源究91

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
1331 嫌われもの 12/5 1336 寺の裏事情 12/10 1341 先ずは一歩 12/15 1346 迷走の先 12/20
1332 宰相の器 12/6 1337 警鐘 12/11 1342 空元気 12/16 1347 悉有仏性 12/21
1333 天・とき・人・わ 12/7 1338 今年の漢字 12/12 1343 医療崩壊 12/17 1348 大小のトリック 12/22
1334 ここぞ!一番 12/8 1339 栄枯浮沈 12/13 1344 国政報告 12/18 1349 何が大事 12/23
1335 制度改革 12/9 1340 失意泰然 12/14 1345 Nothing Abo. 12/19 1350 新聞を読む 12/24
号外
@ むかし話 12/25 B 逸失利益 12/27 D 除夜の鐘 12/29 F 願わくば 12/31
A キーワード 12/26 C 三大ニュース 12/28 E 夢? 12/30
サンタ(S.Y作)

1331:嫌われもの

海の嫌われものの代表格は、エチゼンクラゲ、傘の大きなもので2メートルになるという。重さがなんと200キロ。漁師さんにとって天敵、これから冬の漁が最盛期となる。網を入れるとこの嫌われ者が無数に入ってしまい、網を上げるにも危険でどうすることも出来ない。漁業関係者の死活問題に発展しているという。どうして、この怪物が日本の海を覆うようになってしまったのだろう。考えられる原因として、中国沿岸の海の汚れと海水温度の上昇、これによってクラゲのエサになるプランクトンが異常発生、たらふく食べたクラゲが海流に乗って日本近海に押し寄せているからだという。
 駆除しても駆除しても切りがないと諦め、漁師を廃業することまで考えているという。環境異変は様々な形で現れる。一度、生態系が変わってしまうと元に戻すことは不可能になる。「沈黙の春」の中でカーソンが警鐘を鳴らし続けたのは当にこの事だった。それも半世紀も前のことなのに、今までその手立てをしてこなかったことが今現実の問題として地球上の至る所で起こっている。
 新型インフルエンザ騒ぎも全世界的となった。ドイツの先輩にその辺の事を電話で尋ねたが、あまり騒いでいないという。日本が異常なのか?どこの病院に行ってもマスクをした患者が待合室に多く見かける。学校や保育所で休校や休園を行っている数は全国で数万か所になっている。2度目3度目の休みを実施している所も出ている。既に累計感染者は1000万人を超えた。
 これだってウイルスの言い分を聞いてみれば、多分、人間に虐げられた腹癒せだよと言うかもしれん。
エチゼンクラゲだって言いたいことは山ほどあるだろう。人間よ!お前たちが川を汚し、好き勝手にやってきたからだよ。反省が足らないんだ。
 果たしてどうでしょうね。自分たちに直接影響が無くて良かったね。クワバラクワバラという思いはありませぬか?
 自分に災害が及ばない事を願い、自分だけが良ければいいという人間が増え過ぎた。これホント。実は嫌われ者はなんと自分だったということが良くあるんですよ。
 閑話休題
 上のスナップはおもちゃグループのSさんの作品だ。北海道の広尾町に送った。襟巻と帽子は彼女が覚えた手編み、どうですかアドケナイ表情、Sさんの心の中そのもの。この価値が分かりますかね?
 多分、これが要ですね。物の価値を再認識し救われたという感情は、決して高根の花ではなく、身近にあるんですよ。
ただ、気がつかない。本当に勿体ないと思いますよ。
 ここまで財政悪化した国の台所、これを変えるには、誰しもが価値観を変えないと絶対にできません。嫌われ者は実は自分だったという気付きから始めますかね。
 そんな事を考えております。
『ナイスハートフェステバル』開催中に感じた事。大ホールの座席は予定より大分少なかった。それは新型インフルエンザの影響、急遽キャンセルになった事業所も6〜7か所あった。参加した人達の6割位はマスク着用、マスクを付けられる方は能力が高い。施設は集団生活をしているから感染はあっという間に広がると某施設長、なんと利用者の8割が感染したという。心配しても仕様が無い。我が施設の地域は感染者が多い。軒並み学校や保育所は休んでいる。
 午後から本格的な雨になる。何か良い事ないのかな?
 鹿島アントラーズ3連覇。よくやった。すごい。負けても次があるさ。川崎さん。夕刻記す。

1332:宰相の器

野次馬根性丸出しで言わせて戴くと、鳩山総理のリーダーシップに異議あり。「宇宙人」という別称を自ら認めるというが、当に世の大事にあって、ノラリクラリ、肝心な事になると、各大臣に任せてあるから善処してくれるはずというコメントに終始。「政権ハネムーン」というものが有るという。鳩山政権は9月16日に発足、もうじき100日に至らんとする。アメリカではオバマ政権になり、高支持率でスタートし、ここにきて政策に効果が出ない焦りから、支持率も大分下がった。これは寧ろ平常値に戻ったと理解すべきなのかもしれない。
 鳩山さんが果たして「宰相の器」が有るのかと言えば、総理選出を十分党内で議論したわけでもないようだ。つまり、幹事長との2重構造は見え見えだし、早くも沖縄米軍基地移転の問題で連立3党の足並みに微妙なズレが生じている。これは素人目でも最初から予測できたことだ。透明な政治を掲げ、華やかにスタートしたから、殊、外交問題など他国との微妙な関係に影響する課題で、その手法は極めて危険だ。基地移転に関しても、既に日米同意がなされていたこと、政権交代して俄かに地元の主張が強まる。それに対して政府側窓口が多すぎませんか?防衛大臣・外務大臣・国交大臣などなど、それぞれがマスコミに対するガードが甘いんですよ。人柄は皆さんすこぶる良いのは解ります。でも個人の考えを言って良いこととそうでない事がどうもバラバラ、これでは相手アメリカも誰を信じて良いのか不満は募るでしょうよ。政治的判断という言葉は、要は総理の最終決断に委ねるということだ。その鳩山さん、私だけでしょうか、どうしても元タカラジュンヌの奥方が目ざわりなのです。外交を社交と勘違いしていませんか???
 年明け春には衆参同時選挙という噂も飛び交う。このネタ元の真意は掴めない。ただ、直面する重要案件の判断には、今の一党独裁的政治アンバランスの中では、国が持たないのではないだろうか!その事を深く危惧するのです。
 いつの間にか内政問題は棚上げされ、永田町界隈がザワザワするだけで、その実態が掴めない。これは想定外の事態ではないのでしょうか?つまり、審議経過の透明性を最優先するばかりに、準備段階の裏事情まで国内外に曝け出してしまった。ま!大した事(?)ではないのかもしれませんが、官房機密費の使途に関して、政権を取ったら真っ先に言行不一致。高速料金無料化はどうした?子供手当は?それと政治資金の透明性は?・・・・・自分の首を真綿で絞めるような事にならねば良いのですが。私は本当に新政権に期待しているんですよ。
 この状況で果たして今後4年間の舵取りは大丈夫なのですか?一年生議員、名前と顔が一致せず、彼らは今、どこから手を出してよいのかすら分からない。
 外交防衛問題は、党利党略では無理ですね。本来ならば国会審議の中で討議すべきこと、それが、審議拒否と強行採決、以前として従来の手法しかとれないじゃないですか。外国に日本のステータス低下を必死で食い止めようとする。良い顔をするのも、いかがなものでしょうか? ハッキリとした主張をせず、お金だけ援助することで、後はご自由にという事では、これこそ無駄になりかねない。
 100日が経つんですから前政権への責任なすりはもう止しましょうね。それよりも今、自分たちの能力が試されているんです。政治主導とセメントから人へのキャッチフレーズ、もうそれは解りましたから、じゃーやってみて下さいよ。
そうでしょう。だって、言い訳が多すぎますもんね。野党時代には情報が無かったという事を堂々と言う政治家がいます。これっておかしいよね。あんたら国の税金を使って国会に籍を得たんだろうと言いたいね。自分たちの能力の無さを認めているということと同じです。その事を本当に理解している人が何人いるんだろう??
 どうしても私はこうなっちゃう。次から次に言いたいことが出てきて止まらない。
 そうだ、昨日のことですが、フェステバルの最終出し物を舞台のそでで見ていたんです。あの時閃いたんです。主役は舞台の上じゃ無く、観客席だって。今の日本は政治家や官僚が主役になりすぎなんですね。だから上手く演じようとする。気が付いたら座席はカラッポってことに。
 

1333:天とき人わ

NHK大河ドラマ天地人が終わる前に新潟を訪れた時、駅前には大段幕が張られ、売店コーナーは関連グッズ一色といった感じだった。まさに戦乱の世を生きた人々、行く末を案じ、民の幸せを願った上杉景勝を支えた家老・直江兼続の生きざまは、多くの人々に感動を与えた。
 とかく勝ち組が脚光を浴びるのが常であるが、このドラマは関ヶ原の戦いで敗れた側の上杉家にスポットをあてた。丁度放送された時期は国内が新自由主義経済の様々な問題が問われ始めた頃で勝ち組・負け組が果たしてどのような結末を呼ぶのか?人の和という観点から見れば示唆に富むものがあったのではないだろうか。
 昨日は某集まりがあり、私としては大変勉強になった。現代風天地人と言ったら大袈裟かもしれない。しかし、人の上に立つ人の覚悟とその人の持つ人間的魅力というものは、決して天性のものではなく、本人自身の努力だという事が分かった。その人の魅力に駆け引きなしで支えようとする人の心中もまた同じく”気”持”。
 これは活字やドラマで為せる業ではない。直に接し、その人の人となりを感じ取ることことから始まる。
ならば我々は普段の生活の中で何をもって信頼関係が育まれていくのでありましょう?
 一言でいって、いまその人が必要とする時にいるということじゃーないだろうか。肝心要の時に理由がどうであろうといないということでは駄目。言われたからいるというのでも駄目。言われなくともいたという事が重要。
 その時こそ、人間は相手を味方だと感じる。
例えとしてどうかと思うのだが、サッカーという団体競技で、要は誰だと思います?フォワードでもなくキーパーでもない。
スイーパーというポジションですよね。下手なチームはボールを追いかけみんながボールに集まり過ぎる。だから一本のロングパスで逆襲失点という事が良く起こる。
 スイーパーという役割は、必要なフォローと適切な指示を行うこと。これは常にゲーム全体を見ながら、相手攻撃の予測を瞬時に行い、適切に対処する能力。
 組織にはこのスイーパー的人間の存在が不可欠なのである。一朝一夕でできるものではない。・・が長期に継続できている組織(会社・団体など)には、その類の核になる人間が必ずいるものだ。
 どのような人事考課の方法を取り入れても、そこを理解できなくては、事務量ばかり増えて、却ってマイナスになるだけだ。
 どうも我が園にもインフルエンザが入ってきたようだ。時間の問題だと思ってはいたが、出来れば入ってきて欲しくは無かった。これも考えようである。新型なるが故に、一度感染しないと免疫ができない。いつまでも外界と接触しないという事は不可能、ならば、早い内に感染してしまったほうが逆に安心かもしれない。ワクチンは完璧ではない。また、既に警戒域を超え全国的に蔓延している中でワクチンを待っているのも現実的ではない。
 このような有事の時にこそ、人の価値が良く見えてくるものだ。
 

1334:ここぞ!一番

ここぞ!一番。
 何を根拠として決断するか。尚恵学園は3か所の事業所で動いている。GHなどは地域に点在する。それが、ここにきて、様々な壁に突き当たっている。国の言うところの地域生活をされた方が上手く社会に溶け込めず、横道にそれたり、挫折をする方がどうしても出る。その方達への後方支援は、どうもイマイチ上手くいっていない。トラブルが起こってからの後手の対応だから仕方が無いといえばそれまで。
 入所型施設の宿命を今痛切に感じている。インフルエンザ感染はあっと言う間に広がる。それも覚悟は常にしていたが、正直感染は防ぎようがない。熱があっても静養できない人達、多分、自分の体調をどうして良いのか判らないからだろうな、いつもと違ったキツイ表情をして廊下を動き回る。一方健康な人達は、日課の変化(合同活動)についていけない。作業が中止となったことで大声を張り上げる人もいる。だからと言って学校や日中事業所のように自宅待機は望めない。職員も感染し、勤務ローテーションが日々変更せざるを得ない、今回はGHの利用者が先ず感染、本体施設の自活棟に移ってもらいGHは閉めた。その数日後に本体施設でも何人か発熱する人が出始めた。そして、1施設だけでは止まらなかった。昨日、もう一つの施設に一人感染者が出た。(その間、約7日である)
 地域生活のGHが当に現制度体制の脆弱性を如実に示す。体調が崩れた利用者が出ると本体施設で見なければならない。一人の世話人で何ができる?万全の支援体制が取れないのだ。
 今回は私の指示でGHより本体施設に戻した。既に職員の子供に感染した者が相当数出ており、いずれ園内に入ることは予測できた。それよりも体調を崩した利用者をGHに一人で置けないという事が一番の理由。

