なものがありますよ。だがどうでしょう?その辺のギャップは、むしろ我々がアフガニスタンの人々から大いに学ぶべきことではないでしょうか。学園で用意した昼飯を取り、皆さんは大阪に向かった。明日からは大阪で研修視察する。その受け入れ責任者(大阪教育大)の先生が土浦出身の方、昨日他の用事で尚恵に来られた方が、なんとその先生の仲人だった。”偶然か必然か” 仏教的には”縁”というものでしょうか。・・がコーランでは?
閑話休題
 それから、ここ数日我が家のハナが元気がない。私がいくら注意しても一向に夜歩きを止めず、野良ネコと喧嘩した、そして左足を負傷、それから本箱の上に身を隠し、ご飯も食べない。声掛けすると力無い声で「ニャーオ」そして直ぐ寝てしまう。今にも死にそうな感じー。
 足が腫れている。動物は舐めて治すというから仕様がない。自己責任だ!
そして、夕べ、なんと今度は私が左足を負傷、ドアにぶち当たった。風呂に入った後だから、出血多量?
 「ワーオ」と大声たててしまった。これがまたハナと同じ左足の親指だ。仏教的には、エーと??『因果応報』とでも言っておきますか。

1180隠忍自重

なんと言うことか
 私は親指を包帯でグルグル巻きにしてですね、仕事に行ったですよ。上履きを半分使ってね、いつものようにYさんが私の部屋に来ましてね。・・・・・なんと彼女、私の左足を踏んだんですよ。ギャオー***目から火花、そのまま座り込んでしまった。だって彼女は尚恵Tの重量級ですよ。「なんで??俺に何か恨みでもあるんかよ」 本人ポケーンですね。アクションが派手なので何ふざけているんだという目線で私を見るんです。
 踏んだり蹴ったりですよ。隠忍自重なんてできません。もう、どうしてくれる。
しばらくズキズキでした。
 それからロケの話ですが、電話が入りましてね、14日の午後3時30分からドラマスペシャルの前番組で観音寺を写すといってきました。一応お話だけ、どうせ誰も見てくれないでしょうが、テレビ朝日です。1時間やるそうです。PRでした。
 さて、いよいよ政局が選挙モードですか?昨日でしたね、総理がCO2の削減目標を発表していましたが、聞いている側としましては上の空という感じでしたね。だってそうでしょう、一体何年後の数値目標を示しているんですかね。
これを守らないと何か制裁でも受けるんですかね? その辺の事に関してはトント分かりません。
 いよいよ梅雨入りですね。夕べから降り始めた雨が今本格的になりました。草刈りをやろうと思っていたのでしたが、天気が味方してくれました。どうせ今の足の具合ではやれません。
 なぜ、急に草刈りが気になったかといえばですね。決まってますよ、ロケなんかに来るというからです。そうじゃーなければしませんよ。それも3回も日程の変更だもんね。それで放映は数秒!!公共の電波はそれだけ大変なんですと。
 おかげさまでね、今読み始めた本が面白いんです。今日は休もう、決めたのだ。自宅で仕事・・・・
実は2年ぶりに今度監査があるんですがね、前回、理事長は研修に行っていないような話を言ったとか言わないとか?私の研修欄に何も書いていなかったからだと耳打ちされた。
 チクショウ、そんなら、全て書き出してやると思ったわけですよ。電子手帳で調べたら、出てきましたよ、書き切れないんですね。これ全部書き出そうと思って今日それを纏めることにしました。
 でも相手はほれプロだわな、今度は理事長はいつ施設にいるんですかね?とやられるに決まっている。
これも踏んだり蹴ったりと言うんですよね。
 私は3年ぐらい前からだと思うんですが、人格が変わったんです。人を信じられないんです。何か裏があるんじゃーねーだろうか??と。
木に登ると梯子が無い。意見を言えば煙たがる。
 黙ってニコニコ、みんなで渡れば怖くない・・・・これができれば私も大したもんだ!
 Don't cry so loud.  Fukushi !
    We walked toward each other.
        I am not hopeless of my future.   This is the key to solving the whole mystery.

