源究84

  

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
1191 施餓鬼準備 6/24 1196 一言言いたい 6/30 1201 元気に行こう 7/5 1206 平和と福祉 7/10
1192 モスキート音 6/25 1197 選択肢 7/1 1202 地方政治 7/6 1207 ハッカー攻撃 7/12
1193 安心感 6/26 1198 ガラガラポン 7/2 1203 健康法 7/7 1208 方向性 7/13
1194 民生委員 6/27 1199 言いわけ 7/3 1204 百害あって 7/8 1209 7/14
1195 日曜から 6/28 1200 梅雨の合間 7/4 1205 思いがけず 7/9 1210 時流分析 7/15

1191:施餓鬼準備

寺の年中行事の施餓鬼、往復はがきを出す。前もって塔婆の注文を取るために全檀家に毎年行ってきた。
・・・日本の伝統仏教が「葬式仏教」と揶揄される風潮は、坊さんが葬式しかしない、あるいは人々の悲しみに便乗した儀式によって利益を得ている、ということへのからかいや批判から生まれている・・・・
・・・現代の仏教に「苦」の緩和力はない。なぜなら教えをアウトプット(具現化)する力が不足しているからだ・・・・『寺よ、変われ』高橋卓志著:岩波新書
 先日、以前借りてきた本を返しに恩師の家に行った。その帰り本箱から「これ読んでみっか」と渡された本に書かれていた。高橋師は長野の浅間温泉で住職をしている。諏訪中央病院の鎌田先生などと様々な活動を行ってきた。寺の名前が神宮寺と同じだったし、知人から高橋師の事は大分前に聞いて知っていた。
 彼は自ら住職をしながら現代の寺が瀕死に直面していると訴える。坊さんが切迫感が無く、檀家システムというスポンサーシップに依存し、再教育の場もない独特の社会だとも。
 昨夜、この本を寝床で読みながら、例の如く様々な思いに耽った。高橋師とはお会いしたことはないが、一度話してみたくなった。
 施餓鬼という行事は、お盆を前後に昔から行われてきたもの、その意味を敢えて説明などしない。佛教の教えを広げる活動として、布教がある。施餓鬼では必ず法要の前に布教師によって”おはなし”がある。何度か私も頼まれ、話をしてきた。
 でも、自分ではいつも消化不良の思いをしている。「苦」の緩和力という意味では、大勢の前で30分程度のお決まりの話をしてもどうかな?
 法事にしか寺を訪れない事に慣れてしまった檀家、それから、葬祭業者のペースで進められる葬儀、この僅かな接点で為し得ることには限界を感じる。
 今の時代に仏教の出番はあるのだろうか?もし期待されたとしても、果たして応えられるのだろうか?
自分なりの言い訳として、いつの世も同じことが繰り返されてきたではないか、「政僧」という輩が、時の寵児の如く、権力に入り込み、実権を掴もうとした史実に枚挙に遑が無い。
 良寛の生き様を理想として、形だけ真似たとしても、・・・・・
今、朝のニュースをラジオから聞いている。外国の株価状況や円レート、聞きたくなくても耳に入る。繰り返し放送されるこれらの情報にマヒしてしまった。1ドル1円上下しただけでも何憶という損得があるとも、
これが一体何を意味しているか?人間が生きる価値とどうも結びつかない。
 情報を遮断し、我が道を只管歩むなど至難の業となりにけり。
 隠遁生活をすることなど夢のまた夢という時代に我々は今生きている。

1192:モスキート音

東京の足立区で起こった事である。深夜、若者が公園にたむろし、騒がしいということから、役所は公衆トイレにモスキート音を発生する装置を取り付けた。言ってみれば”人間蚊取り”。10代〜20代にしか聞こえない領域の高周波、これが耳障りで、若者が逃げ出すのではと考えた。結果はトイレを壊し、逃げられた。このニュースを耳にした時に、ここまで来たのかという感じを正直持った。
 人間を蚊と同じに扱っている。それに対し、何ら疑問を感じない、多分、区役所は住民からの苦情に対しての苦肉の策だったに違いない。蚊の音は高齢になると聞こえ難いという事を知った。逆に若者には聞こえないでお年寄りに聞こえる周波数があるのだろうか?
 そして、いずれ日本中に年寄り避け装置なるものを設置するのだろうか。
今回のニュースを聞いて、人間の温かみを完全に失った行為と思った。住民からの苦情対策という大義によって、手段は構わない。多分深夜たむろする若者だって言い分はあるはずだ。それに対して役所窓口は開いているのだろうか。
 この現象は、何も足立区だけの問題ではない。
自民党が宮崎知事を今回の選挙に担ぎ出そうとする一連の報道。これも実は同根である。
何故そう思うか? 選対責任者の今回の動きに対し、「聞いていなかった・ここまでコケにされて黙っているのか」というようなモスキートノイズが噴き出した。
 私から言わせれば、「そんな事貴方に言えるんですか!」と言いたい。皆さんどうです。この時期になっては自分が議席を守れるか否かが最大の関心事、形振り構わずという現状ではありません?
昨日の決算委員会だってそうだ。無駄を省く論議、依然として議員定数減の具体案はうたわず終い。
 俺はこう思う。日本の政治で、誰が総理になってもダメだわな。連帯責任という言葉が死語になってしまった。自分たちが担ぎ出した人を、一抜けたと放り出す。浅草の三社祭りの神輿ではないが、得意満面で神輿に乗ったは良いが、いつの間に担ぎ手が逃げ出して神輿が立ち往生。気が付けば、観客に混じり、ヤレこれじゃダメ、ヤメローの大合唱。・・・・・・
 糸賀一雄先生が著書の中で言っている。障害者問題が何故起こるか?それは社会の構造的矛盾と人間の価値観をどう捉えるかという問題を国として誰しもが考えていくことが無いからである・・・と。
 今から40年も前に先生が既に今の日本の状況を予測している。先生の本が、以前として増刷を繰り返しているのは何故だろう。54歳という若さで講演中に倒れたという無念さ、先生と共に寝食を共にし、夢を語らった仲間がいたから、その教えが40年経った今でも生きている。先生を支えた仲間は、地方に散らばって思い思いの活動を展開した。その人たちの何人かを私は幸い知っている。
彼らは自らの利を最優先するような事はしない。だからこそ、一緒に苦労を惜しまず働きたいという若者が今でも集まってくるのだ。ここに手抜きや裏切りという言葉は見られない。
 モスキート音発生装置は私に言わせれば”手抜き”そして絶対に許せない行為だ、もし、この手法をこれからも続けるとしたら、そのような処に私は住みたくない。

