源究 4

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2003:12/17〜

源究1   独り言
源究オンパレード
No66〜No72
66.リスクへの対応
67.落ち着きましたか?
68.朝一番の電話
69.三人三様12/28
70.予感12/30
71.仏陀のおしえ@1/3
72.仏陀のおしえA1/9

66.リスクへの対応
リスクはいつどこから発生するか分からない。予防出来るものと予測出来ないことがある。尚恵学園の利用者は
自ら危険回避する能力は非常に弱いと言って良い。だからもし事故が起こった時に仕方がないでは済まない。
 とにかく至る所リスクがある。今、奮闘していることは風邪との対応である。毎年同じ事が繰り返されている。防げないのか!経験を生かせないのは何故か!様々な意見はあるでしょう。しかし、現実にはどうすることもできない。頭を悩ませる。入院患者が出るとこれまた施設の日課は狂ってしまう。職員の数にも限りがある。世の中に矛盾は付き物。
利用者が体調を崩せば家族がそれを見守る。これ常識。しかし、否、全くそのようには行かない世界がある。
リスクマネージメントというものがやたらと羽振りをきかしている。
日頃の準備が大切、マニュアルにそった対応。しかし、言うは易すし行うは難しである。
私はこの業界に入ってもう32年になる。先程の風邪インフルエンザなどなど毎年繰り返してきた。
何か良い方法はないでしょうか?教えて頂けるのならばどこまでも教えをこいに行く。どうも後手後手の対応。
生きると言うことは思うようにいかない。当に、仏教の言う四苦八苦の世界!もがき苦しみ冷や汗かいて歩むことしか出来ない。それでいいのですか?

67.落ち着きましたか?

Nさん落ち着きましたか?正直言ってまたいつどこかに行ってしまうのかとハラハラドキドキでした。Nさんは入所した時から「俺はここは嫌だ!」と言っていましたね。そんなに嫌ならどうすれば良いのか。話したよね。そして1ヶ月も経たない内にNさんはどこかに行ってしまったんだよね。探したよ。福島県警にまで連絡をとったんだから。2ヶ月ぐらい帰って来なかった。それが、ある日水戸駅の交番から電話が入った。「尚恵学園に電話をして欲しいと言っているひとがいますから迎えに来てくれますか?」早速迎えに行ったんだっけ。そして私と二人きりで話したんだよな。そして、お寺の掃除をしてくれるようになった。朝もとても早くから庭掃きしてくれる。感謝している。3度ほど一緒に飲み屋に行ったね。驚いたよ。酒がとても強くて、うち解けて話せるようになった。それからかなNさんは私の姿を見ると声掛けてくれるようになった。
わずかだけど給料も払うようになった。Nさんは「俺こんな仕事でお金もらえないよ」とか言って、それでも嬉しそうだった。そして、近くの店でハサミを買ってきて植木の剪定までやってくれる。とても助かるな!
今度どこに行きたいと聞いたら『寿司屋』とはっきり言った。約束だ。晦日までにはSさんを一緒に誘ってまた行かなくちゃ。それから、もうしばらくどこにも出なくなった。土浦に散髪に行っても帰ってくる。心配しなくなった。
いずれまたブラリとどこかに行くのかもしれない。気ままな性格だもの。ふうてんの寅さんみたいな人だ。

68.朝一番の電話

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朝6時頃電話が鳴る。ここのところ頻繁だ。パン工房への電話なのだが、正直また何かあったかな?と考えてしまう。
電話の主は二人、最初はいつものことだが「今日仕事に行かなくても良いですか?・・・・」という内容。次の主は、その電話を側で聞いていた人がかけてくる。「ぼくも・・・・・・・」殆ど毎日だから参ってしまう。「いいかげんにしろよ」といいたいのだがそんなことを言ったら大変。後が怖ーい!
 私は現在53歳,年相応と言われればそれまでだがどうも夜中にトイレに行きたくなる。寒いのに嫌だ。でも仕方がない。
だからグッスリ眠ったという感覚はここのところ余りない。それも自分が悪いのは承知している。朝方3時ごろより起き出してはNHKラジオを聞いているからだ。
 今これだもの後10歳年取ったらどうなるのか、多分昼間は寝ていて夜中は起きているかもしれない。
昼間は大勢スタッフがいる。夜中は夜勤者がそれぞれの寮に泊まっているだけ。6人だけではいざという時にはどうしようもない。このプレッシャーはとてつもなく重い。分かるかな?わかんねーだろうな!

