23rr

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
261 経 営 9/27 266 何故デイサービス 10/17
262 金融庁・・・ 9/30 267 言い訳 無用 10/18
263 コスモスUオープン 10/3 268 根性なし! 10/21
264 原点 10/5 269 育成会茨城大会 10/22
265 ストレス対策 10/8 270 地域生活移行会議 10/24

261:経営

全国社会福祉協議会の中に社会福祉施設経営者協議会という組織がある。その下部組織として茨城県経営者協議会(経営協)がある。今日、その役員会議があって経営協の役割について様々な意見が出た。県内の老人、障害、児童、保育の4種別の福祉施設が法人会員になっているが、どうもここ数年会員の加入率が思うように伸びていない。茨城県全体では374法人がある、その中で加入しているのが47%、全国平均よりやや多い程度。加入率が低迷している理由はどうも経営協自体の役割が明確でない点と会費の7割が全国経営協に吸い上げられるという問題が大きい。老人は平成12年に介護保険導入後、様々な事業実施主体が参画し、市場原理による競争に入った。保育も契約制度になって規制が緩やかになったが少子化も重なり自由競争の感が強い。この2種別においては尻に火がついた状況にいち早く突入、生き残りをかけたバトルが繰り広げられている。一方、障害は自立支援法がこの特別国会にて再上程される見通しで解散選挙で成立が遅れたが法案成立の見通し、児童は未だ措置制度が残され制度的にはあまり変化はないが、ここ数年は対象者の処遇の難しさに頭を痛める。このようにそれぞれの種別での問題が山積している。施設を取り巻く環境は10年前と確実に変わった。そこで本日の役員会議での一幕、様々な意見の乱舞。議長も意見の収集に四苦八苦。結局はこの半年をかけての継続審議となった。しかし、種別には関係なく、退職金制度や利子補給など共通する課題はある、更には三位一体地方分権化に沿った茨城県独自の福祉ビジョンの構築、そこにこの会の役割があるはず、役員全員の了解事項として魅力ある経営協を模索しようということで意見が一致した。果たして思惑通りに事が進むだろうか。
 国は小さな政府を目指し、構造改革を目玉にしてスタート。公約に対する国民の目も以前に増して厳しい。国会議員自らが議員年金の廃止を提案している。自らも痛みを感じようという証か。官僚を減らすことに誰しも反対はしない。国民が怒りを発せない大きな理由として内情が知らされていないということだ。民間でできることは民間で当然の成り行きだ。それに地方から国まで議員数のスリム化、肥大化しすぎで半数で充分と私は思っている。町村合併が進む中で今が定数を減らすチャンス。福島県の矢祭町の試みが話題になった。正に住民参加の地方自治。我々施設だって当然見直しが必要。今、尚恵学園では給食部門の検討見直しをしている。結果はどの方向に進むか。
 経営の難しさは利用者の満足度を上げることと従事者の働く意欲の向上をはかること。矛盾ではなく共栄となるにはどうあるべきか。実に頭が痛い問題だ。never give-up!