1193:安心感

奥日光、光徳から送られてきた写真であります。ハルニレの大樹なそうで、幹から何本にも枝分かれ、長い冬を耐え、今、日差しを受けて眩いばかりの新葉をつけている。この自然の営みから私は”生”を感じる。そして、安心をも。
 昨日、某理事会が水戸で行われ、いつもならば1時間程で意見もなく終わるのでした。それが、予想外にちょっとした意見から収拾がつかなくなり、3時間も続いてしまった。途中、用事があって退席する人もでてくる、結局は執行部に一任という事で治まった。なんで話がこじれたのか、簡単に言えば前年の踏襲を長く続けてきたツケ。
 何かスッキリしない気持で運転はいけないですよ。常磐道千代田インター出口、生憎というか携帯に電話、そこに下り車線からきた覆面パトと鉢合せ、しっかりと見られてしまった。窓を開け、手を振って付いて来い。
結果はマイナス1点、6000円の罰金。
 お陰さま?でパトカーの内部をしっかり見学させていただけた。
これだって、考えようですね。以後充分気をつけないと「自分は大丈夫」という過信そのものです。そう思うとお巡りさんが菩薩に見えた。
 新型インフルエンザ、関東地方は全滅、群馬県が最後に確認者が出た。茨城も10名、お隣の千葉は80名を超えている。でもこんなもんじゃないだろう。季節インフルエンザなどあっという間に流行する、それ以上に今回の新型は免疫がないから、感染力は強いはず。幸いにも弱毒性?。これだって神様か仏様かしらないが「人間よ!お前たちもいい加減にしろ」と言っているんだよな。最初から強毒性のウイルスにしないのはホトケごころからだと思いますね。
 多分、我我人間は、そう感じない。
日本に住んでいると常識がズレる。水道の蛇口から出る水をそのまま飲める国は一体世界にどれくらいあるのでしょうね。それと下水道、汚物を瞬時のうちに目の前から流してしまう等々、挙げれば切りがない。
 観音寺に外便所を作った。水洗トイレ、これだって以前は汲み取り式、夏になれば悪臭を放つ、市の下水管に接続できるようになって初めは喜んだ。それが常識となっていたのもつかの間。
 男子用トイレのストッパーが壊れ、夜中ずっと水が流れっぱなし、原因は尚恵学園のメンバーが作業に来て良くトイレを使う。彼らは上手くボタンが押せない。強く押さないと水が止まらない事が判った。
 そこで「ボタンを強く押しましょう!」と張り紙をした。しかし、依然として水の出しっぱなしが続いた。
原因は同じ、それと判ったことは、メンバーさんが字を読めないということ。
 臨機応変という言葉がありますね。これだ!相手に応じてこちら側を変えていく。こうやって我々人間は智慧を育み、利便性を獲得してきたのだ。さっそく自動ストッパーのに交換していただいた。最初からそうすれば良かったのに、でも一つ勉強になりました。
 だけどね!結局は自然には敵わないと思いますがねー。
”大きな栗の樹の下で  貴方と私・・♪♪”

1194:民生委員

私はいつ頃からだっただろうか、市の民生委員推薦委員になった。欠員が生じるとその都度召集がかかる。現在、全国では23万人以上の民生委員さんが委嘱されている。実は最近の傾向として民生委員の成り手が見つからない。欠員が常態化している地区もある。民生委員とは【常に住民の立場に立ち、必要な援助を行う・・民間の奉仕者。また、非常勤の特別職の地方公務員】ということになっている。根拠法は昭和23年制定の民生委員法。ちょと古いかも。実は私も40代に暫く民生委員をやっていた。当時、一番若かったと記憶する。
 昔と比べると今は仕事の量が多くて大変だ、なんと市町村から依頼される事業で30に近い数のお手伝いを行っていると聞いた。先月も某民間団体の会議で民生委員の代表の方から意見が出された。共同募金集めや民間団体の会費集めを民生委員が行うのはどうかと思うと。
 確かに戸別訪問し頭を下げてお金を集める仕事は大変である。私がやっていた当時ですら、「一体何に使うのか説明して下さい」と質問され玄関口で立ち往生した経験があった。今は、その数倍の仕事をこなしている。それと個人情報保護法という縛りがあり、これまた厄介なのである。
 それと同じく敬遠されているものに”区長”がある。
地域の連帯と相互互助の精神と言えば大袈裟かもしれないが、確実に今の日本では個人主義になって他人の事は無関心層が増えた。
 これはいま急になった事ではなく、徐々に進んだ。葬儀などがその良い例である。
六道(ろくどう)という役割がある。昔は6人いたのだろう。それが斎場での葬儀になった今、二人になっている。それは実際にやる仕事が無いということからである。セレモニーホールで行う場合には、係員が大勢配置されるから本当に何をやって良いのか分からない。昔からの袢纏に着替え、颯爽と登場、霊柩車に乗せるときにだけ手を貸す。それでお終い。
 昔なら近所にお悔みができれば3日間休みを取らなければならなかった。それも今の時代許されることではない。
 確実に葬儀の在り方が変わってきた。我々坊さんも心穏やかで?ない。それは”直葬(じきそう)”というものが行われている。亡くなると病院から直接火葬してしまう。通夜や葬儀は省略ということに。
その辺の事情は『寺よ 変われ』高橋著:岩波新書に事細かに書かれている。
 話を元に戻そう。民生委員は葬儀の手配まで行う場合があると言う。田舎だと未だ少ないようだが、市街地では独居老人世帯が急激に増えている。何か事が起こった時に、それを知らせる所がない。だから民生委員が役所に連絡を行い、葬儀の段取りまでやらざるを得ないということに。
 それで怒られては割に合わない。
行政がどこまで住民サービスを行えば良いのかという論議がある。そこでのお決まりは”ケースバイケース”という事。
 一方では”小さな政府”を標榜し、税金の無駄を省けと主張する。これだって”case by case"って事になる。するとどうなるか?「曖昧でハッキリとした方針がない」と批判する。
 アアいえばコウ言う。水かけ論。
ラッキョ漬けの時期になった。『良い塩梅』という昔からの言葉があるではないか!
 

1195:日曜から

午前中は法事があった。午後は何もない。久しぶりの休日、さて何をしたら良いか?テレビをかけてもイマイチ面白くない。庭の草取りでもやろうと始まると、これが蚊の襲撃を受け、とてもじゃないがやってられません。
 私はどうも何かをやっていないと時間が潰せない、つまらぬ性分となってしまった。若いころだったら何でも挑戦した。多分休日は朝4時には釣り糸をたらしていただろう。恋瀬川が好きで、釣れなくても朝の2~3時間過ごし、帰宅してから朝飯食ってという日曜日課。ポットにホットコーヒーをいれ、ちょびりちょびり、川面に映る夜明けの景色、随分と優雅な時を送ったものである。心に余裕?
 それがどうでしょうか、人との付き合いにヘトヘトになる今日この頃。日曜日の午後から大粒の雨が降り始めている。PM6:40
 チャンネルをカチャカチャ目まぐるしく回し、こんなにチャンネルが多かったのかと思った。それぞれの局でスタッフが事前に何度も打ち合わせを行い、本番。その殆どが民放だからスポンサーを見つけるのも大変だ。各メデアはグループ化し、様々な業種が関わっている。週末は特番も多く、目移りして私などには長い時間テレビに向かうのは無理。
 結局、寝そべって本を読む。ウトウト。 
 1週間を7日に決めたのは、いつ頃からなのだろうか?別に私のような生活を送っている者にとっては、あまり関係ない。強いて言えば、週末は寺の檀務が増えること位。最近ちょっと気になっていた事がある。それは、法事に来られて忘れ物をしていく方が多いということ。あまりにも多いので忘れ物専用の箱を用意し、玄関に置いてある。不思議な事に誰一人として忘れていなかったかという問い合わせが無い。
 一方、住職の方も塔婆の書き忘れや法事の場所忘れなどを懲りもせず続けている。どっちもどっちということである。
 いま、月曜日の朝、5時前、物音せずとても静かな時間帯。耳を澄ませると、何の鳥か分からないが囀っている。
 するとこんな事が気になり始めた。周りにモノが多すぎる。机の上を見た、ボールペンなど筆記用具だけでも優に20本が刺さっている。それからコピーした不要の紙、読みかけの本数冊など、1メートル四方の机の上がこの有様。
 無駄を省けなどといくら言っても現実はこうだ。この辺から先ず手始めに整理するのも良いのかもしれない。食べ物以外に何も買わないという生活でも数年は生きられる。
 モノの豊富さは、一つ一つのモノの価値を見失う。

