源究24

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
271 障害認定? 10/28 276 冠婚葬祭 11/12
272 30年ぶりだー 10/31 277 同時間に3件法事 11/13
273 わかっちゃいるけど 11/1 278 アンケート回答 11/16
274 岡山大会 11/9 279 福祉と医療の狭間 11/18
275 しくみ 11/11 280 自立支援法は悪法? 11/21

271:障害認定??

市町村福祉担当の利用者の実態調査に毎日のように来ている。障害程度の判定時期になったからであるが、どうも例年の如く首を傾げてしまうことが起こっている。要は1時間程度の実態調査で何がわかるのだろうか?また、市町村の格差が歴然としていることも大きな問題である。
 役所側の言い分もあるだろう。担当者の数に比べ、調査対象が多すぎる。だから一人に時間が割けない。一方、事業所側の言い分も以前として解決されないで繰り返されている。今回、某町の障害認定結果に疑問があった。AからB判定になったという通知書が送られてきた。不服があれば40日以内に異議申し立てを文章で行うことという但し書きが書かれてあった。しかし、我々には通知文一通送られてくるだけでなんの説明もないのか!あまりにも失礼じゃないか!早速、役場に電話をして、その辺の事情を担当者から聞く。
家族には当然説明したんでしょうね。何故判定が軽くなったのか?それに対する解答は尚恵さんの長年の指導のお陰でADLが改善されたからですよという返事だった。IQ=24は以前として生きている。これだけでもう判定は下っている。何がどう変わったのかという詳細の説明は無かった。私はこの話を聞いて、いらだち他県の仲間に電話で状況を聞いた。栃木、埼玉、千葉の施設長に電話、それぞれ違った状況がわかった。この利用者はI 
さんという。彼女は昭和48年、8歳の時に尚恵に入所してきた。私はその時分から良く知っている。だから今回の真面目な若い担当者の電話での説明に納得できなかったのかもしれない。真面目で若いという事は当然皮肉である。1時間で32年の変化をどう掴むんですかね!ご承知のように質問形式の調査であって、「・・・・できますか?」との質問には「ハイ」と答える人たちだ。逆に同じ事を「・・はできませんか?」と尋ねれば「ハイ」と答える。このことは何を意味しているのでしょうね!質問のアヤだ。誘導尋問とも言える。経験浅くして分かるには本人の力はもちろん努力が不可欠なんだよね。質問紙形式調査の欠点はまさにそこにあるのを知っているでしょう。そのため我々も担当者を同席させるのだが、場合によっては職員の退席を言われる時もある。
調査員の中には質問の結果を見えないように隠す人がいるという。せめて何を答えたか公表すべきだと思っている。実態との遊離を弁明する機会が与えられないのは民主的でないわな。また、お互いが信頼関係が無いのに福祉はできないな。
 杓子定規の判定はややもすると変な方向にいく。軽い方を重く言うという事業所の増加がさけられない。私は今回直ぐに担当役場の責任者と面会した。Iさんの身体状況について説明をしたかったからだ。幸い担当課長は時間を取ってくれ、丁寧に応対してくれた。このことには感謝している。現在白内障、肝炎、洞性除脈など3つの医療機関で治療中であり、むしろその状況は悪化している旨を伝えた。ADLの改善については、質問方法によってどのような結果にもなることは当然ご存じだと思って敢えて言わなかった。また、園内の評価と一般社会での評価になると問題は大きく異なる。私は彼女が今後医療支援が相当必要と判断している。通院一つにしても職員は半日彼女につき合う。(現在定期通院だけで月3回)それに将来予測できる入院手術になった場合、彼女は家政婦さんの対応では無理だから1日3人の職員が付きそうことになるのは確実だ。その辺の全体状況に配慮して調査結果が判定Bならば私は何も言わない。むしろ町で看たら良いでしょうと言いたい。もう一つ付け加えるとすれば少なくとも調査に入る前に家庭を訪問して家族の現在状況を確認しておくことは当然ですよ。