262:金融庁・・・・

昨日、関東甲信越の互助会緊急連絡会議が招集され、私と事務局長が新橋まで出向く。昨年4月に茨城県でも一番設立が遅くなったが知的障害者のいばらき互助会を発足し、やっと会員も2200名を超えてヨチヨチ歩きを始めた。全国47都道府県で41カ所の互助会が既にあって、今年沖縄が新たに発足の準備をしている。現在86000人の会員がいる。互助会の主な目的は知的に障害があるということで、知的障害者は既存の生命保険への加入は門戸を頑なに閉ざされ入院や死亡時への保険による備えができなかった。弱い立場の者への手立ての貧弱性。施設や育成会が法律(保険業法)にはうたわれていない仕組みを地域から起こした互助会、入院時の付き添い人や差額ベット補助、死亡時弔慰金など、関係者が毎年定額を積み立ててお互いに助け合う。何も疚しいことはなく、国が法律で支える仕組みを作ってくれれば,あえてこのような制度を作る必要は全く無かった。見るに見かねた形での自助努力である。
 今、日本中に実態が怪しい互助会や共済(根拠法のない共済)がすごい勢いで増えているという。生活消費者センターなどへの苦情相談が後を絶たない。そのため金融庁は保険業法の一部改正によって契約者保護のルールに基づき規制することを検討している。悪徳な共済は当然、法の網にかける必要がある。しかし、我々の知的障害者互助会まで同様のルールで閉め出すやり方には全く賛成できない。このような国の動きがあって、全国互助会が緊急にその対応に動き始めた。今まで関越互助会は各県連絡会議を開催して定期的に集まりをもって、順調にその成果をあげてきた。検討されるものも様々で組織の強化や制度の弱点など、私は設立準備の段階でオブザーバーで参加したことがあった。そのような中で他県の勧めや支援もあり、漸く出来上がった「いばらき互助会」も1年半がたった。今回の動きは全く寝耳に水、その成り行きを注視せざるをえない。関東には既に5000人以上の会員を有する互助会が千葉:埼玉:神奈川にある。歴史もあるし事務局体制もきちんとしている。
 他県の互助会と足並みを揃え、よりよき制度(今回の規制からの除外事業)になるべく努力していかなければならない。

263:コスモスU オープン

このページのトップへ

10月1日付けでデイサービスセンター「コスモスU」が事業所認定を受けてスタートしました。平成16年度〜17年度の2カ年国庫補助事業によるもので茨城県及び土浦市より補助金をいただいて完成することができました。関係者の皆様に心より感謝申し上げます。定員は15名です。10月1日オープン時に既に13名が決まり、10月3日に土浦市障害福祉課豊崎課長、杉田係長をお迎えして利用者とその家族(13家族)、それからスタッフというこじんまりとした開所式を行いました。(HPトップの写真)外構工事も9月30日に完成、やっとオープンにたどり着いたという感想です。在宅サービスとして、尚恵厚生園においてデイサービス「コスモス」を2年前から実施しており、GH利用者の方達の日中活動の受け入れとして5名、絵画教室の利用者さん、それからレスパイトなど併設型のデイは既にいっぱいになってしまいました。今回は単独型のデイということで運営的には大変厳しいことが予想されます。但し、地域のニーズは大変高いものがあり、先ず1年目は定員15名でスタートしますが、要望があれば定員を30名まで増員できる建物スペースで建築しました。
 いずれにしても当初の予定通りにスタートできましたことを改めて感謝申し上げ、スタッフ一同誠意努力して参る所存であります。主体工事:池田林業株式会社 設計管理:蜂谷設計事務所(土浦市)ありがとうございました。
デイサービスコスモスUスタッフ『菊地主任:松葉:橋本:小野沢』全員が張り切っております。