 

1181:途中下車

「私たちは経済成長が人間の社会の繁栄と進歩につながると信じて、競争を続けてきた。しかし、その努力を続ける中で私たちの社会は少しでも進歩したといえるのだろうか。むしろ、退化したものを直視することを避けるために、ラットレースのような競争を続けてきたのではなかったか・・・・」『経済成長という病』
平川克美著:
 新型インフルエンザに対してフェーズ6にWHOは上げた。冷静な対応を呼びかけながら、世界的な大流行への警鐘を鳴らす。これで右往左往するのは必至だ。何故、新型のウイルスが発生するのだろうか?その原因は未だ分からない。ただ確実な事はウイルスそのものも我々と同じく生き物であるということだ。
 金融不安、偽装事件、詐欺、・・・紛争、テロ・・・いじめ、自殺等  いくらでも上げれば切りがない。負の連鎖。先の平川が言わんとすることは、いま、本当に一人ひとりが考え行動しなければならないことがあるだろうと言うこと。
 目先の事に一喜一憂することで、大切な今を蔑ろにしていないか!”流行”という言葉は怖い。極端になると某国のように有無も言わせぬ言論統制をひき、少しでも異議を唱えれば収監される。
 人心の摂理として、「常に己の進路を求めて止まず。而して尚方円の器に従うは水なり」黒田如水の水五訓に言われる生き方が理想だ。
 水は低きに流れる。現実社会は、その当たり前のことを知りながら全く相反する動きを強いている。手練手管をようして水を高きに流そうとしていないか。必要以上の衣を身に纏い、身動きできなくなっていないか。経済の繁栄を支えたものは、もしかすると人間の虚栄心ではなかったのか。
「幸せ」という謳い文句の影に恐ろしく作為的な企業戦略が見える。平川は自ら会社を経営している。その彼が指摘する株式会社の弊害、それは株主優先が内包する自己矛盾。つまり、企業は偽装までして収益をあげ、その利益の一部を株主に還元する。これでは、企業の倫理感が育たないと指摘する。
 その端的な例があったではないか!巨大企業GMの破産、公的資金を導入し、再生を目指したが、結局はだめだった。元のCEOの年俸を知って誰しもが唖然とした。彼自身は当然の権利を主張する。果たしてこれで納税者の理解が得られると思うのだろうか?
 GMが一時的に国営化され、再出発するという。
 利便性を追い求める。だがそこで大切なものを失った。携帯電話の普及は、コミュニケーションにおけるコペルニクス的な転回か?
 この不況の中でダントツに収益を伸ばしたのがNTTなど通信企業、これだってつい最近までは公的企業であった。新幹線に久し振りに乗った。東京発の京都行、のぞみで二時間二〇分。なんと三分置きに出ている。超過密運行である。
 どこまで利便性を追い求めれば気が済むのか?一つの疑問として、日本が将来にわたって生き残る手段として高度な技術開発をあげる。
 でも、本当にそれで良いの?私は僧侶と障害を持つ人々との生活に日々埋没して生きている。全く世の中からは取り残されているように感じながら。
 だからと言って後悔はしない。それは途中下車を何遍も繰り返す生き方でもあるからだ。
 

1182:アプローチ

アプローチと言ってもゴルフではありませんよ。まーゴルフでも100ヤード以内のショットは実に難しいのでありますが、本日は人との接点ということ。
 福祉現場の大半が実はアプローチの問題なのであります。彼とどうやって接点を見出せばよいのだろうか?人にはそれぞれの生育歴というものがあって、これは如何ともし難い。つまり、過去に戻ることはできないからなのであります。個性はその大部分が幼児期までに出来あがっているのではないでしょうか。芸術の世界では”個”を何らかの媒体を用いて引き立たせる。ちょうど本日から斎藤さんの絵画展を行っている。昨日準備中にお邪魔したが、まさに陳列された絵を見るとどれ一つとって見ても同じものはなく、色使いや筆のタッチ、構図、表情など実に様々。絵画、書、写真、など人間が創作するものは、個の集成に価値が出る。
 でも現実の生活となると、個が突出してしまうと問題、人との関係にギクシャクしたものが出てくる。その辺りの分別は無意識のうちに行えるのでしょうが、けっして差別視してるわけではないのですが、知的にハンデイを持った人々にそのことを要求しても難しい。支援者の力量とセンス?何度となく手を差し伸べても、反発こそすれ受容しない人は必ずいます。施設での集団生活や社会生活を行う上でトラブルの主な原因がここにある。
 尚恵学園の主体事業は入所支援、これがもう50年の歩みである。現在130名の方達が2か所の施設とGHで生活している。今から40年ほど前は10人部屋というものがあったのです。足の踏み場もないほど蒲団がギッシリ敷かれ、夜の見回りをすると誰がどこに寝ているのか分からない。夜尿起こしなど間違って自立している人を起こして、怒られた。そんな思い出があります。
 今の時代ならば,想像できない光景が日々繰り返されていたのです。
国は入所施設からGHなどへ生活の拠点を移そうと考えているようです。現在、私共には7か所のGHがありますが、実に難しいですよ。それは人間が持つ”個性”、相性が良い者同士ならまだ良いのですが、一人でも強いものがいると雰囲気が一変。将棋じゃないのですから、駒を入れ替えするなど簡単にできません。 
 救われるのは、GHに移って喜んでいる方と話す時です。寡黙だった人がハッキリと「良かった」と言ってくれます。
 でも正直、全てでは無い。昨夜もGHで生活している方から電話があったのですが、不満を長々と訴えてきました。国に言いたい。今のGHの職員配置では無理です。
 施設の職員という者は、余程注意しないと分析家になり易い。「うん、そうか、こういう理由からだろうな。いずれこうなるかもね・・・」 評価分析こそしても具体的な支援策が浮かばない。これでは片手落ちだと思うのであります。私の若いころは・・・・。また始まったと言われるのが落ちですから。
 グリーン周りのアンジュレーションはわざと難しくしてあるものです。ゴルフは何回でボールを入れるかという単純なゲーム。300ヤードをドライバーで飛ばす能力があっても、30センチのパターが入らなければ浮かばれないスポーツ。ゴールが近づいたという気の緩みを上手く使った競技。
 このスポーツは年齢に関係なく楽しめます。パチンコだって歳に関係ないと言うかもしれない。言わせておけば。
 ここで私が言いたかったことは、アプローチ、どうも焦点が定まらない。所詮、無理なこじ付けだったようです。良い季節になりました。クラブが私を呼んでいる。
 