 現在、法人全体で7か所のGH/CHを持っている。それら全てが同じ条件だ。これが地域で有りのままに生活する実態だ、なんと多くの矛盾があるのだろうか?平時にはそれでもすまされる。しかし、何かが起これば本体施設以上に支援の手が必要だ。それと、癪に障るのは依然として入所施設解体を訴える者がいるという事実。現実を直視しない理想家だ。いまこそ、入所型施設の結束を望む。
 別に学校教育に対して喧嘩を売るつもりなどない。我々施設が今回の新型インフルエンザ騒動で諸に被害をうけていることを世に訴えたいのだ。茨城の場合は学級内で15%の感染者が出た場合には学級閉鎖するという。以前は2名が1週間の中に出た場合だった。これではどうしようもないとわかり、数値を上げた。休校するのは良いでしょう。他の生徒に感染するリスクを減らすためには確かに効果はあるでしょう。しかし、休みになった子供たちが家の中で大人しくなどしていない。そこで我々の施設を利用する希望者が増える。最初は、その事情を考慮し、事前の健康チェックで問題がなければ受け入れてきたのです。今は、承諾書をとった上で緊急性の高いケースだけを受け入れることにした。
 何の承諾書? 勿論、お宅のお子さんが当施設を利用されて感染した場合に責任を問わないという了解である。
 正直、実習生の受け入れやショートステイでは、過去に何度となく苦渋を嘗めた。それは事業所の自己責任といえば、それまでのこと。我々の言い分からすれば、日常活動の余力の部分で受け入れているというのが実態、そこが一般の人には分からない。
 適当な表現が思い浮かばない。今回の先輩の施設から大いに学ぶことあり。既に利用者の半数以上が感染し、ピークを越している施設、私は立場上、そこの施設長に状況を聞いてきた。皆さんが異口同音に言われることは「仕方が無い・防げない・ただ過ぎ去るを待つのみ。終息宣言が出せない」だった。
 いつもそうだ。喉元過ぎれば熱さは忘れるものだ。何か所かの施設長にお願いした。今回の施設での取り組みを記録に残して欲しいと、知的障害の施設は、今回ワクチンの優先接種対象から除外されている。我々は県や国に要望してきた。
 知的障害は重症化するリスクの基礎疾患に充当しないからという回答を得た。果たしてそれで良いのでしょうか?もしも、我々が結託(?)し、学校のように施設受け入れ拒否をしたら、どうなりますか?世の中はパニックになるのではないだろうか?
 常識ある施設人はまさかそんな姑息な手段は取らんでしょう・・・・・・ってか。でもそんな人達ばかりでは無いというのが世の常ではないでしょうか?いま、我が業界もなんでも有りの時代になったのです。新法&廃止などやるからですよ。
もう、うんざりしてるんだから。
 鳩山さんが障害者対策会議の本部長になった。ここぞ!一番。頑張ってください。本当にお願いしますよ。
 

1335:制度改革

政府は8日に「障がい者制度改革推進本部」の設置を閣議決定した。その下に設ける推進会議のメンバーに障害者自身が参画するという。その他、団体関係者が入って調査・審議を行うとした。当面5年間を「改革の集中期間」と位置づけるという。障害者自立支援法を廃止し、新たな制度を作る、これは選挙公約に明記されていたもので、我々としては、先行きに不安があるということは否めない。よりよい制度になることを期待し、自分たちの主張を正々堂々、正面より行っていくことになろう。
 ただ、それには相当の困難が予想される。先ず、推進会議のメンバーに我が協会の代表を出せるのか?過去の政治的な柵があって、余程、努力しないと相手にもされないことに。
 障害者対策は、様々な政省令が絡む。これは年齢の幅や障害種別によって支援の中身が異なるからだ。本格的な仕組みをつくるとなると、膨大な経費が必要になる、果たして国民の同意を得れるか?
 誰しもが身近な問題という認識がないから困る。常に問題の先送り、一時凌ぎの対応で我慢させられてきた歴史がある。経済最優先の政策の陰に存在感が薄れてしまうのは、如何ともし難し?
 当然、国と同様の審議の場が、地方にも必要となるだろう。既に様々な事業が現法の下で行われている。それを残すのか廃止するのか?多分、私は中身を変えることでの対応しかないと思う。直接障害者と関わる現場は、正直、法律がどのように変わってもニーズそのものに大差はない。
 規制緩和が進めば、当然、様々な事業主体が入ってくる。そうなれば、適正な運営か否かのチェック機関が今以上に必要となるだろう。
 公金が財源だからこれは絶対に省略できない。その辺のバランスをどこでとるか。事務の簡素化につながることだから
関心が強い。
 最近の傾向として、小規模な事業所の統合が意図的に誘導されているように感じている。県によっては、大規模法人が全ての福祉サービスを一手に引き受け、独占しているところもある。果たしてこれで良いのか?
 ただ、建築費への補助がどんどん削られてきた中で、多額の資金を用意出来る法人は数すくない。ここに、政策的意図を感じる。医療法人と社会福祉法人が併設されている処が増えた。お互いがカバーしあいながら共存していく。確かに今まではそのメリットがあった。しかし、今後は分からない。
 医療や介護のニーズは今すぐ無くなるという心配はない。経営する立場からすれば、うま味があるのだろう。
それは、外需を主としてきた大企業が戦略を内需にシフトチェンジした時に最初に狙われる分野だからである、簡単に飲み込まれる。
病院経営の実態を精査するまでもなく、医療と経営は両立しない。軒並み赤字経営の病院、医療ミスや様々なリスクを背負いながら青息吐息で運営している法人をいくつも知っている。
 それと社会福祉法人も然り、初期投資の目鼻がついても、次なる投資が必ず控えている。それに対する備えができますか?いま、水面下で病院や公益法人の吸収合併が進んでいるという。
 今回の制度改革は多分、経営側の視点は弱くなると思っている。民主主義が成熟してくると制度そのものが持つ矛盾とぶち当たる。それは何か?『自己責任』というルールからの場外退場だ。
国連の障害者権利条約の批准を目指すとするならば、前政権が成し得なかった障害者差別禁止法の制定との絡みが出る。その調整が実は難しい。分かり易く言えば障害者福祉といっても、提供者と受益者の主張が微妙に異なるからだ。日本としてどう方向づけるかという青写真がなかなか描けない。いつまで堂々巡りしていても埒が明かない、今回は大きなチャンスだと思うのだが・・・・・・。
 

1336:寺の裏事情

”樹木葬””寺の出張所”・・・・ご多分に漏れず寺院の実態は、少子化や過疎という人口流動の変化に晒されています。寺を存続させる為に様々な試みがなされている。地方に行けば住職のいない寺が沢山あり、檀家さんがお寺を管理している処が増えています。都市部にあっても、寺院墓地に変化が見え始めています。それは墓地があれども誰も墓参りに来ない。連絡先が不明で合葬墓への移転もできない等々。
 私の寺も同じです。毎年、檀家さんに手紙を出しますが、住所変更という印を押されて開封されずに戻ってくるものが何通もあります。
墓地だけを求めて,未だ更地の状態の方は、どうしても寺との縁が薄くなる。これは仕方が無いかもしれません。
 私は二ケ寺の住職をしています。併せると約800軒の檀家さんへの定期通信も施設の仕事の合間に行って来たといういい加減さは否めない。でも、皆さん、こんな住職を我慢して付き合ってくれているという実感は常に持っています。??そう思っているのは私だけかもしれない。
 つい先日は、自分を責めましたね。朝の8時までに水戸の文化センターまで行き、イベントの開会式に出て、10時30分友部インターで形振り構わず衣に着替えて急いで土浦に戻り、3件の法事を済ませました。それが同じ場所(本堂)での法事じゃ無かった。自宅もあって、時間はずれ込んでしまい。飛び込み法事。そして、そのまま水戸にユーターン、午後2時半、今度は閉会式に出た。
 何故こんな事に?良くあるんですよ。だから草履を忘れたり足袋が左右同じだったり、笑いごとじゃーない。でも、みんな自分が悪い。今回は長年使っていた電子手帳がどうも調子がわるい。日記帳式のに切り替えている間のミス、どうしても抜けられない行事があったのに、法事を受けてしまった。なにせ、住職がいい加減だから檀家さんは2カ月前に法事の日程を決めてくる。直前の変更は効かない。
 こんな状態が長く続くはずはない。団体の責任者は、早く誰かに譲るべきだと引き受けた時からずーと思っていました。それがいろんな事情があって、思い通りにならない。私の性分でどうしようも無い。受けた以上はというもう一人の「ブクシ君」が必ずチョッカイを出してくる。でも、4年やったから、・・・・・。
 施設の仕事は片手間でなんか絶対にできませんよ。利用者さん一人一人の顔をみたら、もう・・・・。これがまた私の性分、自分を責めるんですよ。寒かっぺーな!家に帰りたいべなー!正直に言えば、彼らの顔をマトモニ見られんですよ。
 やりたいことは山ほどありますよ。でも、考え始めると焦る。
 いまのゴタゴタ騒ぎを見ていると、なんてバカな事に時間を浪費しているのかと思う。小沢さんが600名もの人を引き連れて本日から中国詣で、江戸時代の参勤交代???
 これっておかしいよね。でも誰もそう言わんでしょう?言えないのですか?なぜですか?私は言えませんよ。会ってなんかくれんでしょう。だから懲りもせず、こんな風に独り言。もし、会ってくれるなら私は言いますよ。たった一言、”変だ”とね。
 今の日本の状況は危険だと思う。このまま進んでいくと、情報が偏る。理想と現実のギャップが拡大する。
一つの現象が如実に示す。最近、東京にも良く行くんですが、「人身事故があり、・・と・・・間が運転見合わせ中」というテロップを駅で良く見かけるんです。
 なんか凄いことになっていませんか? このままで良いのですか?
 