264:原点

”福ちゃーん  あーめ”今朝、私が家を出ようとするとグループホームのKさんが後ろから声をかけてきた。昨夜からの雨、秋雨前線の影響か、彼岸が過ぎて急に気温が下がってきた。Kさんは毎日学園に行く間に私の家を通る。そして、必ず声をかけてから行くのだ。傘をさして小さなバックを持ちながら日中過ごす厚生園に向かうのだ。「ああーこれだ。何も自立支援法がなんだかんだの問題じゃない。ありゃー彼らとは別の世界の出来事」Kさんの声のトーンはいつも変わらない。彼は食堂から残飯をゴミの収集場まで運ぶ仕事を毎日やっている。私は分からないが、仕事を終えると炊事の職員からアメかなんかをお駄賃で貰えるようだ。それでいいんだよ。
 明日は某県会議員の先生が自立支援法の意見を聞きたいとやってくる。どうも反対の意見を持っているようだ。反体でも賛成でもKさんには知ったこっちゃない。彼らの本当の声をどれだけ反映できるか。実はこれが大変難しい。措置制度は確かに時代の流れには随分遅れていた。それが支援法に変わって利用契約制度になったまでは良かった。それが2年で破綻。つまり、国の予測以上にニーズが多かった。在宅支援に回す財源が不足、地域生活移行というノーマライゼーションの理念を実現しようとすると財源不足は致命的。
 自立支援法は三障害(身体:知的:精神)を一元化しようとする考え方。一番先に精神障害関係者が賛成の手を挙げた。今まで基盤整備が一番遅れていたからだ。今がチャンスとみている。次に知的の全国育成会が賛成を表明。これで方向が決まった。施設関係者は正直、制度の変化に対応する術は持っている。今までもそうだった。変革が何度かあってもそれに上手く対応してきたではないか。こんなことばっかり考えていると実は嫌になってしまう。そこで今朝のKさん”福ちゃーん”一応理事長なんだけどなー!彼に取ってみれば昔からの友達、肩書き無用の間柄。2福ちゃーん”というから自然と”Kちゃん”となる。何が悪いだ!
これだよなー。これがなかったら、変な方向に行ってしまうような気がする。

265:ストレス対策

土浦のホテルにあるスポーツジムに私は通い始めて5年位たつ。夕方家に帰る前に立ち寄り軽く運動をしてサウナに入り、それから帰る。その間約1時間だからちょっとした休憩タイム。午前10時から夜の10時まで営業していて時間帯によって常連客がほぼ決まっている。午後3時頃はお年寄りや女性の方が多い、夕方より働いている人たちが利用している。5年もいると顔見知りになる。皆さん、仕事の疲れを取り、気分転換に通ってくる。仕事での悩みを皆さん抱えている様子。そんな事を話す人は誰もいない。自営業の人たちは特に大変なように私には思える。クリーニング屋さん:生コン製造:ガラス屋さん:運送業:小売り業:飲食店などなど。黙々と自分に課した運動ノルマをこなし、風呂に入ってまたちりぢりに帰っていく。また、中にはリハビリのために通って来る人も多い。血管障害の後遺症:ヘルニア:眼底出血:顔面神経痛などである。なるべく医療の世話にならないで自分でコントロールしようとしている。実は私もその類である。今年の2月からめまいやら肩こりしびれという症状が出て、いろいろ検査した結果、頸椎ヘルニアからきているらしいということになった。骨や筋肉の老化によるもので元来持っていた頸椎の異常がここに来て急に出てきたようだ。保存療法というものがある。それを自分なりに工夫してやっている。仕事で上手く行かないときなど、ジムでがんばっている人たちを見ると自然と勇気が出てくる。負けちゃーいかんでよ!今年55歳。ロードランナーで昔は時速10Kで1時間OKだったのが今時速8Kで30分がいいところ。それ以上やると疲れが貯まる。膝にくる。その分ストレッチに時間をかけるようにしている。
 予防医学というものが見直されている。歩くという人間の運動メカニズムは自然の理にかなっている。1ヶ月前に友人に言われて万歩計を買った。1週間のデーターが見られる機能がある。一万歩が目標だが殆どクリアーしていない:車を使うからだろう:出張で東京に行くと必ず一万歩は超す:眼で確認できる目標がないとどうも怠けグセがでてしまう・ストレス対策にはほど遠い現状、どうにかしないと遺憾な