 

1183:トップ判断

辻井伸行さん、今話題のピアニスト、彼は生来の全盲である。その彼が2歳からピアノに関心を持ち、お母さんと2人三脚の20年の人生で見事に花開いた。彼は点字音符を使用せず、耳から学びとるという。ラフマニノフの曲、私みたいなクラッシクに全く疎い人間でも凄い曲であることは知っている。右手の譜を弾いてもらいそれを頭に叩き込む。それから左手、楽譜を耳で読む?。天才と言う言葉以外にどう表現したら良いのか。
 彼のお母さんが子育て相談をネットを使って行っている。子育てに悩む多くのお母さん達が勇気をもらっているに違いない。
 以前、なんどか演奏をお願いしたことがある津軽三味線日本1になった全盲のKさん。彼もお母さんが常に傍にいた。先日、ある会場で出会ったエレクトーン演奏者、彼も全盲、そして曲の合間のトークが見事。 このように生来の障害をもろともせずに見事に自立している人たち、多くの人に感動と勇気を与えている。彼らの傍には必ず全幅の信頼が寄せられる人がいる。
 人間の価値を能力で優劣をつけることは如何なものか!障害程度区分に物議を醸し、様々な意見が噴出、未だ結論が出せないでいる。
 これなど日本の福祉が”良いとこ取りの摘み食い”だからである。そこに理念を感じない。だから事が起こるたびにチョコチョコ目先だけを変える。これではダメだ。そして最後はいつも「財源がない」という殺し文句で幕引き。財源を生み出す努力は他人任せ。これが何十年も続く実態である。
 果たして次なる衆議院選挙、国民が選ぶ明確な判断材料が示せるのかどうか大いに疑問だ。肝心なところになると大差が無いように私にはとれてしまう。政治の世界に長く身を置いてきた知人が言うと、そんなもんだよ、という事でお終い。 これではどうなのか。既得権益を守ろうとする集団とそれを否とする集団の鬩ぎ合い。これが同じ政党の中での実態だから、もう何がなんだかわからない。
 民主主義の語源はギリシャ語のdemokratiaで、demos(人民)とkratia(権力)。すなわち人民が権力を所有し、権力を自ら行使する立場を言う。様々な権利の行使に、多数決原理と法治主義が属性として存在する仕組みだ。これなど別に法律を専攻せずとも分かること。
 その結果多数派工作など水面下での不透明な動きが活発化、逆に政治への不信と無関心層が増加した。そして政治家そのものが自らの主義信条を突き進むというよりは、無関心層にターゲットを向けた御用聞きへと退化する。そのように私は思っている。
 つまり、彼らはどの政党に身を置いても大した事ではないのである。要は当選できれば御の字、どうです違いますか?
 2世議員の制限に関して、その理屈は当にメチャクチャ、なんだか知らねーが先の首相の息子は、今回だけ特例だとか??選挙民を愚弄するにもほどがありませぬか。
 ここで最終の砦となるのが、トップの判断。
本当に日本の行く末を案じて、投票に向かう人が今回は何人いるか?
 それから障害者の自立の事ですが、一つの事業所で全てを賄う在り方は矛盾が多すぎますね。
家族の協力が望めない人が、その代替えの場所を見いだせるか否か?大いに悩むことです。
誰だって憎まれ役は演じたくは無いという事ですよ。これなど日本人が陥ってしまった闇の世界なのでしょう。明るい日差しを誰しもが待ち望み、世の中を少しでも良くしようと思う人が増えることが一番の近道かもしれません。
 