1337:警鐘

警鐘とは、危険予告と警戒のために鳴らす早鐘を言う。警鐘を乱打するとなると緊急事態だ。一昔前、私の住む地域にも火の見櫓があり、火災が起こると鐘が鳴らされた。
 経済の事は、良く分からない。しかし、ドバイショックやサブプライム問題という世界経済を大きく揺るがした事件が続けざまに起こり、誰しもが不安を感じている。昨日、何十年ぶりかで「文芸春秋」を買った。新聞広告を見て気になる記事があったからで一気に読んでしまった。昔は定期購読をしていたから、読み終えた本はうず高く重ねておいた。
 興味があったのは*「下海組」転落で中国高度成長は終わる*という宮坂氏の記事であった。今、中国の存在が全世界で益々大きくなっている。何しろ13億以上の人口と広大な土地、それと他を寄せ付けない歴史の重み。秋葉原に行くと中国からの旅行者が電気製品を買いあさっている。惜しみも無く日本円を使う。一体どうしてこんなにお金持ちが多くなったのだろう。何度か中国に行ったことがあった。最初は20年位前で上海は排気ガスと自転車、それに露店が目立った。いま万博を控え、街並みは1変した。この急激な変化を裏付ける経済成長率、先進国がこぞってマイナス成長をしていた時ですら5%以上の成長を続けていた。その中国の成長が終わるというから興味は出る。
 折しも民主党大訪中団が国家主席と会っているニュースが流された。いつもの穿った見方で恐縮だが、新人議員が一人一人主席と握手、カメラに向かってハイポーズ、多分、帰国すれば自らのHPや機関紙に写真を載せるのだろう。
 当然、私費で参加したんでしょうから自由です。
 内政・外交と山積する問題をどう導くのでしょうか?ある評論家が言っていた。前政権は50年、だから5年は黙って見てあげると。これもまた無責任なことを公共電波を使って言っている。日本のマスコミ報道に警鐘乱打!8時前後のワイドショー、あれお互いに番組調整しているのでしょうか?殆ど同じ内容のニュースを同時間に放送しています。4.6.8.10各チャンネルは粗同じ。さすが1.3のNHKと12は違う。
 何も観なければ良いでしょう!  そりゃーそうだわな。
さてさて、そろそろ出勤の時間、私の事を知らない人は坊主が何を言ってる?と思うでしょうね。わたしゃー昼間は殆ど寺にいない。施設の方に出ているのです。これがいま大変な騒ぎで疲れ気味なんですよ。例のインフルエンザが何処から入ったのか知らないが、あっという間でしたね。職員や利用者が感染、帰宅できる利用者には自宅に帰って戴いていますが、戦争みたいな状況、・・・・。鎮静化するまで暫く時間がかかりますね。
 そんな時に限って、「本堂が閉まっているから開けて下さい」なんて電話が入る。お線香をあげたいという人から、・・・・
ハイハイ今あけに参ります。
 塔婆を明日までに書いておいて下さい。ハイハイ書いておきましょう。職員の中にはこの騒動が始まってから殆ど休まずに頑張っている者がいる。会うたびに「御苦労さん。風邪ひかないでね」と優しく声をかけている。だんだん、その効果も無くなってきた。 
 

1338:今年の漢字

今年の漢字に選ばれた字は『新』であった。2位は「薬」。3位以下は、「政」「病」「改」と続く。
 暮れの風物詩となった清水寺・森清範管主の書も見事だが、全国から応募された数が16万通を超え過去最高とのことだった。今年一年を漢字で表すということだから、上に挙げた5文字は繋がりがある。特に政権交代と新型インフルエンザが突出している。
 また本棚より『貞観政要』を取りだし読み始めた。創業or守成?分かり易く言うと、豊臣秀吉or徳川家康?豊臣家は1代で終わり、15代長期政権の徳川家という対比では如何か。勿論その構図を現代に当てはめるわけにはいかないが、その覚悟を期待する。いつの間にか丸味を帯びてきません???前政権と大差ないじゃない。顔ぶれが変わっただけ。
 マスコミを鵜呑みにすることは危険だが、誰が見ても鳩山さんのリーダーシップに異議あり。もう少し喜怒哀楽を出したほうが良いのになー。暖簾に腕押しという印象がモロ。怒る時は怒ってみてよ。
これも門外漢の無責任と言われればそれまで、でもね、「最後は自分が決める」なんて、そんな事を言っている余裕有るんですかね。正直、有権者は揺らいでいます。
 ゴルフの遼ちゃん、囲碁の井山名人凄いよ。彼らは若い。前向きなエネルギーを感じる。今の気持ちを大切に、変に染まって欲しくない。彼らの凄い処は、自らの力で今の地位を築いた。親の金力や選挙地盤に無関係、勝負に負ければそれまでの事、その事を身に沁みて感じているからこそ、日頃の鍛錬を欠かさない。自らのミスを他人のせいにしない。
 これって、誰かに学んで欲しい。
私の尊敬する先人を上げれば、良寛、明治以降ならば、石田禮助を真っ先に挙げます。良寛は言うまでも無く、江戸後期の禅僧、望まれても中央に登ることを拒み、自ら五合庵に住し、村童を友とした。号は大愚だ。
 石田はご存じの方が少ないかも、彼は三井物産の常務から国鉄総裁になった。民間人の登用!どこかで聞いたような話だが、石田に比べては失礼だ。彼の有名な言葉、「疎にして野だが卑にあらず」。このお二人と同じ時代に私が生まれなかった事が残念でしようがない。
 なんたって有らん限りの手練手管を使って上に登ろうとする輩が多い昨今、この二人に感じるものは、”信念”。決して陰で工作などしない、堂々と正道を歩む。石田の偉さは、戦前戦後の混乱期を「卑」を嫌い、信念を通した生き様だ。
 こう有りたい。私など遠くから安全な場所に身を置き、指を嘗めているようなものだ。
 ここ数年、自分が何が切っ掛けだか分からないのに怒ってしまうことが増えてしまった。自分に余裕が無いと言われればそれまでだが、黙って見過ごせない場面が多いように思える。

1339:栄枯浮沈

季節が織り成す自然の変化、冬の到来を落葉樹は葉を落とす事で知らせる。この時期、掃けども掃けども切りが無く落ち葉が集まる。焚火の煙も最近では近所の目を気にしながらやらねばならない。腐葉土にするにはイチョウの葉は歓迎されず、庭の片隅にうず高く積んでおくしかない。
 ”栄枯浮沈”は漢字の妙、日本語は対語を並べることで意味深でそこからの連想を膨らませる。師走に入り、早、大雪を過ぎ、22日の冬至を迎わんとする。自然が一刻とも同じ状態でないのと同じく、私の心中も日々目まぐるしく変化してやまない。
 セルフコントロールほど難しいことはない。情報が錯綜し、首を傾げる程、世の中が便利になり、何を大切にして生きればよいのか確信が持てない人が多い。特に年末年始と今年一年を総括し、新しい年に願をかけるという風習?が確実に変わっている。
 初詣は、自分の力の及ばない事を、神や仏という大いなる存在に託すこと、そこには、もし願いが適わなくともその事で騒ぎ立てるものはいない。これは長い日本の歴史の中で受け継がれてきた教えではなかったか?
 いま、権利を主張するが義務を果たさないものが増えたように思う。教育や医療、福祉、介護、どこも例外ではなく、その傾向が強まった。その結果、様々な苦情や訴訟問題が増え、そのリスクをなるべく避けようとする様々な現象が目立つ。
 何も泣き寝入りをすすめているのではない。ただ、故意に行ったミスと誠心誠意対応したにも拘わらず結果として望まぬ結果になったのでは違う。そう思いませんか?いま、それが許されない時代となった。
 福祉の世界も契約の仕組みが導入された。利用者との相対の了解でサービスを提供。しかし、どのような契約を取り交わしたとしても、所詮文章で表したもの、完全なものは何も無い。
 信頼と不信感は紙一重、一瞬にして変わる。その事を嫌という程経験した。
福祉従事者の喜びって何だろう?世間では、決して福祉の仕事に対する評価は高くない。何故でしょう? 以前ならばサービスを利用している家族や関係者が施設を擁護したものである。ある意味では理解のない世間に対し、自らが寒空の街頭に立ち、訴えた。当に共闘だった。それが今変わってしまった。「障害者虐待防止法」の制定を我が協会は反対した。その主因は、加害者を施設という構図があからさまになっていたからだ。いかにも施設を悪者呼ばわりしているかのごとき条文があった。これには我々としても賛成することができない。昔なら利用者の家族会も我々に同調してくれたはず、それが、弾劾する側に廻った。(全てでは無い)
 これで”共生”など有り得ない。万事が万事そうだとは言わないが、巷の噂?はそれに近い状況がある。
何故このようになってしまったのか?これは事業所側にも責任はある。昨今の経営至上主義、それに偏り過ぎた傾向を否めない。手広く事業を行っている者が評価されると錯覚、経営者の関心はもっぱら収支バランスに集中、何が実入りの良い事業なのかと血眼になる。
 多額の研修費を払っても沢山受講者が集まるものは、その類のハウツウものが多い。
 国や県への予算要望もその調子で行われるから、やればやる程虚しさを感じている。
 相手を蹴落としてまでも自分の事業を拡張しようとする人達と本心から同一行動が取れるでしょうか?
 また、制度福祉に胡坐をかきすぎた結果、法を犯さなければなんでもやって良いという風潮が目立つ。その審判をすべき行政にも問題有り。
 私は、決して自らを正当化するためにこんな事を言っているのではない。表では立派な事を言っている人達の裏での話を見聞きする機会が増えた。その事は、制度矛盾をつく以前の問題であり、人として許されるか否かへの問いでしかない。福祉が彷徨っている。これは福祉の先を読もうとする人々が増え、現実から目を逸らすことから起こっていると言えるかもしれない

1340:失意泰然

失意にあって尚、泰然としていられるならば凄いと思う。人間そんなに強くない。12月に入ってから矢継ぎ早に様々な事が身近に起こるものだから、失意のどん底とまではいかないが溜息ばかりが出るのです。心の動きとは実に不可思議なもので、側に失望している者がいると逆に元気になる。そう考えると今の自分は周りの人に元気を与えているサンタさんみたいな役目???坊さんがこんな事を考えることもどうですかね? ま!いいか。
 その溜息の原因の一つが、Sさん。会うたびに彼女は手真似で訴えてくるのです。この時期は、もう、家に帰ることだけが頭の中にある方です。それが、ちょっと違ったのです。手で自分の額を抑え、熱があると訴える。「ああ、また始まったね。そうそう病気になりたい。みんな寝てるもんね。どれどれ熱を計りますか。ウーム 残念でした。熱ない。」
 冬帰省で家に帰る訴えを新たな戦法で始まったかな? 実はそうじゃなかった。彼女は翌日、静養組で蒲団の中。検査キットで見事に+となった。
 長年付き合ってきたsさんの訴えに気付かなかった私はそれだけで自信を失った。申し訳ない。昨日、部屋を覗いて声をかけてみたら、大人しく寝ていた。
 最近、自分が現場に出られなくなったから余計そう感じるのだろう。一人一人の訴えが、何気ない表情に重層的に堆積、生活時間の長さに関係なく、彼らの望みをどれだけ我々は叶えてこれたのだろうかと自問する。
 実に重くのしかかってくる。彼らの無言の抵抗と言えば戯曲的と揶揄されるかもしれません。42年の人生の2/3を我々と共に生活してきたKさん。今、病院のベットの上で独り病と闘っている。彼が最初に尚恵を訪れた時のことを思い出している。誰がその当時の動きが激しかった彼を想像できるだろうか?車イス生活が当然、移乗すらできない全面介助、どうしてなのか分からない難治性てんかんがあることで薬とは縁が切れず、その副作用もあって今がある。
 一人一人の重みを受け止めるには、。。。。。
 無責任な言い方を敢えてすれば、お釈迦様でもキリストでも構わないのです。不条理と言えば片付くことではない。障害を持つと言った時に強く否定した親がいた。障害を持ったんじゃない。家の息子は障害が有るんです。その当時、正直どっちでも良いだろうと思った。
 親子の微妙な感情、可愛い我が子に敢えて障害を持たせたいと思う親はいない。原因をいくら捜しても現実に我が子に障害が有ることに変わりない。その現実を受け止めて生きてゆくことしか選択肢がない。
 入所型の施設を利用すれば、親の義務を放棄したと言わんばかりの世間の目に絶えてきた。その事が持つと有るの違いに拘るのだ。
 最近、私が思っていることは、側にいて一緒に泣くことができるようになれれば良いということ。
 その事を上手く言えない。”失意泰然”と言うにはまだまだその域に達しえない。 

