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(No:281〜     )

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
281 Iさん絵画個展 11/22 286 体調とのつき合い 12/9
282 東京葬儀事情 11/26 287 押し戻せ 12/12
283 師走に思うこと 12/1 288 議員会館 12/15
284 ナイスハート2005 12/6 289 2代目会 12/17
285 何が大切か 12/7 290 実地検査 12/20

281:Iさん絵画個展

上記の絵が糸賀さんの描かれたものです。題名は『クマとうさぎ』11月19日から24日まで土浦市小松の夢茶詩館にて絵画展を開催中。彼女の絵による変化は絵画教室の安部田先生が一番ご存じ、園での生活が長くて寮ではお姉さん、彼女の初期の絵と今の絵を比べれば一目瞭然、彩色も多彩になり、彼女の絵には物語を感じるから不思議だ。皆さんも機会があったら、どうぞ見に来てください。
 毎週、金曜日に尚恵学園にて開催している絵画教室、在宅の方が通ってきています。今までにもつくば市のギャラリーで全員展を開催したり、メンバーのSさんはベルギーにて個展を開催して家族と共にベルギーまで行ってきました。アートセラピーというものがあります。キャンパスに自分の気持ちを自由に表現することで、内的変化をとげる。更にエンパワーメントという考え方がありますが、本来その方が持っている力を出しやすい方法で表現する支援技術。自己主張が苦手な方は絵画や焼き物などを通して驚くほどの個性を発揮することがあります。自分が描いた作品が展示され、一般の人が見てくれる。それが本人の自信になり、見る人へも何らかのパワーと感動を与える。この相互交流にこそ主眼があると私は思っている。初代理事長は良く利両者さんの描いた絵をみて「この紫の色が気になるな!」とか言っていた。色の使い方で心理分析をやっていたようだ。私はそこまでの能力はない。ただ、糸賀さんの生活の中でほんの僅かでも良いから喜びと潤いを感じてもらえれば良いんだ。
 先代だったら多分「クマ」はお父さん、「うさぎ」は自分だなー。可愛い洋服きて、お父さんと一緒、これ彼女の願なんだよなー!・・・・・とか解説するかも。
 実はそのお父さんはもう亡くなって今はいない。
 施設職員にとって、日常の支援に追われ、利用者さんの気持ちを理解する触れあいはなかなか持てない。集団の中の個という条件では望むことも正直できない。だからこそ、彼女が何日もかかって描いた絵を通じて、何かを想像し内なる心を掴もうとする姿勢は大切だろうと思う。

282:東京葬儀事情

昨夜は親戚に不幸があり、東京の斎場での通夜に行った。駅から徒歩5分、田舎と異なり、弔問客は大半が電車で来る。その想定によって作られた3階建てのホールであった。水戸での会議が終わってから直接私は車で向かった。途中、サービスエリアで喪服に着替えた。幸い駅前駐車場に一台だけ停める空きがあったので、そこに停めて向かう。下町の雰囲気が残っている商店街を通り、電話で確認しておいた通り、五分で斎場が見つかった。確かに車で来る客は想定外、1階で記帳し、2階にあがると清宴会場、3階が葬儀会場になっている。弔問する数で調整するのだろうが昨夜は客が多かった。エレベーターはあるが、焼香は1階から3階までの階段を並んで行われた。2階には通夜の状況がテレビモニターで放映され、焼香を終えた客はモニターを見ながら通夜振る舞いを頂いて、帰っていく。ベルトコンベアーに乗せられたという感じ。
 大分田舎とは葬儀のやり方が違うな。
 お寺さんの読経が終わってから法話があり、約1時間の通夜が終え、帰りは高速でスムーズに家路についた。まー、大都会で自宅葬儀を行う方は殆どいない。まず、できないだろう。ホールに向かう商店街の通りにお墓があった。商売柄すぐに目に付くから不思議だ。40坪ぐらいのお墓、周囲は飲み屋や八百屋さん。賑やかなお墓だ。こんな場所に眠って落ち着くものかどうか?下町の生活全てが混在する、駅から5分の風景であった。