1196:一言言いたい

「そんな事、言ったら絶対ダメ!」と強く言われている。だが、天の邪鬼の私の性分は逆の行動を起こしますんで悪しからず!
 毎年決まって胸部レントゲン写真を撮ります。車で乗り付け、相当の人数を1日で行うのです。その検査結果が郵便で送られてきた。それを見て一瞬目を疑った。職員も含め、200名ぐらいの数の中で、赤で精密検査、青で要観察のチェックをされたものが例年になく多かった。
「一体何があったんだ」と事務に尋ねたが「分かりません。変ですね変ですね」を繰り返すだけ。それが土曜日だった。確かめるにも検診センターは週末で閉まっている。何度もその結果を読み返す。精密検査の備考欄にD2という印が押してある。下に説明書き、「気胸か肺気腫の疑いあり・・・」
 心配したのは最近、結核が流行しているという事を聞いていたからだ。結核ではないというので一安心。
 月曜日、定例の施設長会議で指示した。嘱託医の病院に全員をマイクロバスで通院させる。
結果は「なんでもありません。心配ないです」とのこと。「なぜ?」・・・・・いろいろ考えた。
 後で判ったこと、チェックされた人は、大半が自分一人で撮影ができると判断され、職員が補助につかなかったという。ハハーン了解。それにレントゲン技師があくまでも憶測ですが慣れていなかったとかレントゲンの機械が古かったとか。
 これ以上具体的に言及するのは控えます。「言ってやれ!電話で」という誘惑が無かったとは言えない。寧ろ健康に過信があってはならないという天の声と受け止めます。
 いま、インフルエンザの事で情報が氾濫、皆さんが浮足立って神経が過敏になっている、できれば検査結果を知らせる方法にも何らかの工夫をお願いできないだろうか?相手の事は範疇に無い。少なくとも疑問がある場合には問い合わせ先を知らせておくとか、担当技師の印でも押しておくとか???
 御役所的というか何と言うか一言言いたいのだ。今、病院は変わりましたよ。丁寧に説明する時代ですから、その辺の配慮を関係者にお願いしたいものですね。
 理事長の仕事など、普段は何も無いんだから、お金とリスクの心配だけ、これが大問題、切りが無い。責任は重大。嫌な役回り。早く誰かにバトンタッチ。
 この計画の進捗状況は一進一退、否、一歩進んで2歩下がる。どんどん深みにハマっている。呪縛状態。
私のお経は効き目が無い?オンアロリキャソワカ。  オンカーカビサンマエイソワカ。観音様お地蔵様、助けて下さいよ。
≪よいかー良ーく 聞け!おまえはなー 苦労が足らんのじゃー≫天国良いとこ一度はおいで♪・・
神様でも仏様でもどっちでもいい。今時代が変わりましたよー。丁寧に説明する時代になりましたんですが。だめだこりゃ。 ウー ワン。一言でした。

1197:選択肢

車の大半がオートマチック車になっている。速度に応じて運転手がギアチェンジする操作が必要無くなった。すると人間、余計な事を考え運転するから始末が悪い。”ながら運転”である。利便性の裏には必ず落とし穴がある。利便性と利便性の合併症が罪になる。(運転中の携帯使用でマイナス1点)
 さて、私の頭の中でグルグルとある思いが駆け巡る。それは”選択肢”ということ。施設の役割、機能は障害福祉に限ったことではないが、細かな枝分かれ状態になっている。相手が人間だけに枠にはめた支援などあるはずがないのにだ。毎日変化を繰り返す、これが実態である。
 ところがこの多様性を悪用しようと思えばできるのだ。反論は勿論あるだろうが、その端的な例が『難しいケースのタライ回し』。次から次に出てくるのは、断る理由、早く手元から離してしまえと言わんばかりの対応だ。契約制度になって常に疑問に感じていたことがある。それは事業者と利用者の相対での直接契約という仕組み。その結果、行政(特に市町村)の関わりが極端に減ってしまった。これが実際に様々な問題を現場では起こしている。
 恥ずかしい事だが、私は何カ所かの福祉事務所と喧嘩?をした。「ふざけんな!自宅の状況も見ないで何ができる・・・」「そんな杓子定規なこと言っていないで、自分でどうするか考えてみろ!」
 多分、相手はムカついただろう。私はそんな事気にしない。その後、直ぐに上司が駆けつけてきた市町村もあったが、うんともすんとも言わない処も勿論あった。
 制度に熟知すればするほど、抜け道が用意されていることが分かる。相手が人間だけに、山とか岩場に例えることは如何なものであろう。だが、やってみる前から見上げるばかりで迂回する。そんなことが増えていないだろうか?私の山登りは直登型だったからその選択肢はない。
 だめで元々・・・双方にこの間(ま)が無くなった。訴訟やマスコミ報道に敏感になり過ぎた。故意によるものでなくとも情け容赦ない攻撃を受けるから。その大半は一方的な報道で、その反論は無視される、この不公平は最近特に目立つように思う。話題性を最優先するから、面白可笑しくと取り上げる。
 ならば最初から手を出さずにおこうとなるでしょうよ!まったく困った現象だ。
言論報道の自由はジャーナリズムの最後の砦、そりゃーそうでしょうね。でも情けを失ったマスメデアは先行き長くはない。
 難しいケースへの挑戦にこそ、福祉現場の面白味があった。行政や親、医師・教師・などを抱き込んで本人にとって何が大切かを議論する。その遣り取りの中からお互いを知ることができたと思う。
 それが今は違う。定例の検討会議(ex:自立支援協議会)を行うようになったが、検討のための検討会議と化した。臨機応変のものではなく、形から入るというもの。これじゃーダメなんだわな。
 この流れは必ず躓く、我々の仕事は自らの足で歩いて何が問題なのかを調べることから始めるべき、それがあってこそ何が必要かという事が実質的に見えてくるものだ。
 マニュアル化が進むことでの弊害は、「効率化」と「標準化」が優先されること。
その結果、枠にはめる制度ばかり出来てしまったと憂慮している。
 聞こえてくるのはニニロッソの『雪が降る』。好きなCDの一枚、アダモの声が懐かしい。少し気が穏やかになりました。
 

1198:ガラガラポン

迷走台風というものがあります。定まった経路を辿らずに、不規則に方向を変えながら進む台風です。それから梅雨前線、これも実は停滞されると各地に大きな爪痕を残す。いずれも困った自然の成せる事。
 今の政治の在り様がまさに”迷走”、モグラたたきというゲームがありますが、これにも良く似た状況になってきました。お互い暴露本紛いの手口が横行、でもどちらかと言えば野党側が優勢気味でしょうか。片方は身内が後ろから鉄砲を打ってきます、もう一方は個人献金問題という重罪にも関わらず、今回もダンマリを決め込んだ。謝罪作戦、頭を下げるが勝ち。
 こうなってしまってはですね、我々選挙民としましては、選びようが無いわけですよ。
これこそガラガラポンで一回ごちゃ混ぜにしてですね、篩にかける必要があるのではないでしょうか?
国民そのものがマスコミ同様、評論家となっては国が潰れますって。だってそうでしょう。そんな滑った転んだに付き合ってなんていられないんだから、勝手にしやがれ!ですよ。
 今週、ある会合で話を頼まれましてね、下調べをしていたんです。すると凄い状況が分かった。
社会保障費を日本ではどれだけ使っていると思いますか?年間89兆円ですよ。これって国の一般会計予算の収入と同額なんですね。一般の人には実は良く知られていないことです。よく言われるのはGDPに対してどれだけの社会保障費を使っているかという数字は出ます。日本は17%強、先進国の中では低い、それが問題だというわけですね。でもGDP比率ですからね、昨年で500兆円位ですから、17%強で89兆円という額になる。これ年金・医療・福祉など全てです。でもね一般会計と同じでは、誰が考えてもですよ、お先真っ暗でありませんか!この辺の説明をどうして分かるように説明しないんですかね。
 我利我利モウジャみたいに、笊の食べ物を我先に奪い合う。これが経済大国の国体と言えますか?
私はですね、議員が2世でも3世でも構わないと思っています。その責任をとればですがね。だってそうでしょうよ、今からどうやって孫や子が生きていけというんですか、これ自民とか民主のレベルの話じゃーないですよ。
 その意味で今回の国政選挙は真剣に誰もが投票すべきだと思いますよ。そして後でトヤカク言わないこった。
それにマニフェストがどうだこうだと言いますが、あれ守らなくても何の罰則もないでしょうよ。ペナルテイがあれば、多分全員辞職でもしないと不味くないんじゃないの?
 だから意味無いんですよ。それを早く出し過ぎると相手にパクられるとか、次元が低いんだよな。それだけの税金あんたら使ってんだから、真面目にやれよな。
 今の私の心境としましてはですね。やっぱー自分たちの食べるものは自分たちで作りましょうということかな、農家とかなんとかじゃない、誰だって構わないと思いますよ。兵糧攻めにあっても生き延びる自衛手段ですかね。
 徴兵制度は反対ですよ、でも国の方向として、自分の食べるものを誰も一品作ることを義務化したらどうでしょう。
健康に良いし、工夫はするし、活気が出ると思うんですがね。わたしゃー決めたんだから!
 そこでここに我が家で収穫したジャガイモとナスを敢えて公表することを決心しました。
商品名:太り過ぎないナス&大きくならないジャガイモ