1341:先ずは一歩

考えているだけで時間が経っていく。結果何一つ行動に移さなかったという経験がありませんか?世の道理は頭でいくら考えてみても身に付くわけではない。その多くは失敗し痛い目にあって初めて自分のものとなるように思うのです。
 アフリカのスーダンで医療活動をしている川原さんの放送を聞きました。途中からラジオを聞き始めたものですから、間違っていたらごめんなさい。
 でも、こんなところにも日本人が活躍しているという話を見聞きしました。最初は外務省の医務官という立場でアフリカに移った彼は、様々な規制があって本来の医療活動ができないという事で1年で辞め、今度は単独で活動を始めたと言う。これもまた凄い。5年目がたって、NPOを立ち上げ、多くの人の支えが生まれ、今も立派に現地での活動を続けている。この話を聞いた時、ここまでやるか?と正直疑った。お子さんが3人いて、中学の先生をしている奥さんと家族は日本、単独アフリカスーダン、年に2回位しか帰ってこないという。
 今いるところは電気が無いという。日本と比べればコンビニなど無い、全てが揃っている便利な国、日本に無くて、何も無いスーダンに有るものに気付いたという。それは子供たちの笑顔、何か未来に可能性を感じてしまうと。
 確かに、途上国と言われる国で活躍されている人達は一様に子供たちの屈託の無い笑顔をあげる。
 日本にだけ住んでいると慣れてしまって何も疑問に感じない事って多い。相手を思いやる気持ちもそうだ。社会的弱者と言われる人達を排除するのでは無く、仲間に引き入れること、実は今の日本人の感性で麻痺してしまった一つだ。
 豊かさや便利さによって得たものを必死に守ろうとすれば、当然、それに付いていけない人々など相手にしていられない。どのような理屈を用意したとしても、結局は自分の利となることに関心が向いてしまう。
 社会の仕組みがそうなってしまった。、公共サービスを本務とすべき役所が、自分たちのご都合主義で仕事をしていないか。余計な仕事と思わないか?それは私共の仕事も全く同じだ。施設の都合で業務を仕分けしている実態は認めねばなるまい。
 ただ、こんなことをいくら連ねても駄目だ。何も変わらない。自らが先ず一歩を踏み出すことしか無い。
科学進歩の歴史をみると、矛盾を感じる。特に最新医療研究の現場は卵が先か鶏が先か、常時、休みなく続けられている。立ち止まる事ができない。人間が壊した自然を元に戻すことなど不可能ではあるまいか。
 今回の新型インフルエンザは、当初世界的に超厳戒態勢の中で始まった。成田空港での窓際防御作戦、結局、感染を遅らせることには効果があったかもしれないが、既に1400万人以上の感染が報じられている。
 ワクチン製造が遅れたことも、不安を煽るには十分であった。しかし、症状が思った程重症にならないことが分かると、緊張が緩んだ。もし、恐れられている強毒性の鳥インフルエンザだったら、将来これが流行しないという保証はない。
 ちょと立ち止まって考えてみましょう。それは余りニュースでは取り上げられなかったが、北朝鮮拉致問題で事務局の中で考えのズレが出ているという話。一方的に相手の非を突くことでは、何も解決しないと活動の中心メンバーが言い始めた。これに不満が噴出し、暗礁に乗り上げている。
 第3者の私が言葉を挟むことは不謹慎だと思う。何故解決が進まないのだろう。経済制裁がどれだけ効を奏したのか。
 人道支援という立場で韓国は北にタミフルを送った。インフルエンザの流行が起こったからである。
 日本人が過去の清算をしたのかと言えば、多分、多くの日本人は曖昧な答えしかできない。戦後生まれの人間が大半で、悲惨な戦争が風化している。
 いま、政府が揺れ動いている。沖縄の米軍基地の問題、日米交渉で決定していることでも政権が変わったことで、仕切り直し?
 これだって先の大戦処理と決して無縁ではない。北東アジアの国力のバランス大きく様変わりしている。先ずは一歩を踏み出すことから始めないと何も変わらないのだが慎重な対応が大原則である。
 

1342:空元気

徒然なるままに日暮し、硯にむかひて・・・・・
 斯様な心境になれれば良いだろうにな!現代風に言えば”シッチャカメッチャカ すってんコロリン”だっぺなや。どうしてこうなっちゃうの?
”俺は河原の枯薄、同じお前も枯薄。。。”雨情さんや晋平さんの時代は大正末でした。古き良き時代、何か情緒たっぷりで感慨無量、絣着物に下駄が似会う。今は平成の世、男がイアリングなどして草食人種とかなんとか新語までできちゃった。イヤー胸糞悪い。だってそうだっぺな。メタボ対策とか言っちゃって野菜を食べろ食べろ、人間誰だって長生きしたかっぺ・・・。
 昨日は夜、某法人の理事会、ホテルで行った。宴席になり、出た話は全てが全て世の中への不満だった。深刻なのは農家の跡取り問題、嫁は来ないし、倅は給料取り、先祖代々からの土地が守れないと嘆くは嘆く。
一昔前は畑を一反歩でも売れば家が建つと豪語していたのは、どこの誰だっけ?その土地が売れない。煽てられ建てたアパート閑古鳥。
 そこまでは今までにも有った話、昨今では給料取りが危ない時代。いつ何時会社が倒れるかもしれず、天下の大企業とて合併が大流行り、そこで生き残るのに四苦八苦。俄か勉強で百姓は継げない。百姓を甘く見るな!と農家の跡取りが怒る怒る。
 あっちが駄目でこっちにすっぺ!どうもこんな感じの人間が多くなりませんか。石の上にも3年なんて今時通じない。なんだそりゃ?と言われるのがオチ。
さーて困った。昨夜はそこの理事長と意気投合、あっちは飲んべーで、私はウーロン茶、運悪く私は午前中、健康診断でバリューム飲んだ後、下剤が効きすぎ、何度も個室に駆け込んだ。そこに冷たいモノを盛んにつがれたから余計効いちゃって・・・・・。「住田さん 落ち着いてここに座れ!」とか言われても。こちとらだって必死だ。
 付き合いが良いのも善し悪しですぞ。今日から同じような集まりのハシゴときた。かまねーどうにでもしろってーんだ。
来年は私の年、寅年です。5順目、還暦の宴は一人こっそりやることにします。そうします。
 これから心を入れ替えて何事も控えめに生きます。昨夜言われたばっかり、「なー住田さん、人間 いばっちゃー駄目。タワワニ実った稲穂見てみろ、常に頭を下げてな・・・」今年80歳になった先輩に説教されました。坊主が説教?
 空元気 堪え切れずに イタッチ屁   
 人生いろいろ 男もいろいろ、、、、ってな。
 

1343:医療崩壊

平均在院日数 人口1000人当たり病床数 病床100床当たり医師数 々 看護職員数
日本 34.7 14.0 14.9 66.8
ドイツ 10.1 8.3 41.6 117.8
フランス 13.2 7.2 46.7 105.8
イギリス 8.7 3.6 69.0 335.9
アメリカ 6.4 3.2 76.3 331.2

「OECD Health Data 2008」(医療崩壊の真犯人)村上正泰著・PHP新書より
日本の常勤医師の1週間の平均勤務時間63.3時間、法定内労働の週40時間に既に抵触している実態がある。それと先進五カ国の格差を見れば、如何に日本の医療制度がおかしいか一目瞭然である。そこにきて医療ミスなどへの訴訟件数の増加、更に容赦ないマスコミからの攻撃に晒されている。今の制度の最大の弱点は勤務医と開業医の格差がドンドン大きくなっているということ。医師不足は入院ベットを持つ病院の問題で開業医の抱える問題とは分けて整理しないと解決しない。だが現状は、医師会の中で両者の調整が困難な事情がある。上のデーターは一番新しいものである。日本とアメリカの格差は今後の日本の医療制度を考える上でポイントになる。突出していることは、人口の割に日本は病床数が多く、入院患者の入院日数が頭抜けて長いこと。実態は少ない医療スタッフで対応しているから、過酷な労働を強いられている。この悪循環を止める方法が見当たらない。それと世界一という長寿国、待ったが効かない。
 昨日、某病院の主治医と話す機会があった。午後二時の約束時間、これだって午前中の外来診察の合間に時間をワザワザとってもらった。先生は昼食をとっていない。
 何か病院の待合室にいるだけで病気になってしまう感じだ。ひっきりなしに救急車が急患者を搬送してくる。まさに医療現場は戦場のようだ。ある医療審議会の末席に私はいる。最初驚いたのは医師が短期間に病院を変えることだった。早い方は数カ月で職場を変えている。研修医時代なら分からないでもないが、経験や年齢に関係せず転々としている。
 最終的にはどこか良い場所を見つけて開業する。ここにきて地方都市にも目立つ医療モール、建築会社や薬剤メーカーが開業のノウハウを伝授している。
 この流れは政権が変わってどうなるのでしょうか?厚生労働省の内部はキャリアとノンキャリそれに医療者の力関係が微妙で何を決めるにしてもネックになっている。
 その次の次が障害者問題、これが偽らざる実態である。数の論理にいつだって隅っこに追いやられてしまう。
 その最たる証拠がインフルエンザ優先接種対象者からの除外、私はこれが許せない。
昨日の新聞報道では、鳩山首相が全国民対象にワクチン接種を行うと発表した。裏の事情は分からないが、然もありなんである。
 その辺の事情は、虎ノ門病院医師小松氏が著書の中で指摘している。
・・・日本人を律してきた考え方の土台が崩れています。死生観が失われました。生きるための覚悟がなくなり、不安が心を支配しています。・・・・本邦では医療のみならず、専門家と非専門家の齟齬が、社会の正常で円滑な運営の障害となっています。・・・・・
 齟齬という言葉の中に私は「義務と権利」という問題があると感じた。親としての義務、公僕としての義務、政治家としての義務、僧侶としての義務・・・等々。その不確実性の上に権利のみが胡坐をかいているという実感は否めない。
 

1344:国政報告

昨夜は友人から誘われ、某議員の国政報告会に顔を出してきました。1部では党の某大物議員が応援に駆け付け講演した。正直、実に面白かった。ズーズー弁の先生と言えばハハーンと誰しもがお分かりになることでしょう。お母さんが茨城の出ということで縁が深いと話していた。平成の水戸黄門と言われるようになった所以の話は皆さん大笑い。
 永田町の別の面を見る思いがしました。本日の主役は急に大臣との調整が入り、遅れて会場に到着という多忙極まる状況であった。
私は正直、政党はどこでも構わないのです。人柄でしか評価しません。それじゃー本当は駄目なんでしょうが、他に判断する材料が有りますか?と逆に問いたい。
 帰りその友人と食事を取りながら雑談、彼は精神障害者の社会復帰を支援する仕事をライフワークとしてやっている。
私は知的障害、どちらも共通する分野だが、その歴史と実態に大きな差がある。最前線現場の生の声は、打てば響く。
 いずれにしても水戸から戻ったのは夜も9時を過ぎてしまった。今週は水戸通いがなんと5日連続、年の瀬のなんとも忙しない中を只管、愛車プリウスで往復している。
 さて、鳩山さんの様々なエピソードを伺い、少し親しみを持ちました。情報がマスコミ報道しかない人にとっては、情報操作されても分からない。あっつそうだたの?と思った事が一つあった。歴代の総理は重要閣僚をいくつか経験してから総理になっている。しかし、鳩山さんは内閣副官房長官しかやっていないという。それを伺って、優柔不断が慎重な舵取りに思えてきた。親からの献金は、別次元の話で、我々平民からすれば羨望の気持ちから発しているのかもしれない。
お金がある家に生まれたのは彼の責任じゃーない。・・・・・そんな気持ちで水戸市内を運転、まだ9時前と言うのに舗道に飾られた電飾ばかりが目立ち人通りは僅かだった。
 これだけは言える。バッジを付けると東京にばかり居て、地元を疎かにする議員が多い。東京では不況を感じませんよ。今回の自民党の大敗北は地元を後援会任せにしてきた議員が負けている。優秀な秘書が地元にいれば別だが、それだけでは今回の逆風は防げなかった。2大政党が理想だが、果たして自民党の再生は可能なのでしょうか?
 一気に流れが変わった。政権与党の議員のパーテイには野党時代の何倍もの人たちが集まる。これが現実だ。
話は変わるが、「釣りバカ日誌」が最終回だという。ハマちゃん役の西田敏行と社長役の三国廉太郎、絶妙なコンビ、私は大好きだ。西田は福島生まれ、俳優になる夢を抱き、東京の高校(明大中野)を選んだ。この理由がなんとも面白い。
俳優になるには福島弁を矯正しなければと思ったらしい。しかし、そう簡単にいかない。高校ではイジメにあって、登校拒否になったという。それがどうだろう。彼のメタボの体型と福島弁がピッタンコ、彼の親しみ易い性格と併せ有数の個性派俳優になった。
 「・・・さ。」とか「・・・・だろう」という言葉を使っても訛りは消えない。私も茨城弁丸出し、フランス語の最初の授業でイントネーションを直されてからそのトラウマから4年間抜け出せなかった。今思えば、その時に居場所を提供してくれた山歩きサークル、卒業して37年が経つが今でも付き合っている仲間が沢山いる。
 持って生まれた顔形、それと言葉は仕様がない。それを堂々と出せるようになればしめたもの。
例の如く、こじ付けに取られるのを恐れず言わせてもらえば、知的に障害が有ることは、どうしようも無いこと。その有りのままの姿で堂々と生きていけばよい。私は自らに言い聞かせていることがある。あまり高望みすることなく、足るを知るで生きて行けと・・・・。格好良すぎますかね???
あっつそうそう、西田と某議員、おなじ福島の出なんだわ。