283:師走に思うこと

今年は暖冬とかで境内の銀杏やモミジの葉色もまだ完全に紅葉していない。しかし、世界的には北極海の大寒気団がヨーロッパやシベリアを襲い、寒波騒ぎ。地球を取り巻く自然環境は果たしてどうなっているのか?
 昨日の夜半だっった。広島の幼児殺害の容疑者が捕まった。死体遺棄現場から100メートルしか離れていないアパートにすむ日系3世のペルー人。国には2人の子と奥さんがいるという。日本に出稼ぎに来ていたようだ。まだはっきりとした事件内容は判明していない。しかし、状況を察するに日本で職を探し、国に仕送りするという外国人労働者がかなりの数日本にはいる。私の住む神立にもブラジル系やアジア系の人たちが多く住んでいる。
 地元の小学校には外国人クラスもある位だ。私の寺でも何件か法事を頼まれたことがあり、上手く言葉が通じない人の葬儀も頼まれて行った。日本もグローバル化した。東京など大都市だけかと思っていたのは、遠い昔の話。
 今回の事件は真面目に働いている多くの外国人の人たちには迷惑な話。周囲の目が今まで以上に厳しくなるのは確実。同じ日にテレビ報道で土浦のバッテングセンターでの従業員が殺されたという事件があった。まだ、犯人は捕まっていない。
 今日から12月、平成17年も後残り30日あまり。師走になって世の中がせわしくなり、1年間の様々な出来事が凝集されて現れてくる。おめでたい事やほのぼのとした事が形を潜め、話題性の高い、悲惨な事件が記憶に残る。確実に年を重ね、体力には自分なりに日頃から注意はしているつもりだが若い時に比べれば確実に落ちてきた。そのような時に「サクセスフル エイジング」という言葉を知った。要は成功に満ちた年の取り方だという。何が成功かといえば、貨幣的成功の意味ではないということ。成金主義の日本人への警鐘。事業に成功したからそれでOKか!そんなことをいっているのではない。2日前の国会の証人尋問を見れば一目瞭然、K建設という地方ではトップ企業を50年で築いた社長の姿、数日前に会社更生法の申請を行い、今は哀れな姿がテレビ画面に映し出された。自分が苦労して築いた会社が脆くも崩れたことを目を潤ませて話していた。
 私は思う。何がこうさせるのか?私は感じる。何をもって良しとするのか?私は信じる。自分を太らせる営みは病を醸成することはあっても決して健康体ではない。これって、環境破壊に正に通じる真理。
 

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284:ナイスハートフェステバル2005

障害者週間の12月3日(土)県立文化センター大ホールをメイン会場として催しが開催された。例年になく多くの参加者が集う。私は実行委員長という大役を任された。どうも気が小さい私には荷が正直重かった。文化祭には橋本知事を始め、多くの来賓者が来てくれた。日程の関係で10時前の開会セレモニー1700名入る、県内随一の大ホールには観客が集まらない。県内各地から障害者が集まるには所詮無理なこと。結果として午前午後と観客を入れ替えるまでの参加者が集うのだが、どうも朝一番はスムーズに流れない。これは開催前から予測できた事態。17の団体の出し物(上記写真)舞台裏はてんてこ舞い。なにせ車いすの参加者がステージに登るにはバリアフリーになっていないから時間がかかる。分刻みの出演者には堪える裏事情。今回分かったことは、出演団体が身障関係が年々減少していること。施設より在宅(NPOなど)の出演希望が多くなったこと。これは同時開催している作品販売店にも同様の傾向が見えた。このイベントには裏方としてVSを含め各施設から職員を含め300名ぐらいの影で支える人たちがいる。駐車場係だけでも20名ぐらい朝から終了まで鼻水を流しながら支えてくれている。
 反省点を私の所に直接言ってきた方もあった。参加者からの不平も聞いた。今年は12回目である。
 作品展では知事賞や各種団体会長賞が決められ、開会式でその方達一人一人に表彰状が渡された。自分の子供の作品の前で知事と一緒に写真を撮っていたご両親の顔が印象的だった。制作した本人は重度の身体障害者で電動車いすの方だった。
 翌日、知事とお会いする機会があったので、その話が出た。習字の作品をとても感心された様子だった。県庁に展示できませんか?と私が話すと直ぐに部長さんを呼び、県庁11Fにできないか検討しなさいと指示された。
 私はお世辞抜きで感心しているのは、橋本知事の即決判断である。それに応える部局担当者も大変だろうな。
 障害者自立支援法が決まった。5日に全国関係所管課長会議が国であった。その具体的内容が我々事業所に伝えられることだろう。今、地方の時代、少なくとも現場の生の声が通り、全てが出来なくとも取り上げて頂けるだけでも励みとなる。茨城の福祉は決して全国的には誇れない。その事を知っている人が愚痴を言うだけで動かないのではこの先何も変わらない。そう思いませんか!