272:30年ぶりだー

土曜日に目白で5学年の同窓会があった。GWVというワンダーフォーゲルの仲間のミニOB会、30名以上集まったかな。午後1時半からの学習院の学生会館で集まり、私はその日は丁度職員の結婚式にぶつかり、終わってから急いで向かったが集まりの終わった時間に着いた。会館前の広場でいいおっさんが肩組んで輪になって歌唄っていた。直ぐに分かった。今時、そんなの流行らない。現役の学生が奇妙な顔して横目で見ているのがはっきり分かった。そんなの全く関係ない人たち。俺はその輪に入らず知らん顔して帰ろうかと一瞬思った。そしたら「住田のヤツ、今頃来やがって!」といいたさそうな先輩のSが私を見つけてしまい、目配せして輪の中に入れと指示する。リーダー?のHさんが「はーい。ただいま住田君がたどり着きました。一言いただきまーす」とかいう。ハー???私は30年ぶりに大学の中に入った。学生の時から何か間違った大学に入ったかなーと思っていたから、その気持ちが私の深層には今でも沈殿していたのだ。目白の駅前の海賊とかいう居酒屋に2次会、最初から2次会には出られると言っていたから、ここまで来て帰れない。いやー全く呆けたな。「住田さん、知ってますか?」「えーと、まるまるか?」「やだーそれこっちでしょう!」「夏合宿覚えていますか、朝日連邦で」「しらねー。覚えてねー」「全く茨城弁丸出しなんだから」とか自棄にコケにされた。2時間ぐらいざわざわして、小グループに別れての3次会、お茶をのみながらそこでまた1時間。帰れないと思っていたから唯一同期のYに宿を予約してもらっていたから池袋へ出た。印象に残った言葉・「いいなー。住田は資本がかかれねーからな」「老人が増えるしなー」「手を合わせりゃー、カポだしなー」「・・・・」全て俺が坊さんをやっていることへの羨望とも嫌みとも言える言葉。尚恵学園のことなんか一言も聞いてくれない。みんな大変だ親の介護とか自分の体調、そりゃーそうだろう。若くねーんだよ。このバカたれめが。『残雪踏んで山いく時も お前の事が浮かんでくるよー・・・・」土曜日の池袋の雑踏の中を歩きながら自然と口ずさんだ歌はGWVの部歌だった。35年前の良き思い出。ありがとう。

273:わかっちゃいるけど・・・・・・?

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わかっちゃいるけど?どうすりゃーいいの?こんな事って世の中にはいっぱいある。けれど、仏教的に解釈を加えますとこれがそうじゃないだなや。わかっていると思っているだけで実は分かっていない。これが真理。般若心経の世界。否定の否定。肯定する事自体に?。人間関係って大体、思い過ごしとか決めつけが多い。それも相手の部分を捉えて、全人格だと型にはめ、あいつはこうだからダメというレッテルを貼る。人は一人では生きていけない。これは真理だと思う。完全な自給自足はありえない。先ず、自然の恵みを得て生きていることから解る。
今日は大正大学の県OB総会、今までに県内には卒業生が1000名位いる。総会の知らせの通知を全員に出した。しかし、返事が私の所に戻ってきたのは2割ちょっと、後は梨の礫。そして出席者は返事のあった中で1割、20名〜30名。これってどう考えます?魅力がないから来ないんだよ。確かにそうかもしれない。事務局をやっていて2年目、私だって事務局長なんて大それた肩書きもらわない前は返事も出さなかった。
 その事を問題とも感じなかった。それが3年間という有期限の執行部になって初めて分かった。今回私の中での変化は執行部の任が解けてから後も今度は出席するか否かは定かでないが返事は出そうと決めた。
 組織論というものがあります。そんな格好つけないで解りやすく言えば”職場におけるスッタモンダ”だな。人は誰でも自分の思いが通れば気持ちがいい。その逆だと不満になる。これ常識。私も人に言えるほどの経験はないが、どうも波風がたっていない凪の時にどこからともなく不満や妬みという泡がたってくる。それを無視していると突如として爆発したりする。グループワークという学問がある。集団の中の役割分担と接し方のポイントを学ぶ。
決して難しいことをいっているのじゃない。相手の話を良く聞く。この前提にはお互いが信頼関係を築くこと。そのプロセスで何か不都合なこと(例えば悩んでいる者)があれば、それを調整し、スムーズな関係を築く手助けをする。以前、JTのマギー先生と話したことがあった。私が専門で研究し広めたいと思っているJTの基本は仏教の和顔愛語ですよと言われたことを思い出した。難しいと思えば簡単で、なんだー簡単じゃないかと思えば難しい。これってやはり心経の否定の原理!