266:何故 デイサービス

このページのトップへ

今日、コンピューター会社の方がソフト調整に来園、10月オープンしたデイセンターを見て、「どうして通所更生にしなかったんですか?経営は楽なはずですよ。。。。」そんなこと言われなくとも私は分かっている。デイサービスがいかに運営が難しいか、それは現行の単価でも分かる。老人の半分、否もっと条件が悪い。併設型デイでどうにか本体の施設の職員の応援を得てようやく運営ができる。それが今回、単独型のデイを整備した。全国でも民間でデイサービスを単独でやっている所は少ないはず。茨城県では第1号だ。私の考えは複雑、来年で創立50年目になる。昭和31年に尚恵養護学園でスタートしてからの計算だ。私は従来の制度福祉のあり方に疑問をもっていた。つまり、定員制度という仕組みの利用施設のあり方にである。先のPCの社員のアドバイスは正にそこを言っている。定員制になっている施設は収入の補償がある。逆に決まった人しか利用できない仕組み。つまり、早い者順というサービス業にはどうも馴染まないシステム。その点デイサービスは唯一今の現行仕組みでは収入の補償がない。利用者がいなければなんの収入もない。1銭も入らない。これって実は本来の姿でしょうが!しかし、この業界は長い間違っていた。今でも児童施設では定員制で措置制度だから利用者がいなくとも費用は入る仕組み。これが支援費制度になって大分変わった。否、やっと気づいたといったほうが良い。施設もだんまり、行政もだんまり、だから変わらなかった。国の財政、尻に火がついたからあからさまになった。
 そこで何故デイサービスということへの私なりの答え。
 一言で言って誰もが気軽に利用できる施設だからだ。経営?収支?全く予測がたっていない。利用する人が多ければ黒だが逆だったら大赤字。これでいい。やってもやらなくとも良かった時代にどっぷり浸かってしまった。赤が出たら一生懸命坊様やって注ぎ込むしかなかんべー!
 実は長年の措置制度という得体のはっきりしない制度に埋もれて、多くの不祥事やらトラブルが生まれてきたのだ。最近園長室で出る朝の電話の内容が変わった。「今日はまだ起きてこないのでデイは休みます」だって。これで収入はパー。よーく考えろよ。朝早く起きてデイに行きたい状況があれば自然と休みは減るはずだ。魅力がないんだよ。そう考えていくことにデイ運営の一番大きなメリットが実はあるんだよ。やってみたら!

267:言い訳 無用

時として言い訳は相手に不信感を抱かせる。ショートステイで受け入れた方が家に帰ってから体に青あざがあるのに気づきご両親が不信感を持って園に来られた。職員は誠意を持って対応し、原因を調べますということで引き取ってもらった。2泊のショートが終わって自宅に帰る時、引き継ぎ職員が腕のあざを母親に伝えてはあったという。それが十分では無かったのかもしれない。
家族が最初に浮かんだのは職員にやられたのではないか?という不審。それは有り得ないと対応した職員は伝えたが、どこまで通じたのか分からない。利用者同士でのいざこざでケガすることも少なくはない。私が外出先から帰ってくると直ぐにその報告を受けた。正直このような事態は今までに何度か経験している。はっきりと原因が分からないのが一番困る。夜間は一人の職員で対応している。あざや傷に気づくのは入浴介助の時がほとんどである。今回もそうだった。記録には申し送り事項として、入浴の時に気づいた職員によってそのことが書かれてあった。職員は交代勤務、毎日の申し送りの中で健康面や体の異変は特に注意して確認する。しかし、ショートステイやデイサービスといった不定期な利用者はややもすると抜けることが実際には起こってしまう。この辺の配慮はし過ぎるということは決してない。苦情処理やひやりハット報告は実施している。隠さずに報告するよう徹底させているのだが。
 直ぐに私はお詫びに自宅へ伺った。園から結構離れているところに自宅があった。ここから週1回の絵画教室にお父さんは車で送迎して通ってきてくれているんだ。親の思いを感じた。玄関のベルを鳴らすと直ぐにSさんが顔をだした。いつもと変わらない。私の顔をみて何かを話しかけてくる。恐縮している母親は娘さんのあざの痕を私に見せてくれた。腕に2カ所と太股にあった。どうしてこうなったのか思い浮かばない自分に腹立たしさを感じた。現場の実情を認識していない施設長としての自分にであった。昨日の時点で関わった職員に確認する。誰もが特に不安定になったり、他の利用者とのトラブルも確認できず、はっきりした原因は分からなかった。もう少し時間を頂いて報告しますと言って帰ってきた。利用契約制度になり事業者側の責任が以前にも増して明確になっている。預かっている利用者の方がケガをしたり事故に遭遇した場合、事業者側の責任である。だから言い訳は許されず、誠意をもって対処する以外に取るべき方法はない。

268:根性なし!