1184:八兵衛なら

昨日、『刑事一代』の前番組があった。何度も連絡をくれた製作会社?の方から、以前に教えてくれた放送時間の訂正をまた電話で知らせてきた。そして「どうぞ見てください」と再度確認の内容だった。
 VTRの装置が使い方分からず、ギリギリまでああだこうだやってみたが、結局はダメだった。そして、観音寺がどれだけ放送されるのか、これを楽しみにテレビにくぎ付け。結果、3秒!
 主役の渡辺謙が格好良すぎる。彼は八兵衛さんの生き方に惚れ込んだという。刑事27年を一人で演じた。本番は20日21日二晩連続で放送される。
 これ以上、番組の事は触れません。
 ただ、八兵衛が今も現役の刑事だったらと思う。私の記憶では体は決して大きくなかった。でも目つきは違った。鋭い眼差しと人懐っこい優しい目、だから自白してしまうのだとも。罪を犯す人を憎まず、罪を憎む。なかなかできないこと。
 警察に関わる者の不祥事が後を絶たない。規律がたるんでいる。交通事故を取り締まる責任者が、酒酔いで事故を起こし、そのまま逃げてしまった事件、つい最近起こった。司法に関係する者がセクハラで捕まった。
 また、昨夜のニュースで知ったことだが、現役の厚労省局長が逮捕された。これなど立場を利用した悪質なもの、障害者郵便の割引との関連であった。八兵衛がもし生きていたら、どう言うだろう?
 上司であろうがVIPであろうが、遮二無二立ち向かった警視庁伝説の一刑事,その生き様が風化してはいないだろうか。
 彼は昇進試験を一度も受けなかったという、それでも警視総監賞を70数回受けている。後にも先にも出てこない。生涯一刑事で通した人間。
 戦後の激動期だから起こった様々な事件?平和を掴んだ現代の日本人は、ある意味では当時以上に深刻であるかもわからない。
 陰湿な事件や立場を悪用したモラル欠如の不祥事。一本筋が通っていない。犯罪をおかす理由が分からない時代となった。それと形振り構わず媚を売る輩。そこまでして出世を貴方は望むのか!私のプレイグランドなるが故に、昨夜の厚労省現役局長の逮捕、胸糞悪い。介護現場や施設の実態を見ずして、私利私欲に我を失った結果、常識では考えられない事を職権で許可した。
 不正防止の仕組みをいくらつくってもダメ、そこに政管癒着構造の病巣があるというのであれば、新しい政党に国のかじ取りを任しても良い。
 だが、これは長年政権を担当した与党だけの責任でしょうか?それを言う前に、与野党癒着、慣れ合い構造が無かったと貴方は言えますか? 皆さんの責任だと私は思う。それを言う人が出てこないのが
可笑しい。まずマニフェストでどうですか、議員定数の削減を載せてみては、消費税を先々上げなければなりませんとかあやふやな事は言わない事です。無駄の削減を、先ず自らが範を示すべきです。
 平塚八兵衛に何故これだけこだわるのか? 
 私が住職になって最初の葬儀が八兵衛さんだった。「S54.10.30」その時の遺影が焼き付いて忘れられないのです。決して仰々しいものではなく、静かなお別れの場であったと記憶している。
*上記写真はテレビ朝日HPよりダウウロードさせていただきました。