285:何が大切か

県庁に用事があって出向く。県庁は25F笠原の大地にそそり立つ。障害福祉課は13F。11Fが吹き抜けになっていて喫茶コーナーや展示コーナーがある。直ぐに目に飛び込んできた。展示コーナーに先日の障害者文化祭(NO:284)の作品展での入賞作品が展示されていた。私は行政と一般人の関係で何が必要なのかという答えを垣間見る思いがした。何故か。良いと思ったことを待たずに即対応する形をみた。多分、知事からの指示があったのだろうと想像した。今の時代、小さな政府とか民間で出来ることは民間でという謳い文句は巷に溢れている。小さな行政でサービスが低下しては元の木阿弥、何が大切か! 言えば響く関係とでもいうのか。どうしても手続きばかり面倒になり、1年先の準備を今やっているのが行政。福祉や医療は待ったが効かない。マニュアルを作り、ミスのないようにと配慮するのは分からないでもない。しかし、本来の姿はどこか違った所にあるんじゃないのと私は言いたい。先日の特別支援教育推進会議での私の発言も実はここにある。(どうしてもこの話になるのは、自分が消化不良で納得していないからだ)多分、委員の大多数は何を粋がったこと言うんだろうと感じたに違いない。「昔と何も変わっていない・・・今、施設は解体するという流れ、養護学校が枠の中でいくら努力しても所詮云々・・・・」の真意は利用者が望むサービスは二の次で学校側の考えが最優先されていると正直感じたからだ。あのとき父兄の代表の方が意見を述べた。「インクルージュン」という言葉の意味を、これとてどのように受け止められたか。依然として特殊教育の土壌は変わっていないな。第3者の意見が反映されることがない。国の示した要項に沿った組織をいくらつくっても茨城の実態に応じた仕組みにはならない。
 話が横にそれてしまった。とにかく、昨日の今日!県の対応に感激した。(証拠写真へ

286:体調とのつき合い方

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人間半世紀も生きてくると部品が傷んでくるんですね。私の場合は頸椎ヘルニアというものがあるんですが、これが結構やっかいなものです。自分の体調やらその日の気温、ストレスなどによって毎日変化するようなんですね専門の病院には罹ってはいるのですが、所見がですね、骨の老化によるものですね???。と最初に言われたんです。なーーんだそうか、年取れば仕様がないのか。最初はほっとした気分になったものですが、しびれやめまいなど一生これからつき合うのかと考えると憂鬱になるんです。手術とまでいかないようなんですが、その判断もいずれするほかないかも。結構周りに同じ病気で悩んでいる人がいる。時々、違う用事にかこつけて症状を聞いている。
 体はもの凄い数の細胞で出来ている。だから、突如として自分の体に変調をきたすことがある。健康診断などで全く予想もしていない病気が発見される場合もある。しかし、これは見つかって良かったと考えるべきだ。本来どこかに病巣がある。気が付かない。見つからないだけなんだ。一病息災ということがあるが、一つの病気というわけでは実際はないはずだ。だって、細胞でつながっているんだから。日本人の平均寿命が女性は85歳、男性も80歳になるという。世界一の長寿国。一億3千万の半数ぐらいは病院の世話になっているかもしれない。
 そこで私は今こう考えるようにしている。病気を治すということも大切だが、その病気と上手くつき合っていくことだと。人生は問題解決の過程だと言った人がいる。まさにそうだと思う。外科的手術で切除する方法もあるだろう。しかし、本当に難しいのは自分の人生を如何に豊かに生き抜くことができるかである。馬車馬の如く前を向いてひたすら走る。これは正直無理だし遠慮したい。しかし、何もやることが無くてボーとして毎日過ごす生き方も嫌だ。そこで私が今考えているのは、気温が温暖で自然豊かなところで畑でも作りながら自叙伝でも書いてのんびり過ごすことだ。出来れば外国が良い。電話がかかってきても直ぐに戻れない所が条件だ。それまでに次の人を育て、勇退するんだ。
いつの日かこのような夢がかなえるように。今は自分の体と上手くつき合うほかないわな。
 ペナンも良かった。パースもいいだろうな。いや、八ヶ岳だっていいぞー。