1199:言い訳

昨日は、卒業した大学の県OB会、友引だった。全員が坊さん、4つの宗派、会場は千代田カントリー。なんと言うことかと非難して下さい。良いだしっぺは私でした。今回で2回目、何せ毎年、OB会はやってきたのですが、いくら連絡しても集まるのは役員だけ、なんとも情けない。そこで先ず人が集まらなければ意味がないとある時言ってしまった。何か考えがあるのか?と問われ、咄嗟に浮かんだのが「ゴルフ」だった。「なんだー!ゴルフ?」と冷やかな視線を浴びた。「そうですよ、それでダメだったら変えれば良いでしょう」 OB会ってそんなものですよ。研修会や会計報告をいくらやっても魅力ないですから。
先ず、趣味から始まるんですね。それを4宗派対抗にして競わせる目論見。
 県の現会長はゴルフは全くやらない。でも今回も最初からクラブハウスで待機してくれた。
県内から集まるにはどうしても中心地が千代田あたり。2回連続同じコース。全部で7組の皆さんが集まってくれて、親睦を深め合うことができた。私のスコアーは42・44、すこぶる満足、次回は水戸周辺で行うという。先ず人が集まらねば意味がない。それからですよ。何事も。
 相田みつをの言葉で好きなものを二つ挙げるとこんなものがある。
    *やれなかった  やらなかった どっちかな
    *美しいものを 美しいと思える 貴方の心が美しい
 最近のゴルフ場はご承知のように経営に苦労している。プレイ費を格安にしたり、送迎まで行う企業努力は常識。だからといって経費を削減し、コース管理が悪いとリピーターは望めない。一時期外資系の経営に多くのゴルフ場が変わった。その中で生き残り作戦が功を奏しているところも現に存在する。そこから何かを感じ取れ。私は福祉業界に一番欠けているところだと確信している。それにキャデイさんの良し悪しは結構スコアーに影響する。
 今回は地元の茨城ナマリ丸出しのベテラン、何気ない言葉、OBを連発し意気消沈している人に声掛けするタイミングが絶妙、笑いが絶えないラウンドだった。この能力は施設職員としての良し悪しと同根だ。
 茨城空港が来年3月開港する。決まった路線が韓国便だけ、前途多難である。その韓国へのPR目玉の一つがゴルフ。何しろ茨城には全国でもトップクラスのゴルフ場がある。そこに目を付けた。
 オーストラリアの人々が北海道に大勢訪れる事はご存じでしょう。これはスキー客をターゲットにして直行便を運航し成功したもの。季節が正反対、年間を通じてスキーを楽しみたい人には堪らない。
 観光地を持っている所は良いでしょう。茨城はその点では劣る。だが食べ物は何でも取れます。全国第2位の耕地面積、いま直ぐ多くの人々を迎えることは望めまい。しかし、相田さんが言った言葉、「やれなかったのかやらなかったのか?」その事を県民が考える良い機会になるのは間違いない。
 ついでに、こんな事も。今年の全国障害者スポーツ大会は新潟で行う。選手団も100名近い人数になる。開会式に各県選手団が行進する。その時、それぞれの県が手に何かを持って自分の県をアピールする。茨城は毎年何も無く、帽子を振るだけ。今回は私が順番で団長になる、どうしても何かを手に持って参加したい。予算が無ければ手作りで良い。でも何が有るかと考えてしまった。水戸黄門のインロウ?梅?・・何にしようかと考えると難しいものだ。
 ならば茨城空港の広告ビラ?10月の本番に向けてアイデアを募集しよう。
出来ない理由をいくら聞いても意味はない。やってみてダメだったら次に考えれば良いこと、至って単純明快である。
 

1200:梅雨の合間

関東地方は,ここ暫くハッキリしない天候が続きます。いかがお過ごしですか?御無沙汰ばかりして申し訳ありません・・・・・・・。
 いま寺に植木屋さんが入っている。お盆前の恒例である。私も下働きで枝を集める手伝いをする。
お茶の時、「これ挿し木でなー俺が20歳頃に育てたんだ。もう50年以上になるかな」と話された。ずっと同じ植木屋さんが入っているから、全ての木を熟知している。4〜5センチの挿し木から育てたもの、今、見事に本堂向拝前に育った「ツゲ」だ。感慨も一入だろう。
 私が子供の頃、天気の良い日などに庭先で親父が松の盆栽をやっているときに思ったことがある。どうして小さな鉢に植えて針金で枝を曲げるのか理解できなかった。そんな疑問をぶっつけた記憶がある。
 子供心に松が可哀想だと思ったのである。昨日、剪定した松の枝を集めていた時に気がついた。これは客殿前に植えてある寺一番の黒松、3本が絶妙に植えてある。植木屋さんはこの松を毎回、一番先に始める。そして3日たっぷりかけるのだ。その松の根本を掃除していたら、針金が巻いてあって木の中にめり込んでいるのを発見、直ぐに判った。親父が作った盆栽を地植えしたものだった。
私以上にその植木屋さんと親父の付き合いは長い。
 多少、植木に興味がある人は、”松”は大変だという。それは手間暇がかかるということもあるし、管理が難しいからだ。私など電気バリカン?でガガーと一気にやれば良いと思うほうだから、元々木を見る目はないのだ。その自覚だけは持っている。
 もう一人の植木屋さんは無駄口はきかない。お茶の時も黙って聞いている。今回、珍しく彼の方から話し始めた。ブルーベリーの話だった。なんでも自宅でブルーベリーを栽培しているらしく、去年尚恵学園でもブルーベリーを始めたという話をしたらのってきた。なんと担当の職員が研修でその植木屋さんに教わったという。かすみがうら市は水田の減反政策の代替え作物としてブルーベリーを推奨している。大規模に栽培している人は6町歩も作っているという。一体どうやって管理しているのだろう?それに収穫や販売先など私も盆栽よりブルーベリーに関心があるので話が進んだ。
 趣味と実益は一致しない。その道で成功している人は、運が良かったというのでは無い。目に見えないところでの努力があればこそだ。
 植物は嘘をつかない。手抜きすれば、一目瞭然、それに勤務が休みだからなどといった理屈は通らない。水が無ければ水を送り、枝が重くなれば切って負担を軽くしてあげる。
 