274:岡山大会

11月3日から8日まで5泊6日、第5回障害者スポーツ大会岡山大会へ参加した。選手団79名の団長という大役を任されたのだが、これまた初めての経験で何をやったら良いのやら、全く事前情報を得ないまま参加した。県庁での結団式、一連のセレモニーの中で団長の決意表明、何を表明してよいものやら、決まり切った挨拶をして、電車で岡山に向かう。大人数だから電車の乗り継ぎは大変だ!監督やコーチの皆さんは慣れているとはいっても初めて参加される選手も多く、この先どうなることかと心配だった。無事、岡山駅に着いたのは夕方、茨城県選手団は3カ所の宿に分かれた。私は駅前の丸一という旅館、歩いて5分という便利の良さが売りだ。事務局が私に多分気をつかってくれたのだろう、最初の案では4人部屋だったのが個室になっていた。しかし、どういう訳か私の部屋は携帯が使えない。電波が届かないのである。これには参った。PCを持ち込んだのだが上手く使えなかった。
 翌日の公式練習から3日間の大会に移った。皇太子殿下の開会式へのご臨席は大いに我々選手団の気持ちを奮い立たせる。競技は全国大会だけにレベルの格差は相当なもの。各県の選手選考の考え方の違いが諸に出る。残念だったのは一番競技種目の多かった2日目が雨になってしまった事。屋外競技は雨の中大変だった。今回、特に目立った茨城県選手の活躍はボーリングの女子で大会タイ記録で見事優勝したSさん。ご両親がわざわざ茨城から応援にかけつけていた。他の種目では卓球で知的と身体の5人の選手全員が金メダルだった。最終的には合計39個のメダルを獲得、みんなが自分の力を充分発揮し予想以上の好成績だった。だが、一方では惜しくもメダル獲得出来なかった選手もおり落胆は相当なもの。涙を流し悔しがる。そうだよな、彼らなりに精一杯がんばったんだもの。最後の日の閉会式は凄い盛り上りだった。人気グループの???とかがエレキの爆音を奏でる。アリーナを埋め尽くす8千人超満員の人々がウエーブをつくり、踊り、唄い、凄まじい熱気に溢れたフィナーレ。その興奮が冷めきれない中に寄宿舎にそれぞれの県の選手団が帰っていく。その晩、打ち上げを町に出て行った。恒例になっているとは聞いていたがとても良かった。一人一人が感想を述べる姿に満足感が溢れている。メダル獲得が出来なかった選手にはスタッフが用意した記念のテイシャツがプレゼントされた。きめ細かな心配りの一面を見た。競技が無事終えたという安堵と明日家に帰れるという喜びが入り交じる中で2時間あまりの祝宴があっという間に過ぎた。そして帰る当日、6日間お世話いただいた岡山県の担当サポーターとの別れ、新幹線のホームまで見送ってくれたサポーターそして選手団(上記写真)、いつまでも別れを惜しむ、お互いが涙を流し、いつまでも手を振ってくれていた。いいなー、こんな感動、長いこと忘れていたよなー!
 知的と身体が一緒になり国体開催に引き続き行うようになって5回目、確かに競技の運営や考え方にはお互いが埋められない溝が残っている。でも今年は精神も公開競技(バレーボール)という形で参加した。来年の開催は兵庫県。三障害が一同に会して開催される予定だ。私は何もすることが無いから毎朝、岡山の町を一人で歩いた。(後楽園には三度行った)早朝にもかかわらず各県の異なったユニフォームを着た人たちと出会った。すれ違う時におはようございますと声を掛け合い、町の人たちも同様に私たちに声をかけてくれた。この大会の本来の意義はこの辺にあるんだと再確認、正直疲れたけれども言葉では言い表せない充実感を感じた6日間であった。皆さん お疲れでした。