69.3人3様

28日、Nさん、DさんそしてSさん3人と連れだって寿司屋で忘年会、結局私が車で送り迎えすることになった。約束だから仕方がない。Sさんはグループホームの方、多分忘れているなと思ったがとんだこと!夕飯食べずに待っていた。4人で近くの寿司屋に入った。これがまた話がかみ合わず。みな好きなことばかり言い始めた。Dさんは今日弟に会いに行ってきたことの報告。『ねね・・・てんだ。ゴローとして。何も・・・・・くわねーんだ。ぁりゃー駄目だ』と病気で末期状態の弟の報告。「そうか、ねてるんか」 すると、Nさんが『わたくし31日にお兄さんが迎えにくるんでごわす。お墓参りに行って、ふん、きれいな墓でした。今度来てくださいな。』 「そうだ今年お父さんが亡くなったんだっけなー」「さよう」最後にNさん(67番主人公)ロックの焼酎2杯目で顔がいくらか赤い。『あした水戸へ行ってもいいかな?』「どこへいくのよ」『水戸にサウナがあってな。そこで泊まれるんだよ。ご飯も食べて上で寝られるんだ。いいかな?』彼は3ヶ月無断で外出した経験が多分負い目に感じて私に寮長に話をつけてほしいと訴える。そうなんだ。彼は正月帰る場所がないんだっけな。自分で正月の過ごし方を考えての3人3様のお話。これが延々と続いたのだ。些か疲れた。そしたら急にSさんが歌い始めた。五木寛之の歌らしい、ハーン次回はカラオケに連れて行けという彼独特のアクション。解りましたよ。次回はそうしよう。まだ、話が続く「ねんねーしてんだ。やせちゃった・・・・」「水戸の偕楽園に赤い梅がなー咲いてからな?」「働かざる者に幸せはない。明日はしーごーとでやんす。芋屋さん」寿司屋のこの風景皆さん想像できます?私一人であっちを向いてこっちを向いて  ウンウン  それで  もう帰ろう!みなさん今年も良う頑張った。乾ーーー杯だ。フー。

70.予 感

予感。胸騒ぎ。これは本当にあるんだなー。昨夜の事、救急車が私の家の脇をサイレンを鳴らしながら過ぎ去って行った。もしかしたら学園かもしれない。そう思った。車で出かけてみた。案の定厚生園のグランドに赤い救急車のライトがクルクル回っていた。正直慌てた。何かあった。そのまま園庭に車を入れた。担架に乗せられたRさんが今丁度運び出される所。職員が走り回っている。「どうした?」「Rさんが意識が無いんです」「どこへ連れて行く?」「筑波大!」「・・・・」隊員の方が無線で病院の受け入れを確認している。OK。二人の職員が同乗した。冬休みに入り、居残り組の利用者が皆外にでてきてしまう。Nさんは「可哀想になーかわいそうになー」と独り言。「心配ないから寮に入りなさい」と指示する。救急車が学園の門を出てしまうとみんなそれぞれの寮に入って行った。
私は自室にて病院からの連絡を待つ。40分ほど経って、スタッフから「今診察室に入り点滴を受けています。多分発作の後だと言う事です。脳波や血液検査には異常が無いようです。お父さんも病院に来て本人の側に付いています。大丈夫だと思います」・・・・・それから1時間ほど経っただろうか。病院から処置を受けて眠り続けているRさんが寮に戻ってきた。休み期間、寮を合わせて生活する。居残りさんが毎年増加している。これからも繰り返されるこのような事態へ、私はどう振る舞へば良いのか・連絡を待つ間、私はノートの片隅に平常心と書いていた。
丁度10時の時報がなった。