1185:歴史に学ぶ

事件には迷宮入りするものもある。また、世の中が先が読めず混迷する時代は、ある意味では危険である。大いに気になることは北朝鮮の一連の不穏な動き、6カ国協議を一方的に拒否し、核実験やミサイル発射を立て続けに行った。この国の内政はベールに包まれ、様々な憶測が一人歩きする。ただこれに相呼応して、国会の動きに黙視できない状況が漏れ聞こえる。制裁を強くということ、輸出全面禁止を声高に宣言する。臨界点を超すと争いになるからだ。
 昨日、県庁傍の書店で何気なく本を探していて、「5.15事件と橘孝三郎」と題する本を見つけた。昭和初期の激動の時代に茨城県関係者が少なからず関わった事件、その真相は良く知らない。でも私は親父から多少の事は聞いていた。
 その方の名前を探すと、確かにあった。「愛郷塾」この言葉の持つ意味は、何か触れてはいけないような思いがあった。テロとかファッシストという汚名を付けら、利用され、その正当な申し開きも許されなかった人達・・・・。
 実行部隊は若手の軍人と農本主義を唱え、国の在るべき姿を真剣に考え行動した民間人、その中の一人を私は知っている。今ではその人の名前も出てこないが、ご本人が自ら焼いた陶器が数点寺にはおかれてある。実にヘンテコな作品だ。
 2,26事件5.15事件を通じて日本は戦争への道を突き進む。決して遠い昔の話では無い。
ただ、戦争の悲惨さを実感として思い起こせる世代は確実に減ってきた。戦後60年は、その暗い思い出を心のどこかに置き、自らをコントロールしてきた歩み、それがいつの間にか結果だけを重視する世の中となり、経済復興に有頂天となって今に至る。昔の事を話そうとするお年寄りを毛嫌いし、こんなに老人ばかりになって大変だと片隅に追いやる。国政を預かる人たちがこうだ。
 道に迷った時は元に戻る、これは山歩きの鉄則、今の政治の不安定、特にリーダー無き時代においては尚更だ。ややもすると外見や言葉の巧みさで選ぶことになりかねない。
 真なるリーダーが見当たらないと誰もが感じている。これが成熟国家の宿命か?自由とは何をもって自由か?
 責任と義務が曖昧になった時代で自由ばかりが肥大化したと言えまいか。先の昭和初期の混乱は一説には「大正デモクラシー」の終焉とまで騒がれた。我が日本の先人は、戦争責任を負いながら、稀に見る働きによって豊かさを得てきたとも言える。
 だが、その過程で何か大切なものを失ったことも認めなければなるまい。それこそ、儒教の教えではないが、お年寄りを思いやり、彼らの言葉に純に耳を傾ける態度。これは全てに通じることである。
 昨日、障害者団体の会合が県庁であった。ある企画を教育庁と福祉部で別々に行ってきたものを一本化するという話し合い。正直予想していなかった意見が出て、議長として迷った。
 イベント一つにしても、従来からの内容を変えるには相当なエネルギーを要する。しかし、最終的には収まる場所におさまるものだ。先人の努力に敬意を示し、時代に適った方向を探ること、これが何事にも通じる基本である。

1186:後顧之憂(こうこのうれい)

行政の持つ許認可権とは絶大なものである。それが一部署の担当課長の判断で簡単に成される。いま俄かに騒々しさを増している厚労省、今回、虚偽有印公文書作成・同行使容疑・・・・なんだか知らないが、長たらしい罪名、なんてことはない、偽りの文書を作って公印を押したという罪。
 障害者用の郵便物はびっくりする位安い。尚恵学園で依然、尚恵便りの発送をそれでやろうとしたら、見事に窓口で断られた。それっきり私共には関係ないことだと了解した。それが、なんと悪知恵を働かす人が世の中にはいるもんだ。また配達部数がハンパの数ではないから、その差額が驚きの金額。
 何が発端だったのか知りませんが、出るは出るは芋ヅル式に、まだご本人が容疑を否認しているというからどうなりますかね?
 ただし、私には他人ごとでは無いのであります。3年前に障害者自立支援法が成立、その事務方の責任者を彼女はやっていた。障害保健福祉部企画課長、このポストは大変な権力でした。あの当時を思い起こせば、郵政民営化騒動の真っただ中で障害者自立支援法は十分な審議もされず付帯決議条件で制定されたもの、ここ3年間、大海に彷徨う小舟の如き有様は、実にここが出発点だった。
 そのポストにいた彼女が、もしもだ、国会議員の何らかの圧力があって、新聞で報道(6・17朝日朝刊)されているような事実があったとすれば、これはこれは当に狐に騙されたような思いですね。
 私には全く知らない世界だが、交換条件というものがあるとかないとか、多少危険な橋を渡っても、何事もなく済ませれば、「あいつはできる」という事になって、出世コースが歩めるのですか。
 もしもだ、一連の疑惑がそうであった場合、彼女はいま、どのような思いでいるだろう。後顧之憂といった心境か?それとも否認を通す覚悟なのか。
 何事もおテントウ様がお見通しということだ。私なりにここ何年かの様々な不詳事は、その殆どが内部からの告発だ。特に政治の世界は激しい。顔で笑って心で怒りなど日常茶飯事、その中で上手く泳ぎ切ったものだけが救われる?社会。
 隣の家に蔵が建てば腹がたつとは当に明言だ。一人勝ちは良くありません。みんなでオコボレは戴くもの、それが民主主義でしょう???
 何か変だよね。頭デッカチなのか、世間知らずというのか何か妙ですよ。
さてと、梅雨の間の大切な一日、私にはやるべき事がいっぱいありますので、この辺でお終いお終い。
 一句謹んで進呈いたしましょう!