世の中がここまで複雑、多様化すると何が大切なのかという事が分からなくなってしまう。そんな時、自然に目を向けると気付かされることがある。梅雨の合間に立ち止まり。今、植木屋さんから電話があった。「今日は休ませてもらいます。」という。夕べからの雨はどうにかあがったようだが天気予報では時々雨になるという。
 

1201:元気に行こう

”時と場を弁えて”という事は母親から教わった。思い起こせば、常に控え目で裏方に徹して生きてきたような人だった。
 人の前で話すというのは、私は職業柄多いのかもしれない。3日後に水戸の市民会館で1時間程の話をすることになっている。OHPを使ってやろうと考えた。私は学者じゃない、だから数字や制度の説明を細かに話すことなどできない。ぶっつけ本番で思いつきを長々と話してもしっくりしないに決まっている。
 その日が近づいてきて多少気になり始めている。
今日は日曜日、元職員の結婚式が水戸である、二人とも同僚だったので職員が大勢招待されている。留守組が心配なところだ。何か挨拶をと頼まれている。全く事前資料なし。
 明日、通夜が入った。
私の時代遅れのコンピューターは、最近調子がイマイチ。「時と場」調整機能がよくトラブルを起こすのだ。
つまり、祝いの席と悔みの席など、一体今日はどっちだっけ??
 さてと、水戸での話の事に戻ろう。某団体の総会にどういう訳か知らないが講演?を頼まれた。その代表の方は良く存じ上げている。そして大会のテーマが「元気にいこう」という事を先日電話で伺った。
 「元気でいこう」って言っても困っちゃう。私自身が元気が無いんだから、余計暗くなってしまいますよと話すとそれで良いという。何がなんだか分からない。
 その後だった、「ところで住田さん!何を話してくれますか?」と尋ねられた。正直、あの時断れば良かった。
 思いつきに「福祉という名前をつけられて」ではどうですかと話すとそれが採用されてしまった。
私がサラリーマンだったら定年まであと2年、多分、その後の人生をどう生きようなどと考えたに違いない。私の周りにはそんな人が実に多い。そして定年後活き活きと楽しんで生きている人をあまりみないのだ。
 それから若者だって、「このご時世ではどうにか食っていければいいと思うしかないでしょう」と妙に悟ったような事を言う、夢を語り青春真っただ中というような元気な若者が見当たらない。これ私の偏見ですかね?
 兎に角、受けた以上はやるしかない。
定年を迎えようとしている皆さん!他人事じゃーありませんよ。朝起きたら、さて何をしよう?これだ!
 畑でも借りて野菜作り、これも良いでしょう。好きな趣味に時間を存分に使おう。いいじゃないですか
 それ やれば!
 芝刈りだって麻雀だって一人じゃーできねーんだよ。そうそう毎回、付き合ってくれる人なんかいないんだから。孫の面倒?そりゃー甘い。四六時中、預けられたらたまったもんじゃーねー。
 どうです、自分の老後を如何に元気にすごすか  実に 難問でしょう。
  ”元気出せ かけ声だけで 引きこもる・・・・・””テレビ観て サプリメントの メモをとる”      

1202:地方政治

流れを読む。静岡での知事選は国政に影響有るか無しか。私は当然あると思う。なぜか、それは投票率の大幅アップが如実に示しているからだ。これは無関心層が今回は投票を行ったということで、何がしかの意思表示と受け止めるべきだ。自民党は国政に影響はないが、深刻に受け止めるとコメント。この言い方しかできない。それよりも自民・公明合わせた票よりも民主系議員2名の合計表が大きくリードした。
 一方、我が県はどうか!私は決めている。支持政党などに関係ない。人物を選ぶ。
 果たして今まで中央でのみ活動してきた人が本当に地方の事をどうにかしようとできるのか?言うは易し。むしろ私は不甲斐なさを感じてしまう。それは全国でも特異な院政の仕組みだ。何を恐れて誰しもが口を閉ざすのか?茨城は人口297万、静岡につぐ全国11位の県民を有する。その県で静岡並みの投票率を記録すれば県は必ず変わる。そこに私は期待する。
 私は政権交代は必ず起こるとみている。その根拠は何か?期待感の有無である。戦後政治の歴史の中で今ほどルール無き時代は無かった。何が起こってもおかしくない。この背景は、学者がいろいろ分析持論を述べてはいるが、基本的には政治家そのものに主義信条に大差が無くなったということではないかと思う。
 金権政治に国民の目が厳しくなったことで、是非論に関係なく、真(?)なるリーダー不在という現象が長く続いている。それに一番大きな特徴として国民の政治離れに変化が無かったことであろう。
 「どうせできない」「誰がやっても同じ」・・・・という失望感は根が深い、それと同時進行で個人主義が蔓延、他人への思いやりなどという昔から日本人が大切にしてきた精神文化は影を潜めた。この負の連鎖が増殖してしまった。一時的な応急処置ではどうにもならない病状にある。
 国や地方の役割、行政改革など話題には毎度あがるが途中で挫折を繰り返してきた。それこそ変化を嫌うある一部層の巻き返しに折れたということ。
 ただ、言える事は投票する側に問題あり。自分の利になることしか評価しない、時代おくれと言われそうだが”少欲知足”という事を今こそ誰しもが考えるべき時だ。格差が今以上に広がればどうなるか、悲惨な殺戮を経験してきた大人達?がもっと自らの言葉で若い人たちに伝えるべき。
 防衛や外交に関しては国体の一番重要な政策、そのことが論じられない。貴重な税金を多額に使って国会に席を有する議員は、その責任がある。その論議がオープンになされていないことは何を意味しているのか!
 経済の豊かさにランク付けする事に意味を感じない。食べられずに破棄される食品の量をどう説明するか?このことだけでも今の日本人には確たる理屈は持ち得ない。
 貿易立国の日本はこの先大変な事になるとメデアは挙って不安を煽る。批判をするだけではなく一緒に考え、育てていく提案をするべきだろう。

1203:健康法

7月になって日々雨模様、季節の挨拶にはいろいろなものがある。
 例えば、”久方ぶりに良いお湿りに恵まれ、一息ついています”というものがあった。しかし、今年は全く逆である。臨機応変の対応ができれば、そんな挨拶を交わす事はない。それが昨今は狂ってきていませんか? 常識が通じなくなってきた時代、至るところに目立ちます。
 健康グッズ大流行、特にサプリメントが凄い。カプセルで凝縮されたエキスを容易に体にとるわけだ。コンビニの一つのコーナー展示になっており、値段も結構なもの、メーカーとしては一つのヒット商品を開発すれば社運隆盛間違いない。深海サメ・ゴマ・蜂蜜・青色魚・うこん:青汁・・・・・
 でも大体、長く飲み続けないと効果は望めないという、それに販売方法が電話注文のみという。何故なのか?通信販売という直接営業法を取っている。
 でも健康というものは昔から人間の関心事で最たるもの、中国やインドを旅すると何千年の秘薬という触れ込みで今も愛飲されているものが沢山ある。
 しかし、飽く迄も補完的なものでしかない。もしも栄養源をサプリメント式で補うとすれば、体内の臓器の機能が退化する。口から入った食べ物を歯で噛み腸で吸収し、筋肉や血液に変わる。その摂取した栄養を運動によって燃焼し、適した体調を保つ。このサイクルが狂ってしまう。
 昨日、通夜に乗せてくれたタクシーの運ちゃん、私は良く運転手さんと話をする。彼らは商売柄、様々な情報を持っている。長い不況の影響を諸に受けている業界でもある。今、午前中はタイクシーを利用する人の大半が病院通いだという。整形外科などが多く、定期的に電気治療などで通院するお年寄り、ワンメーターが多い、これを何本やれば生活できると思いますかと逆に質問されてしまった。
 東京の最大手のタクシー会社が労基署の調査があったという話、労基法違反の疑い、しかし、今、正規の時間だけ車を動かして生活できないんですよと意味ありげに話された。
 これも実は根っこは同じだと思った。好きでやっているんじゃーねーんだよという事だ。
経済の仕組みが乾田に水を引くような状況に似ている。商品価値は、不足分を補うというニーズから高まる、これはある程度、賄える資金が条件、度を越せば、借金漬けとなる。会社なれば倒産、個人であれば自己破産。
 この常識が明らかに変わっている。GMの破産が最たるもの、経営陣だけでなく社員の給与は破格の高さだったとか、一人勝ち、勝ち逃げという批判のダブルパンチを受けた。
 しかし、それはほんの一部、関連企業、特に孫請けレベルになれば、切り詰めた経費の中で、給与もぎりぎり、その会社が非情にも最初に切られる。
 実は13万キロ乗った車を買い替えることにした。10万キロ以上も乗り続けた現在の車に愛着がある。しかし、どういうわけか燃費が悪い。不満を言えば、それだけ、下取りしてもらうことになったが、値段が無い。これには驚いた。ハイブリッドの車にするのだが、いつもガソリンを入れる主人には申し訳ない。
 リッター36キロの触れ込みは、大袈裟だろう。しかし、今の車と比べれば5分の1、楽しみだ。