71.仏陀のおしえ@年頭所感

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もし、仏教財が・・・・・かかわる者のみの私領専取に終わっているならば、かかる仏教は死である。仏教を現代にまず生命あるものとして見出さんがためには、その財を仏教的用途に活躍せしめることである。)『仏陀のおしえ』友松圓諦著:
この言葉を講談社文庫の小冊より見つけた。3回続けて読むに至った。友松氏昭和8年の著作である。宗派に拘らずに神田寺を起こし、本来の仏教に立ち戻れと訴えた。70年前の著作の中に当に現代の仏教が低迷している元凶を見事に言い当てている。そして、世界大戦という激動の時を経験した今の日本人が何かの支えを見いだせずにただがむしゃらに歩む姿。そして先が見えなくなっている。
私は、友松氏の指摘する仏教の死があるとすれば、宗義信条に拘わらず僧侶として何が出来るかということを赤裸々に自らに問うことが不可欠だと思う。それは永遠なるものを求めて永遠に努力する姿を菩薩と見た高田好胤氏もにも通じる。仏教の真髄は結果主義では無くして生きる過程に本来の価値を見いだす。世に名を残さず人知れず生命を閉じた先徳達、逆に名を売るために他人の命まで死に追いやる輩が多出する今の時代、ここに何らかの警鐘無くして次の時代への夜明けはない。
 一方、障害福祉に関すれば、糸賀一雄氏や田村一二氏の伝える教えに真摯に耳を傾ける。この先人が歩んだ足跡を丹念に辿ることで福祉のこころを蔑ろにした業界の罪を暴く。
 宗教が単なる現世利益を売り物にするならば、それは明らかにメッキが剥がれる。宗教は本来人間がいかに生きるかという事への道しるべであるべきであり、それなくして、宗教本来の生命を見いだせるはずがない。
 当に今年は紛争と平和の意味を世界中の人々が考えなければならない年となろう。(1月3日)
 

72.仏陀のおしえA

正月になって4日間連続でお悔やみが続いた。それぞれが自らの人生を全うした黄泉への旅路であったと思う。遺族に取ってみればそう簡単には身内の死を割り切ることは出来ないと思う。
 この最後の別れの儀式?に私は経を読んだ。正直迷いがある。仏陀は自分の死に際して弟子達に葬儀はしないことと伝えたという。それは何故なのか?私にはいかなる仏教解説書を読んでみても納得できないことの一つ。
 時代は変わった、四件の葬儀はそれぞれが違った斎場にて行われた。何れも僧侶の入場から始まって読経、焼香、お別れ、挨拶という手順で流れていく。出棺までの時間は大凡一時間。
 また、お葬式の連絡があってからの流れもある。葬儀社からの時間の打ち合わせ、通夜、葬儀、火葬時間、これは斎場の都合や火葬場の都合が優先される。そして、当家からの寺への挨拶、ここに戒名や御布施の相談が必ずはいる。
 それから初七日忌をどうするか?という話。多分、私の寺の進め方は他のお寺さんとは違っている。
御布施が決まっていない。初七日は告別式の中で行う。私なりの仏陀のおしえがそこにはある。ここで不思議な現象が起こる。他のお寺さんから批判される。『なんでそのように手抜きをするんだ』ということらしい。しかし、檀家さんの評判は良い。一応は金額を言ってもらわないと困りますとは言うが、そちらの事情も有るでしょうと私が言うとそれでも言って下さいとまでは言わない。
 最近、聞いた話、火葬場に行く場合、お墓に行く場合は別料金というお寺さんがあるという。本当なのそれ!
私の寺の檀家さんは私にお布施が高いとは言わない。そりゃそうかも直接言えないよ。でも、自分達がこれぐらいと決めた額を預かるのだから仕様がないわなー。それから檀家は皆知っている。お寺と尚恵学園は一体なんだ。多分、俺たちが包んだ お布施が幾分かは学園の役に立っているかもしれないと。私は自らの言葉でそのような事を話したことはない。しかし、感じてくれるようだ。幸いにお寺は檀家さんの寄進で伽藍が新築できた。『住職よ!外車でも乗れよ!』とかなんとか冷やかし半分で酔った席などでからんでくる檀家さんもいる。しかし、「そう。そこまで言うならベンツでも乗るか・・・」なんてことをしたら大変だ。前項の私領専取ってことになる。
 仏陀は自らが先頭に立って人々の中に入って行った。世の人々の苦しみや悲しみを直に感じ救いの手を差し伸べた、だから仏陀を慕って付いてくる人達がいた。今、檀家制度に守られ危機感もなく、時間で頼まれた檀務をして自分の責任を果たしていると感じている。仏陀を慕って付いてくる人々が信者、今や僧侶は媒体と化している。仏陀という預金の利子で生活している。これは自省を含めての正直な思いである。