287:押し戻せ

へこたれるな!押し戻せ!いけーいけー!
何を粋がっているんだろうか?今日の私の心の状態である。寒くなってきた。ぎっくり腰が良くなって来た。私の休日は無いのだ。午後の時間近くの公園を歩いた。1週約6分。7週した。野球場が2面取れる広い公園。私が完全武装で歩き始めると芝生に座ってお年寄りが4人私をじっと見ている。気にしないで手を振り上げて歩いているとその4人の視線を感じた。「何をそんなに無理して歩かなくてもいいべなー」とか話している。新聞を敷いて缶ビールを飲みながら私を見ている。自転車で来ている風だった。何してんだろう?暇なんだろうな!と今度はお返しで私が観察。
真っ黒に日焼けした顔、毎日来てるんだろうか。年齢は多分75歳ぐらいの4人だ。約40分歩いているといつの間にかどこかにいなくなってしまった。昨夜は43歳の若さで急死したドクターの通夜に参列。尚恵の利用者さんが随分お世話になった先生。良い先生だった。それが突然死、子供さんも小さくて見ていられなかった。血液内科が専門で決して医者ぶらない先生だった。多くの参列者が来ていた。
 そして今朝、いつものおばあちゃんが乳母車を押してもの凄い早足でおじいちゃんの眠るお墓参りに来るのとすれ違った。毎日決まった場所で乳母車に腰掛けて休憩してまた歩き出す。おじいちゃんが亡くなってからずっと続けているそうだ。
 テレビをかけると京都での塾生の痛ましい殺傷事件のニュース。世の中何がなんだか分からない。そのような中で今日、公園の芝生に仰向けに寝て思った。30年前にもこの場所で同じように寝そべって空を見ていた事を。時間が確実に流れていく。しかし、人間の内面の変化は微々たるもの。雑感

288:議員会館

国会議員会館に行くことになった。このたびの保険業法の改正によって知的障害者互助会の存続が危ぶまれる事態になったからである。茨城県は互助会を発足してまだ1年半、関東地区では一番後に始まった。現在会員2200名、これは知的に障害がある方が一般の生命保険などには加入が難しく、入院した場合など、個室料や付き添い費用を皆で積み立てて助成しようという互助会である。何しろ、知的に障害がある人たちが病院に入院するとなると個室でないと無理で更に付き添いが条件付けられるケースが殆ど、既に全国でこの種の互助会は作られており、群馬や栃木の仲間から急かされて茨城でも昨年作られた。それが1年半足らずで存続危機となってしまった。国も弱者をいじめるのか!先月全国互助会の関係者が集まって気勢をあげた。そして、今回各県から出ている先生方に要望書を届けるという事になった次第。久しぶりに国会議事堂前の地下鉄駅を出た。目に付くのは都心にしては整然と立ち並ぶビル、全てが議員さん関連の施設。警察官が10メートル間隔で警備している。警備中の一人に尋ねた。「あのー衆議院議員第1会館はどこですか?」「はっ・・!そこであります」目の前だった。事務局長と二人で茨城県出身の14名全員の先生方に要望書を渡し説明することになる。受付で面会の申し込み用紙に記入、金属探知器で持ち物をチェックされエレベーターで各部屋に向かう。廊下ですれ違うバッチを付けた先生、有名な竹中先生の隣の部屋が一番目の訪問先だった。へー田舎者にはたまらねーや。昼飯は議員会館の地下食堂で890円の竹定食を二人で食べた。横には今回初当選した都知事さんの息子さんが同じ物を食べている。なるほどね!
 各先生方の事務所の中は様々、なるほどなるほど!昔ほど陳情団は少なくなったという。それでもお上りさんみたいな方達がひっきりなしに行き交う。なるほどねーこうなっているんだ。
 俺は何しに来たんだっけ?全く忘れていた。
 私は途中で他の用事があったので事務局長に頼んで一人先に会館を後にした。ああー疲れた。