ある研修会の最後に講師の方が「暗くなりましたからお帰りは気を付けて」と話された。あれーおかしいな?まだ午後の3時を回った時間なのに。講師はジョークで言った言葉だ。つまり、最近の研修に参加すると皆さん気分が落ち込んで暗くなってお帰りになるからという。それもそうだな!元気がでる話など大分長い間ご無沙汰、意識して選んだ訳ではないのだが、どうも研修の内容がリスクとか経営危機とか補助金カットと言った暗い演題に偏っているのも事実。それがホリエモンの登場によってIT産業の若きリーダー、???、ヒルズ族というのだそうだが六本木の森ビルが建てた高層ビルに住むセルブ達は自棄に元気だな。感心するよ。村上ファンドの代表の方なんか、体全体から妙な熱気がムンムンたちこめて、なんだっていうのよ。元、高級官僚とか。金儲けしてもっともっと税金払えだ。守銭奴などと言ったら怒るかな?行政の仕組みを熟知して、攻め所を知っているんだ。きたねーよ。最近私のところに電話や相談に来る福祉の仲間「もうやめたくなった」とか「俺は子供がいたら絶対に継がせない」とかマイナス思考の連中ばかり。朝から暗くなる話ばっか。やだねー。そのような時に元気をもらった一つの実例。ブラジルから日本に来て働く日系の方が5年前に奥さんを亡くし、お骨を私のお寺で預かることになった。彼は埼玉に住み車で2時間半かけて毎月必ず祥月命日に寺にお参りに来た。留守にしていた時は玄関にお金を入れた封筒をはさんで帰ったいった。
 その彼が昨日、沖縄の母の眠る墓地に奥さんを埋葬したいと妹さんと二人でお骨を取りにきた。「妻を亡くし、どうしようかと思ったんですが、友達が観音寺さんを紹介してくれて、預かっていてくれて本当に助かりました」と涙を浮かべて深々と頭を下げられた。ブラジルの日系人で中には大成功した方もおるようだが、大半の方は職がなくて日本に出稼ぎにくると話していた。先日実の母親がブラジルで亡くなり、飛行機でお骨を取りに行った。ロサンゼルス経由で24時間飛行機に乗るそうだ。亡くなった奥さんをブラジルに埋葬しようかどうか悩み、今回実母を埋葬することになった沖縄に決めた。家族の結束が強いんだなー。いつもその方から元気を頂いた。私など想像できない苦労を外地で経験してきたのに、決して愚痴などいわない。むしろ、その事を受け止めて、今できることを一生懸命やろうとしている。苦労の深さは顔に刻まれた深いシワとタコになっている手を見ただけで分かる。
 故郷の沖縄を愛し、最後はそこに埋まろうとしている。  自分に言う。「こりゃー福祉、この根性なし!」