1204:百害あって

私は葬儀や通夜の席では法話をやらない。以前やったことはあるのだが今はしない。入場から退場まで粛々とただ粛々と。
 実はこれもいくつかの失敗を重ねたからである。今週は、特に立てこんでいる。結婚式→葬儀→講演と続く。最後のは講演と言えば格好は良いのだが単なる”おしゃべり独言”である。しかし、頭の切り替えが私は苦手、だから途中でどこの場で話しているのかが分からなくなってしまう。例えば挨拶も日本語は微妙に違う。
遺族の皆さんなんて結婚式の挨拶で言ってしまう恐れを感じている。飲めない酒を口にしたりするから余計、饒舌になりすぎて余計なことまで話してしまう。これを日替わりでやったもんだから偉い後悔をした経験がある。
 それともっと酷いのは、通夜の席で私の持っていたイメージと故人が全くチグハグだった時も惨めだった。百害あって一利なし。
 言葉尻を掴んでどうのこうのが多すぎます。「たけし」や「談志」位になれば別格だが、宮崎県知事のレベルでは洒落か本気か、聞き手側にとっては微妙、首相候補に名を連ねるというのが立候補の条件と言った、多分彼は洒落で言ったもんだろうが、メデイアは本意と受け止めた。だから見てみなさい。最初の勢いから大分トーンダウンしてしまった。やめとけやめとけ。
 いまお盆前で植木屋さんが入っている。この方は地元の方で、いつも寺の山門の話が出る。「おらーが子供の頃、この辺で兵隊が馬を駆っていてよ。門の中に3人住んでいたんだ・・・・」「遊びに来てよ、シラミうつされてよ・・・」 当時、米軍の鹿島上陸を想定しての本土決戦、観音寺周辺にも戦車を隠す穴を掘り兵隊が住んでいた。その当時の事を植木の剪定をする度に思いだすらしい。
 GHの根本さんが慣れたもの、朝6時ごろから一輪車を持って枝集めをここ数日やってくれている。
「そろそろ飲みにいきてーな」と独り言を言いながら、これが私に聞こえるようにいうものだから、「終わったら三吉に行くか」と私が言ってしまった。2日前は雨で植木屋さんが休みなのに、彼はカッパを着て朝から頑張っていた。もしもだ、彼に「飲みにいくべーなんて言わなかったぞ」とでも言ったら、私の事を全く信用しなくなり、水戸詣でが再開するだろう。
口は災いのもと。百害あって一利なしですかね。

1205:思いがけず

思いがけない人からのメールが入っていた。大分昔の話だが、3人でネパールに行ったことがあった。その時に現地のJICAの方にお世話になり、何人かのネパール人とお会いした。その中の一人が青森県の大学で勉学中だとメールが入ったのだ。何でも農業を大学院で学んでいるという。メールも上手な日本語で書かれてあり、できれば東京あたりで会う事になりそうだ。私以外の二人は栃木と埼玉でそれぞれ施設を経営している。
 思いだした、カトマンズに滞在した時、王政とマオリストの対立があった。私たちが泊まったホテルの直ぐ傍で爆発騒ぎがあった。街の要所要所には土嚢が積まれ完全武装の兵士が車のチェックを綿密に行っていた。その後、ご承知のように王政が崩れ、大きく様変わりした。一時、外務省は渡航危険地域に指定、山好きにはお馴染みのカトマンズやポカラへの旅行者は減った。
 大国、中国の影響を隣接する国々は受けている。ウイグル自治区でのいま起こっている不穏な動き、更に今も燻っているチベット自治区での騒動。漢族との格差への不満、多民族国家の難しさ、中国は有史来、侵略、統合を繰り返し、今に至る。中国を旅すると一目瞭然、顔形も違うし、服装や言葉も違う人々が街を往来する。人口13億、この国の将来は、経済発展の可能性は無尽蔵?。否、日本などの問題とは比較にならない。
 それを抑えるために公安や軍事力を強める、だから今だって楽観視などできやしない。その事を一番知っているのが現執行部の人達だ。
 弱きものがいつの世も犠牲になる。女性や子供まで争いに巻き込まれ、多くの涙が流れる。日本にいるとその辺の世界の事情に疎くなる。だから本当に取るに足らない事を国会で議論、要の事は先送り。
 どうしようもない。
 以前として 無差別の殺人事件が起こっている。パチンコ店でガソリンをまき火を付けて4人が亡くなった。犯人は殺すのは誰でも良かったと言っている。自首した時の言葉。翌日にはハローワークの職員が就職先が見つからないという不満を持つ人から襲われた。
 この一連の事件は法治国家である日本で起こっている。私はこのまま進んでいくと何か取り返しのつかない状況になるのではと心配している。その解決策が浮かばない。
 足元を見れば、これまた毎日がハプニングの連続、いま一人の利用者を週3日日中だけ預かるようになった。送迎も職員が交代で行い受け入れはマンツーマン、人手不足の中で一人にこのような対応をすることは特例である。
 しかし、尚恵のメンツだと思っている。全く先が読めない状況の中で、ただ一つの可能性にかける。
これも効率やマニュアル重視の福祉業界にあって、忘れてはならない現場の意地。
 思いがけないメールが閉塞感に出口を見いだせなかった自分に何かを吹き込んでくれたように今思っている。
 