289:2代目会

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ある会合に話を頼まれた。前日まで忘れていたから下準備は全くやっていなかった。いつものように口からデマカセを1時間おしゃべりすればいいか!地元事業者の2代目の勉強会だった。大半の人を私は知らない。作務衣を着て、パソコン持参で登場までは良かった。しかし、話の中身といえば全く準備無し。30名ぐらい集まっていたかな。
2代目は大変だよという話に持っていきたかった。しかし、その日は朝からテレビに釘付け、マンション建築絡みの国会証人喚問を見っぱなし。頭はボーとして回転が悪い。題目は一応「2区のたすきをどうつなぐ!」と前日に事務局に話しておいた。結局は自分の経験を話す羽目になった。創設の父親が亡くなり、今、何を支えにしているかと言えば生前父が書いた本である云々・・・だから親父に何か書いておいてもらった方が良いよ。徳川幕府15人の将軍で一番長かったのは11代将軍家斉で50年、一番短かったのは15代将軍慶喜で1年などを思いつくまま前後つながり無しに話した。守成と創設はどちらが大変か?など自分なりの考えを披露。あっという間に予定の1時間が過ぎた。神立もご多分に漏れず、駅前商店街はシャッターがしまっている。活気がない。郊外型の大型ショッピングセンターの計画もあって弱肉強食の凄まじい競争が繰り広げられている。2代目は実に大変だとつくづく感じる。最後にサクセスフル エイジングについてちょっとだけ話す。心豊かに(美しく)老いることが重要だと思っているんだよなんてね。商売柄、人の死に立ち会う機会が多い。この仏さんはどんな人生を送ったんだろうな!といつも思いながら経を読んでいることなど。ある方が言っていた。「今、景気回復よりも、もっともっと大切なことがある。こころの回復だよね」「その通り」最近の様々な事件報道を見ていると正直誰しもそう感じている。しかし、どこからどうやって良いのか誰も分からない。この思考麻痺?は厄介だよ。まー平和ボケが長すぎたかな。
 自分より若い人と話すと、自分が忘れていたことに気づかされることがある。それは何だろう。格好付ければ未知へのチャレンジ精神とでも言うかなー。どうも守りに入ってしまっている自分には良いアイデアが浮かばない。60歳を過ぎてエベレスト登頂に成功した三浦氏は私の反面教師。ああ有りたいとは思うのだが、漸く良くなったぎっくり腰が恨めしい。

290:実地検査

第1日目3名、2日目は5名が県から来て実地検査を実施した。1年前の平成16年度分であるから正直忘れてしまったこともある。今、2日目の監査が終わり、講評を受けて、主任者会議にて指摘された点の対応について話し合った。
 反省しきり、誰が悪いとかという問題ではなく、うっかり忘れたという類だと思っている。しかし、公共事業故にうっかり忘れましたでは済まされない。そこで大いに反省してもらうわけだが、結局の所理事長である私が一番反省しなければならないということにいつでもなる。私の性格がどうも忘れっぽい、細かいことには気にしない、即決主義というどうも地道に積み重ねていく作業には不向きなのだろうと自省する。毎回反省ばかりしている。一方職員は良くやっていると思っている。ごまかしたりポケットに入れたりすることはないから、監査を受けていても正直びくびくしたことはない。
 多少ビクビクしたほうがいいのだろうな!2日間とも朝一番に雷を落とした。最初に私と顔を合わせた職員は良い迷惑だった。掃除していない。準備がダメと怒鳴ってしまった。
 雑巾を絞って玄関を掃除している理事長をどう受け止める?これ偽らざる現実。利用者に言われた「何で珍しく掃除なんかぶっぱじめちゃってよ。おーヤダヤダ」ときた。それもそうだな。彼らは本当に良く見ているよな。
 さてと、マニュアル中心主義に対して多少なるずとも反発を持っている。個別対応が原則の福祉の仕事にマニュアルは馴染まないという持論だ。しかし、今日そのことへの反省しきり。職員一人一人の対応がズレてくる弊害があるからだ。少し考えるしかないかと思っている。
 それに私の一番の責任は事業を急激に拡大したことにある。私の言い分は必要に迫られてということだが、職員に周知徹底できない中で事業スタートしたからだ。定款変更について指摘された。建物の資産登記がされていないと言われた。分かっていたことだが、正直土地の登記だけで1年半も県と書類の往復をしていたものだから、建物の登記まで間に合わなかった。巷では建築確認承認のスピード化ということで承認機関を民間に委託したことで偉い大騒ぎになっている。でも、机に積まれている時間が長くて事務処理に時間がかかりすぎるのも困ってしまう。毎年新たな事業を興したものだから、今回のような事態を招く。
責任は私にある。例の事件と違うのはそこだ。責任は私だ。
 また、指摘事項が全くないという法人も?。そんなはずないじゃないか!と言いたくなる。どこ調べているのよ、ホントに。 でも良かった。無事終わって。皆さんご苦労様でした。感謝してます。