275:しくみ

普段感じなかったことを目に付くことがある。足下を見ないで上ばかり見ている。私の場合は往々にしてその傾向が強い。言葉の綾とでも言うのか常に前向きというと聞こえが良い。だが途中で息切れすると「ホラ 言った通りじゃないか」とシッペ返しを受ける。この辺で少し方向転換を考えてみようかと思っても出来やしない。自分が一番知っているから始末が悪い。人間の思考は、過去、経験、知識、に左右されるという。逆に未来、未経験、無知の中に新たな発想が生まれる土壌がある。ベンチャー企業が今風にいえば経済再生の突破口と言われ先日の新聞に全国の大学でベンチャー事業を起業する順位がのっていた。それを見ると所謂偏差値が高い順番にはなっていない。偏差値重視の大学教育に時代に乗り切れない何かがあるということだろう。栃木県の那須にある単科大学の就職率が全国でトップだという。学生が新幹線通学していることで一時有名になった大学だ。地方大学は今生徒募集に躍起になっている。四国の私学は全員入学と聞いた。定員割れはかなりの数に上っている。
 仕組みが確実に変わった。福祉業界も当然、その変化の中にある。介護保険事業所では、食事一つをとってみても利用者負担の金額で献立メニューが変わる。冷凍食品中心から厳選された食材を使っての選択メニューという幅である。障害福祉施設もそうなるのか?年金を多く持っている人はヘルパー同伴で海外旅行。何か変だ!
 同一処遇というのも疑問がある。サービスの個別化が主流になり、契約制度という仕組みの中で、施設間格差が大きくなってきた。この流れに逆らうには相当の覚悟と自己責任が必要だ。岡山で感じたことをメモした。

276:冠婚葬祭

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10月11月はお祝い事が重なる。結婚式が二件と寺の落慶式が三件である。友引は全て埋まった。いつの頃からなのだろうかこれらの風習が根付いてきたのは?
 それに墓石の開眼も三件と更に重なった。いずれにしても業者の関わりの中でエスカレートしてきたといって良い。私の場合は法事も重なる。頭が混乱して今話すべきことはなんだっけ。「本日はご多忙な所をご参列いただき誠に有りがたく・・・」とか「秋晴れのこの良き日にめでたく一周忌を・・・・」という失態を起こさないという確約が持てない。結婚式などで挨拶は宴が始まる前の酒が入っていないとき、アルコールが回っていれば誰も殆ど聞いていないから問題はない。これがストレスになる。昨日良い話を聞いた。STRESS(ストレス)はそれぞれの字に意味を持たせる。S=スポーツ(運動)、T=トラベル(旅)、R=レクレーション、E=イート(食)、S=スキンシップ&スマイル(ふれあい&笑み)。これによってストレスを解消しようという。話変わるが、今、老人医療における予防医学というものが重視されている。寝たきりにならないためにどうするか、結果として医療費の抑制に貢献しようというものだ。果たして上手くいくかな?医療費そのものが社会保障費の中で占める割合が増えたのは病院やお医者さんが儲けたいと思うからでしょうが。そのところをどう考えるかですよ。チベットみたいに坊さんが医者を兼ねたらどうなるかな・・・・・。
 今、冠婚葬祭の業界は価格破壊現象が起こっている。葬儀一式30万、棺桶:位牌:清宴30名分含む御納得の価格。こんな広告見たことあるでしょう。坊さんだってそうなです。全国展開している葬祭業者は宗派毎に僧侶を雇っているという。これあくまでも噂ですよ。????。今年の夏に厚労省が発表したことで、人口の減少が始まったという。少し予想より早まったんだ。当然、その動きに反応している人はいる。墓石業界は今、形のオリジナル化がものすごい。一つとして同じ形の墓石がないくらい。そしてお寺さん、合葬墓地や無縁墓地が流行っている。これはお墓を守る子供がいなくなることへの予防対策?
 景気が4期連続で前年度比較で上昇したとも報道された。私は妙な趣味があるんです。良く東京に行くんですが電車の中はやることないから、クレーンの数を数えるんです。工事中の現場には必ずクレーンがあるから、確かにここのところ増えている、土浦から上野までの期間、3年前にはせいぜいクレーンの数が10本から多くて20本、最近は常磐線の片側だけで、40本を超える。これだけ建築中の建物が増えたということ。景気が良いのか。
 しかし、怖いこともある。今、私の住む神立はアパート建築ラッシュ。築10年アパートは閑散としている。建築費を全て自己資金で賄った方はほとんどいないから、20年〜30年で返済計画を立てた人は大変だ。返済前に建て替えることになりかねない。この辺の仕組みを今の時代自己責任としてガードするにはリスクが多すぎる。
冠婚葬祭の話がどこで間違ったのか脱線してしまった。