1206:平和と福祉

イラクから米軍の撤退が決まり、戦後復興を自国民に委ねられた。果たして上手くいくのだろうか。安定政権が築かれると反対派が様々な手段を使って破壊しようとする。この繰り返しを続けてきた。
 先月、視察に来られたアフガニスタンからお客さん達はどうしているだろう?その前の南米からの人たちと比べるとアフガンの人たちは言い知れぬ重荷と不安を背負っていたように思えた。国に帰れば大統領選挙があり、また争いが起こると心配していたのだ。JICAの人が話していた、アフガンの子供たちはエンピツやノートが無い、学校もなく、青空の下で細々と勉強をしていると聞いた。
 その情景は想像すらできない。日本が成熟国家と言えるだろうか?毎度のことで言いたくもないのだが自民党のドタバタ騒ぎ、丸山議員(弁護士)が怒っていた。外部から人気のある人を候補者として入れるより先に内部から改革の行動をとるべきだ! その通り。今の動きは正直政党としての体をなしていない。崩壊寸前ではないのか。
 もし、このような状況ならば一度全てガラガラポンにしたほうが良いと思います。それすらできないのではないでしょうか。みんなで渡ろう式の寄せ集めではだめです。土台骨が腐っていていくらシックイで表面を塗っても直ぐはげてしまうでしょう。
 先日の水戸での研修会、どうにか持ち時間をこなして帰ろうとすると懐かしい人が声をかけてくれた。一緒に昼飯を食おうと某レストランへ案内された。そこは精神障害者のデイサービスを兼ねたクリニック隣接のレストラン。万席状態で繁盛している事が直ぐに判った。違う場所にも確か作業所があり、その隣接するログハウスで尚恵学園の絵画教室の展示を行った。オーナーの精神科のドクターが理解があって地域の中での自立を目指している。
 ところで私はその方から講演の後、質問を受けた。「尚恵学園が掲げている”共生”をもう少し詳しく説明して欲しい」と。
一瞬、困ったと思った。それは法人の理念であり、先代から引き継いだ時から私の重荷となってきたことだからであった。
”共生”は永遠のテーマ、ひとつの法人がどんなに努力してもできるものではない。視野を広げれば日本だけの問題ではなく地球規模、水戸や土浦といった狭い地域で言えることではない。その時、咄嗟に浮かんだのは、私が若い時分に同じ質問を親父にぶっつけた時の事だった。
 その時、親父は躊躇せず”共闘”だよと言った。時代は確実に変わっている。モノが有り余る状況になんら疑問を感じない人々が多くなった事も事実、鉛筆がないから勉強ができないと言った子供たち、これだって良く考えれば終戦間もない時の日本の姿だった。そこから自分たちの努力で勝ち得た豊かさと自惚れている。ここが大きな間違いだと誰も言わない。GDP世界第2位の地位が中国に奪われると騒ぐ、その人たちは一体、平和をどう思っているのだろう。
 今回、こんな出来事があった。自立支援法の見直しの中で、利用者負担金の資産用件の変更があり、計算し直して提出、送られてきた膨大な資料、提出した複雑すぎる申請書、その結果、間違いが有ったと書類が差し戻された。その差額が1円だったという。なんと無駄な事をしているのか!怒りを通り越してしまった。全てがこうだとは言わない。
 だが、平和ボケの中で頭デッカチが考えることは、実はこの程度のことなんだ。
 賞味期限切れまじかの廃棄処分される食べ物、これなど全く言語道断、昔ならば「バチがあたる、残さず食べなさい」と叱られたもの、それが、なんとバカなことをするのか。
 実は福祉は平和の中では育たないといわれる。寧ろ堕落と欺瞞を生むと。せめてその弊害を少なくしたいものだ、余力があれば、世界の必要とする人達に支援をすべきだと思う。
”共闘”という意味ですが、これは組合運動などで労使闘争とか言われるものとはちょと違います。行政と障害者、事業者それぞれが一緒になって闘うということです。余計な事ですがコメントしました。

1207:ハッカー攻撃

昨日、朝、PCの一瞬電源が切れた。電話もダメ、その後自動的に復旧したのだが、インターネットが使用不可。ルーターやモデムの電源切って再度挑戦したのだが、今回は繋がらない。そこでS先生に電話、緊急支援を要求、午後来てもらって復旧した。原因はよくわからない。でも何がどうなってどうなったかを調べる術を心得ている。私は何がどうなって今どうなっているのか、その過程が全く分からない。結果だけで右往左往している。
 「ハッカー攻撃を受けたかな?」というと「問題外」と言われてしまった。これは私の性分だろうな。韓国やアメリカで国の中枢機関をターゲットにしたハッカー攻撃が起こっている。それと同等に考える浅はかな料簡!
 でも万が一有るかもしれない。どこかで混線し、ハッカー攻撃の残党が忍び込んだ、そこで観音寺のDELLパソコンが機能停止・・・・・
 とにかく治った。
 しかし、実に恐ろしい世の中になったものである。ハッカー「hacker」とは、コンピューターに精通し、熱中している人の意味である。それが転じてシステムに不法に侵入してプログラムやデータを破壊する人を言う。
 なんだか知らないがどこかで同じような事が起こっているように思えた。
 いま、障害者を取り巻く環境が似てる???つまり、制度に精通している人が合法的に悪用する。障害者の郵便割引の悪用はどうなったのか?それと北海道で話題になった、障害者認定を偽装し手当を不法にとっていた医師など、”同じ穴のムジナ”。
 これが表面化して問題になったのは、内部情勢に詳しい者からのハッカー攻撃内部告発だ。実はこれが一番怖い。
 知らぬ存ぜぬと白を切ることは見苦しい。自分の立場がどうだろうが、罪は罪だ。仏様はお見通しよ、まったく。

 世の中は思うようにいかないものだ。傍目では、何も心配なく幸せそのものと思われる方も実はそうじゃない。
 昨日、ある会合が地元であった。個展が終わってその慰労会。私の前に座ったあるお方、宴も酣になったころ、何かを書き始めた。それを私にそーと渡してくれた。
・・・・・上みれば及ばぬことの多かりき 下みてくらす これ好日・・・・・とお地蔵さまの絵に添え書きしてあった。
ウーム。
 溜息で返すより他はなく、有り難く頂戴してきた。
個展は(故)亙さんのものでした。来場者も沢山来て頂き、ご両親は感謝でいっぱい。80歳を過ぎたお父さんが書いてくれたものでした。家族の在り方、障害をもって生まれてきた我が子とどう接してよいのかが分からない若い親たちに是非とも聞かせてあげたい、2時間ばかりの宴席での一こまでした。

1208:方向性

ある時期から変化が起こった。それは人口が集中する都市部から徐々に地方へと移った。
 選挙の事で毎度申し訳ないのだが、いわゆる2世議員への支援の在り方に一言。初代に対する応援は手弁当駆け引きなしの応援をしてきた人が多い。それが2世議員になり、彼らは地元に住まず、自然と中央志向となり、選挙が近づくとお決まりの”地域あいさつ”と称して主だった幹部の処を廻るだけ。選挙民も当然世代交代し、顔の見えない秘書任せの議員への熱も冷めてきた。
 ここ一連の地方選挙の結果が如実に示していることは、そのぬるま湯政治に対する選挙民の明かなる「No」の意思表示である。この流れは勢いづくことはあっても、変えることは難しい。多分、国政の選挙をいま行ったとしても同様の結果になる確率は非常に高い。組織を動員しての政党選挙に関心を持たない層が半数以上になったからで、そうなった理由の大きな要因として政党そのものの求心力の低下とルール無き内部抗争の激化がある。
 巻き返しに必死になるだろう。しかし、一枚岩でない政党が、いま、どのような手法をこうじても逆効果。相手のミスを論うのは政治の常、しかし、相手の汚点?と全く同じ実態が自らの政党にさえ存在する。このことを嫌というまで国民は知ってしまった。我々は決してバカではない。寧ろ、自らの責任を棚に上げ、低投票率を国民の政治意識の低さと嘆いてきた議員そのものに大きな責任がある。さらに問題なのは、投票率の低さを逆に利用してきた節もある。
 ここ1年で政治の流れは大きく変わるだろう。それは目先の事に右往左往しているのではなく、将来に時間軸を移した明確な方向性を示す事に待ったがきかなくなっているからだ。
 自ずと知れた、環境問題、防衛、少子高齢化等々・・・・。問題先送りといい加減な対応が国の破綻を防げない処にまで深刻になっている。
 その危うさに従来の政治にNoをつきつけた。今の状況をそのように私は受け止めている。
 もしも政権が交代したときに、新たな政権担当党には、今まで以上に厳しい目が注がれる。期待が大きいだけに大変だ。
当然、その覚悟は持っているのだろうが、政治と官僚の癒着を批判し、これを変えるとマニフェストではっきりとうたった以上、お手並み拝見である。それに、無駄を省くという具体的な中身の問題、改選がまじかに控えた”大盤振る舞い”の実情を如何に方向転換できるか。
 様々な難題が待ち構える。
風向きが吉と取るか凶と取るか、それは政治家にとってではない。我々国民にとって何が大切かということ、それは当に
”異路同帰”への第一歩であり、我々が取り得る唯一の選択肢である。
 