1345:Nothing About Us Without Us

ある方より、最近のこの源究コーナーは固くなったという指摘を受けた。それもガチガチで政治への偏りが激しいとも。
自分では分かっていました。少し時間の余裕を下さい。この時期を失うと、また流れが決まってしまうような焦りを禁じ得ないのです。
 ”Nothing About Us Without Us”(私たちの事を、私たち抜きで決めないで)デビット・ワーナーという生物学者の著作。
世界各地で障害者の自立と地域に根差した実践のパイオニアです。国連障害者権利条約で口にされたスローガン、今、日本も法改正の取り組みが始まったばかり、障害があるということで起こる様々な問題を障害者自身がリーダーシップをとって解決していこうとする運動です。これは分かっていたことなのに、日本ではなかなかそれが出来なかった。その反省に基づいて我々事業所も変わっていくことが求められています。
 自立に関する考え方も旧来からの辛く長いリハビリを通して社会生活を獲得するという(医学モデル)流れから、必要な支援で障害をありのままに受け入れながら自己決定を目指す社会モデルへと変わっています。この理念の実現は、どのような設備や体制を組んだとしても、ご本人の想いが組み込まれていなければ意味が無い。
 ここ数年の障害者を取り巻く動きは、障害者自立支援法に振り回され過ぎたように思います。気がつくと障害者不在という事が何度もありました。
 場当たり的な手形を切られ、糠喜びし、その先は一体どうなるのか誰も分からない。これではいけません。持続可能な制度をみんなが智恵を出し合って作る時です。
 始まったばかりなのに大きな壁がたちはだかっています。それは財源問題、このことをどう方向づけできるか最大の課題です。
 現政権が目指す、コンクリートから人への政治も実は同じですね。国民目線といっても現実には一様でない。ラジオで言っていましたが、高校生へのインタビューで月の小遣いが千円減って3千円になったから大変だという話。一方では月1500万円の小遣いをお母様から貰っているお方もいる世の中です。果たしてその辺のリーダーシップに我々が頼って良いのでありましょうか?
 我々ができることは、変に政権政党に擦り寄るのではなく、冷静な目で見つめていくことではないでしょうか?マスコミにそれを期待してはなりません。彼らは点の取材報道はしますが、それをどうしたいのかまでは責任がありません。読者の判断に任さられるのです。最初に触れたガチガチに固いという最近の私は、情報源はPCからが多くなりました。実は毎日私は4社の新聞を読んでいますが、それでも満足せず、5大新聞の電子ニュースをも見るようになりましたね。
 これだけ見ますと、実は頭の中がパニック状態、でもそこから分かった事があります。情報を鵜呑みにしないこと、同時に自分ならどう考えるかと思うようになりました。
 正直な話、福祉の仕事はそこが原点であったのではないでしょうか?最近はその確証が無い中で目先の事、例えば報酬単価や補助金枠などのことばかりに目くじらを立てていないでしょうか。これではこの仕事の本来の面白味が見えなくなります。そんな方は止めた方が良いです。福祉で金儲けしようと考えると大いなる誰かさんが許しませんから。
 介護福祉の実態を見れば分かります。今までに、有料老人ホームが全国で60数か所も倒産したという。実際はもっと多いと思いますよ。売りに出ているのも入れれば。入居者は退去を余儀なくされ大きな社会問題になっています。高額な入居一時金を取られ、挙句の果てに利用ができなくなった。
 これには裏の事情があります。様々な業種(建築・薬メーカー・不動産など)の思惑があって、介護というエサに群がる守銭奴達の犠牲者という構図がありますね。
 なにせ老人への優しさや愛情なんて微塵もない。(誤解されないように全てではありません)彼らのターゲットは金を持っている老人だけ。
 我が施設の事をいうのも恥ずかしいのですが、直し直し使っている現状ですよ。でも、それらの建物は、見てびっくりですよね。エントランスはホテル以上に豪華、天上も高くシャンデリアが光っていて、2階に続く階段は、結婚式の様に螺旋階段、あれで燃料代はいくら?
 ”福祉には知足という考えが必要”、これは日本の力にあったという意味で、誰しもがそのような贅沢三昧なサービス受けれるならば構いません。でも現実は違いますよ。
 それら全ての事が、結局は自己責任というルールで処理されなければならないのでしょうか。

1346:迷走の先

中曽根元首相と渡邊読売会長の話は実に面白かった。お二人ともいろいろと話題が尽きない人物だが、今の情勢をどう見るかという事に関して含蓄の有る話が聞けた。来年を漢字一字で表せばどうなるか?中曽根さんは『乱』、渡邊さんは『迷』であった。80歳を優に越えたお二人だが、姿勢が良く、話しぶりも又その内容も実に的を得ていた。こんな風に若輩者が言う事は礼儀を欠くことです。それは重々承知の上。
 今年は政治絡みの事で徹しますからご堪忍を! 政治家の粒と言えば小粒になりましたなー!今回の政権交代を”平成の維新”と言った長老がおりました。そりゃー違いますぜ。言っときますが玉が違います。司馬遼太郎の書籍を開かずとも誰もが知っています。本当にこの国をどうしたいのか、熱気を感じません。国の誇りがあの方達にはあるのでしょうか?
 そう言いたいのであります。いみじくも渡邊さんが言い得た言葉、先の民主党の大訪中団、主席と一人一人が握手し、写真に収まった光景を見て、日本の将来を嘆いた。全く同感です。
 いま「坂の上の雲」をNHKで放送しています。このギャップは如何ともし難いのです。中国が大国だと言う事は解ります。穿った見方で恐縮ですが、媚を売るような外交が果たして国の為になるのでしょうか?その後、中国のNO2の副主席が日本に来られました。風貌に威厳が有り、物腰に浮かれた様子は微塵も見せなかった。なんと対照的であったことか。
 今年の漢字は「新」でした。果たしてどのようにリニューアルするのでしょうか。
国の善し悪しは一概に政治によって決められるものではないでしょう。なにせ最近の日本は異常でした。総理が短期間でコロコロ変わり、それと同じに大臣も変わった。その影響を我々も随分受けました。いま思い起こせば、障害者自立支援法は郵政改革法案の強行採決のドサクサの中で生まれました。それも十分な検討もされず、制定後に検討するという付帯決議付きでしたね。それから約3年、彷徨ったあげく、廃止ということになったのです。ここに国体を感じ得ません。
 言いたいことは山ほど有りますよ。でも正直疲れました。また変わるかもしれないという疑心暗鬼が頭から離れない。
福祉業界も様々な主体が関わるようになりました。これも時流の変わり目で仕方が無いと分かっていても、心の安定は保てない。
 今更なんだと思われるかもしれません。ここ数年は宗教書を貪り読みました。私の場合は仏教書が多いのは当然です。
幾つかの言葉が頭から離れない。その一つ、「こころ清ければ仏をみる」という一文。この解釈は様々である。真宗系の教義ならば、悪人正機説を持ちださなくとも、大いなるものに身を任せることで此方側の是非を問わず全てが救われると唱える。
 今の日本の政治のリーダーが果たしてどのような信心を持っておられるのか?
 政治の世界には清濁併せ飲むということがあるそうだ。しかし、どうしても納得いかない事は、言行が前後で一致しないこと、政治資金規制法一つにしても、果たして秘書の責任で済む話でしょうか?私の関知することでないと言えば済むのでしょうか?そこで「身を清くしなけば国が見えない」といったら叱られますかね。
 執拗に言いますがね。私はこう言っても救われることがあるんですよ。それは何でしょう?
 知的障害の仲間が常に側にいるということ。彼らは心が実に清い。自分の大切なオヤツだって友達に分けてあげるんですよ。そんな気持ちに貴方達がなれたら、この国の政治が変わると思います。
 そうそう、民主党の皆さん!浮かれるな、貴方達は自民党の”Own Goal"で票がそちらに移っただけなのですから。
有権者は常に貴方達の一挙一動に注目しています。

1347:悉有仏性

”一切衆生悉有仏性”命あるものは悉く全てに仏としての本性があると涅槃経に説かれる。これが仏教が他の宗教と別れる教義の重大事。
 理解しろと言われても我々凡夫にはちょと難しい。
現代風に解釈すれば、動物愛護や環境問題と同根かな。コペンハーゲンでの地球温暖化への全体合意は様々な意見が飛び出し、取りあえず纏めたという形を取った。先進国と言われる国と途上国の環境に対する捉え方の違いは歴然としている。双方の言い分に耳を傾ければ合意点を見出す事がどれだけ大変なことか。環境問題は当然、一国だけが努力しても意味が無い。経済の発展は様々な犠牲を強いる。その一つがCO2排出の増加。このメカニズムを変えないと地球規模での合意形成は困難。
 動物愛護に関すれば、こんな逸話を聞いた。夕方近くなると、何処からともなくワンチャンを連れた散歩組が公園や道端に集まる。皆さん我が家のワンちゃんに自信有り、様々な服を着せ、手入れの行届いた毛並み、品評会?
 ある方が言ったという。ウチの子(犬)だけが服を着ていない。着せるのを忘れた・・・・・。????首を傾げる。
あれ!犬って服きてるんだっけ?これも動物愛護。別に私は犬が嫌いなわけではない。我が家にはハナがいる。嘗ての猫は鼠を取った。我が家のハナはしない。否、出来ない。歯が殆ど無いし、本人もその気なし。寒くなり夜遊びは控えているようだが、夜中に私の蒲団の中に入ってくる。これがバカなんだ。少し時間が経つと急いで外に飛び出してくる。息苦しいようだ。最近は私の枕を半分占領して蒲団をかけろと言う。ハナは散歩に連れ出す必要はない。徘徊自由だから。
 森の再生には猛禽類や小動物が重要な役割を果たしている。朽ち果てた木から新たな芽を出し、日の光と親木からの栄養を吸って成長する。これは人間の寿命などと比較にならない長い年月をかけた営みだ。
 国会に目を移そう。補正予算の年内可決、最初、仕分け作業に度肝を抜かれた。専門家?相手に間髪入れす質問攻めする仕分け人、公開で行われたから反響が大きかった。だが、結局予算規模95兆円と国債発行は過去最高額の44兆円、
経済発展とCO2排出の相関関係と同様に豊かさと財源支出はリンクする。一方、予算の削減は大いなる抵抗が生まれる。既得権を主張し、それが適わなければクソみそだ。族議員が要望を橋渡しする仕組みを現政権は禁止し、幹事長室一本にした。当然、小沢さんの権力が強まり日本中が彼に対し非難ごうごう。果たして何千件もの要望を精査し、取り上げることが出来るのでしょうか? 政治主導を謳い、官僚の動きを封鎖、その流れを是とする人達も多い。米国の実態と比較にならないのは、あちらは政権が変われば官僚も変わる。この仕組みが日本には無い。官僚にとって人事を握られているから余程でないと意見を言わない。様子伺いが蔓延る。
 戦後一番成功した国が日本と言われた。この意見に無条件で賛成はできないが、頷ける所も沢山あるでしょう。その副産物が無駄や利権政治、それと超巨大化した官僚組織。財源の裏付けがあった成長期なら許されたことが、その全てが金属疲労を起こしてしまった状況。国を舵取る羅針盤すら上手く働かない。景気の2番底を危ぶむ声がある。実態は限りなく底に向かっていますよ。一方では金融機関には金余り、何故でしょうか?そりゃーそうだわな!景気対策として大金を惜しみなく投入したものが、銀行の金庫に眠っている。貸したくとも貸せない。デフレスパイラルとか何とか学者は持論を展開します。でもそこから抜け出す確固たる自信がない。
 世を覆っている閉塞感。これは昨日の出来事。尚恵学園は今月に入ってから新型インフルエンザ一色、ここにきて大分落ち着きが見えてきた。園内静養が長く続くと不安定になる。昨日は散歩するグループが多かった。寺の外便所は散歩の途中立ち寄るお決まりコース。昨日は久しぶりに仕事を休み、その光景を見ていた。すると来るわ来るわ、トイレに皆さん駆け込む。トイレは男女それぞれ一つしかない。前の人が座り込んで用をたしているのに、無理やりどかして自分が座ろうとする。また、我慢できないようで、ズボンを下までおろして地団駄踏む人。
 ああ良かった。でも後で掃除が大変だ。
 