277:同時間に3件法事

おいおい、どうすんだよ、同じ時間に法事3件も受けちゃって! あーん?ありゃー気づいたのが昨日だった。私の愛用の電子手帳には10時:11時:12時ときちんと時間が明示されている。どこでどうなったのか?世界不思議発見。お互いの思いこみが一番の原因、実は良くあること。何しろ法事なんて1ヶ月2ヶ月前に頼まれる。それも口頭とか電話がほとんどだ。その間には葬儀が入り、他の用事が入る。予約を最優先しているのだが、時にはこのようなブッキングになる。今日は朝から頭を下げっぱなし。ストレス貯まるわなー。「押さえて押さえて、元はお前が悪い」お寺なんか零細企業だ、受付もいなければ接待もいない。都会のお寺さんは業者を頼む。だからサービスにぬかりはないがその費用が檀家さんの負担になるんだけどね。実は今日どのようにくりぬけたかというと、前後の法事を15分早めたり遅くしたのでした。お茶の時間の調整ですね。でも檀家さんも大変だよ、清宴の予約変更は日曜日でできない。中には長野からくる方もいた。お互い思うようにいかねーもんだ。実はこれも全て岡山大会が悪いんだ。そうだ、何せ5泊6日の缶詰だよ。80名茨城選手団の団長が今回坊さんだったのがまずかったわ。葬儀が入り、すったもんだ。帰りたいけど帰れない。更に運悪く私の部屋は携帯が圏外になる。窓が無い部屋なんだよね。連絡取るのに苦労したわ。ほんと坊さんもストレス貯まる。カーツ!

278:アンケート回答

例年11月にはアンケートを全職員に書いてもらう。今年も全員に回答を書いている。集中して書く時間が持てないので数人ずつ返事を書くのだが人様々だなー。特に最近の世相を反映してか、正直これは即イタダキというようなすごい内容は少ない。これは尚恵学園だけの問題でじゃないな。日本人全てに通ずるもののようだ、先行き不安や現状をどうすれば良いのか分からないのだ。袋小路に入ったような思いの人が多いのだろう。マスコミでは疑いたくなるような事件が毎日報道される。自分たちの足元を見回しても倒産やリストラといった憂うべく実態ばかりがある。国内の10月の中小企業倒産件数が800件を越し、前年度比較で23%増加というニュースを聞いた。私が知っている工事会社が数億の負債を抱えて先月倒産したばかり。社長は威勢が良かった人だ。元気を出せといってもでやしない。福祉業界も今病んでいる。表面的には老人福祉分野の成長は誰がみてもすごいと思うだろう。町には○○デイセンターなどといった看板を付けたワゴン車に何台もでくわす。私は今シルバー産業バブルだと思う。長続きするはずがない。いくら利用者負担を増額しても、利用経費の半分にはほど遠い、その不足分を税金で賄うのだから社会保障費はウナギのぼり。北欧みたいに国民的同意が得られればそれも良いだろう。しかし、どうかな?
 障害者福祉も全く同じ道を歩もうとしている。しかし、対象者は老人と比べれば少数派、だから、目だたないがお金の出る仕組みは似通っている。自立支援法になって施設関係者は皆、先行きに不安をもっている。利用する人がいるのに、事業を継続することができない事態が来るのではないのかという心配だ。
 話は元にもどす。80名の職員の意見に目を通すのは実は大変な労力を要する。自分に直接関係する職場からの意見だから、要望もバラバラ、全体的な経営や運営を考えている者は非常に少ない。これは仕様がないことかもしれない。ここ数年 少ない人数の創意工夫でどれだけできるかを努力目標に掲げてやってきた。その間 いくつかのアイデが出された。それを取り入れてみたが、継続させることは非常に難しい。良いアイデアが仲間に広がらない。広がるような仕組みができていないことが一番の理由。主任とか担当者の会議は限られた時間だがやっている。いくら時間をかけても良いというわけでもないから、回数と時間を以前と比べて半分ぐらいにした。理事長との個人面接も全員にできないことで不公平感が出たので今は止めている。
 特に言いたいことがある人は直接言ってくるし、メールなどで意見交換はしている。
 今、日本中で誰一人として、不安なく安心して生活できている人はいない。何故だろうか?当たり前の事なのだが、一度良い思いをしてしまった人間は逆境になると耐性が弱まっているから自力で立ち上がるのが大変だ。