1209:嘘

一事が万事、何か個の尊重とか言っても一括りで決めつけてしまうことが多いように思っている。
 嘘をつかないという事は言うは易し、誰だって嘘をつかなかった人はいないだろう。実はこんな解釈もある。「嘘をついた事を告白することで嘘をつかない」。これは仏教の十善戒での解釈とはニュアンスがちょと違っていて、キリスト教的見方である。 今の若い世代に共通する悩み?それは「生きることへの確信が持てない」という話を伺った。「*キリスト教独立学園安積校長こころの時代」
恐れる必要の無いことに恐怖心を抱き、本当に恐れるべきことを知らない。
 月並みの言い方をすれば、人間が生を受けたことは、必ずやそのことに意義があって、その自覚が持てるか否か?
非常に大きな問題である。生きるということはそれが何なのかを探し求める旅、これは何か大いなる存在を信じるか否かといった単純なものではなく、自分自身を大切に思うならば絶対必要なものである。
 世間体を気にし、肩書きや名誉に振り回され虚飾に満ちた生活にドップリ浸かってしまうと見なくなる、誰もが自らの心の奥底を見る勇気があれば容易に気づくことである。
 ”嘘”という問題は日常的に繰り返されている。”記憶にございません”。白を切って認めない高級官僚、彼女の今の心境はいかに?
一人のメンバーと今私は冷戦?状態にある、それは私との約束を彼が見事に破り、またもや警察に厄介になってしまった。彼と話していると、袋小路にはいってしまう。どうして懲りもせず同じことを繰り返すのか?彼は自らやったことを直ぐに認める、そして深々と頭を下げる。これが彼流の罪への処方箋、こうやって今まで生きてきた。
 それを変えようとするこちら側が甘いのか。突き放し、叱り、さとし、どうやってみても彼の心を開くまでに至らない。
私が疑問をもつのは、ここにある。嘘をついたことを告白さえすれば嘘をついたことにならないという道理、私の理解が浅いからかもしれない。贖罪の考え方や真宗の教えにある罪への解釈、実社会のルールの中では難しい。
 もし、本当に彼を思う気持ちがあれば、生活を共にする覚悟が必要だ。しかし、それができない事情があった、どのような試みも徒労に終わってきた。ただ救われるのは、一か所の会社に辞めずに辞めされずに10年以上も勤めてきた事実。
 果たして彼が家族や周囲の人々の中で本当に心から信頼できる人がいるのかいないのか、確信がない。彼にとってこれから生きていくことの喜びやユメがどこにあるというのだろう。その意味では、彼は過去に虚飾の生活経験しかしてこなかったのではなかったか?
 彼の人生の半分、二十年という長きに亘って関わってきた我々の責任も大いにある。入れ替わり立ち替わり関わることしかできない今の福祉現場の限界でもある。だからといって彼の家族にその責任を転嫁することもできない。
自立などと簡単に云うが、並大抵のことではないのだ。
 また、違った面からみれば、”学習”能力というものは、経験によって育つ。嘘をつくことで得た成功体験はどうしようもない。
 実名は触れない。法に抵触するということもある。
金額の多少ではない。・・・・が、400円のお菓子を万引きした。常習性を感じるから無視できない、いま、彼にどう接すれば良いのか!「貴方は約束を守らなかった。もう二度と手助けはしない。自分で好きなように生きていきなさい。悪いことをすれば、自分の責任で罪を受けなさい・・・」と滔々と話をして聞かせた。どこまで通じたかはわからない。
 彼の私を見つめる目はどう表現して良いのか解らない程、冷めた目だった。
決して私の本意ではないとは言わなかった。
 

1210:時流分析

【そわそわ国会 街うんざり】とは朝日朝刊の社会面の見出し、さすがの筆力、時流を的確にとらえた。
 そんな事はない。貴方達の責任もこの混乱にはかなりの部分ありますから、この拙いコーナーで政治家&官僚&マスコミの責任を言い続けた。勿論、私自身の責任も痛感してのこと。結局、日本人全て、否、地球上全ての人間の責任に係る問題に行き着くわけです。
 大言壮語!ならば許されます?いま、そんな悠長なことを言っていられない。成熟国家の無政府事態に。
 規範無きルール?、理念無き制度?、これら全てが借り物に懲りない人達の努力?の置き土産。本当に計り知れない負の遺産を残してしまった。
 古賀さんが総務会で急に辞意を表明し、退席、選対委員長室を片付け始まったとか。責任を取ったという形、でもどうでしょうか?
 長い政権の席に居座った自民党で、私は彼以外にも多くの責任を取るべき先生がいると思う。過去に首相を経験した人達、途中で投げ出し、いま、健康を回復?時々マスコミの片隅に登場する人達。自民党のOB党でも旗揚げして、後進に譲るべきだ。戦後、これだけ長期(45年?)に1党が政権の座にいた国は珍しいという。{コロンビア大:カーチス教授談}
 その結果。元総理、元幹事長、元大臣が党内に溢れてしまった。その人たちの肩書には、必ず、その華やかな経歴を一番目立つように掲げる。
 なんの為に貴方は政治家を目指したのか!その状況に街がうんざりしたということじゃないんだろうか。
さて、一方の民主党、いよいよ貴方達の出番ですね。最近の地方選挙での連戦連勝に浮かれていませんよね、国政は違うと思いますよ。
そんな事言われなくとも承知の介ってか?そうでしょうとも。でもね、地方と一番の違いはなんですか?
即座に答えが出ますか?
 私はこう考える。国民の幸福と他国とのバランスだ。抽象的でしょうか?でもそれしかない。内向きと外向けの顔をどう作るかでしょう。
 外交、国防これって難しい。相手がいるからだ。それに単一民族で島国という特殊事情をもっていますからね、
GDP世界第2位の位置を死守することばかり考えてきたツケが諸に出てきた。今までは金を出せば良かったかもしれません、でも、これいつまで出来ますか?
 国内政策も課題山積、これをどこから手をつけますか?貴方達は官僚とどう付き合うのですか?同じ手法で族議員を全面に立てる?これじゃ、全く同じ、官僚は強かですよ。専門家集団ですからね。*専門家とは自分の役割に専念できる職業という意味で*
 それに我々をどうしてくれますか?障害者自立支援法を貴方達は廃止すると言った。じゃーどうすんのよ?決まるまで障害者の皆さんに自宅待機でもしてもらいましょうか?
 正直、これらをマニフェストに表すことなどできませんよね。でも、貴方達が国会で行ってきた質疑を見ていた私たちにとっては、それなら貴方達はどうするのかが読めなかった。これが不安として今も残っています。
 ”時流を読む”なんて格好をつけても、時間は常に流れていて一定ではありません。何しろ太陽の周りを地球はどのくらいのスピードで廻っているか考えたことありますか?なんと秒速30キロという速さですよ。信じられますか?
 地球の誕生から、何年たったのでしょうか?そして我々がこの地球上に生きられる時間は?
 この世に絶対なものが一つだけあるといった哲学者、名前がすぐに出てきませんが、・・・・・
唯一、絶対なものは”時間”である。と言った。
 一人勝ちを目指すことは良くないですよね。どのような理由をつけても。