1348:大小のトリック

日本はこの先どのような国になっていって欲しいでしょうか?盛んにマスコミは政権の支持率増減を取り上げます。私はその事自体に意味を感じません。どのような結果をあげても時が経てば下降線に必ずなりますよ。その曲線が緩いか急かという違いは多少はあるでしょう。それとアンケート調査そのものに限界がありますね。質問の内容や調査対象により違いがでます。
 それよりも気になった話を紹介しましょう。スウエーデンから日本に来られた学者に尋ねたという。「貴方の国は税金が高くて大変ですね。率直な貴方の意見を聞きたい」。するとこのように答えたというのです。『自分の金を自分で守るよりも政府に預けたほうが安全だ。』と。私も以前デンマークやドイツの知り合いに同じような事を聞いたことがありました。
ほぼ同じような答えが返ってきたと思います。この遣り取りだけで十分ですね。つまり、国民が政府に対して信頼を寄せているということです。確かに人間ですから時には不祥事も起こるようです。でも、その時は必ず弾劾され、それに代わる人が出て参ります。信頼の基底は、責任ですから。
 日本はどうでしょうか?年金問題でそれがどうなりました?誰が責任を取り、その後何か変わりましたでしょうか?それに政府への全面的信頼が有りますか?自陣に蹴り込んだ失点で勝ちを収めたチームに果たして本当の勝利の喜びがあるでしょうか?私は高校時代、何度かOwn goalで試合に負けたり勝ったりした経験があります。いずれにしても後味は良くなかった。
 それがですよ、政治は数と結果と言わんばかりの横暴性が今の与党に感じます。専制政治を目指そうとしているのではないはず。ただ、危険です。一人の独裁者に何も意見が言えない集団は、彼が何を根拠に政治判断をするか?
「貞観政要」の大宗には進言する部下がいた。そしてその意見を大切にしたという。その結果長期統治の基礎が出来上がった。その歴史が教えている事を今更・・・・・。
 今の有り方に、国民は信頼を寄せ、国の将来を託す気持ちになれるでしょうか?言うは易しです。如何に実行が伴うか。
日本の政治家で一つ分からないこと、それは政治家になることのメリットです。彼らは何故政治に志を向けるのでしょうか?何らかの旨味あるのでしょうか?本当の政治家ならば自らの財を増やすことなどしません。私はそう思うのです。
 ま!暫くはお手並み拝見ということでしょうか?でも、本当はそんな悠長な事は言っておれんですよ。今の政府にどうしても言いたいことがあるんです。貴方達は何か不都合が出ると、先の政権の事後処理に時間がかかるという。
 何か他人事ですよね。だって貴方がたも同じ政治家をやっていたんでしょう。与野党関係ないですよ。責任は同じですね。情報量が違う?それって貴方達の力の無さを認めた発言ですか?
 私はもしもこの国が取り返しのつかない事態になった時は、バッジを全ての議員にはずしてもらいたい。結局、日本人はお人良しなんですよ。危機意識が薄いともいえるでしょう。ヨーロッパが何故、福祉が進んだか分かりますか?
 危機感ですよ。いつ何時他国の侵略が有るかもしれないという。その歴史の積み上げが今の状況でしょう。
日本は器以上の贅沢に慣れてしまった。土光さんみたいな財界人も見当たらず、自社だけが成長すればOK。
どこでこうなっちゃたのでしょうか?
 企業の規模、GDPの順位、政治家の数・・・・これら全てが大小のトリックにあっている。
中国の古典をひくまでもない。”無用の用”への気付きが一番の特効薬ではないでしょうか?
余談)・・・・小麦粉を薬と言って飲ませる。それも高価で効力があるからと言うと人間は不思議な反応を示すという。粘菌の話から。

1349:何が大事

昨日、ある父兄の葬儀に列席しました。母親が72歳で亡くなったのです。Sさんも最後まで葬儀の会場におられた。両脇に女子職員がついてくれた。「かあちゃん・・かあちゃん・・・」声を押し殺し小さな声で、葬儀中ずっと泣いていた。最後のお別れ、彼女は棺に擦り寄り、母親の顔を一生懸命撫でながら「かあちゃん・・・・」と呼び続けていた。
 私は何度も同じような光景を目にした。そこにはどのような慰めの言葉も寄せ付けない緊張がある。Sさんと我々の付き合いは大分長くなった(28年)。最後にお母さんの棺の中に沢山の手紙を添えた。多分、彼女が園で書いたもの。
 どんな気持ちをその手紙に託したのか・・・・・。多分、大事な大事な思いを自分の部屋でエンピツの芯を嘗め嘗め書いたに違いない。
 悲しみに純度が有るとすれば、彼女の想いは100%純粋なもの、これから彼女がどうやって母の死を受け止め生きていけるのか? 充分なお手伝いは出来ないが、その責任の重さを感じた。
 その日、早めに家を出て本屋に立ち寄る。そこで手にした本が『人の痛みを感じる国家』柳田邦男著であった。
表紙裏にこんな風に書かれてあった。
・・・・匿名で中傷や攻撃を繰り返す人々、ゲームに汚染され、心の発達が止まった子供たち、他人の痛みにまったく鈍感な役人や企業・・・・・・日本人の精神は、どこまで壊れてしまうのか?組織の一員としてではなく、被害者やその家族だったらどう感じるかという視点を持つことが何より大事である。ネットやケータイの弊害を説き続ける著者が大切なものを見失ってしまった日本人に警鐘を鳴らす。  と。
 全くの同感である。今の政治がリーダーシップが発揮できない一番の理由がそこにある。多様な価値観と利便性ばかりを追い求めた結果、労働の意味や人間としての責任が曖昧となっている。当にここ何年かの日本の総理が1年も持たずに何人も入れ替わった現象が如実に示している。結局、誰がトップに立ったとしても同じだよという雰囲気が蔓延してしまった。
 柳田が敢えて言った事の中に、”匿名で”という箇所に引っかかる。政治家として自分の意見が言えない状況は根本的に可笑しい。
一人一人が選挙によって選ばれたのです、それが強大な権力を有する人の顔色を伺う有り様に国民誰しもが危惧を感じている。匿名でなしに堂々と持論を述べなさい。もしそれで党を除籍されたとしても良いじゃないですか、そのような気骨ある政治家の登場を待っている。それだけ国は貴方達に投資しているのですよ。
 嘗て田中派で7奉行として鳴らした人で現役で残っている人は?。その当時のほうが今よりずっと真面だった。
 7人の侍?が自らの考えを持って支えた。いまゴマスリが得意な人間しか側にいない。
ただ、返す返す残念なのは、それに代わる人物が見当たらないという歯がゆさ。
 何が大事か? 人の痛みを感じる国家であるべきでしょう。それがどうも既得権や一部の特権者の優位性を保つ方向に流れている。このように思うのは天の邪鬼の私だけであろうか。

1350:新聞を読む

マスメデイアの常識が問われる中で、購読者が毎年減少の一途を辿っている。時流に逆らう訳ではないのだが私が新聞をよく読むのは、情報通信がデジタルになり、出筆者の顔が見えないからである。
 例の如く、私は2冊の本を併読し始めた。前項の柳田氏のものと、『人間の器量』福田和也氏の単行本、ここでは「なぜ日本人はかくも小粒になったのか」という人間論を展開する。
 顔が見えないという意味は、出筆者の背景(思想・変遷・関連書物など)が分かりづらいということである。読書には誰しも傾向がある。私の若き時代は、なんといっても亀井勝一郎だった。その後、外国文学に傾倒、つい最近は時代ものが多くなり幕末から明治維新時代の人間模様に関心が移っていた。視力の衰えはどうしようもないが、5個持っているメガネを駆使して乱読している。
 12月24日、朝日新聞の朝刊が面白かった。今年一年を振り返るには見事に纏めてあった。第1面に「原点に立ち返るときだ」という見出し、鳩山政権の今の姿を著した。
・・・・現実に翻弄され迷走し続けている。・・首相や閣僚らの「国を統治すること」の意識が弱い。・・・八方美人的対応が「総無責任常態」を生んだ。
 天声人語に目を移す。なんとその中に亀井勝一郎が登場しているではないか。なんという偶然か?自分を疑った。
彼は恋愛を「美しい誤解」と言っている。そんな事もあったかな? どうして亀井を読み漁ったのか、多分、多感な時代に思い悩むことを彼の著作に救いを求めた結果だった。今では懐かしい青春の一ページ。だが正直、変わらぬ思いも有るということも真理なり。エッヘン!天声人語の中で紹介されていること、「中国には方策があって対策がない。日本には対策があって方策がない。」 これも実に意味深い言葉だ。
 民主党が結党来掲げたものは、「国民とともに行動する新しい政治」⇒「官邸を中心とする政治主導の政府運営」⇒「密室政治の否定」。
 どうも自らが政権与党になって100日、右に左にグラついている。軸が揺れ、どうも頼りない。朝日は最大限に譲歩し、原点に立ち返るときだと言っている。正直なところ執行部は先の選挙で勝ち過ぎたと反省しているのではないだろうか?
 閣僚間でさえ意見集約が難しい状況、まだ日が浅いとか各大臣の判断を尊重するという言い訳は如何なものか!その実態が外交問題まで洩れ伝わるとドンドン日本の立つ位置が危うくなる。小沢さんは彼流の言動を展開、いつ頃からかマスコミ嫌いの彼が自棄にマスコミに登場するようになった。喜怒哀楽の激しい人だから周囲の気遣いも半端じゃーない。政府に対し必死に鞭で尻を叩く。これが逆効果、それならアンタが総理になれば!最近は満更でもないようだ。
 しかし、そうなった時は日本にとってどうなるか? 彼の本当の狙いは2大政党制、数のバランスが取れていない時に彼が登場するのは危険だ。その一番の理由は、本当の意味の水戸黄門がいないからだ。
 新聞を読むとその辺の事情がなんとなく見えてくる。
 一方の自民党の為体は情けない。こんなに脆く崩れるものか!誰がリーダーになるか少しは関心があったが、結果は予想通り。落選組の長老が次期参議院選に鞍替え立候補を虎視眈々狙っている。これをもし許すのであれば、永久に自民党は這いあがれないでしょう。舛添さんが言ったとか、自民党が再生するには小沢さん以上の独裁者が必要だと、2大政党の実現にはさもあらん。しかし、政治はゲームではない。いずれにしても国民目線の政治にはかけ離れた処での罵しりあいではあるまいか!
 名古屋市長の河村さんへエール。庶民政治を掲げ、市長給与を年収2700万から800万に下げた。これで生活できると豪語、さらに10%の市民税の減税、名古屋市の議会が面白い。市会議員定数の半減を提案、すると民主も自民も議員は市長に反対した。これをテレビが実況中継、あっつそうそう、河村さんも元民主党だったよね。密室政治を否定するならば、こうやるべきでないっすか? 私は そう思うっす。
 名古屋は私の父の郷里、戦国時代、東西の狭間にあって、重要な役目を果たした。