269:手をつなぐ育成会茨城大会に思う

10月22日県立文化センター小ホールにて第43回の育成会茨城大会が開催された。私はいつの間にか副会長にされてしまい1日会場に詰めることになった。自立支援法が今国会で成立の見通し、鈴木会長の基調講演が最初にあった。県北出身の会長のユーモア溢れる茨城弁での話、本人が心配していたほどではなく、親の立場から新たな制度をどうとらえるか解り易く話してくれた。その後、橋本知事が式典に加わり、表彰を始めシンポジュームへと移る。埼玉からゲストパネラーとして山田さん(三郷)が実践を披露、次に県内支部会での活動紹介が4人の方よりあった。私はずっと会場の席で聞いていた。式典の時でも会場の半分までは詰まらなかった参加者が徐々に減り、最後には2割ぐらいしか残らなかった。
 これは私の予測である。今までにも育成会の大会に出席することが多かったが毎度午後2時頃になると会場を申し訳ないように出て行く参加者がいる、早く帰って子供の受け入れをしなければならないんだ。だから最後まで参加はできない。否、大会に参加もできない人がもっとたくさんいるんだ。
 丁度その日は隣の大ホールで鳥羽一郎のコンサートがあり1時間前から多くの人が列を組んで並んでいた。これ当たり前の情景。ヨン様だったら更に大変だ!しかし、方や最後まで参加できない同じ年配のお母さん達がいる、どう考えよう?卑屈になっちゃうよなー。明るく元気になんて言ってもなー。
同じ茨城県人なんだ。この格差をどう埋めるか!私は閉会の言葉をやる役目、会場の後ろの方に県の担当課の職員を見受けたので例の如く本音を言ってしまった。『いつも2時頃になると会場を後にする参加者がいます。このような時にこそホームヘルパーを活用でき、多くの会員の方が最後まで参加できる仕組みを作らないといけないと思っています。障害者在宅サービス三事業の内で我が茨城県はホームヘルプ事業は実績全国ビリなんです・・・・・」と。これホントの話。

270:地域生活移行会議

このページのトップへ

今年度第2回目の地域生活移行推進会議が開催された。私も施設側の代表として参加している。障害福祉課が担当で労働、教育行政も加わり、委員はご本人、家族、行政、施設、学識経験者などで構成している。毎回2時間という時間では足りない程意見が多く出る。私も最近いろいろな会議に出るようになったが、時間不足を感じる委員会はこの会議ぐらいだ。それだけ検討している内容が複雑で多岐にわたるからだと思う。障害者へのサービスのあり方が施設サービス中心から大きく地域サービス中心に軌道修正された。コペルニクス的大転換とかいう大げさな論評もあるくらい。新たなサービスの仕組みを構築するには時間がかかる。机上のプランでは直ぐに問題にぶつかり挫折する。様々な条件が一つの目標に向かって連携し、一体化した時に初めて効力のある仕組みができあがる。今回多少思いつきの提案だと反省しているが、就労・生活支援センター(現在県内2カ所)をもっと増やせないかと提案した。なんでもそうだが事業化するには必ず財源確保の裏付けを考える。しかし、いつもこの壁を乗り越えられなくて、良い提言、将来必要な要望という段階でその一歩先に進めない。予算付けが無くても事業認可して就労・生活支援センターの看板を付けさせてはいかがなものかと提案した。現行であれば支援費の事業として認可さえすれば一括事務費としての予算化はいらない。できれば既存の事業所には有期限で補助金をつけ、軌道にのった時点(サービス対価で自主運営)で他の事業所に予算を回す。その条件で募集したらどうか!この意見が取り上げてくれるものか否か分からない。しかし、厳しい財政の中、新規事業を立ち上げることは至難の業、それにも反してニーズは益々増えている。地域ケア会議(仮称)を土浦地区で開きたくとも関係者を集めることはできない。それが上記のセンターという看板を掲げることが出来ればネットワークづくりのキーパーソンにはなれる。茨城版地域生活移行支援体制を組めるだろうと考えた。現状の水戸と下館だけのセンターでは300万県民のほんの僅かな地域しか対応できない。
 アイデアをどう実現するかというテクニックは分からない。募集で応じた事業所に地域型就労・生活支援センターとしての機能を持たせる。昨日、某大学の教師をしている友人と食事をしながら伺った話、埼玉のある市では市直営の事業に指定管理者を公募し、契約は1年間で実施するという。つまり、管理者として指定を受けてしまえば、当然長い間には内容が硬直化して直営と同様の壁にぶち当たるという発想だ。サービスを低下させずに限られた財源の効率的活用を考える時代に最早入っている。創意工夫の勝負でもある。