  世の中は ミツバチ不足で 大騒ぎ
         甘い蜜こそ 華と散る             喝だ!
 

1187:どこまで

どこまで? そうだなー わからないな!
 独り言です。今日は水戸で打ち合わせがあって、喫茶店で行った。会議室が一杯で取れなかったからだ。帰り路、”どこまで?”そんな事を頭に浮かべながら高速を使って戻る。そのまま土浦まで行った。亙さんの遺作展が明日までだから、今日の内に何が何でも行っておきたかった。
80枚ほどの絵が並べてあった。オープン前日の準備の日に様子見に顔を出してあったが、反響はどうだったか気になっていた。私が行くと受付にお父さんが一人で座っていた。「どうですか?」と声をかけると私だと分かったようで、「大盛況ですよ。お陰さまで」と笑顔で応対してくれた。展示スペースの関係で細長い廊下に両脇にきちんと並べてある。息子さんの絵、一枚一枚懇切丁寧に説明してくれた。なんと6歳の時に描いた鉛筆画も飾ってある。最後は48歳に描いたものまで、よくもここまで保管してあったものだ。
 それから来館者の中に教え子が結構来てくれたと言っていた。昨日東京から4人で来てくれた方達は、年齢が75歳と74歳の4人組、私が「先生は幾つになるんですか?」と尋ねると「82歳」、教員となって最初の頃の生徒だという。
 とにかく凄い。教え子に現職の市長や県会議員、皆さんが駆け付けてくれたと喜んでいた。
いろんな人々に交じって、障害者の親子も時たま見かける。明日で店じまい。心配したほどの事はなく、大成功に終われそうだ。
 人は縁で結ばれる。離れていた時間も関係なく、一瞬にタイムスリップ、懐かしさが次から次に蘇る。
 障害をもって生まれてきた我が子の養育に不安いっぱいの若いお母さん達に、斎藤家の経験を聞かせてあげて欲しい。
 なにせ暗さを全然感じない。多分、今までにいろいろな事があったに違いない。それをどのようにして乗り越えてこれたのだろう?
今度じっくりそんなトークショウを企画したくなった。学者さんの話をいくら聞いても、今をどう生きれば良いのかという勇気が湧いてこない。
 その意味では、実にすばらしい家族が身近にいるということを改めて体感した。
 どこまでやれるかわかりませんね。私たちの今の仕事。健康だからできることもあるでしょうし、意義を見いだせずに挫折することも多い。特に障害者を持った家族と共に生きていく事は大変だ。それも明るく前向きに、常に笑いが絶えない家族などなど。面倒くさい研修に癖癖している私としては、こんなフリートーキングをやってみたくなった。
 昨日は恒例の主任者会議を夜の8時過ぎまで行った。最初は私の一方的な話、これでお終いと言おうとしたら急に意見が出始めた。
 個々のメンバーの実情を掴んでいるスタッフには、どこまでやればいいのか?という悩みがある。
今朝、夕べ話せなかったことがあったのでと電話で言ってきた。グループ外出で福島の安達太良に行っている、夕食のときに薬を忘れてしまったことに気付いた同行の職員から電話があったとか、そして薬を福島まで夜、車で届けたという。
 うーむ 私としてはどう捉えて良いのか分からない。どこまでやればよいのでしょうか?
疲れるーーーーわな。
 昨日は国会放送があった。ちょっと気になる光景を目にした。
某議員が質問、「・・・・・かつての社会党、今の民主党の”ご先祖さま”の党ですが・・・・」その発言を聞いた政府側も大笑い、質問側のかなりの数の議員も笑った、質問した本人は意識してそう言ったのか否か、淡々と質問を続けている。
 私の目が狂っているのかもしれない。・・・が、今この時期に、それもNHKのカメラが回っているのは、全員が承知しているはずなのに、与野党の攻防の間に見え隠れする、緊張感欠如の実態。
 これもまた、”どこまで・・・・・してんだよ。いくら言ってもダメだ・・・こりゃ”の整理ファイルとしました。悪しからず。