号外

@むかし話

坊や良い子だねんねしな・・・・・♪。2009年も後1週間を残すだけとなりました。飽きもせず懲りもせずよくぞお付き合い頂きまして隅から隅までずずずーいと御礼奉り・・・まーす。
 残り7日は今年1年を振り返り、番外編で書いてみようかなーと思います。来年は寅年、私の干支でありまして、なんと還暦であります。光陰矢の如しと言いますが、人生60年はあっという間の出来事、これより先何年生きれば良いのやら、其れはそれとして、大いなる者がお決めになることゆえ、解りかねまする。
 思い起こせば、現在地に生を受けまして、地元の学校にお世話になり、記憶は定かではないのですが、やんちゃ坊主で悪さも相当やったようです。中学〜高校〜大学と勉強はどうも好きになれず、やってる振りはしたようですが、こころ此処に有らず、ボーと考え耽ることが多かったようです。幸か不幸か留年することもなく、無事学校とはおさらばできまして、1年目にお世話になった処が、国立の秩父学園、この時期には土浦に戻り、家を継いでも良いかな???とちょと思ったわけでした。ハイ。
 その後、本山の長谷寺への山籠(さんろう)、ここで有る方と出会いまして、中途半端な自分に気付かされ、気持ちを入れ替えることに。その後は決して平坦な道のりではありませんでした、計画性が無いと批判され、それにもめげず人との出会いを大切に生きて参りました。
 此処までが当たり障りのない昔話であります。ハイハイ。
喜怒哀楽はハッキリしている方だと自分で思いますが、どっちかと言えば、今年は怒りと哀れむことが多かった。溜息をつくと幸せが一つ逃げていくとか言いますが、今年は大分幸せが逃げて行きました。ハイハイ
 私は自分の机の周りに張り紙をするのがクセでして、今数えてみましたら、なんと16枚の張り紙。内容は他愛もない覚書程度のことですが、中には格調の高いものもあります。
 例えば”人間は努力するかぎり、迷うものだ”というもの、これはゲーテですよ。凄いよね。それと手紙。「住田福祉さんへ。 お家をたてて下さいと言ったらゴメンネ。・・・・もうお家をつくって下さいと言いません。ゴメンネ。ゴメンナサイ、」
これはメンバーのI さんからの手紙。時々読むのです。
 それと長年、学園を利用されてきた人との別れもありましたね。突然、この世から姿を消した人、強烈でした。決して忘れません。それと学園を退所された方もありました。多分、シコリが無いといったらウソになりますね。
 地元の皆さんとの繋がりにも感謝。定時に鐘楼の鐘つきをしてくれるKさん。365日殆ど休みなしでした。それからお掃除に来て下さる皆さん、いつも綺麗にして頂き感謝。自分で作った野菜をいつも届けてくれるYさんにも感謝。感謝・・・。
 持ちつ持たれつ地域の温かい支えを感じた1年でもありました。
 尚恵学園は昭和31年の創立ですから53年目、よくもここまで来たもんだ。何度存続の危機があったことやら、それが有形無形の支えが有ればこそ切り抜けてこれたのでした。今後ともよろしくお願いいたします。
 学園の財源は、ご本人の自己負担も有りますが、大半は皆さんからの税金です。このことをしっかりと肝に銘じておかないと取り返しのつかない事になりますよ。これもまた先人の教えです。振り返れば、私に苦言を呈してくれた人達の多くが彼岸に渡ってしまった。寂しい限りです。歳のせいか解りませぬが、最近、その人たちがやたらと出てくるのです。
「こらー 何 弱音をはいてる」「まだまだ ・・・苦労が足りぬ」「もっと 性根を入れてやらんど」。。。
 師走の慌ただしい日に、代わる代わる顔を出すのですから、たまったもんじゃ・・・ありませぬ。
「うるせーんだよ。まったくもう」
むかし話の一節でした。お後が宜しいようで。  ♪坊や良い子だ寝んねしな♪ いーまもむかしも変わりなく母のめぐみの子守唄♪

A キーワード

今年のキーワードは『変』changeであった。その象徴がオバマさん。アメリカの大統領に選ばれ、高い支持率で変化を声高に訴える。その時、我が日本は、代わる代わる総理が変わった。変わる度に尻つぼみ、これは誰しもが認めるところ、そして 鳩山政権が誕生、これは期待から誕生したものと言うよりも、どうしようもない現状から目先が変わればなんとやらという消極的な地殻の変動?でしょう。 これ以上のコメントはここではしない。
 そして2010年のキーワードが『新』New となる。これは本当に言うは易しだ。人間は幸か不幸か環境に順応する智恵は他の生き物と比べ多く持っているようだ。「変」から「新」に移行するには、条件がありますよ。それがどうも怪しい。一言で言えばその条件となるものは「挑戦」challengeでしょうか。その肝心な挑戦へのメッセージがイマイチ強くない。若い時に日本を飛び出し、外国で活躍する方々が一様に言うことに、「夢」を持て!がありますね。フロンテア精神とでも言いますか。
 つまり今の日本人に一番欠けているものが「夢」だと言っているのです。「俺もそう思うよ」と頷いてしまって良いのか。
 自らを省みると自分自身がドップリぬるま湯に浸かってしまったという思いがあります。私の20代30代は少なくとも夢は沢山もっていた。それが何時の間に縮んちゃって。
 どうも事なかれ主義が強まり、冒険までして今更という気持ちが巣食ってしまったようだ。これは正直認めねばなるまい。それが周囲に伝搬し、先の見通しの甘さや改革という狼煙を封印している。
 障害者問題に関して、どうも冷静に見つめてみると、本丸に辿りつかないで、外堀で争っている感じが否めない。関係者がそれぞれの既得権を死守しようとし、様々な要望をされているが、纏まりに欠ける。政権が変わったからといって、いま、どうすれば現与党と関係修復ができるか、登山で言えばルート工作段階、私の想いはちょっと別ルート。
 いまやるべきことは、対政府ではなく、我が陣営を固めることが先だと考える。育成会、セルプ、きょうされん、全社協・・・・それにJDFとの関係改善が優先課題だ。その努力を蔑ろにして、それぞれが独自の要望をしてどうなりますか?いがみ合っている場合じゃない。共闘戦略ですよ。
 批判覚悟で言わさせて頂けば、障害者問題は政策の優先順位からすれば高くない。一般の人達からすれば残念だがそうでしょう。世間では仕事がない。給料が払えない。それが実態である。
 むしろ福祉事業に対しての目は厳しい。福祉セレブとは言わないまでも業界の中に首を傾げたくなるような生活を何の疑問も感ぜずにいる人達、そして口をそろえ仰ることは「障害者の自立、ありのままの生活の保障を勝ち取る・・・・」このギャップは、此方側がタヌキにならないと耐えられません。残念だがここに対する行政チェックは無いも同然。
 自覚に任せるということから一歩も踏み出せない。
 切羽詰まった所に追いつめられると何かを考えだそうとするものです。
 業界でどうにかしようと頑張っている人達はほんの一部、誰かがやってくれるのを待っている連中が大半でしょう。
 少なくとも労を奉仕しないのなら、協力はしないとね。それがずっこけていませんかってーんだー。何かのミスをよろこんでいるような節がありませんかーーーーってーんだーよ。
 政治を見ているとその事が一番分かりますね。政治家が目立つ国は良くありません。施設だって同じ、施設長が目立つ事業所なんて良い処ありません。気をつけないといけませんな。 何らかの「新」を打ちだしますからね。

B逸失利益

時流の変化を感じた。それと複雑な思いと責任の重さ。
 昨日の読売新聞朝刊に青森地裁でのある判決の記事が掲載されていた。早速、その記事を切り抜いて持っている。2004年当時16歳の知的障害のある子が施設で入浴中の事故で死亡、両親はその時の施設側から出された損害賠償の書類で提訴を決めたという。それは「逸失利益ゼロ」と書かれてある1文だったという。2年以上かかった裁判で弁護士によると「画期的な判決」が出されたという。全国で初めてこの種の事故で重度の知的障害者の逸失利益を裁判所が認めた。両親は障害者や親にとって生きる希望になるとコメント、さらに「仏前には、あなたの命の尊厳が認めらたのよと報告したい」と話した。
 当然、北海道にある事業所側のコメントも・・・・・。
 それと重なるような事が昨日あった。ある方の49日法要と納骨。法事が済み、本堂の脇間に案内した。そこには15名の遺影、全てが尚恵学園で生活された方達。娘さん(Tちゃん)が14年前に亡くなり、その写真は先代理事長夫婦の遺影の脇に飾ってあった。そのお母さんの法要だった。墓地に向かった。石屋さんに挨拶された。なんと先週奥さまを亡くされたTさん、娘さんのSさんはTちゃんの仲間(No:1349で紹介)。
 Tちゃんのお墓参りは残ったメンバー達が彼岸やお盆に毎年行っている。その事は皆さんが分かっている。当時の事を思い出した。墓地を求められた時、ご両親とも北海道出身、でもTちゃんが一緒に過ごした仲間がいる近くが良いと言って境内墓地の契約をした。そしてお墓を作る時は学園の仲間のお父さんがやっている石屋さんが良いと決めた。そこにお母さんのお骨を埋葬した。やっとTちゃんは一人ぼっちでなくなった。
 複雑な思いと責任の重さを感じたのは、今日の法事の成り行きからも言えると思う。
 完璧な人はいない。皆それぞれが弱い存在だ。障害が有るという事が命の尊厳を蝕むものでは決して無い。家族も然り、事業所だって同じなのだ。限られたスタッフで24時間、利用者の方のお世話(?)を行っている。
 青森地裁の判決の詳細は知る術がない。しかし、大体想像はできる。私は、毎日が同様のリスクと直面しているからだ。
 決して、そのご両親をどうのこうの言うつもりはありません。入浴中の事故、食事中の喉のつまり、てんかん発作、急な飛び出し、・・・・・これは全ての事業所が避けられない現実です。過失が無いということはできません。しかし、私の立場ではもし事故が発生した時にスタッフにその責任を負わすことはできません。私自身が一指導員からこの仕事を始めたから尚更です。
 今回の判決が、ただでさえ障害福祉施設で働きたいという若者が少ない今の現状を更に厳しいことにだけはなって欲しくない。その事を危惧するのです。
 それから余計な事かも知れません。日本では知的障害者の方が入る保険が長いこと無かった。私は全国サポート協会の発足に関わった経験があるので、その辺の事情は良く知っている。一言で言って保険商品のメリットが少ないという理由からだった。保険会社にとって保険料と保証給付額のバランスの問題が一番商品開発には関心がある。当然と言えばそれまで、そこに我々施設側も協力して当時の金融庁と何度も話し合いを持ちながら実現した保険制度だった。
 憶測でものは言うべきではない。いまその保険の保証内容に変化の動きがある。
私はどのような批判も受ける覚悟がある。
 入所施設を利用されている方達の年金の問題、この実態は問題が大きいと思っている。
多額の年金が利用者の通帳に溜っているという実態がないのか?事業所側が設備の改善費用に使わせて欲しいといえば大きな問題となる。しかし、在宅で同額の年金で過ごされている多くの家族にとって、いくらその人個人に付いた年金と言っても家族の生活費に廻ることは避けられない。
 今後、国連の障害者権利条約批准の流れに進むことは確かだろう。その中で現に入所施設を利用されている人達と在宅それも長年入所待機をしている人達との実態も明らかにされていくことを切に願う。
 権利と義務、命の尊厳と遵守、親の義務、子の自由、親の願い子の願い・・・・・・・
 これらの問題が表に出なかった事が障害者の理解を遅くしたという事だと私は思っているのだが・・・・・。 