279:福祉と医療の狭間

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今、利用者の状態が福祉か医療かという判断で迷う。ある利用者が長期入院で治療が進み、思いのほか回復力が強かった。それは本人のがんばりが一番、それに熱心な医療スタッフと我が職員の励ましと見回り、記録には表れない所での支えがあったればこそである。今、尚恵より匙を投げられれば途方に暮れる家族。その心の内が手に取るように分かるから関係者は悩んでいる。本人にとって何が一番良いのか、様々な要因が絡み、簡単に結論づけない状況がある。治療による回復が良くて、これ以上入院して治療を行う必要がないと病院から説明を受けたから、今、内部で受け入れの検討をしている。設備、人的体制、いずれも施設での受け入れ条件は病院より悪い。今すぐにそれらを用意できますと言えない事情も関係者の誰もが分かっている。予測できたことじゃないか!何故今まで放置しておいたのか!という自らに問うもう一人の自分がいる。そうじゃないといくら否定しても言い訳でしかない。誰に言われることもなく分かっていること。福祉と医療の連携、更には地域でのサポート、できてないなー!施設に任せっきりだから、いざというときに困ってしまう。これは我々施設の側にも問題あり。大分、以前に安全衛生委員会というものを親と学園で作った。感染症が流行ったり、成人施設を新設する時に話し合った。学園を利用する家族も一緒になって何ができるのかを考えていこうというものだ。11月20日、日本福祉協会の大島常務を講師に迎え自立支援法について家族会の中で講演してもらう。任せっきりの家族の多い中で、利用者の立場や家族の役割を話してもらう。家族も様々である。在宅サービスを始めて、その辺の違いを痛切に感じる。在家庭で見られないから預かる施設。児童から成人そしてGHとライフステージに合わせた事業を整備してきた。この歩みは様々な事があって正直簡単には言い尽くせない50年の歩みである。いくら良かれと思って新たな事業を始めても直ぐに異なるニーズが生まれてくる。全くの追いかけっこ。際限なし、節目節目に訪れる、家族との話合20日の講演会の後に安全衛生委員会を開催することにした。

280:自立支援法は悪法?

昨日、日本福祉協会の大島常務が家族会の研修に来てくれて、「自立支援法」についての講演をしてもらった。膨大な資料に書かれたものの裏に意味するものを分かりやすく説明してくれた。でも大半の親はどうだっただろう。始めて聞いた内容なのかチンプンカンプンの親が多かった様子。しかし、誰もが制度が大きく変わるだろうということは実感したようだ。話が終わり、質問の時間になってそれぞれの親たちの顔を見てそう感じた。何人かの親から質問が出る。自己負担の割合やいつまで学園にいられるのかが関心事。事業所の立場では、状況が今まで以上に厳しくなる。収入の減は明白、事務的手続きが煩雑になり、今まで以上に現場での事務量が増える。今だってケース記録を書く時間確保ができないのに・・・・・・・・といった印象は研修に同席した職員の反応。
 簡単に言えば措置時代は人間に金が付いてきた。これからは人間ではなく事業(サービス)にお金が付いてくる時代。何もしなければ確実に収入は減額、事業としての発展は望めないし存続にも赤信号だ。今回の改革が悪法といわれる一つだが入院した場合に施設に殆どお金が来なくなるということだ。今は8割の費用が施設にくる。この範囲で見回りや職員の確保ができる。今後はどうなのか?全く施設側に費用が来ないとどうなるか。入院と同時に契約解除という施設が必ずでてくる。収入の不足分はショートステイ受け入れで対応したらという厚生労働省の考えのようだが、現場はそんな机上の計画通りにはいかない。尚恵学園としても前記(NO:279)の安全衛生委員会を開催して、想定される事態への対応策を練る必要が迫った。国会で法律を通す条件に付帯決議が10項目ぐらい付いていたという。国の考えでは法律を通してから細部にわたっての検討はその後なされると聞いている。しかし、法律となってしまった以上、大きく変化を望むことは無理だというのが一般常識。そうなると新しい制度の中でいかにすれば経営が出来るかを考えなければならない。経費の節減は当然、費用対効果を計りながら、サービスを落とさず、利用者の満足度を確保する。ここにトップの能力が試される。煽てられているのか脅されているのかわかんない。ああーーアラビアン ナイト 否 シンドだー。