1188:思い出した事

思い出した事があります。それは大分昔の話である。不条理な悔しさというのでしょうか、今思えば一笑に付されるに違いない。「坊主くそ儲け」という中傷の嘲り。誰に訴えることもできず一人隠れて泣いた。
 その事を今朝の深夜便で急に思い出してしまった。野雅夫さんの話をラジオで聞いていた時だった。私など彼の歩んだ人生からすれば、足元にも及ばない。69歳、外地で生まれ、父親を戦争で亡くし、日本に戻る時に母親に捨てられた?満5歳、たった一人博多に上陸してから、当に想像を絶する人生を送った、そこから立ち上がって、今様々な活動を行っている。野さんの著作『父の遺書』という本があるとのことだから早速買おうと思う。それは二男の方が今、お父さんと一緒の活動をしているとの紹介があった。息子の話を傍で聞いているお父さんの笑い声、それは自分が生涯を通じ社会に訴え続けてきたことを息子さんが後を継いでくれることへの安堵感かもしれない。そんな今朝のこころの時代だった。
 さてと、私が思い出した事であるが、野さん親子と比べるには大変失礼と思いながら敢えて紹介します。
私の父親は87歳で亡くなった。良く覚えているのは、叱られたことよりも、父の涙だった。最大の涙は、息を引き取る時に流した大粒の一粒の涙、これが全てである。私にとっていくら思いを運しても真意は分からない。
 時には悔しさの涙に思えたり、また、喜びの涙にも取れたりする、いい加減なものである。でも最近はこんな事を感じている。もし自分だったらどうするだろうか。これなど前もって準備して出来る技ではない。
 60歳に成らんとする今、心境に何らかの変化があるといえば、「坊主くそ儲け」という虐めの言葉がどうして言われたのかという事に何かボンヤリと納得している自分を感じるのです。具体的に言えば、そんな事やっていて住職が務まるなら良いわな!という視線と共にである。決して自虐的な意味ではない。
 昔なら、陰口を言った奴には許せないと勝ち負け度外視で立ち向かった。いま、その陰口が何か大いなるモノから言われているように思うようになってきた。神か仏か、或いは親父の涙????
 本当に自戒を重ねないと、「坊主」という言葉が「福祉」に置き換わる事になってしまう。「福祉くそ儲け」にだけはしてはいけない。
一人では今の仕事は何もできない。職員や周りの人たちの手を借りてどうにか過ごしている状況は否めない。自分が理想を語れば、その人たちへの負担が増す。だからと言って、現状に満足せよというには、あまりにも多くの方達との生活が現にある。彼ら一人ひとりの視線は、厳しい。笑顔を素直に受け止められない自分は考え過ぎかもしれない。飛田先生がいたら、「福祉さん、あんまり構えなさんな」と言われるかもしれない。
 神崎先生がいたら、一緒に涙を流してくれたかもしれない。そんな懐かしい思い出が沸々と浮かんでくる。恥ずかしい事だが涙脆い私には誰にも見せられない顔。
 今日、私からの申し入れで、急にある利用者さんのお父さんと話す事になっている。
我々の能力の及ばない処で、多分苦しんでいる家族と本人。話を聞いたからといって何も変わらないかもしれない。
誰の言った言葉か忘れたが、無に中心はないということ、正解を求めすぎている傾向は確かに今の自分にはあると思う。 