C:三大ニュース

年の瀬になると今年の主だった出来事のランク付けが流行る。世論調査もあらゆることで実施され、行政でも最近はパブリックコメントとか言ってやたらと一般から意見を聞くようになった。
 ま、今年のニュースで上から三つ上げるとなればこうなるかな。
@政権交代A不況B・・・・?三番目が浮かばない。今年はいろいろな事が身近にも起こったし、世の中を見渡せば浮草の如く、フワフワと漂っていることばかり、絞り込めないのである。無理して上げることもないわな。
 @政権交代に関しては、好き勝手な事をこの欄で書き過ぎたという自省もあり、何かしっくりしない気持ちの儘、年を越すことになる。A不況は、今年になって急に始まった事ではない、大手金融機関の破綻や最大手自動車メーカーの経営不振、一つの国だけの問題ではなく、その影響は世界に伝播した。先日の地元紙に、県内の企業で創業から長期に続いているベスト10が紹介されていた。業種では酒造や醤油製造が多かった。それも400年〜500年の歴史を持っている。企業は、時代の変化に上手く乗れたものだけが生き残る。線香花火のように、派手に登場し、いつの間にか消えてしまう企業が多い中で、家訓や社是が代々引き継がれてきたのだろう。
 視点を変えよう。国の歴史もまた浮き沈みが目立つ。世界中でキナ臭い紛争地域は、宗教や人種の違いによって争い事が止まない。でも本当の所、実態は良くわからない、親を紛争で亡くした多くの子供たち、子供たちに責任はない。悲しみや憎しみへの報復の歴史が真意かもしれない。
 人類史上で、戦争の無かった時代が無い。いま、大騒ぎしている外交や防衛問題も、根っ子の処では全く同じ。
 目に見える争い以外に、見過ごしできない事例に、日本の教師で年間7000人以上が何らかの疾病が原因で離職しているという。その大半がうつ病だという。一昔前には校内暴力が頻発し、ガラスを割ったり、いじめが社会問題となった。引きこもりや陰湿ないじめは依然としてあるようだが、最近は教師が教壇に立てない状況がある。これは大きな問題ではないか。つくば学園都市ができた当時、親の意識が高く(?)、担任教師に「学校には期待していませんから」と面と向かって言う父兄がいると教師になった私の友人が言っていた。
 教師が生徒の頭を殴ったりしたら懲戒免職、PTAや教育委員会が大騒ぎする。別に体罰を奨励するわけではないが、果たして今の子供たちが有事の際にこの国を守るという発想が有るか?と思った。
 韓国の知り合いに伺ったことがある。韓国には徴兵制が今も有り、若者は必ず軍役を経験する。できれば戦争の無い状態を誰しもが望むこと。しかし、どうだろう?先の戦争が64年前、遠い昔の出来事ではない。その後、ずーと自民党政権が続いたという弊害がここにきて問題になってはいる。しかし、この国の形は日本人自らが決めなければならない。その肝心要の事柄を話し合う機会を先送りしてきたツケが諸に出ている。
 年明け早々、国会において討議されるべき最優先課題だ。それが、リーダー二人の政治献金疑惑で大切な審議時間が失われるのではないかと危惧する。たわい無いことで時間を浪費しないでよ、それは司直の手に委ね、貴方達が討議すべき事は今そんなことじゃー無いでしょう。
 与野党関係なく、この問題こそ公開で討議していただきたい。
そうそう B番目は、国民一人一人の自覚への危機と気付きかな。

D除夜の鐘

大晦日が近づきました。除夜の鐘の準備をしています。今年で3年目、毎年撞きに来てくれる方が今年はどうかな?テントを張り、焚き火用のマキもOK、絵馬や温かい飲み物・・・・
 今年1年、休みなく鐘が撞かれました。昼12時にはまんだら工房のメンバーさん、夕方5時には近所の橘内さん。住職の出る幕はありません。本心は大助かりでした。力強く撞いた鐘の音は神立全域に聞こえます。幸い”うるさい”とお叱りをいただいたことはありません。それより”ありがたいね”と声をかけてくれる方が増えました。
 除夜の鐘は108回撞きます。私の寺ではそこまで厳密には数えませんが、108煩悩を取り除くことからきています、さてと今年は皆さんどうだったかな?あまり良いニュースが無かったように思いますが。体調を崩された方もいたでしょう。でもね、これって考えようですよ。今まで過信していた自分の体を少しは労りなさいという天の声。
 仕事を止めなければならなくなった人。新たな自分の可能性を見つける良いチャンスと思えば・・・・・。私はそのような人達に旅を薦めたい。できればお遍路さん。歩くの?そうですよ、自分のペースで、必ず何かを得ることができます。
何故ですか? それはね。一人で歩いているんじゃーないからですよ。歩きながらいろんな事を思い出します。お世話になった方、それと大好きだった人、・・・・そんな大切な思い出が誰だってあるんじゃーないですか。普段、考えても見なかった事に気付く旅です。
 それと毎日忙しく過ごされている方、1日の中でたった10分でも良いから本を読んでみたらいかがでしょう。
私の住む地域に、3畳間程の小さな本屋さんをされている小母さんがいます。100円で好きな本を何冊でも貸してくれる。いつも私はヲーキングの途中で脇を通るのですが、イスに座って読書をしています。あれはお金じゃない、小母さんが読書好きなんだ、自分が読んだ本を皆さんに読んで貰いたいんですね。それも老後の生き方としては素晴らしいと思います。誰かに迷惑をかけている訳では無しに、大上段に構えるような無理な処も感じない。自然体ですかね。
 私自身の反省を含めて、この1年を振り返りますとね。自然流音無しの構えからは懸け離れた生活をしたと思います。
良く分かるんですよ。ああ、目いっぱいアクセルを踏んで走っているとね。そんな時、必ず怒りっぽくなるんです。多分、本人はその時には自覚していませんから多くの人に迷惑をかけたに違いありません。反省しきりです。
 これを自覚するきっかけですがなんだと思いますか?
 実は車を変えたんです。以前乗っていたスバルのレガシーB4という、この車は高速では感極まりますね。ぴたりと路面にくっ付いてその安定感のある走り、今まで乗った車で最高でした。13万キロ以上乗りましてソロソロかなと思っていたらプリウスの登場、そしてエコ減税、迷いなく注文しちゃった。注文したのが早かったからでしょうね、まだまだ先かなと思っていたら納車が早かった。確かに燃費は3倍も良くなりました。それと面白いのはバッテリー走行とガソリン走行の切り替えが自動でメーターに表示される。すると変ですね、アクセルを緩めに踏むようになりましたよ。
少しぐらい早く目的地に付かなくても早く出発すれば良いし、多少、私が会議に遅れても会議は始まっていますから。
 そう思うと運転時間が楽しくなったのです。早く着きそうな時は、トランクに運動用具を入れておき、ヲーキングしたり、そこまでの時間が無ければサービスエリアに駐車して本を読むんです。スピードの出し過ぎは周りの人に迷惑をかけるリスクが増えるでしょう。それが減ったように思います。
 すると今まで気がつかなかった事が分かったりします。大型トラックの運ちゃん、皆さん運転席で休んでいます。ナンバーをみると、全国区です。たいへんだろうなと思うとお先に行って下さいと譲るような気持ちが出てきました。
 来年は、その辺の考え方に工夫しながら乗り切ろうかなと思いまして・・・・・・。除夜の鐘、多くの皆さんのお越しを太鼓たたいて待って・・・・ます。
 

E 夢?

たかが夢なれど・・・
 時間にして1分程ではなかったか? 実に後味の悪いゆめをみた。場面はとあるスーパーである。私は何を思ったのか、小さなローソク2本を買うために店内を見回していた。不思議な事に化粧品売り場に私の求めていたローソクがあった。2本だけ買うのもどうかと思い、側にあったガムを一つ、レジに持っていく。すると店のオーナー風の60前後のおじさんが受け取り、かったるそうに袋に入れ、レジを打った。「いくらですか?」と尋ねるも返事なし。私が顔を近づけ、レシートを覗くと指で示す。メガネが無いから再度尋ねると同じ動作、そしてレシートに今度は金額を書いて指でさす。1468円だった。
 ”高い”頭にきた。責任者に文句を言ってやると、事務所へ。そこはどういうわけか社員食堂、昼時で混雑している。携帯片手に私の申し入れを聞いてくれた若者、「ちょっとここで待って下さいね。責任者を呼んできますから」耳から携帯は離さない。暫く待たされ、次から次に食堂に入ってくる男性社員、なんと全員が坊主頭で目つきが鋭くヒゲをはやしている強面。。。。。。
 幸いここで目が覚めた。
 非常に後味が悪かった。それに情けなかった。何故このような夢をみたのだろう?番外で今年を振り返る、そのラストから2番目がこれだ。何もワザワザ紹介しなくてもという気持ちはありますよ、でも当に今年1年を1分間の夢が表していると思っています。職場の私の机には、苦情処理とヒヤリハット、事故報告の3冊のファイルがある。それが一気に開いた感じ、強迫神経症???こころが病んでいる???
 それと何故些細な事に目くじらたてて怒ったのか。情けないと言うよりも確かに思い当る節があるから落ち込んでしまった。
 正夢か逆夢か?
こともあろうに今読んでいる本は『荘子』、これは『老子』と共に道家の類、孔子などの教えに疑問を呈す。細かい事に思い煩うなと「無用の用」なる不可解な教えを説く。しかし、加島がその教えに引かれたように、高ぶる気持ちを沈める効果は大きい。
 ここで言う生死観はいずれも仮初の姿、死ぬの生きるのと騒ぎ立てることはないと言う。1468円が高いと言っても、どうなの? 
 月々1500万円のお母様からの小遣い???知らなかった???
 ああああ 私はこころが病んでいるのだ。

追記) 昨日こんな事がありました。求職中のYさん、園内の掃除をしてくれている。「御苦労さん、これで何か飲みなよ」と500円を渡した。黙ってポケットにしまった。
 その後、見てしまった。ある職員に食い下がっていた。「給料払うように言ってくれよ。ボーナスないのか、言ってくれよ・・・」必死の形相だった。この瞬時の出来事が夢と無関係ではないかもしれない。実態を知らずして事の善し悪しを決める事は危険だ。彼を雇ってくれる会社が有るかないか、彼は社会に不満を持つ、されど・・・・・。

F願わくば

平成21年も本日を残すのみとなりました。日本人の誰もが何らかの変化を望んでいたのも事実、その兆しが見えた1年であったかと思います。政治の流れがこれ程劇的に変わることも戦後無かった。そして新しい政権が現実の難しさに直面しています。国内の問題だけを考えていれば良いわけではなく、国としての役割と責任を痛感しているものと思われます。
 一国の問題だけを論じる時代ではなくなりました。ユーロー圏の誕生もベルリンの壁崩壊から急速に進みました。そしてアジアにもその流れが伝播、アセアン諸国が新たな動きを見せています。総人口19億人という規模の共同体、これはヨーロッパの比ではありません。先ず、行われるのが関税ゼロという自由貿易の流れ、人口13億の中国がその中心的役割を果たすことに間違いはありません。そこで日本の立つ位置がどうなるか?加盟するのか否か?独自の路線を歩む選択肢はないでしょう。
 貿易立国たる日本は強烈なライバルが登場したのです。アジアに進出をはかる企業も大きな影響を受けるはずです。
 日本は外国に対し高すぎる関税や規制が多いと言われています。そのハードルを低くできましょか?巷に溢れる様々な製品が中国や東南アジアで作られたもの、いま優良企業たるユニクロだって自社製品といっても国内で作ったものではありません。
 ユーロのような共通する通貨が果たしてアジア圏に作れるでしょうか?まだまだ先の事とは思いますが、アジアには無視できない状況があります。それは、ヨーロッパには中国のような他に追随を許さない巨大国の存在がありません。それと国間の格差はアジア程大きくは無いということです。
 このまま進むと中国の属国になるという不安を煽るものもいます。
 果たして日本がこのような動きの中でリーダーシップを発揮し、アジアにおける友好の関係を築くことができますか。
 政権に付いて3カ月が過ぎ、その評価も様々、政権奪取を狙う他の政党も足元から自壊する動きもあって前途多難な様相です。
果たして中国のように共産党一党独裁の国が良いのでしょうか?そのように望む人は殆どいないと思います。ただ、同時に議席を取るだけの烏合の衆をも望みません。混沌と迷走の繰り返しです。
 ここ数年、自らの足元を見つめてみますと果たして責任を果たしてきたかという疑問を持ちます。それが私の源点、常に身近に小言一言も言わず、淡々と日々の生活を送るメンバーの存在があります。彼らは一体、今の世の中をどうみているのだろうか? 時には「そんな風に思ってどうなるの?」と言われているように感じます。
 綺麗ごとをいくら並べても、その事で人間が変わるものでは無いでしょう。誰しもが自らの利になるように考えて行動に移す、これが実態です。こんな風に言われているように感じてしまうのです。
 肩ひじなど張らずに浮世の望みも捨て生きたらどんなにか楽だろうか!
 今年1年、言いたい放題の拙文に付き合ってくれた皆さまに心より感謝申し上げます。世を悲観し、批判はすれど代案が無い、前向きで勇気を得るような内容には程遠く、良心の呵責に苛まれ何度も止めようかと思いました。
 私の信頼する先輩がいみじくも言ってくれた、「怒る時には大いに怒れ!」これを只管、支えとして続けて参りました。
 いつもそうでした。必ず、そんな時にこんな自分を見守ってくれている人の視線を感じるのです。
 感謝と内省の想いを大切に思考(試行)錯誤で来年も続けたいと思います。良いお年をお迎えください。大晦日。