1189:時間が絶対

住井すゑが何らかの対談で言ったことである。
「地球の時間というのは、結局のところ、それは法則です。地球の時間を1日24時間と仮定したというのは便宜上そうしただけ・・・・時間というのは絶対なんですよ。」
 そして時間の前に人類は平等であるという考えを示した。それがどういうわけか「時は金なり」と言うようになってきた。産業主義文明の暴走という結果にいま右往左往しているという。
 しつこいと言われそうだ。2夜連続の刑事一代の番組を見た。平塚八兵衛さんが吉展ちゃん事件の犯人小原保の墓参りをするところで終わった。
 小原は逮捕後、処刑された。この事件は解決まで予想以上に時間がかかった。当時、新幹線などなく、列車での移動、「デカには100点か〇点しかねーんだよ」と彼に言わせたものに、果たして戦後最大の誘惑殺人事件と言われた事件解決に100点を自らに付けただろうか?答えは”No”。だからこそ、彼は次の大事件3億円強奪事件が未解決の中、定年を待たずに警察を辞めたと想像する。
 罪を犯すものの背後にある様々な要因を一つ一つ虱潰しに探っていく過程で犯人象が浮かぶ。そうやって難解な事件を解決に導いた。小原の場合は不自由な足を持っていた。(彼は福島県の農家の11人兄弟の10番目、何かのバイ菌によって足が腫れ、その手術の後遺症)。彼は社会に向け、屈折した思いからか、非合法の道に足を踏み入れた。確かに本人が受けた周囲の冷たい視線、それと、家族からさえ疎まれた経験。
 ここに犯罪の分岐点がある。小原が刑を受けたのは37歳、八兵衛さんが亡くなったのは66歳。
我々、僧侶が使う享年というものは、数え年、満年齢に1年プラスする。これは、母親のお腹に宿った年を数えるからだ。
 住江が農民文学運動を通じて語った、生命の尊さ、平和への願い、そして人間平等の探究は、その基調に”土”を感じる。
 土は生命を育む、幼子が母親の乳を得て成長すると同じく、土の持つ価値を見失うと生命の維持機能が働かない。
 貧富の格差に無関係に、時間は誰しもに平等に存在する。寿命の長短も現に存在することは否めまい。ただ、大きな矛盾と感じることは、商売柄、「福祉」という言葉、この世界ですら差別が存在する。障害者同士の差別、これなど、その中に長年身を置いてきた私には耐えられない現実だ。
 それは吉展ちゃんを殺めた小原を許すということではなく、彼が何故、酷い犯罪を犯すに至ったのか?
 私は障害者本人や家族と話す機会が人よりは多いと思う。その時に必ず感じることがある。
「でも良いよね、皆さん健康に育って羨ましい・・・・」という言葉。
 人間は自らが受けた様々な恩恵には疎くなる。そして、最悪な事態は、常に今置かれた状況に不満を抱き続けることだと思う。
 追記として。
 何の因果か分かりません。自ら進んで僧侶の道に入ったわけでは無く、これは多くの皆さんにとっては許されることではない。そして、衣を着て最初の葬儀が、平塚八兵衛さんのだった。
「あのな!坊主にも100点か0点しかねーんだよ、この生臭が」と言われたような気もしてきた。
そしたら言ってやる、「坊主には、定年がねーんだーよ」と。香炉でもひっくり返されかもしれない。 

1190:メッセージ

永田町の動きが慌ただしくなっている。政府与党の自民党が最大の危機、選挙向け”骨太方針”に党内調整ができない。地方も明らかにその流れ、政党結束の箍が緩む。出馬するには、政党支持を明言せず、無所属で立候補するほうが支持を得やすい構造になった。
 政党の執行部は、歯こぼれ防止に必死、地方の政治は選挙民に身近なものだから、現実には政党色は出せない。オールマイテイなメッセージが肝心だ。
 そのメッセージが曖昧になっている。ここが今の政治の特徴だと私は思っている。
確かに情報量とスピードは大きく変化した。私たちもその影響を少なからず受けてきた。例えば、障害者自立支援法の目玉である地域移行という流れ、GHやケアーホームが随分増えた。介護保険との事業実態は格段の差があるのだが、一般の人にはわからない。それは数字先行の実績主義、GH生活者の実態は週末どうして時間をつぶして良いのか分からない。個々の希望に応じる職員配置ができない。すると彼らはどうするか。私の所では、それぞれのGHから集まってきて、時間潰しをされていく。中には園には来ないで、外出する人、自室で過ごす人もいるのだが、世話人は殆ど関われない。
 このような実態のなかで様々な事件報道、火災事故もあった。すると必ず行政指導という形で文章が送られてくる。実際には注意喚起的な内容だが、生活そのものは何も変わらない。
 昨日、長年利用されている方のお父さんの葬儀があり、参列してきた。もう20年以上前だろう、家庭訪問で一度だけ自宅を私は訪れたことがあった。栃木県と県境で高速が無かった時だから、優に2時間はかかった。
ご本人は昨日、職員に送られて自宅に帰っていた。私が斎場に着くと傍に寄ってきた。同行した職員が葬儀の間、彼女に付いてみていることになる。
 もう入所して30年以上、彼女は妹さんの事を良く口にした。兄弟3人で離れ離れで生活をしてきた。
葬儀が終わって、その日のうちに彼女は学園に戻ってきた。
 亡くなったお父さんの心の中を察することはできない。ただ、一度なりとも彼女の事を忘れた事はないはずだ。それが分かっているからこそ彼女は1泊2日の帰省で園に戻ることを受け入れたのだ。
 この事をどうのこうの言う立場に私はない。ただ彼女の変化を案ずるだけだ。